十二

文字数 2,048文字

 歌舞伎町の夜の空気にも蒸し暑さが無くなり、時折涼しい風が襟元に吹き込んだ。午後五時を過ぎると陽が落ち始め、ミサキもそれに合わせて少し早目に店に出勤していた。ミサキは同伴などしない。リュウイチとの関係が続いているからというのもあるが、ミサキはそういう努力をしなくても、客の数は減らなかった。それに男たちの金に物を言わせた振る舞いを見るのが好きではなかった。生活して行くためにそこそこの金は必要だったが、他の女たちが競っているようなナンバーワンの座など興味は無い。故郷盛岡から上京してきた時は私立の名門女子大に通う大学生としてだったが、家がそれほど裕福ではなかったために始めた夜のアルバイトがきっかけで、この世界へと足を踏み入れた。文学部を卒業し、作家になりたいと夢見た時期もあったが現実はそんなに甘いものではない。そうかと言って、今更OLとして東京で働く意味も見出せず、リュウイチと出会うまでは、ずっと盛岡に帰ろうと思いながら働いていた。田舎でのんびり好きな読書ができて、そのうち優しい男性と結婚して、と思っていたところに、リュウイチと出会ってしまった。しつこい男性客との間に入ってくれたのがきっかけだったが、ハンサムで強く、一匹狼でたくましいリュウイチに惚れるのに時間はかからなかった。初めに思い描いた人ではないけれど、ミサキ自身が普通のOL生活を望まなかった時点で、本心は違っていたのだと思う。リュウイチとの生活は刺激的で、たまに怖い思いをすることはあっても必ず守ってくれるという安心感があった。そしていつもミサキの知らない世界に連れて行ってくれた。金に困ることも無く、このままリュウイチと一緒にいることができたなら、どんなにか幸せだろう。同じ東北の出身で、季節に対する価値観や都会へのコンプレックスなど、互いに共感し合える中で、更にその思いは深まった。リュウイチにしても同じだった。ミサキはかけがえの無い女性になっていた。本当は歌舞伎町の夜の街で働かせたくはなかった。いずれは二人で稼いだ金で、どこかに家を買って一緒に暮らしたいと思っていた。そんな矢先のことだった。
「ミサキちゃん、新規のお客様からご指名だよ」
 テーブルを囲む客に微笑みながら手を振って立ち上がった。
「新規? 誰かしら?」
 鼻唄を歌いながらテーブルに向かうと、そこには見覚えのある三十代半ばの男が座っていた。席につくと名刺を取り出した。
「前に、お会いしてましたかしら?」
 男は名刺をジャケットの胸ポケットに入れた。
「ええ」
ちらとミサキを見た。その男の目を見て表情を曇らせた。確かに一度だけ会っている。そう、数ヶ月前、ベテラン刑事の影に隠れるようにして立っていた男。
「刑事さんが、何の用ですか?」
「僕のこと、覚えていてくれたんですね。うれしいなぁ」
 背筋に不快なものを感じた。
「リュウイチさんのことなら、私、知りませんから」
「いいえ、今日はお客さんとしてミサキさんに会いに来ました」
 ミサキが煙草に火をつける。
「警察の方が、お客さんとはね」
「そんなつれない言い方しないで下さい。私にもプライベートはあるんですから」
 コジマは煙草を吸わないらしく、ミサキの吐き出す煙が気になる様子だった。
「煙草、よくって?」
 コジマが目をしばしばさせた。
「自分は吸いませんから、ミサキさんはどうぞ、ご自由に」
「そう」
 コジマは何も話さず、ただミサキのすらっと白く長い脚を見ていた。
「ミサキさんってお綺麗ですよね。僕のタイプなんです」
「そう、有難う」
 ミサキはコジマと目を合わせなかった。視線がミサキの胸元やスリットの入ったスカートから覗く太腿の辺りに注がれる。ミサキはフロントの方に目配せした。すると、他の女の子が二人、ボーイと共に現れた。
「ミサキさん、四番テーブルお願いします」
違う女の子をコジマの隣に座らせた。コジマは不服そうな顔をしたが、ミサキが立つと、尻の辺りを舐めるように見て、立ち去る後姿を目で追った。その後も、視線が自分に向けられていることに気付いたが無視した。

翌日の午後、ミサキはリュウイチに連絡を取った。
「昨日ね、コジマっていう刑事が店に来たのよ、客として」
「コジマ?」
「前に二人組みの刑事が来たって言ったでしょう。そのうちの一人で、三十代半ばの若い男。もう一人はアズマって言う年配の男だったんだけど」
「客としてって言ったのか? そいつ」
「そう、何となく嫌な感じがする男なのよね、ブサイクじゃないんだけど、何か爬虫類みたいな、いやらしい目で私のこと見てるのよ。他の女の子に話聞いても、全く話さないし気持ち悪いって」
「そうか、大変だったなミサキ。念の為、そいつには気をつけろ」
「わかってる。心配しないで」
 ミサキの声が震える。
「リッちゃんに早く逢いたい」
「すまんな、ミサキ、もう少しだけ待ってくれ。またすぐに逢えるようになるから」
 ミサキは何度となく頷いた。自然に涙が溢れて、携帯電話を顔から遠ざけた。そして静かに通話を切った。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み