□ 十九歳 春②

文字数 2,427文字

 結局暗くなるまで私たちはほとんど何も話さず、さっちゃんの祖父母のお家で過ごした。途中でさっちゃんが実家に食べ物を取りにいった他は、ずっと二人きりだった。
 桜をぼんやり見ながら、私達は話さなくてはいけないことは何も話せずにいた。もちろん、進藤さんがあの日私に言ったことの真実を知りたい気持ちは強かったが、とてもじゃないけれど、さっちゃんにそれをぶつけることは出来なかった。
 さっちゃんは、何となくずっと元気がなかった。朝は気付かなかったけれど、こうして相対してみると、大学で時々見かけていたさっちゃんは別人じゃないかと思うほど、沈んでいた。
 愁い顔、ってこんなのを言うんじゃないだろうか。ずっと何か別のことを考えているようで、なかなか視線も合わせようとしない。
 それでも、私が帰ろうとすると、すぐに、それを止める。私が居たら嫌なんじゃないか、と思うほど暗い表情なのに、私を帰らせようとはしなかった。
 キスのことは当然、蒸し返せなかった。さっちゃんが忘れているならそれで良し、覚えていたとしても、さっちゃんは大したことだと思っていないような気がした。でも私がその話をするのは憚られる、そんな雰囲気だった。

「そろそろ帰らないと、あゆのご家族に心配をかけるよね」
「……そうだね」
 今日、帰ることはさっちゃんが実家へ行った隙に連絡してあった。電話を受けた母は、予想していたのか、いつでも大丈夫だと言っていた。父は学会に行っていて、車は空いているんだそうだ。嬉しいはずなのに、なぜか内心がっかりしてしまった。
「……正直、あゆを帰したくない」
「え?」
「帰ったら、もう二度と、あゆと一緒にいられなくなる気がする」
 さっちゃんの直接的な言い方に、戸惑った。そして……ものすごく嬉しかった、とてもとても。
「……大丈夫、大学を辞めたりはしないし」
「そういうことを言ってるんじゃない! ……分かってるでしょ……」
 もちろん分かってる。また以前のように大学で一緒にいることは出来ないだろう。変な噂が再燃する可能性も高いし……おそらく進藤さんがそれを許さない。
「私の家は、美咲達にバレているし……」
 さっちゃんはぶつぶつ言う。やっぱり、進藤さんと何かあったんだろうか。……進藤さんがついた嘘に関係しているのかな……。
「……じゃあ、時々、さっちゃん、ウチに片付けに来てくれない?」
「えっ……あゆ……それは」
「私の家は誰にも知られてないし、私の家なら、誰にも何も言われない、んじゃない?」
「あゆんちに行くのは……そんな勇気、ないな……」
「え、どういう意味よ、ちゃんと片付けるから、さっちゃんを怖がらせない程度には片付けておくから」
「それじゃ行く意味ないんじゃないの?」
「だって」
「……どんな部屋でも大丈夫だよ。……そんなことは心配してないから」
「じゃあどういう」
「これ以上、あゆに嫌な思いをさせたくないから、だから……ちょっと考えるわ。……もうあゆに絶対嫌われたくない」
 私、嫌いになったこと、ないけど。
 そう思ったが、なぜかそれを言葉に出来なかった。

 三珠港に着いたのは、もう九時過ぎだった。慌ててチケットを買ってスーツケースを取りに戻ると、さっちゃんが私のスーツケースを持って歩いてくるのに出くわした。
「あゆ、なかなか戻ってこないから、スーツケース忘れて船に乗ったのかと」
「そんなわけないでしょ、ちょっとチケット売り場が混んでいて。買えて良かった、多分空席ほとんど残ってなかったと思う」
「……あの、ね、あゆ」
 私がスーツケースを受け取ろうと手を出したら、さっちゃんはさっとスーツケースを引いた。
「ちょ」
「あゆ、また、休み中、電話してもいい?」
「え? ……ああ、別に」
「じゃあ、かける。……ん、ちょっと待て、そういえば、あゆ、電話番号変わってないよね?」
「うん、さっちゃんは、変わったの?」
「……変わった……そうか、だからか、だからあゆは電話に出てくれなかったんだね?」
「え? 何の話?」
「私、六月頃、電話番号変わっているんだ、携帯電話に変えたから。あゆにそのこと言ってなかったよね?」
「……うん」
「今鳴らすから、これが私の番号、登録してくれる?」
「え」
 突然、私のカバンから大きな電子音が鳴り始めた。
 見ると、あの、間違い電話、の番号だった。
「これ、さっちゃんだったの……私、知らない番号だから、出なかった……」
「そうだったんだね、だから全然出てくれなかったんだ……ごめん」
「いや……私が悪い、と思う」
 一度でも出ておけば、これがさっちゃんの電話番号だと分かったはずなのに。
「いやいや、知らない番号に応答するなんて無用心だから、あゆの考えが正解だよ。私、伝えた気になってたんだ、ごめん、本当に、怖い思いさせてごめん」
 私は全身の力が抜けて、思わず座り込んでしまった。今日はデニム履いて来て良かった。汚れるのは気にしなくていいから。
「どうしたの」
「いや、一つ疑問が解けたから、ホッとしたの。さっちゃんの電話番号が分かって、嬉しい」
「……?」
「今度は私も、電話をするよ。実家にいる間は、誰の目も耳も気にしなくていいから」
「……それほど、大学生活はあゆに負担を強いていたんだね」
「?」
「あゆ、今度こそ、絶対辛い思いさせないようにするから、だから、私の……友達でいてね」
「うん? こちらこそ」
 乗船開始のアナウンスに急かされるように私はさっちゃんに手を振って別れた。
 ああ、そういえば、実家は実家で、妹の目と耳に注意しなくては。
 私は笑いがこみ上げて来て、急いでそれを噛み殺した。

 船のデッキから駐車場を見ると、まださっちゃんの車は止まっていた。さっちゃんは車の外でこっちを見ている。
 寒いのに、何をやってんだろ、さっちゃん。
 それでも、見送ってくれる人がいるのは嬉しくて、見えていないだろうけど、私は大きく手を振った。
 家に着いたら、すぐにさっちゃんに電話して、見えてたか聞いてみよう。
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