□ 二十一歳 秋(12)

文字数 2,303文字

 半ば駆けるように歩いた。とにかく歩き回った。舞山駅の中も外もただ滅茶苦茶に歩き回った。
 何も思い出せない、分からない。なのに一番思い出してはいけないことを思い出してしまった。
 私は、さっちゃんが好きだった。いや、今も好きだ。大好き。
 追いかけて来てぎゅっとしてくれて信じてって言われれば全てを信じてしまえるくらい。許してって言われたら全部許せるくらい。
 なんでそんなことだけ思い出すんだろう。思い出したくもなかったのに。一番忘れたかったことなのに。
 みっともなく泣きながらぐるぐる歩いた。頭の中は混乱している、よりももっと酷くグチャグチャだ。何を考えたらいいのかすら分からない。
 今、追いかけて来てくれたら、全部信じる。
「あゆ!」
 誰かが腕を掴んだ。私は電気に打たれたみたいに地面に崩れた。
「大丈夫? ちょっと何で泣いてるの、目立ってるから立って立って」
 引っ張って立ち上がらされて、柔らかいタオルで顔を拭いてもらって、そのタオルを受け取った。
「追いかけて良かった、一体何をやってるのさ、ずっと」
「……関係ないでしょ」
「無理」
「何が」
「……送っていくよ」
「嫌だ」
「私、車で来てるから」
「……」
「さ、行こ、早く立ち去らないと、まるで私が泣かせたみたいじゃん」
 事実だ。そう思ったけれど、口を開いたら泣き声になりそうで黙っていた。
 肩に回された腕に導かれるように歩いて、結構遠かった駐車場まで、私達は無言で歩いた。
 赤い車の前で立ち止まった。絶対見たことがある気がした。
「ほら、乗って」
「……」
 助手席に私を押し込んで、彼女は運転席に乗った。
「あゆ、家までナビできる?」
「……出来るわけない、私が方向音痴なの、知ってるでしょ」
「だよね……」
「舞山の地図持ってる?」
「あるよ」
 後部座席からでっかい本を取り出して渡してくれる。
 方向音痴でも地図で自分の家を探すことは出来る。そもそも分かりやすい場所に住んでいる。
「ここ」
「え? これ? ……この広さ、これ全部あゆんち?」
「そう。……いけそう?」
「なんだこれ、これちょっとした公園じゃないの。……うーん、結構分かりやすいから……途中で何回か確認するから、このページ、開いて持ってて」
 本を返されて、私はノロノロとシートベルトに手をかけた。
 突然、右腕を掴まれた。
「ごめん、シートベルト、ここ、ささりにくくなってるから、コツがいるんだ。貸して」
 ベルトを引っ張ってカチャっと嵌めてくれる。
 私は体が石になったように硬直したまま、前をじっと見ていた。
「大丈夫?」
「……うん」
 何が大丈夫なのか分からず、いい加減に返事を返した。
「あゆ……」
 車を慎重に発車させながら、彼女は何かを言いかけて、また黙った。
「何」
「……あーうん……」
 前にもこの車に乗ったことがある気がする。こうして同じ方向を見ながら、喋ったことがある気がする。
 ゆっくりと信号停止する。彼女の運転はいつも丁寧だ。……そうだった気がする。
「あゆ」
「だから、何」
「私を信じて欲しい」
「えっ」
 思わず横顔を見た。彼女は無表情のまま前を見ている。
「ダメ?」
「……」
 タラタラと涙が流れて、地図に落ちて吸い込まれていった。
「どうしたの?」
「……いいよ、信じる」
 さっき渡されたタオルに顔を埋めて、そっと答えた。
「いいの?」
「うん」
「私……あゆ……これからもあゆと一緒にいたい」
「……うん、いいよ」
「ありがとう……」
「うん……」
 私は声を殺して泣いた。さっちゃんはそれに気付いていただろうけれど、何も言わなかった。
 ……ああ、このまま、家に着かなきゃいい……。



 もう一つ角を曲がれば我が家、というところで車を停めてもらった。
「ここでいいよ」
「え?」
「万が一、親に見つかるとやっかいだから、歩いていく」
 ドアから滑るように出て、私は歩き出した。
 彼女が慌てて車から出て来て追いかけて来た。
「ちょっと、暗い中、一人じゃ危ないよ」
「いやいや、ほら、すぐそこだよ」
「じゃ、すぐそこまで送る」
「いやいや、それじゃ意味がないよ」
 私が振り仰いだ途端に、彼女が私の手を取った。
「あゆ、あのさ、最後に言いたいことがある」
「な、何……」
「私、もうこれからは絶対にあゆを傷つけないから」
「うん」
「守るから」
「うん?」
「だから……その。実は、あー……言いたいことがある」
「うん、何」
「本当は、あの時言おうと思ってたんだけど……」
「……」
「あ、あの……。私、……あゆが」
「あら、歩さん、こんなところでどうしたんですかぁ?」
 家の門を潜って人が出て来て近寄って来たのを、私はぼんやりと見ていた。
「明美さん……」
「人の声がするなと思ったら歩さんだ。おかえりなさい」
「あ、うん、ただいま。……さっちゃん、じゃあ、送ってくれてありがとう」
「……じゃあ、うん……」
「あの。……続きはまた今度聞かせて?」
「え? ……あー……うん……」
「バイバイ」
「うん……」
 彼女が早足で去っていくのを私は見送って、明美さんに向き直った。
「歩さん、いいんですか? なんかお話途中だったんでは」
「いいの。急ぐ話じゃないし……多分」
「歩さん、その顔どうしたんですか?」
「え?」
「真っ赤だし腫れ上がってる」
「……泣ける話を聞いただけだよ」
「?」
 私は明美さんを追い抜いて、家に先に上がって、誰にも見つからないようにコソコソと自室に駆け戻った。
 さっちゃんは最後、何を言いかけたんだろう。
 ……今日はもう、何も考えずに早く寝てしまおう。
「歩ー、ちょっと来てー!」
 母が渡り廊下から大声で呼ぶ声がする。
「はーい!!」
 こんな大声で叫び合う家庭なんて我が家しかないだろうな……。
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