□ 四十一歳 春

文字数 1,106文字



 普段、こっちのマンションの郵便ポストを開けることは殆どない。生活実態がない部屋だから、そもそも私がこの部屋にひっそりと立ち入っている事すら、誰にも気づかれていないだろう。
 しかし、さすがに今夜は見逃せなかった。投函口からチラシがはみ出ている。あまりにチラシが溜まり過ぎ、これ以上押し込むことが出来なくなっているのだ。
 ポストのカギを開錠する番号が思い出せない。そういえばスマホのメモに番号を残しておいた気がする。
 確認するためにスマホを取り出したところで、そういえば、今夜でちょうど一週間、(さと)から電話がかかってきていないことに気付いた。
 そういえば、ずっと声を聞いてない。
 体の奥がギュッと痛む。それは久しぶりの感覚だ。ほんの二、三ヶ月前のことなのに、ずいぶん昔のことのように感じる。
 いくら忙しいからってそれはないよね。
 私が遠慮してるからって、放置するなんて、ひどい。
 部屋に帰ったら、早速電話をしよう。今夜は金曜だから、もしかしてやっぱり取ってもらえないかもしれないけれど。何度もしつこく電話をしてやろう。怒るかな?
 だって、もう気を遣う必要ないんだから。ね?
 郵便ポストの扉を開けた途端に、チラシの束がどさっと床に落ちた。
 いや、チラシと一緒に、箱が落ちた。
 なんだ、これ?
 間違ってポスティングされたのかな?
 宅配便の有料の箱だ。小さな荷物を送る時に使う、可愛いロゴの入ったA4サイズの箱。厚みは指二本分くらいの幅しかない。
 宛先を確認する。私の名前だ。私、何か通販で買ったんだっけ。でもこの住所宛に送る事なんてあったかな。忙しすぎて記憶が曖昧だ。
 送り主は。
「佐倉・・・あきら?なんて読むんだろう?」
 誰だろうと思いながら、妙な胸騒ぎがする。動悸が強くなって、耳鳴りみたいに血液が流れる音が聞こえる。
 我慢できずに、チラシを拾い上げることもせず、箱をバリバリ開けた。厳重にプラスチックテープで梱包されているのを力任せに引きちぎる。
 中身は真っ白の何も描かれていない、手のひらほどの大きさの箱と、水色の封筒。
 封筒には、合原歩様へ・・・
 見たことがあるような、ないような文字。優しい角張った文字。
 他の物は足元に落として、封のされていないそれを開いた。
 同じ水色の紙が一枚。

 便箋を封筒に丁寧に戻して、トートバッグの隠しポケットに曲がらないようにしまう。
 トートバッグからエコバッグを出して、足元の物を雑に放り込む。
 エレベーターを呼び出す気になれない。階段を上るために、重い鉄の扉を開いた。

 階段を上がりながら、ふと、外をみると、白い花が視界に入る。
 街路樹の桜、咲いていたんだ、気付かなかったな。
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