□ 十八歳 春⑦

文字数 6,806文字

 
 私は結局、さっちゃんのご家族には会えなかった。
 さっちゃんが、バスツアーの解散場所に皆さんを迎えに行ったのだが、そのまま母方の実家に寄るから、と追い返されてしまったのだそうだ。
「ホント、ちょっともジッとしてられないんだよねー」
 私は、残念だな、と思いつつも、ほっともしていた。さすがにさっちゃんの両親に会うのは、とてもとても敷居が高い課題だったから。
「もう、帰っていいの? さっちゃん、ご家族と過ごさなくても?」
「全然いいよ、だって、いつでもまた帰ってこられるし・・・また、あゆを連れて」
「ええっ、それは・・・気をつかう」
「何がよ、すっかりくつろいじゃってたくせに」
「・・・そうだよ、あまりに居心地良くてびっくりしちゃったわ」
「また、いつでも、来られるから・・・あゆも、一緒に来てね」
「・・・気が向いたら」
 どうしても素直に、うん、とは言えなかった。私がいると、さっちゃん、気を遣っちゃって、かえって疲れさせる気がする。

 無事に、自分のマンションの近くまで送ってもらったところで、宅配便のトラックが正面の車止に停まっているのをみつけた。おそらく私が頼んだ荷物に違いない。すれ違ってしまって荷物を再配達してもらうのも申し訳ないから、さっちゃんに挨拶するのもそこそこに走り出した。
「あゆ、夜、電話していい?」
「今日? いいよー、ホント色々ありがとねー」
「うん、バイバイ、あ、転ばないように気をつけてね!」
 宅配便のおかげで、名残惜しい気持ちを抱えて、別れ難くなっていることをさっちゃんに知られなくて済んで、本当によかった。
 私は、さっちゃんと別れるのが、寂しかった。
 また、一人ぼっちの生活に戻るのが、とても辛かった。

 月曜までの時間は、とにかく部屋を片付けることに使った。さっちゃんのがらんとした部屋と、自分の段ボールハウスを思うと、あまりにヒドすぎると、自分でも思ったからだ。
 さっちゃんは、毎晩、電話をかけてきた。さっちゃん、電話好きじゃないって言ってなかったっけ?と思いつつ、そして私も電話好きじゃなかったはずなのに、いつも長電話をしてしまう。
 内容は相変わらず、どうでもいいことばかりだった。さっちゃんは会いたい、とも言ってくれたが、私は、どうしても顔を合わせるのが嫌だった。
 そろそろ、気持ちを切り替えなくては。また、さっちゃんと距離を置いた生活が始まるのだから。いつまでも、さっちゃんと一緒にいたら、大学生活が再開したときに、自分を保てなくなる気がした。

 月曜は医系講義の後、さっちゃんが進藤さん達に捕まってしまったので、学内で見かけはしたものの、接点は持たなかった。進藤さん達の態度が妙にしつこくねちこくて、私から「怪しまれるから、今日は彼女達優先で」とメールした。
 何で、コソコソしてなきゃいけないんだろう、と思いつつ、でも、堂々と振る舞うことも出来ずにいた。正直なところ進藤さんが恐ろしくてたまらなかった。何がどう、嫌なのか、自分でも分からないけれど、何となく胸騒ぎがしていた。
 火曜も例の如く。しかし、帰りがけに、駅へ一人で歩くさっちゃんを見かけてしまった。
 ・・・これは、進藤さんの罠だろうか? 一人で歩くさっちゃんで私をおびき寄せて、証拠を掴むつもり?
 何の証拠? と自分にツッコミを入れつつ、こっそりとさっちゃんの後をつけている私は、第三者から見たらとても不審だったろうと思う。
 駅のホームでも、同学年の人はおろか一般客すら誰もいなかった。さすがに電車に乗り込んでしまえば誰かに見られることもないかと思って、さっちゃんに声をかけた。
「お疲れ、どうして一人なの?」
「・・・ああ、あゆ・・・どうしてって・・・一人じゃいけない?」
 さっちゃんらしくなく、とても疲れて投げやりな言い方だった。どうして機嫌が悪いんだろう。
「ごめんなさい、声かけちゃダメだった?」
「・・・あゆにまで、あたってごめんね・・・ホント・・・なんか今日は疲れちゃって。休み明けで怠け癖がついてたのかな・・・」
「何かあったの? 嫌なこと」
「うーん、別に・・・これってことがあったワケじゃないけど・・・人生って思い通りにならないモノだなぁって・・・」
「そりゃそうだ、と思うけど・・・さっちゃんがそんなこと言うなんて、ちょっと珍しいね。私が言うなら、いいと思うんだけど」
「・・・明日は、あゆ、一緒にいられるよね?」
「え?・・・あー、うん」
「いつかのように、教室の前で待ってていい?」
「それは別にいいと思うけど・・・ホント、どうしたの?」
「ううん、大丈夫。私はあゆの顔さえ見られれば、それで復活できるから」
「?」
「じゃあ、今日はちょっとここで寄り道しなきゃだから・・・」
 さっちゃんは苦い空疎な笑みを浮かべて、途中下車して行った。
 その日は、久しぶりに電話がかかってこなかった。

 ドイツ語の講義は相変わらずと言っては何だけど、辛気臭くてどんよりしていた。ドイツ語に罪はないけれど、講師陣がみな、何となく、暗く重い。ホント、気が滅入る。
 しかし講義が、開始時間も厳密な分、終了時間も厳密なのは助かった。昨日の様子を考えると、さっちゃんを待たせるのは良くない気がした。
 講義のある教室の前は、広いロビースペースになっている。廊下の窓際に、いくつものベンチがあり、大抵誰もいないが、そこでさっちゃんが待っているに違いない。
 ・・・どこにいるのかな?
 教室を出て、周りを見渡しても、誰もいない。さっちゃんはまだかな?・・・それともすっぽかされた・・・?
「ねえ、今日、慧、講義ないでしょ、どうしてこんなところにいるのよ」
 柱で見えない向こう側から、声がする。すぐに分かった、進藤さんの声だ。
「別に、自由時間に私がどこにいてもいいでしょ」
「良くないよ、今日、お昼一緒に食べようって約束したよね」
「してないよ」
「したよ、昨日、明日、私、本学オケの見学行くから、それが終わったら、一緒にお昼食べようって言ったよ」
「・・・私は他に予定があるって言った」
「繭子にテラスの特等席、確保してもらってるのよ、繭子に悪いと思わない」
「ちゃんと、無理だって言ったよ。それなのに、繭子に確保させて、美咲こそ、彼女に悪いと思わないの?」
 怖いもの見たさの好奇心と、幾ばくかの不安に背中を押されて、私はそっと柱の影から様子を伺った。
「無理な理由って何」
「どうして、そんなこと聞くの」
「友達なんだから、聞いたっていいでしょ」
「友達なら何でも追求していいってわけじゃないよね?」
 ベンチに座っているさっちゃんは、明らかに苛ついたキツイ顔をしている。神経質に前髪をかき上げて、睨むように進藤さんを見た。
 進藤さんは、冷たい微笑みを浮かべて、どことなく、媚びるような口調で続けた。
「私は慧のこと、何でも知りたいのよ」
「・・・私は、あまり自分のことを他人に知られたくないんだ、悪いけど」
「まさか、合原さんと会うんじゃないよね」
「だから、美咲にこれからの予定を言う必要はない」
「慧、偽善者ぶるのもいい加減にしたら。合原さんが哀れで可哀想だと思っているのかもしれないけど、慧のそれって偽善じゃない。あの人と一緒にいて、慧、どんなメリットがあるの。あなたがいい人に見られたいがために利用されているなんて知ったら、合原さんも傷つくんじゃない」
「・・・メリット。・・・これ以上、君と話していても、時間の無駄だね」
「合原さんなら、もう帰ったんじゃないの。講義終わってだいぶ時間経ってるけど、全然現れないじゃない」
「いいんだよ、好きで待ってるんだから」
「ねえ、何でそんなにあの子に拘るの」
「・・・は?」
「あの人のことは、慧、重々分かっているんでしょ」
 ・・・私、ここにいていいのか?
 さっちゃんは、少しの間、目を伏せていたけれど、キリッと顔をあげて、進藤さんを真っ直ぐ見つめると、恐ろしい一言を放った。
「あゆと君とでは、勝負にならない」
「何」
「私は、あゆを選んでる、最初っから。・・・それが受け入れられないなら、君達とは友達ごっこしてらんないよ」
「何を言ってるのか分からないわ」
「理解力が足りないんじゃないの」
「・・・本当に、あなたが何を考えているか理解できない、誰も理解出来ないわよ」
「別に理解されたいと思ってない。必要性を感じない」
 さっちゃんのその開き直った、ひどく意地悪な顔つきを見て、私は震え上がった。でも進藤さんは全く意に介していなかった。
「じきに、思い知るわよ、合原さん、あなたの本性を」
「そんなヘマは犯さないから、御心配なく」
「・・・今日は、許すわ」
 進藤さんはくるりとスカートを翻して、むしろ優雅に見えるほどの足取りで去って行った。
「・・・ったく、何なんだろ、あれ」
 さっちゃんが呟くのが聞こえて、ますます私はその場に出ていくのを躊躇ってしまった。
 さっちゃんと進藤さんって、仲良く見えてたけど、何か違うの? 私のせいなの? 何が起こっているのか全然分からない、私はどうしたらいい?
 突然、電話が鳴った。
「あっ・・・」
 どうしてマナーモードにしていなかったのか、悔やんでも後の祭りだ。
「あゆ・・・そんなところに隠れて、何やってんの」
 当然、みつかって、私は言い訳もできずにただ固まっていた。
「もしかして・・・ずっと、居た?」
「・・・ごめんなさい」
「・・・ごめんね、あゆ・・・」
「・・・」
 何も言えなくて、私はさっちゃんを促して歩き出した。
「・・・どこにいくの」
「とにかく、ここからは離れよう」
「ホント、ごめん、あゆ」
 何がごめんなのか、全然分からない。

 駐輪場で自転車を引き取ると、お互いに無言のまま、何となく、門を潜った。
「どこ行くの?」
「・・・スタバ、行かない?・・・前にさっちゃんが行こうって言ってた」
「いいけど」
「道案内してくれる?」
「うん・・・」
「とにかく、何かお腹に入れよう。・・・それから色々聞くわ」
「・・・うん」
 何を話すつもりなのかは自分でも分からない。ただ、とにかく、何処か遠くに行きたかった。
 ・・・うまく言えないけれど、すごく良くない場面を盗み見てしまった気がする。
 無言で走りながら、私は頭の中でぐるぐる、どうしようどうしよう、と繰り返していた。
 何が「どうしよう」なのかも分からなかったけど。

「荷物見てるから、あゆ、先に買っておいで」
「うん・・・」
 初めて入ったスタバで、どんなものを注文したらいいのか分からなかったので、前の客が買ったものをそのまま買った。一体何が出てくるか分からなかったが、そんなことは気にしていられない。
 ・・・本当は気付いている。
 さっちゃんと進藤さんの会話から、一体私が何に巻き込まれているのか、分かっている。他人の気持ちは疎いが、さすがにそれに気付かないほど、馬鹿ではないつもり。・・・本当は、分からないくらいバカでありたかった。
 入れ違いに、さっちゃんがカウンターへ行く。私は目の前の飲み物をじっと見ながら、さっちゃんが永遠に戻ってこないといいのにな、と下らないことを考えた。
「・・・あゆに、あんな場面、見られたくなかったな・・・」
「・・・どうせ、いつかは、目撃することになったんじゃないかな」
「そうかな」
「・・・進藤さん、とても冷静に見えたけれど、怒ってるでしょうね」
「さあ。怒る方がどうかしてる」
「いやいやいやいや、怒らない方がどうかしてるよ」
 さっちゃんは頬杖をついたまま、明後日の方向を見て、何も言わなかった。
「どうして、あんな、進藤さんを怒らせるようなことを言うの」
「本心だから」
「そ、れは・・・おいといて」
「どうして、大事なことだよ」
「それは、とりあえず、いいから。・・・進藤さんを無駄にイライラさせなくてもいいでしょう、別にさ、私は何と言われようと平気だし、たとえ、さっちゃんが、あの場で進藤さんとお昼食べることになったって、それはそれで、いいよ、仕方ないし・・・別に私は怒ったりしないし、あれじゃあ、さっちゃんまで悪く思われるじゃん」
「・・・私の気持ちはどうなるんだよ」
「え?」
「あゆと一緒にいたいって私の気持ちは?・・・あゆは、いつもそれを考慮してくれないよね」
「そんな・・・私なんて、いつでもいいじゃない、どうせ暇なんだし、別の日でもいいじゃないの」
「・・・あゆさぁ、結局、自分が悪く言われるのがイヤなだけだったりしない?」
「・・・」
「・・・まあ、いいけど」
「良くない。・・・そうかもしれない、もうこれ以上、とにかく波風立てたくない、って思うから、それは、もう、嫌な思いをしたくないって自己保身なのかもね。でも、それだけじゃないって、絶対それだけじゃないって、自信持って言える。私は、さっちゃんが、私と同類だと思われるのがずっとイヤだったし、何なら、さっちゃんが私と仲良いと見なされるのもイヤだ」
「・・・どういう意味だよ、それ」
「さっちゃんの価値が下がる気がする、さっちゃんの価値に傷つけるのが、絶対イヤだ」
「何それ」
「私にとって、さっちゃんは人生で最初で最後の友達だと思ってて、だからすごく全てにおいて大事な人なの。めちゃくちゃ大切な人なの。それが、ちょっとでも悪く言われるのは我慢できない。下らない人達に、さっちゃんを馬鹿にされたり、変に思われたり、ああアイツと同類なんだ、って思われるのは絶対許せない」
「あゆ、あんた、さっきから何言ってるか分かってる?」
「良く分からない、だってこんな事、考えたことなかったし、今まで。こんな立場に立たされたことなかった。自分以外に大切なものなんて、なかったし。頭がごちゃごちゃしてよく分からないけど、とにかくさっちゃんが、たとえそれが進藤さんだったとしても、誰でも、悪く言われるのは許さないし、そのために自分がちょっと位悲しくても辛くても、残念な思いをしても、それは平気だよ。絶対さっちゃんに裏切られたとか、思わない。もう、十分良い思いをさせてもらった。これ以上は、望むべくもないと思う」
「・・・あゆって・・・ホント、何考えてるのかよく分かんないよ」
「ごめんね、頭おかしくて、また意味のわからない言動して、さっちゃんを困らせてるんだろうと思うけど、でも、それはしょうがないじゃん、私は普通になれないんだもん、普通の人がこんな時何を考えて、どんな風に振舞うのかなんて、分かんないもの。私の頭は不良品すぎて、正常に動かすことができないんだもの」
「ちょっと待って、もう、それ以上考えないで。・・・で、あゆの本音を聞かせて欲しいんだけど」
「本音? 無い」
「いや、じゃあ・・・あゆのワガママが全て許される世界だったとして」
「そんな世界、想像するのもアホらしい」
「うるさいなあ、いいから、とにかく、今、あゆのワガママが全て叶えられるとしたら、あゆは私とどうしたいの、それを教えて」
「え・・・うーん・・・さっちゃんが、進藤さん達のところに行かず、ずっと私のそばで私のことだけ考えていて欲しいかな」
「えっ」
「・・・やっぱり変だよね?・・・だからさっき言ったじゃん、そんな想像、ナンセンスだって・・・どうせ変だよ、もう、何でそんなこと聞いたんだ、そうだね、私のワガママが通用するなら、今のは聞かなかったことにして欲しいかな」
「・・・あゆ・・・聞かなかったことにはできそうにない」
「えー困る」
「あゆは・・・ちょっとお子様すぎるわ」
「? 今、私、悪口言われたよね?」
「違う、ちょっと反省してるの・・・あゆを甘く見てたなって」
「やっぱり悪口言われてる」
「言ってない、それは保証する。・・・あゆってさ・・・」
「何? 言ってみなさいよ、今度は何」
「・・・私のこと、好きなの?」
「好きだよ、すっごく」
「あ、そう・・・」
「迷惑なの?」
「迷惑そうに見える?」
「いや・・・」
「・・・あーあ、やだやだ、もう、全てどうでも良くなってきた。あゆのおかげで、すごく元気になったよ」
「それは・・・良かった」
 そうは言うものの、全然さっちゃんは元気そうに見えない。例えば、クッキーだと思って食べたら、素焼きの植木鉢だった、みたいな、そんなとんでもなく変な表情を浮かべて、テーブルをペーパーで無意味に擦っている。
「とりあえず、あゆは何も心配してくれなくて大丈夫。今度こそ、うまく立ち回るようにする。もう、あゆにイヤな思いはさせないから」
「・・・別に、私は、どうでもいいんだけど」
「あゆが私を、そんな風に考えてたとは思わなかった」
「ごめん」
「いや、謝るところじゃないでしょ?」
「うん?」
「この後、どうしよっか」
「そうだね・・・」
 全く言葉が出てこない。さっきまでの勢いはどこに行ったんだろう。

 ・・・私は気付いている。とても気になっている。
 今日のさっちゃんは、私を好きだとは、一言も言ってない・・・。

 
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