十五 彼女と馬にまたがり国境を目指す

文字数 6,779文字

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 ハーベストムーン略してハーブは持久力系の空飛ぶホースだ。飛行機よりは遅いが二人乗せてもへこたれない。ふたつの結界も張っているのに。

「ドロシー様、台湾へお電話なさらないのですか」
 出発してずいぶん過ぎてからうかがってくる。

「そうだった」
 ドロシーが左手にスマホを現す。防水カバーに入ったシンプルな白色。

「思玲に買ってあげたんだ」
「ばあやにね。だけど機械音痴。思玲に持たせたいけど、異形用が欲しいとわがまま言われている。安い機種でも七十万ドルするものをプレゼントできない」

 琥珀のスマホを何度か借りたが、そんなプライスだったのか。ばあやとは陳佳蘭という名の初老の女性で、楊偉天の子を産んだ人である。その辺りの出来事はぐちゃぐちゃなので正直思いだしたくない。でも救いない物語も少しは薄らいだと思う。……楊偉天が復活しないでいたら。

「キャッチして」
 ドロシーが前に騎乗する俺へ左手を突きだしてくる。迷彩柄のリュックが現れる。
「外ポケットにVPNのWi-Fiが入っている。隠しておくとつながらないから面倒」

 ブランクの左手薬指に紐づけていたのか。受けとって抱える。

「もしもし、ばあや。哲人さんに換わるね」
 電話がつながるなり俺へ手渡す。なんて奴だ。

「異形用のスマホ?」
 中国語で人の声で話したけど、念のため確認する。高額品だと手が震えてしまう。

「市販品だよ。韓国製のアンドロイド……ルビーの母親は韓国人だ」
「ニーハオ。ウォーシー、テツト、マツモト」
 急いで中国語を発声する。

『どなたでしょう?』
 暗い声が返ってきた。彼女とは異形のときしか会っていない。

「思玲に換わってもらえますか?」
『外にいるので一度切ります』

 時間がかかりそうだから、スマホをポケットに突っこむ。

「WhatsAppで電話することがほとんどだけど(俺もアプリを入れさせられた)、そのスマホには香港と台湾のSIMが入っている。eSIMだとサブのスマホに引き継げないので万が一のとき困るから。日本の回線も契約したけどSIMカードを紛失しちゃった。中国ではVPNオンリー……。

のも契約しないとな。北朝鮮のも」

 某国で回線契約できるか知らないけど、間違いなくドロシーはかすかに感づいている。思玲や史乃に劣ると言っても、彼女だって気配を探れる。俺にルビーの加護の残滓がこびりついているかもしれないのに、ぴったりと貼りつかれている。

「四川省まで行かなかったんだ」
 話題とは変えるためにある。

「上海で合流して一泊してからのスケジュールだったから。デニーさんが五つ星ホテルを予約して……あれ?」
 いきなりドロシーが乗りだして、前でまたがる俺の顔を覗きこむ。
「哲人さんが自然すぎて気づかなかった。目が青くないのに……棒もないのに、心の声をだしている」

 結界に守られていようと南海上空の空飛ぶ馬でアクロバットだ。

「覚醒の……」
 やはりあのネーミングは口にするのが恥ずかしい。「あの杖のおかげみたい。あれを握って冥界で一度死んで生き返ったかららしい」
 理屈はまったく分からない。

「資質に組みこまれたんだ。楊老師の息子はそれを狙って棒を作ったけど、そんな手段が必要と知り得なかった。偶然成功したけどリスクが高すぎる。生き返られるのは私と哲人さんだけ」

 冥界で死んでよみがえる必要があるなら、とても成功と言えない。

「思玲も同類だよ」
 川田も狼で死んで柴犬になり、横根も珊瑚で生きかえったけど、どちらも異形だったから除外する。

「人間なんて気づかぬだけで、誰でも一度ぐらい蘇生している。私とダーリンだけは特別」
 ドロシーが体を戻し、また俺の背にしがみつく。「哲人さんが魔道士に近づいている。へへ」

 これ以上に不吉な言葉があっただろうか。こっちの世界と触れあえるだけで、同位置で連続バク宙もできないし、支点なき体術で組み敷くこともできない。……魔道具はどうだろう。月神の剣以外も扱えるようになっていたりして。

「七葉扇を貸して」
「つい」

 後ろ手で受け取ったけど、何も感じなかった。

「ダメか。だけど異形になれば法具を使える」
 ドロシーがまた不吉を口にする。

「俺も梓群も二度とならない。俺はこっちの世界に来ただけ。……梓群の望み通りだね。俺も心のどこかで願っていたからかな」
「へへ、うれしいな」

 史乃を見習って大嘘を口にしたら、むぎゅっと抱きつかれてしまった。ブラの感触。

「俺も梓群と同じ世界にいて幸せ」

 さらに抱きつかれそうなことを口にするのは後ろめたさからであって、ドロシーオンリーを再認識するためは後付け設定だ。
 ……史乃と生死を預けあった一瞬。魔道士の滅茶苦茶度は強さに比例するかもしれないけど、彼女は力もあり分別もわきまえていた。ナマ乳に触らせるぐらい……。やっぱり変わっていたか。だとしても一緒にいて互いを尊重して協力して懸命になれた。

「昨年の戦いに、史乃はなんで顔をださなかったの?」
「ベガスにいたから」
「あんなに強いなら影添大社を守らせるべきだ」
 そしたら俺とドロシーの敵になっていたかもしれないけど。

「急に成長したらしい。それまでは師匠の陰に隠れていたって」
「師匠って年配の女性だよね。梓群は会っている?」
「公式には会ってない。でも夜の公園を散歩したときに見かけた人が、丸茂のお師匠さんだと思う」

かちん

「一人で? 俺を呼べよ」
「また怒りぽくなってきた。気晴らしなだけ。……異形の気配が這い出てきたから、私はそこへ向かった。だけどいきなり途絶えた。そこには資質あるおばさんがいた。私へと振り返った。……片目が義眼だった。私は怖くて逃げだした」

 龍を倒す者を(おびや)かす人か。ドロシーは俺にも怯えまくるから、少なくとも俺くらいには強いだろう。歳をとり資質が弱まり引退したとしても。

「丸茂をいじめると告げ口されるよ」
「そしたら哲人さんが謝ってね、へへ」
「連絡を待つ間に敵のことを哲人様に教えるべきでは」

 ハーブが恋人の会話に割りこんだけど、適切なアドバイスだ。

「そうだね。エイジのことは折坂ちゃんに聞いている。本名は刀輪田英嗣。今年四十二歳の元陰陽士。心を読む。呪いの言葉を放つ。ずる賢くて、アンヘラの参謀的役割」
 ドロシーが教えてくれるけど、ほぼすべて経験済だ。
「敵の術を打ち消す。影添大社の呪文も使用できる。格闘も優れている。邪悪な魔道具のコレクター。欲しいものをひとつ持っている」

「強敵だね」
 だけどドロシーから逃げた。彼女のコレクションに邪悪系が増えることなかった。
「ヒューゴは?」
 こいつも逃げたらしいけど。

呪文(スペル)の使い手。だけど根っからの犯罪者。ヒューゴとは話し合いを期待しては駄目。とにかく痛めつけて連行する。魔道具を没収するのも忘れないこと」
「やっぱり強いのだろうね」
「弱い者に強いタイプだと思う。……思玲から電話が来ないね。かけなおそうか」

 もしかしてすでに楊偉天が……。まだ海上だ。どうにもならない。

「アンヘラを俺に教えてからにしよう」
「おそらく昇おじちゃん――この呼び方は思玲がいやがるんだ――劉師傅ぐらい強い。それ以上かも」
「でもドロシーよりは弱い」
「へへ。……奴は忌むべき世界に好まれている。歳をとろうと力は衰えない。心も強いから捕らえるのは至難。そしてエルケ・フィナル・ヴェラノを操るから、戦いは激しいものになる」

 ドロシーの声が暗くなった。……聞くべきだろうか。聞いてはいけない。
 だけどドロシーから話しはじめる。
 
「エルケ・フィナル・ヴェラノは金色だろうとフロレ・エスタスより弱い。まだ現れたばかりだから。……アンヘラはロサンゼルスの教会の用心棒であり宝庫番だった。南米の貧民窟の出である彼女は宝物を漁るのが習慣で、ある日卵を見つけた。自分のねぐらに持ち帰った。自分の肌で温めたよう」
「そしてチコが産まれた」
「異形を現すなんて簡単じゃないよ。でもアンヘラにはできた。ちなみに卵は協会が影で管理していて、アンヘラの盗みはすぐに発覚した。尋問した人と護衛を倒して逃げた。それが三年前。長い逃亡生活の間もアンヘラは龍の卵を大切に温めた。ばあやにかけなおして」

 たしかに遅すぎる。俺だとロックを解除できないから彼女に戻す。

「もしもし、思玲? 遅いよ。心配した。それでね、私はいま誰とハーブに乗っていると思う? そう正解、へへ」
 ドロシーが楽しそうに話しだす。しかも日本語。
「それでね。ちょっと待って。――哲人さん、ずばり教えていいかな?」

「チェンジして」後ろ手でスマホを受けとる。「もしもし」

『火急に折り返してほしいなら伝えておけ。しかし哲人が戻ってくるとはな』
 少女のハスキーボイスが聞こえた。こちらも日本語だ。『異形に乗るとは情けない。ドロシーへ乗らしてもらうため彼女の言いなりになったか』
「はい?」
『自室で済まそうとするな。十九歳になっても夢見るちゃんは香港の高級ホテルで初めてを迎えたいらしい』

 思玲には妄想的嘘を伝えてないようだ。しかし少女のくせに素敵な助言。だけどそれどころではない。

「俺とドロシーははぐれ魔導師のターゲットになった」
『いくらで?』
「はい?」
『魔道士魔導師は金で動く。二人はハウマッチだ?』

 台湾の魔道士も影添大社に雇われて異形退治していたな。でも思玲は金のためだけに戦っていない。それくらい知っている。

「二人合わせて七十万」ご所望のスマホと同じ値段だ。

『そんなロープライスで哲人はともかくドロシーを? そいつらは知恵も情報も不足して……私を人質にするつもりか? 存在を知らぬだろ』
「おそらく」

 情報に疎くても、エイジは心を読む。ドロシーから天珠を借りないとな。

「俺が危惧する敵は……、大蔵司の体を楊偉天の魄が奪った。台湾へ向かっていると思う」
『魄?』

 思玲は特段驚きもしない。

「そう。霊じゃなく知恵ある魄。非常に厄介」
『なぜ京が楊と関わる?』
「いろいろあったから」
『端折るな。だが聞くのも面倒だ。ちょっと待て。ばあや――』

 とりあえず陳佳蘭に伝えたようだ。沈黙が流れる。

『ここには来ないと思う』
 しばらくしていきなり声がした。『あの爺さんの祖国は中国だ。この地に思い入れはない』

 あり得るだろうか。これこそ根拠なき憶測だ。

「警戒はしておいて。……楊偉天の出身の省は?」
 四川省だったら志乃と出くわすかもしれない。そうじゃなくても不夜会経由で管轄魔道団に非常線を張ってもらえる。

『知らぬ。だが祭師兄が河南省出身と言った気がする。記憶違いかもしれぬ』

 少女になろうと、こういうことには役に立たない。

「もう少ししたら到着すると思う。それまでは」
『幼なくなかろうと私では京にも楊偉天にも勝てぬ。マジで現れたら逃げるが、なんのために来る?』
「そりゃ思玲を……」違うな。「魔道具が狙いだ」
『奴が宝を隠しているとしたら、能天気(昔の夏奈のこと)を連れていったあの森だ。あそこを目ざせ』

 電話を切りやがった……。

「驚いていた?」

 ドロシーが背後から聞いてくる。ハーブの結界にいるから風に流されない……。ニョロ子が旗を上げたとおり、心の声が大声でなくなっていた。それはそれで何だかさみしい。

「いや。危機感限りなくゼロ。楊偉天は現れないらしい」
 振り向かずに心の声で返す。

「それは楽観だ。人質にされるかもしれない」
「だよね。でも、古いアジトに向かったもあり得る」
「あそこは魔道団が漁ったから何も残ってない。古い文献も原本は教場に移した」

 でも楊偉天はそれを知らない。覚醒の杖のように隠しているものがあるかもしれない。まずすべきことは思玲の確保。続いて楊偉天というか大蔵司を探す。

「ドロシーは大蔵司を起こせるよね?」
「気付けの術があるけど阻止されるかも。だけど京も哲人さんが苦手だ。だから哲人さんが怒れば跳ね起きて、楊老師を押しだす」

 その理屈だとドロシーも俺が苦手になるのだけど。そもそもちょっと声を強めただけで怒った扱いになるし……。史乃も過敏だったな。ある意味ドロシー以上だった。

「私はちっちゃいときから知ってるので呼び捨てに抵抗がある。だから老師と呼ぶけど気にしないでね」
 ドロシーがあらためて言う。
「楊老師も、哲人さんが京を起こせるを知っているから倒さなかったのかな?」

 彼女はたまに回りくどい日本語を使う。楊偉天は俺が忿怒するのを避けたのか。……怒るまえに始末されそうだけど、それを阻止したのは。

「史乃が俺を護衛していたしね」
「丸茂の名前をださないで。……キスしたでしょ」
「だ、誰と?」

 声をうわずらせ即座に反応してしまった。




 沈黙が十秒は漂った。

「哲人さん、こっちを向いて。体ごと」
「向きを変えるの危険だよ」
「私がハーブに命じない限り、結界の中から落ちない。はやくこっちを向いて」

 地雷ワードができてしまった。俺はアクロバットに海上高くで馬上で姿勢を変える。鞍がないので後ろ向きだとなおさら安定しないし尻も痛い。羽根が邪魔で足の置き場に困る。ドロシーはずっと俺をにらんでいるし。

「いつまで持っているの。返して」
 リュックサックを奪いとって背負いなおすし。にらみながら……。

「ごめん。史乃と手をつないだ。でもそれだけ」
 俺は頭をさげる。はやく台湾に到着しないかな。

「哲人さんは嘘を上塗りする癖がある。今回はかわいくない。それに私は怒ってない。丸茂が護りを口実に無理矢理したかを知りたいだけだ」

 事実を言ったら、史乃はドロシーのターゲットになる。俺から口づけしましたなんて、愚かな嘘を上塗りできない。

「史乃とはしていない」
「では誰とキスした」

 やばい。ドロシーの目がハンターの眼差しになってきた。でもかわいい。

「それは日本語の言いまわし。曖昧に答えるのが習慣になっている」
「私は読書家だ。異国語だろうと些細なニュアンスを感じとれる。誰とした?」
「誰ともしてない!」ここまで来たら嘘を貫け。「そもそも梓群が中国へ向かったから別の女がわらわら現れた」
「わらわら? 京と丸茂以外に誰が来た?」

 小さい島々が見えた。ニュースで見覚えあるから尖閣諸島かな。物騒だな。だけど台湾まであと少し。そしたらポイントをワープしてあっという間に思玲のもとへ。一年ぶりに見るのだから、すこしは大きくなっただろうな。

「無視しないでよ。……ルビーは狂ってるからアンヘラ一味を狙っている。日本に現れてもおかしくない」
「へえ、そうなんだ。護りは清廉だろうと屍術師なんて不気味」
「なんでそれを知っているの? やっぱりルビーと会ったの? 丸茂が嘘ついたの? 二人とキスしたの? 私とちょっと離れただけで、端から護りを受けたの?」
「梓群の癒しのキスに勝るものはない」
「質問に答えろ」

 逆ギレするなよ俺。抱きついて誤魔化そうともするなよ。きっと俺には神様がついている。窮地になれば必ず助けが現れてくれる。

「ドロシー様。それくらいにしましょう」
 ほら見ろ。ハーブが仲裁してくれた。
「手遅れですが。お二人のゆがんだ感情に、忌まわしき水神が感づきました」

 天馬が感じとるのは真に忌むべきもの……。

「ひい」
 後ろ向きで乗る俺は、赤錆びた難破船が海中から空へ飛び上がるのを見てしまう。黒髪を生やしているのだから舟であるはずない。人の顔をした長い首の水竜。

「い、いいい」
「ひい、ひい」
「いや」

 真忌は早くも興奮している。その声に俺はのけぞり、ドロシーはしがみつく。

「さっきの異形? すぐに術を当てたから視認してない。だけど振り向きたくない」

 俺だって真忌から顔を背けたい。ドロシーに抱きつかれて体を動かせない。

磯女(いそめ)と呼ばれる日本の忌むべき妖怪です」
 ハーブは冷静。「姿隠しの意味がなくなったので解除しました。それでも陸地へつくまでに追いつかれます」

「五つ星を連れ歩けない」
 ドロシーが顔をあげる。その左手に冥神の輪が現れる。
「だけど厄介だ。磯女は食べ物で釣る以外に屈服しない。襲ったものを恨み続け、餌と決めたものを狙い続ける」

 たしかに真忌は俺達を見ている。一人を恨めしそうに。もう一人をうまそうに。

「しかも、その思いを残して消滅しても何度でも復活します。思いが強ければすぐに。たとえば獲物に反撃されて逃したとか」

「そいつを食べるまで延々か」
 ドロシーがうなづく。聞きたくなかった。
「もったいないけど」
 右手には賢者の石が……中は空のまま。真忌を封じれる!

「跳ね返しも解除します。ドロシー様の戦いの邪魔になるだけ」
「つい」

 どうせ一方的な空中戦。最強ガールが痛めつけて捕獲するだけ。でも結界で守られたかった。後ろ向きで空飛ぶ馬にまたがる俺。目の前でドロシーが唇を舐める。




次回「真に忌むべきものは餌とみなしたものを追う」
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