八 邂逅後悔

文字数 5,017文字

「松本哲人よ、ひさしぶりじゃ。人として冥界に現れるとはな、ひひひ」

 老人の中国語が心に届く。俺は二度と会いたくないワースト5に入る楊偉天の声を虚ろに聞く。でも俺が呼んだ。

「しかもこの地で死ぬとは。御伽噺の結末は斯様なものか、ひひひひひ」

 …………死んだだと? サンドの毒で瞬殺された?
 おのれの生死も分からぬ真っ暗闇。遠くに蒼い光は見える。自分の体をさする。感触はあるけど、狂った妖術士は魄になろうとジョークを飛ばすはずない。

「楊偉天」違うだろ。「楊老師、すぐに生き返らせてください」

 媚びるべき時こそ媚びろ。俺はドロシーとステップアップしないとならない。夏奈の馬鹿笑いを遠くから見たい。元気よく大人になった思玲もいつか見たい。もう一度川田の部屋で寝たい。空飛ぶドーンを見ないとならない。横根との一方的なギスギスも解消したい。ルビーの処女を……。
 ルビーの護りが消えるなり即死。彼女の残忍の笑みを見てしまったから、俺が拒絶したのかも。

「人は死んで蘇らぬ」
 見えぬままの老人がきっぱり言う。
「この地で死んだのなら、松本の存在は誰の脳にも残るまい。ともに来た娘二人もすでに忘れているじゃろう、ひひひひひひひひひ」

 希望のプレートが沈みこみ、絶望の群発地震。でも俺を覚え続けてくれる人が一人だけいる。だったらまだあきらめるな。

「楊老師ならば、俺が復活する術を思いつくはずです」
「そんなものはない。儂とともに過ごそう」
「俺は強い! それと老師の智が重なれば復活が叶う」
「……ううむ。たしかに強い魂でこの地にしがみつく。これはどういう理屈だ?」
「なんであれ、霊魂も完全に消滅させないとね。ハサミでチョッキン、尾針でブスリしまっせ。ひひひ」

 ハカの声だ。もういや。

「西の使い魔か? 貴様はここでは他所者じゃ」
「なんで魄が知恵を持つ? 心を閉ざして読めねえし。やっぱ東アジアは狂ってる」
「互いに執着……貴様と松本は因果あるな」
「はあ?」

 霊である俺が声を立ててしまう。このサソリとは会ったばかりだ。まだ史乃やルビーとのが付き合いが深い……ルビー絡みだ。

「ご名答」
 ハカめ。霊になっても心を読まれるな。
「ルビーを拾ってくれた奇特な魔導師団を、俺が壊滅させた。そんなんで逆恨みされている。俺はこう見えても強いぜ」

「ルビーとは娘の魔導師か? 貴様を松本に倒させようとしているのか?」
「……お前さんは生前そこそこの奴だったな。ドイメちゃんがヤバいことになっているから俺は加勢に向かう。なので無駄話は終了」

 何もない闇がメタリックに光った。その輪郭は数メートルあるサソリ……。

「亡霊を倒すのはサンドには無理。ドイメちゃんは得意だけどそれどころじゃない。なので俺が二人を完璧終わらせてやる」

 ハカがハサミをチョキチョキ。毒針をプルプル。

「松本哲人よ。儂が復活する力になるならば、窮地を脱する可能性を教えてやる」

 楊偉天はそんなことを言う。狂った妖術士を冥界から救いだすなどやるはずない。でも考えろ。他に可能性はあるのか。

「ぐえっ」楊偉天の悲鳴が聞こえた。
「ぐえっ」俺も悲鳴をあげる。ハカのハサミに挟まれた。

 数秒で俺と楊偉天は完全消滅する。

「そ、それを教えて」叫ぶしかない。「ともに地上へ戻ろう」

 ハサミが強まる。俺の魂が半分ほど切断された。

「ひひひ、妖魔などと関わる者であろうと、ルビーを受け入れろ」
 楊偉天はなおも笑う。
「その娘の願いを叶えると誓え。心の奥底から叫べ。ひひひ」

 彼女の願いは処女消失。超越美人の十七歳。

「わかった」
 梓群と再び会うためだ。自己都合だらけなんて思わず、冥界を震わせるほど怒鳴れ。
「ルビー! お前が狂った魔導師だろうと愛してやる! ……ドロシーと同じくらい」

 本能的危機回避が働き、補足を付け足してしまった。なのに俺の体がラベンダーに輝く。激しく。照らすほどに。
 巨大な黒いサソリも照らされた。もうひとつのハサミに分断された楊偉天も見えた。俺を挟むハカのハサミが溶けていく。

「ギッ、チニートどもめ」
 ハカが俺を手放す。 

「それは差別用語だ。節足動物め」
 俺はサソリの魔物を睨む。復活したおのれの鼓動を感じながら。

「ひひひ、忌まわしき護りを受け取るどころか」
 胴でふたつに別れた楊偉天が闇に漂いながら笑う。
「冥界で人として生き返るとは。松本は不死鳥か?」

「ふーふー、フェニックスであるものか。偶然が重なっただけだろ、ふーふー」
 ハカは溶けたハサミに息を吹きかけていた。
「ジジイこそ不死身か?」

「ひひひ、儂は魄じゃ。知恵ある(かす)を消すのは難しいぞ」
 楊偉天の体が求めあうように近づき、ひとつに戻る。
「儂を倒す手段は少ない。松本のごとき強き心なければな。生きた心こそ必須、ひひひ」

 死んだという実感がないのだから、蘇った実感もない。だけど感じる。何度も来る羽目になるここは、俺のホームに近い。六魄を倒したように、人である俺はここでは強い。ましてルビーの加護を得ている……。忌まわしき護りとか言ったよな?

「ハカめ!」
 どうでもいい。まずはこいつを倒す。俺は奴へ宙を駆ける。

「無理でっせ。俺を倒せる手はずこそ少ない」
 巨大なサソリの姿が消える。
「サンド、もっとえぐいのを見せてやれ」

「きゃー」
「助けて……」

 掘られた穴の中で火だるまになる人達……。また視覚聴覚攻撃かよ。耐えてみせるけど……死して動かされる人達を思いだして辛い。心に後遺症が残っている。

「ひひひ、これしきを見せられて、松本の忌むべき護りが弱まりだしたぞ」
 楊偉天がふわふわと俺へ近づく。
「儂を殺した松本哲人。じゃが儂の智にすがって呼んだ。ノウマキインガロゼ……」

 いにしえの呪いの言葉を唱えるではないか。……ルビーの(忌むべき)護りが弾きかえした。それでもさすが最強妖術士。めまいと嘔吐を覚えてしまう。

「ギョギョ!」
 
 俺達から距離を開けてガラガラヘビが姿を現した。透けたままで逃げていく。
 その向こうで、ハカが俺達を見ていた。なおもハサミをチョキチョキ。毒針をプルプル。巨大ベーゴマがグルングルン。

「ギヒャッ」ハカが破滅的旋回に吹っ飛ばされる。「ハンターめ……」

 巨光環の恐るべきところは消滅するまで蹂躙しまくること。しかも3Dな冥界だから縦横無尽。加護があろうと当たらぬように祈ってしまう。

「昇の得意技じゃな。さすがに威力は劣るが、それでもたいしたもの」

 楊偉天が俺が倒したときの紺色シャツで腕を組み感心している……こいつをどうする? 咄嗟に約束してしまったが地上へ連れていけるはずない。サンドを追い払ってくれたとしても。

「彼女は日本の魔道士だ。さらに陰陽士もいる。楊偉……老師は彼女達に成敗されるかも」
 ここに残るべきと暗に匂わせてみる。

「約束を違うな。儂を上へ運べ」
 この爺さんは魄だろうと俺の心に気づく。
「儂に改心する機会を与えろ。儂が邪に囚われたままであるか、狩りの者に計ってもらうがよい。あの青白き光は破邪の剣じゃろ、ひひひ」

 笑い方が邪のままだが、そんな大層な剣だったのか。史乃は装備もステータスも想像以上に優秀かも。冥界でも戦っているし、俺ぐらい強い心……。
 また青白き光が向かってきたぞ。いや、誰かが術の光に飛ばされてきたぞ。……ご本人の史乃だ。

「いてて……松本いたんだ」
 史乃が尻をさすりながら俺を見つめる。
「いるに決まっているけど存在忘れていた。それよりめっちゃヤバくなって……そいつは霊?」

「違うよ、魄だ。……楊偉天を知っている?」

「いいや」
 史乃は楊偉天を見つめている。ふいに手にする剣を掲げる。
 それは青白く煌々と輝く。
「そいつはかなりの邪だ。成敗する。巨光環!」

 またしても巨大ベーゴマ。それしか使えないのか。

「や、やめろ……」

 とてつもなき大技を至近で喰らった楊偉天が光に飲みこまれる。それが立ち去ったあとには何も存在しない。光の環は遠ざかっていく。

「憑りつかれるのは大蔵司だけでいい」
 史乃が俺を見つめる。
「彼女を置き去りにしないけど、私だとどうにもならない。なので松本に任せる」

 何があったか聞かずとも分かる。心弱き大蔵司は淫魔に堕とされた。……でもハカはドイメが窮地とも言っていたな。

「いまの魄は消滅したのかな」
 確認だけはしておく。いなくなったのなら仕方ない。ドライな俺は厄介払いができたと安堵できる。

「逃げられた。魄を倒すのは意外に難しい」
 彼女はそんなことを言う。

「俺はたっぷりと倒したけど」
 六魄のうち四魄は俺が倒した。榊冬華の魄も消し去った。もう一人の魄は影添大社にすがり、おそらく歯車的存在になった。

「さすがドロシーが溺愛するだけある。火伏せの神の守護もあったし。いまは無いけど」

 お天狗さんとともに、もうひとつの護符の存在を思いだした。大蔵司が持ったままだ。史乃はビジネスで俺を守っているとしても、天宮の護符を輝かせるだろうか。それよりも。

「いまの俺も加護を受けているよね」
「ルビーのだろ。ドロシーが怒るから消せよ」
「ドロシーとは知り合いだった?」
「影添大社で二回会っただけなのにプレゼントをもらえる仲。自己紹介で真っ先に『恋人は松本哲人です』と牽制されたけどね。松本にちょっかいだすはずねえよ」

 お前は無理やりキスしてナマ乳を揉ませただろ。……もう一人ともキスしたよな。さきほど何か宣言したよな。以後は俺の体はラベンダーに発色しているよな。ただの人の目には見えないだろうけど、とてつもなき力を持つ人ならば間違いなく余裕で気づく。

「……この加護って邪かな」
「ルビーのが? アンヘラみたいに?」
 史乃が鼻をクンクンさせる。「念のため計ってみようか?」

 またも剣を掲げようとする。

「やっぱりいい。大蔵司のもとへ急ごう」
 狩りの対象になりたくない。

「ひひひ、邪に決まっていまっせ」
 またもハカの声がした。しつこい。
「心を読ませぬハンターめ。貴様の加護だって極めつけの邪神だろ」

「西洋の悪魔から見ればそうだろな」
 史乃は見えないハカの気配を探っている。
「だけどね、私を守るお稲荷さんはよき神様だ。悪を倒すために豊穣の力を無限に与えてくれる。傷を回復してくれる。力もだから、このように何度でも放てる」
 またもまたも中腰になり剣を斜に構える。
「風神の剣よ、輝け。巨光環!」

 風神?

「おっと」
 サソリの巨体が照らされた。光は避けられ史乃を睨んでいるけど。
「サンド出直そうぜ。こいつはエイジ様に任せよう。……ドイメちゃんは自業自得。あの魔女は狂っているんで俺達だと無理。アンヘラ様の出番だ。……ひひ、そりゃそうだ。松本を仕留めるのは我が主ヒューゴ様以外にいねえ」

 相槌のようにガラガラと音がして、異形の気配が消える。
 何もない闇。照らすは青白き光。ラベンダーカラーは薄まっていく。

「お稲荷さんってキツネだよね」
 使い魔を撤退させた魔道士へ聞いてしまう。

「それは眷属。私はそれに近い」
 史乃は振り返らない。
「『なんとか稲荷商店街』で、西洋の悪魔を倒したことがある。そしたら油揚げがこの手に来た。では大蔵司を制御しよう」

「制御?」
「あの宇宙人は淫魔を追いかけまわしている。目がガチになっていた」
「……土彦は?」
「主と女の奪い合いになりかけて逃げた。潜んでいるじゃね?」

 大蔵司ならあり得るかも。でも俺はハカみたいに仲間を見捨てない。そもそも大蔵司がいないと地上に帰れないかも。だけど我を忘れた大蔵司こそ怖い。何度も経験済だ。
 史乃が闇の空気を嗅ぐ。

「サソリも蛇も逃げてない。魔物は噓つきだ」
 くすくすと笑い、俺の手を握る。……強い力が逆流?
「うわ。ガチですごい。松本もめっちゃ護られているから、たぶん大丈夫」

 史乃が剣で自分の尻を叩く。同時にラベンダーの護りが発動した。史乃がロケット花火みたいに発射して、俺は腕を引きずられる。……術をおのれにぶつけての空間移動か。荒っぽいというか、この女も壊れている。

「窮地のようじゃな、ひひひ……」
 また卑しい笑い声が聞こえたぞ。




次回「冥界だろうとコンプライアンス」






※丸茂史乃の活躍は下記でもご覧いただけます。

https://novel.daysneo.com/works/2d1ed51b4948aee62eeb08ea3e3b1006.html
『いろいろ置き場予定地』の『密かなる狩りの者』シリーズ
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