Dos 生け贄

文字数 2,562文字

0.2ーtune


「地面に逃げた? 死ぬだろ」
 ヒューゴは唖然としている。

「そんな簡単で済むものか」
 仕留めるはずの松本哲人もルビーもいなくなった。アスファルトに穴が開いているはずなく、私が傀儡にした奴らが気を失っているだけ。
「ヒューゴ。殺すなよ」

「だったら朝まで寝かそう」
 ヒューゴが薄笑いを浮かべる。杖でスペルを何度もなぞる。ZZZ……。

「かけすぎだ。明日の夜まで起きない」
 この子が救われることはなくても罪を重ねさせる必要ない。ただの人が無意味に死ぬのも見飽きた。
「あのワームはミミズだった」

 チコに喰わせたい。見た目や味で好き嫌いさせない。

「冥府大蚯蚓なら冥界に連れ去れる。俺達の異形も行き来できるが……ルビーまで現れるとは」
 エイジが地面に手を置く。「あの娘は俺達と組むのがふさわしいのに」

「ルビーはワームに乗らなかった」
「なんでアンヘラは気づけるの?」
「まだ目は衰えてない」

 だが誰にも術を当てられなかった。私の糸人形だったものを巻き添えにすべきかどうかで、判断が二秒遅れた。その時間を取り返せれるほど若くない。

「ルビーは冥界を訪れたくないからか。それとも陰陽士を避けたか。同族嫌悪って奴かな」
 エイジがアスファルトから手を離す。
「引きずりだせない。俺達も追うか?」

「やめておこう。使い魔達に任せる」
 あんな虚無は二度とごめんだ。ここに長居も無用だ。私は歩きだす。
「レイク・スワへ向かおう。ミミズよりは役立つのがいるのだろ」

「続けるというのか。ターゲットは守られている。しかも達成したとて残金を手にできない」
 エイジは立ちどまっている。
「ロホ達の話を聞いただろ。ルビーは俺達の依頼主を殺し、百万ドルの剣を奪った」

 あの娘ならばあり得るだろう。ヒューゴ以上に滅茶苦茶だ。

「私達がその剣を奪う」
 それで形勢逆転だ。

「ハカのおかげでルビーは僕達から離れられないにしても。日本まで追ってくるなんて」
 ヒューゴが歩きながらマリファナをくわえる。

「葉っぱはこの国でご法度だ」
「人殺しとどっちが罪は重いの?」
「……アンヘラ。剣を奪ったらロシアへ行くのか? あそこの教会は影添大社より信用できない」

 ヒューゴの質問に答えることなく、エイジがようやく追いかけてくる。

「連中も私達を同様に思っている」
 とりわけ前科ある私は危険と判断するだろう。
「魔女と松本を殺し、影添の獣人を倒してから向かおう。それで依頼を完遂だ。白銀の剣の正式な所有者になれる」

 司命星剣と呼ばれるらしい。ことさら発音が難しいが……私が手にしたらどれくらい輝くだろう。

「あの剣を所有されるなら、俺達は逃げますぜ」
 ロホが言う。

「ドイメちゃんもサンドもハカさんも逃げる」
 アスルが言う。

「一般人相手に消滅しかけたお前達など不要だ」
 私にはこの子だけいればいい。疲れたチコはすやすや寝ている。

「主であるエイジさんがやさしいから、鬼達が増長して意見しやがる」
 ヒューゴは手からジョイントを消している。
「ハカが戻ってきたら躾けてもらおう」

「いいや。ロホとアスルは有能だ。死なずにいてくれてよかった。これからも俺の傍らにいてくれよ」

 鬼達が主に褒められゲヒゲヒ笑う。でもエイジは私にだけ教えている。湖に封印した異形は腹を減らしているので、餌が必要らしい。グルメらしく、そこそこ強い人か異形が必要。それを二体も食わせれば満足して再び従えられるそうだ。
 もったいないので私が試してからにしよう。私とチコで屈服させてみせる。成功したらご褒美にロホとアスルはチコにあげよう。
 小さいチコは羽根のはえた金色のイグアナみたい。はやく大きくなりな。チコの吐息が耳にかかる。

「サンド。赤い雌蛇がいたらしいな」
 私は声かけるが返事はない。冥界でハカとドイメを先導したままか。

「太った飛び蛇。そんなのが使える奴であるはずない」

 ヒューゴが笑うがそのとおりだろう。恐れる必要があるのは大和獣人。どうせ他にも強大な化け物を飼っている。白銀の剣を手にするまでは異端の社に近づくのはやめよう。

「天馬さえも従える夏梓群に今更だろうと震えてくれ。しかも月神の剣の所有者。エクスカリバーと並び立つ破邪の剣だ」
 エイジがまた言う。臆病でなく慎重。だからこう言葉を続ける。
「魔女が戻る前に終わらせよう」

 ペガサスがいればサンドさえ近寄れないから、私は魔女を見ていない。なのにあの娘は誰にも気づかれず潜んでいた。あいつはハンターだ。剣を交わしたから分かる。凄腕。かつ信念に添い人を斬るのを躊躇しない輩だ。ある意味、私と――魔女と呼ばれることなかった私と似ているかもな。
 もう一人の娘が陰陽士か。人の傷を治すとはまさに異端。エイジぐらい不気味な存在。こいつがいなければ狩りの者を何度も倒せたのに。……さらにあり得ぬ力を持っているかもしれない。消しておくべきか。

「冥界に向かったならば、あの三体で仕留められると思うか」
 エイジに尋ねる。「三人ともな」

「逃がさなければな」
 エイジが答える。「だが俺はルビーと同意見だ。陰陽士と関わらない。俺達は長野へ向かう」

「湖は好き。心が洗われる」ヒューゴが笑う。「そこは遠いの?」
「カナダ人ならがっかりする水たまりだが近くはない」
「そしたらチコの背中か」

「ヒューゴが車を借りろ」
 夏を終わらせるものは乗り物でない。

「アンヘラは甘やかしすぎ。さっき見かけたのにしよう」

 わがまま坊やに従って、来た道を五分ほど徒歩で戻る。人とすれ違わない。車も少ない。アジアのはずれに来ても、私は本来の世界に避けられる。しかし奴は追ってこなかった。

「高そうな車だな」
「だけど日本車。しかもガソリンで動く。ブラックボディと右ハンドルはダサいけど」

 ヒューゴが民家のガレージのお目当てへ向けて杖をなぞる。

「スティールのSか」
「アンヘラが一番ダサい。Sacrifice(生け贄)のSだよ。このレディは今日から僕の奴隷」

 またスペルをなぞる。レッドのR。ご満悦な面で運転席に入る。
 エイジが助手席に乗り、私は後部座席で目を閉じる。エンジンが始動して、赤いボディに変わったレクサスは乱暴に車道へ出る。……不安になるな。死を恐れるな。まだ私に終わりが訪れるはずない。チコが肩で寝ているのだから。




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