Tres 御神渡り
文字数 3,653文字
日本のハイウェイは深夜だろうと統制されている。時速120キロ以上出さぬようにエイジがきつく言ってあるから、ヒューゴの運転もおとなしい。追い越されようと杖をださない。車にクレジットカードが刺さったままなので料金所も問題なく突破できる。赤くなったレクサスは化け物の代わりに湖へ沈めてやろう。
チコは肩にいる。ロホはハッチバックの荷台を占拠。アスルは屋根にしがみついている。使い魔は誰も戻ってこない。
「折坂と呼ばれる獣人は満月に狂う。その日は陽が翳る前に影添大社の地下牢へ率先して籠る」
助手席のエイジがぼそぼそと心の声で告げる。
「大和獣人より強い牢番が必要だ」
「ヒューゴの言うとおりだが、そんなものはいない。しかし地下牢は特殊で抜けだせない。その晩は飼いならされた巨大な鬼が折坂の相手する。いずれ殺されたときに新たな牢番になるものを、湖底で大型金庫に封印してある。つまりストックだ」
「もういないかもね。あの獣人の遊び相手になってる……。僕のスペルをアンヘラ以外に避けられるなんて。エイジさんの中和は反則だけど」
「おそらくまだ封じられている。根拠を聞くなよ。俺の直感なだけだ」
「だったら信頼できる」
後部座席の私が答える。「しかし水竜をわざわざ湖に? 危険だろ」
「そいつは空を飛ぶし陸も歩ける。安全な場所などない」
「そいつの名は?」
「麻卦執務室長が真忌 と呼んだので、俺もそれに従った。……かわいげのない雌だが俺には懐いた」
「ミスター麻卦はアライグマか?」
私の声にエイジが振りかえる。
「アンヘラ、意味が分からない」
「心に浮かんだまま口にしただけだ。エイジは何故真忌 と会っている?」
「俺達の雇い主だった愚かな男が見たいと言ったから。そのくせ腰を抜かし三日うなされて過ごした」
私は質問したままで窓の外を見る。ハカどもはまだ戻らない。不吉が漂いだしそうだ。
「マキとチコ、ずばりどっちが強い?」
ヒューゴが尋ねる。
「次のインターで降りろ。……真忌 はチコどころかハカより弱い。だが忌憚をもたらす」
「どういう意味だ?」
私が尋ねる。そんなのは忌むべきものどもすべてだろ。私達を含め。
「もうじき会える。そしたら分かる」
エイジがスマホに目を落とす。「チコを戦わせる気も失せるだろうな」
満月の獣人の気力をも削ぐ存在か。それ以上の興味は沸かない。ステレオからブルーツース経由で古臭いレゲエが流れだす。チコが目を覚ました。
「お母さん 。おなかが空いた」
私にしか聞こえぬ声でせがむ。
「我慢を覚えな」
私はチコの頭をさする。
「ん? チコには見せるな」
暗黒の視覚から始まった。ようやくサンドが戻ってきた。……無様すぎる。誰も倒せないどころか、ドイメが囚われた。
「松本がヤン・ウェイテンと呼んだのか」
エイジがサンドに確認する。「台湾の魔道士の長。その霊が何故に松本達の味方をする?」
「あれはエナジー だよ。ちょっと見えた。力があろうとただの幽鬼」
ヒューゴが得意げに言う。「ハイウェイが終わったらエイジさんと運転を交替したいな。信号のある道はつまらない」
「ドライブは中止だ。エイジ、私達も冥界へ向かう」
ルビーの加護も邪神の護りも分断してやる。松本め、チコをあんな闇に連れていきたくなかったのに。染まらせたくない。
「なおさらマキを連れていくべきだ。あの水竜は冥界こそ似合う。……氷の海も南国の海もな。どこだろうと主演女優になれる」
エイジが珍しく皮肉な笑みをこぼす。
「そろそろ僕の配下のどちらか本性をさらすよ。なので心配必要なし」
ヒューゴがお気楽に笑うが、そしたらお前はハカもドイメも抑えられないだろ。
「エイジ。サンドに金庫を探させるか?」
深呼吸したいのを我慢して聞く。
「ノーグラシアス。サンドは冥界へ再度伝令させるべきだ。そしてハカを撤退させる。ドイメは見捨てる」
「クールすぎる。そもそも僕の使い魔の処遇を」
「ヒューゴは口答えするな。サンドはすぐに向かえ」
私の飛び蛇が尻尾を震わせ姿を消す。
「ドイメは囚われたほうが面白そうだけど、あれは誇り高いから逃げるだろうな」
ヒューゴが笑う。この子こそ冷淡だ。
*
聞いていた通り、諏訪湖は民家に囲まれていた。だが公園は暗い。私がいれば、訪れる人はいないだろう。それこそ忌憚すべき者以外は。
「この湖は真冬に御神渡りと呼ばれる現象が起きる。だが最近はない。温暖化のためだけではない」
エイジの手に珍しく扇が現れる。鯨骸扇 と呼ばれる骨組みだけの東洋の扇。
「真忌が腹を減らしだしたからだ。影添はわざと飢えさせている。……西に氷、北に闇、東に雨、南に血。四極を陰に重ね束ねれば」
エイジがぶつぶつ呪文をつぶやき扇を振るう。水面が数メートル盛り上がり湖上を伸びていく。鯨骸扇を畳み、その先端を指し示す。
「忌むべき神渡りだ。あそこの底におぞましき水神が眠っている。ロホとアスル、運んできてくれ」
「お任せを」
何も知らぬ鬼達が従順に湖へ飛びこむ。水しぶきが少しだけ起きる。
「時間潰しにドイメを助けるのをチャレンジするか」
エイジが遊歩道に手を置く。
「成功したらエイジさんのをサックさせるよ」
ヒューゴが救われることない。陽は昇らない。夜はもう少しだけ続く。
「俺はお前と違い異形と交ざらない」
エイジが地面から手を離す。私を見あげる。
「影添大社の巫女は俺と同じ力を持っているようだ。ドイメはまだ生きているが、そいつに囚われている。引き揚げられない」
つまりそいつも人でなき人か。それを言うなら松本もか。サンドの毒を受け死んだのに蘇るとは、ひさしぶりのファンタジーだ。
「松本を引きずりだせないの?」
「本人にその気がなければな。ヒューゴが潜って説得してこい」
「試せばいいのに。きっと脱出したがっている」
「冥界へ逃げ込んだ奴がか?」
エイジは珍しく機嫌がよい。祖国にいるからではないだろう。チコはおなかをすかしている。私の耳を噛む。
「やはりロホはチコに食わせてやろう」
水竜にはアスルだけでいい。
「何それ?」ヒューゴが笑う。「やっぱアンヘラ最高。ハカが役立たずを続けたら、あいつもチコにあげよう」
チコが顔をあげる。舌なめずりした。かわいい二股の青い舌がちろり。
「本気にされたぞ。否定しておけ」
さもないと嘘つきヒューゴが食べられる。
「カナダ人でもトロント出身ならジョークを言うから、チコは僕を食べちゃ駄目だよ。戻ってきたね」
水面を割るように伸びていたミニチュアのアンデス山脈が崩れ、鬼達が顔を覗かせる。二流カジノにあるような大きな金庫を二体がかりで抱えていた。
「陸にあげなくていい」
エイジが閉じたままの鯨骸扇を振るう。
「朝食の時間だ」
陽はまだ昇らない。金庫の扉が開く。そこから禍々しい気配が飛びだし膨らんでいく。
「ひ、ひいい」ヒューゴが私の背に逃げる。
「くっ」無意識に私の手に剣が現れる。
チコは値踏みしている。うまいかな。まずいかなと……。この子は私に勇気を与えてくれる。剣をしまおう。
「これとパーティーを組みたくない」
「ヒューゴはレディに失礼だな」
エイジは更にご機嫌だ。
「真忌、久しぶりだ。ロホとアスルはご苦労だった」
忌々しき水神がエイジへ微笑みかえす。……私だってこんなのと一緒にいたくない。チコを戦わせるなんて論外だ。
「ひひひ、サンドは松本一味を追ってますぜ」
ようやくハカが戻ってきた。「透けたドイメちゃんは血を吸ってまっせ。干からびぬように大勢からちょっとずつ」
「サンドが戻ってきたら、ヒューゴと役立たず、エイジとnovata で松本を倒しに向かえ。私はドイメと一緒にチコの餌を探す」
チコをこの水竜と一緒に居させたくない。夏を終わらすものが穢れる。譲り受けた破邪の剣のように。
「つまりどちらも真忌のものだ。良かったな」
「ひひひ、アンヘラ様が来ないことに意見しませんぜ。マキちゃん仲良くやろうぜ」
エイジとハカだけが笑っている。真の化け物である水竜は、私の肩のトカゲを見ている。チコの存在に気づけるのなら、使えなくはないだろう。
「チコが満腹になったら私はルビーを探す」
見つけられたなら腹を割って話してもいい。ハカを差しだしてもいい。
「ハカがすやすや眠れるようにな」
私は彼らに背を向ける。胸もとのクロスを握り、鬼達に授けた加護を解除する。マキに授ける。
「僕も行かない。まだ日本の女の子をレイプしてないから記念に済ます。ハカは松本を殺せなかったら、背中にスペルを刻むからな」
「そんなら食っていいですか、ひひひ」
「オッケー」
ヒューゴもハカも救われることない。
「ハカに本性を晒させるのか? ならば黒尽くめの痩せぽっちも来い」
エイジがヒューゴをじっと見つめる。
「だったら僕もハカも行かない」
「向かえ」私が命じる。
「僕も人間を食べたい」
「それはノー」
太陽が山の縁を照らしだした。人に聞こえぬ鬼達の悲鳴が湖面で途絶える。
次章「0.3ーtune」
次回「影添大社無人島」
九月後半再開予定です。
チコは肩にいる。ロホはハッチバックの荷台を占拠。アスルは屋根にしがみついている。使い魔は誰も戻ってこない。
「折坂と呼ばれる獣人は満月に狂う。その日は陽が翳る前に影添大社の地下牢へ率先して籠る」
助手席のエイジがぼそぼそと心の声で告げる。
「大和獣人より強い牢番が必要だ」
「ヒューゴの言うとおりだが、そんなものはいない。しかし地下牢は特殊で抜けだせない。その晩は飼いならされた巨大な鬼が折坂の相手する。いずれ殺されたときに新たな牢番になるものを、湖底で大型金庫に封印してある。つまりストックだ」
「もういないかもね。あの獣人の遊び相手になってる……。僕のスペルをアンヘラ以外に避けられるなんて。エイジさんの中和は反則だけど」
「おそらくまだ封じられている。根拠を聞くなよ。俺の直感なだけだ」
「だったら信頼できる」
後部座席の私が答える。「しかし水竜をわざわざ湖に? 危険だろ」
「そいつは空を飛ぶし陸も歩ける。安全な場所などない」
「そいつの名は?」
「麻卦執務室長が
「ミスター麻卦はアライグマか?」
私の声にエイジが振りかえる。
「アンヘラ、意味が分からない」
「心に浮かんだまま口にしただけだ。エイジは何故
「俺達の雇い主だった愚かな男が見たいと言ったから。そのくせ腰を抜かし三日うなされて過ごした」
私は質問したままで窓の外を見る。ハカどもはまだ戻らない。不吉が漂いだしそうだ。
「マキとチコ、ずばりどっちが強い?」
ヒューゴが尋ねる。
「次のインターで降りろ。……
「どういう意味だ?」
私が尋ねる。そんなのは忌むべきものどもすべてだろ。私達を含め。
「もうじき会える。そしたら分かる」
エイジがスマホに目を落とす。「チコを戦わせる気も失せるだろうな」
満月の獣人の気力をも削ぐ存在か。それ以上の興味は沸かない。ステレオからブルーツース経由で古臭いレゲエが流れだす。チコが目を覚ました。
「
私にしか聞こえぬ声でせがむ。
「我慢を覚えな」
私はチコの頭をさする。
「ん? チコには見せるな」
暗黒の視覚から始まった。ようやくサンドが戻ってきた。……無様すぎる。誰も倒せないどころか、ドイメが囚われた。
「松本がヤン・ウェイテンと呼んだのか」
エイジがサンドに確認する。「台湾の魔道士の長。その霊が何故に松本達の味方をする?」
「あれは
ヒューゴが得意げに言う。「ハイウェイが終わったらエイジさんと運転を交替したいな。信号のある道はつまらない」
「ドライブは中止だ。エイジ、私達も冥界へ向かう」
ルビーの加護も邪神の護りも分断してやる。松本め、チコをあんな闇に連れていきたくなかったのに。染まらせたくない。
「なおさらマキを連れていくべきだ。あの水竜は冥界こそ似合う。……氷の海も南国の海もな。どこだろうと主演女優になれる」
エイジが珍しく皮肉な笑みをこぼす。
「そろそろ僕の配下のどちらか本性をさらすよ。なので心配必要なし」
ヒューゴがお気楽に笑うが、そしたらお前はハカもドイメも抑えられないだろ。
「エイジ。サンドに金庫を探させるか?」
深呼吸したいのを我慢して聞く。
「ノーグラシアス。サンドは冥界へ再度伝令させるべきだ。そしてハカを撤退させる。ドイメは見捨てる」
「クールすぎる。そもそも僕の使い魔の処遇を」
「ヒューゴは口答えするな。サンドはすぐに向かえ」
私の飛び蛇が尻尾を震わせ姿を消す。
「ドイメは囚われたほうが面白そうだけど、あれは誇り高いから逃げるだろうな」
ヒューゴが笑う。この子こそ冷淡だ。
*
聞いていた通り、諏訪湖は民家に囲まれていた。だが公園は暗い。私がいれば、訪れる人はいないだろう。それこそ忌憚すべき者以外は。
「この湖は真冬に御神渡りと呼ばれる現象が起きる。だが最近はない。温暖化のためだけではない」
エイジの手に珍しく扇が現れる。
「真忌が腹を減らしだしたからだ。影添はわざと飢えさせている。……西に氷、北に闇、東に雨、南に血。四極を陰に重ね束ねれば」
エイジがぶつぶつ呪文をつぶやき扇を振るう。水面が数メートル盛り上がり湖上を伸びていく。鯨骸扇を畳み、その先端を指し示す。
「忌むべき神渡りだ。あそこの底におぞましき水神が眠っている。ロホとアスル、運んできてくれ」
「お任せを」
何も知らぬ鬼達が従順に湖へ飛びこむ。水しぶきが少しだけ起きる。
「時間潰しにドイメを助けるのをチャレンジするか」
エイジが遊歩道に手を置く。
「成功したらエイジさんのをサックさせるよ」
ヒューゴが救われることない。陽は昇らない。夜はもう少しだけ続く。
「俺はお前と違い異形と交ざらない」
エイジが地面から手を離す。私を見あげる。
「影添大社の巫女は俺と同じ力を持っているようだ。ドイメはまだ生きているが、そいつに囚われている。引き揚げられない」
つまりそいつも人でなき人か。それを言うなら松本もか。サンドの毒を受け死んだのに蘇るとは、ひさしぶりのファンタジーだ。
「松本を引きずりだせないの?」
「本人にその気がなければな。ヒューゴが潜って説得してこい」
「試せばいいのに。きっと脱出したがっている」
「冥界へ逃げ込んだ奴がか?」
エイジは珍しく機嫌がよい。祖国にいるからではないだろう。チコはおなかをすかしている。私の耳を噛む。
「やはりロホはチコに食わせてやろう」
水竜にはアスルだけでいい。
「何それ?」ヒューゴが笑う。「やっぱアンヘラ最高。ハカが役立たずを続けたら、あいつもチコにあげよう」
チコが顔をあげる。舌なめずりした。かわいい二股の青い舌がちろり。
「本気にされたぞ。否定しておけ」
さもないと嘘つきヒューゴが食べられる。
「カナダ人でもトロント出身ならジョークを言うから、チコは僕を食べちゃ駄目だよ。戻ってきたね」
水面を割るように伸びていたミニチュアのアンデス山脈が崩れ、鬼達が顔を覗かせる。二流カジノにあるような大きな金庫を二体がかりで抱えていた。
「陸にあげなくていい」
エイジが閉じたままの鯨骸扇を振るう。
「朝食の時間だ」
陽はまだ昇らない。金庫の扉が開く。そこから禍々しい気配が飛びだし膨らんでいく。
「ひ、ひいい」ヒューゴが私の背に逃げる。
「くっ」無意識に私の手に剣が現れる。
チコは値踏みしている。うまいかな。まずいかなと……。この子は私に勇気を与えてくれる。剣をしまおう。
「これとパーティーを組みたくない」
「ヒューゴはレディに失礼だな」
エイジは更にご機嫌だ。
「真忌、久しぶりだ。ロホとアスルはご苦労だった」
忌々しき水神がエイジへ微笑みかえす。……私だってこんなのと一緒にいたくない。チコを戦わせるなんて論外だ。
「ひひひ、サンドは松本一味を追ってますぜ」
ようやくハカが戻ってきた。「透けたドイメちゃんは血を吸ってまっせ。干からびぬように大勢からちょっとずつ」
「サンドが戻ってきたら、ヒューゴと役立たず、エイジと
チコをこの水竜と一緒に居させたくない。夏を終わらすものが穢れる。譲り受けた破邪の剣のように。
「つまりどちらも真忌のものだ。良かったな」
「ひひひ、アンヘラ様が来ないことに意見しませんぜ。マキちゃん仲良くやろうぜ」
エイジとハカだけが笑っている。真の化け物である水竜は、私の肩のトカゲを見ている。チコの存在に気づけるのなら、使えなくはないだろう。
「チコが満腹になったら私はルビーを探す」
見つけられたなら腹を割って話してもいい。ハカを差しだしてもいい。
「ハカがすやすや眠れるようにな」
私は彼らに背を向ける。胸もとのクロスを握り、鬼達に授けた加護を解除する。マキに授ける。
「僕も行かない。まだ日本の女の子をレイプしてないから記念に済ます。ハカは松本を殺せなかったら、背中にスペルを刻むからな」
「そんなら食っていいですか、ひひひ」
「オッケー」
ヒューゴもハカも救われることない。
「ハカに本性を晒させるのか? ならば黒尽くめの痩せぽっちも来い」
エイジがヒューゴをじっと見つめる。
「だったら僕もハカも行かない」
「向かえ」私が命じる。
「僕も人間を食べたい」
「それはノー」
太陽が山の縁を照らしだした。人に聞こえぬ鬼達の悲鳴が湖面で途絶える。
次章「0.3ーtune」
次回「影添大社無人島」
九月後半再開予定です。