二 彼女との痴話喧嘩を発展させてはいけない

文字数 5,031文字

「チョコケーキだ」
 冷蔵庫を覗くドロシーの目が輝いた。

 チョコレート大好物。それくらいは知っている。なまもの系が嫌いなのも知っている。スポーツやミュージックやゲームに興味なく、気晴らしにネットで恋愛小説を読んで過ごすことも教えてもらった。人間もリアルでなければ平気なことに気づけた。
 やはり魔道士だけあってずれていることも知っている。いまだってケーキを手づかみで食べる。そんなのもかわいい。

「カフェかティー飲む?」
「味が混ざるからぷやう。はおちー。日本のチョコは世界一だ」

 彼女はリュックサックから飲みかけの天然水ペットボトルをだす。ごくごく飲むのもかわいい。圧倒的美人なのにさり気ない仕草こそ尊いドロシー……。

「戻ってきたらデートしよう。試験の息抜きのため」
 ベッドに並んで腰かけて告げる。ケーキを食べ終わったら、そのまま押し倒したい。ハーブやニョロ子が戻ってこようが、彼女がその展開を望んでなくて無防備だろうが、知ったことか。どうせ鼻息荒くなった時点で逃げられるし。

「だったら影添大社のプライベートビーチへ行こう」

 それは沖縄方面の無人島。夏奈が足を浸した海辺。大蔵司が吸い殻をポイ捨てした砂浜。今度は二人きりのビーチ。魅惑的すぎるけど。

「遠すぎる。プールにしよう」
 まずは水着を買いにいこう。

「にんげ……」
 人間どもと同じ水に浸かれだと? きっとドロシーはそう言いかけた。
「……いいえ。私達には風軍がいる。ハーブに姿隠しをかけてもらえる。彼女の結界なら私も平気だから素早く隠密に行ける」

 大ワシの雛鳥である風軍を祖父から正式に譲られたらしいが。

「何度も言ったけど、俺はもう式神と関わらない。乗らないし、結界に入らない」
「だけど哲人さんはニョロ子ちゃんを追い払わない。そこまで言うなら、あの子を私にちょうだい。私の式神はハーベストムーンと風軍、ニョロ子あらためスカーレット。それに格闘系だけいればいい。川田さんみたいなタイプがベスト」

 四体なんて充分多いし。既に脳内で改名しているし。手負いの獣人を配下にしたいらしいし。

「ニョロ子には世話になったから、姿が見えなくてもずっと一緒にいてもらう」
 血もちょっと吸わせてあげる。

 ドロシーがベッドから腰をあげた。チョコクリームのついた指を舐め、俺を見おろす。かすかにハンターの眼差し。

「へっ、哲人さんの魂胆はわかる。忍に会いたいんだ」
「は?」
「だからずっといつもいる。またニョロ子ちゃんが人間になるよう毎日お祈りしている」
「んなはずねーし」
「いいえ。哲人さんが人間忍を見る目は違っていた。しかもあろうことか、私の前で口づけを交わした」
「あれは主従の契り……だったら俺と梓群はもっと深い契りを――」
「近寄るな!」

 ドロシーが俺に手のひらを向けた……。

「……それはしてはいけない」
「だから? 哲人さんは京の手にふたつの杖が復活するのを心待ちしている」
「なんで大蔵司がでてくるんだよ」

 あの女は記憶なき俺とデートしたのを、先回りしてドロシーにバラしやがった。人の世界では節操なしを確認されてしまった。それがなければ、もう少し進展していたかも。

「京は楊聡民の杖と接点ないから無理か。だけど陰辜諸の杖なら、彼女が窮地で必死に祈れば、その手に現れるかも。だけどニョロ子ちゃんには使わせない。代わりに哲人さんをミドリガメにしてもらう」

 ……あり得るかも。ならば忍ともちろん会いたい。でもニョロ子もずっと見てない。

「手をおろしなよ。勝手に誤解してりゃいいけど、俺はそっちの世界に関わらない。梓群をこっちに呼ぶだけ」
「フェアじゃない」
 ドロシーがうつむく。「私は哲人さんと戦いたいのに。一緒にいてもらいたいだけなのに」

 それは散々聞かされている。俺は逆の意見なのに。

「魔道士の活動を縮小しなよ。まずは明け方に街の散歩から始めよう」
「そしたらあの子達がどんどん成敗される」

 黙り込まれてしまった。平行線の二人。一年間どちらも折れなかった強い二人。だけど一緒にいたい弱い二人。

「……哲人さんは勉強があるから無理強いしない。だからニョロ子ちゃんだけ貸して。異形探しの効率があがる」
「デートが先。梓群が早朝の公園ですれ違ったお年寄りににっこり会釈したら、ニョロ子に同行してもらうよ」
「いらつく」
「はい?」
「私のお願いを全然聞いてくれないのは哲人さんだけ。私が妥協しようとだ。私が君を愛してるのを。逆手にとっている」

 その手に七葉扇が現れる。
 俺はベッドから立ち上がる。
 ドロシーが後ずさる。
 落ちつけよ俺。彼女だって鬱憤が溜まっている。

「躾けるつもりかよ。やってみろよ。その代わり二度とこの部屋に来るな」
「ま、間違えただけ。これじゃない」
 その手から扇が消え、煙草の紙箱サイズのガラス細工が現れる。「ちょっとだけでいいから青い目に戻ってください。お願いします!」

 九尾狐の珠を挟んでのやり取りも何度目だろう。……一度ぐらいは折れようかな。俺は年上男子だろ。ドアも修理してもらっただろ。彼女はずっと人の声で日本語だろ。

「わかったよ。でもデートが先だ」
「はお! はお! だったらすぐに終わらせて帰ってくる。そしたら海水浴だ。台風来たらおもしろそう、へへ」

 否定するのも面倒になってきた。それにドロシーの水着姿を見れるなら、一瞬だけ忌むべき世界に戻ってもいい自分がいる。

「気をつけて(四川省へパンダを躾けに)行ってきな。うれしいことがあってもデニーに抱きつかないように。常に火伏せと珊瑚を携帯して(記憶消しをかけられないようにして)おくように。……剣も持っていくよね」
「へへ。私はいつでもフル装備だ。哲人さんに見せてあげる。まずは右手のひらから」

 彼女がその手に魔道具などを次々と現してベッドへ放る。俺は心で目録を作ってしまう。

右手のひら 七葉扇
右親指 賢者の石
右人差し指 師傅の護布でくるんだ月神の剣
右中指 着替え一式(下着は一瞬だして隠しなおした)
右薬指 九尾狐の珠(青龍の破片入り)
右小指 俺の部屋のスペアキー
左手のひら 春南剣
左親指 スマホ(予備がリュックの外ポケにもある)
左人差し指 冥神の輪
左中指 沈大姐からもらった一般人が卒倒する品を収納した箱
左薬指 この指だけブランク 
左小指 天宮の護符

 さらには。

右腕首 革紐のミサンガ(リミッターを兼ねて魔力充填。危険)
左腕首 いにしえの呪い除けの腕輪x2(老大大にもらったそう)
両足 飛竜の靴あらため飛竜の靴下(裸足に見えるけど浮かべる)
首 海神の玉と風軍を呼ぶ鷹笛のペンダント
ブラの真ん中 お天狗さんの護符

 二人の未来の息子のものであるらしいお天狗さんの木札は、俺が持とうとドロシーの胸にすぐ戻る。俺より彼女のが危険な活動をしているからだろう。

「みんなに隠し方を教えても、私と京しかできない」

 魔道具や着替えを消しなおす彼女の両耳には、俺がクリスマスにプレゼントした小粒なパールのピアス(五千円)。ハーブの吐息で祈りの媒体になったそうだ。
 リュックサックには五泊分のお出かけセット以外に、キャンプセットと軍隊レベル救急セットと影添大社特製銀丹五袋、非常食非常水、破損した四玉の箱、ノートパソコン、さらに俺の着替え三日分(クリスマスプレゼント)も入っている。並大抵の魔道士がこの百分の一も亜空間にしまえば、ほとんどロストするらしい。
 そして一連の戦いの報酬を俺にだけ教えてくれたけど、日本円に換算して、円安だろうと四十六億円。出どころは各国政府の裏金で、香港、マカオ、日本、スイス、シンガポールに分散して預けたらしい。

 だけど慎ましい生活。自宅は魔道団教場の一室のままで、異国に別邸はなく居候もしくは客人。お寛ぎのときは、楊偉天のアジトに隠されていた過去の書物に注釈を入れたりもしている。俺の部屋でも見事な集中力で、ひと晩一言も喋らず書物とにらめっこ……。
 司法のテキストを読ませたことがある(もちろん日本語)。興味ないものは頭に入らないとぼやきながらぺらぺらめくり、解釈の問題をパーフェクトに口頭で回答した。学術方面の頭脳は超越俊英。
 それでいて瞬発系の運動センスは、ワールドサッカー(男)のレジェンド達を絶対に越えている。キスで興奮してしまった本気の俺をたやすくかわした。密接した状態から胸に触れることも赦さず、「やめてよ。今夜の哲人さんは怖いから帰る」とマジで帰られてしまった。
 体操系のセンスは、アップしたら加工と思われるレベル。筋力でなくバネ。助走なくバク宙と前宙を五回連続交互に出来る生物がコメツキムシ以外にいたとは。彼でも無理だ。しかも俺の部屋で。「下に住む人間が怒鳴らず、疲れなければ何回でもできる、へへ」と照れ笑いしてくれた。

 ドロシーの手に純度百の白銀弾は二度と戻ってこない。それでも思う。誰も彼女と戦ってはいけない。

「タトゥーを入れたい」また言いだした。

「絶対駄目。マジで嫌いになる」
 俺は健全な恋人を目指している。

「コカトリスの紋章を二の腕にちょっとだけ。そしたらダーリンに、都心のマンションの最上階をギフトする。私も寝泊まりさせて。シャワールームは貧乏な造りでないのがふたつ欲しい。ひとつは私専用だけど、哲人さんだけ利用していい。へへ」

 心を動かされるな。

「高額な贈り物はいらない。ドアの修理代も必ず返す。それに梓群の肌がずっときれいなままを、パパとママも望んでいるよ」
「……歯を磨いてトイレを借りたら出発する。日本のウォシュレットに慣れると、よそで用を足すと残っていそうで恥ずかしい。だけどお尻の穴が弱くなりそう、へへ」

 部分的にあけすけな彼女がチープなバスルームに入る。俺はもやもやむらむら時計を見る。二時近い。ケーキもワインも明日でいいや。


「ハーブお待たせ」
 ちゃんと手を洗ってでてきたドロシーが何もない空間へほほ笑む。
「例のよろしく……人の声だったけど哲人さんは気にしないで」

 リュックを背負いなおし、俺を見あげて目をつむる。歯磨き粉の香りする口もとを軽く閉じる。奇跡的唇……。アングルを気にしているような。

「ハーブに撮影(盗撮)させてない?」

 ドロシーの顔面が埼玉スタジアムほど真っ赤に染まった。

我、我從來没有(わ、私がするはずない)這是犯罪(それは犯罪だ)我得走了得走了(もう行かなきゃ)再見(さようなら)

 広東語でわめきながら、何もない空間へ跳躍する。同時に見えなくなる……。キスさえし損ねた。

「ニョロ子も戻っている?」

 机に置いてある割り箸製の小旗があがった。マジックで丸が描いてある。

「じゃあ寝なおそうか」

 また丸の旗があがる。

「ドロシーの心の声は大きいままかな?」

 ベッドに転がりながら聞く。ドロシーは、ただの人である俺にも心の声を飛ばせる。脳みそが揺れるので避けてもらっている。
 机の上でバッテンの旗があがった。

「へえ、聞いてみたいな」
 またささやかれたい。

 丸とバツの旗が重なって同時に上がる。三角もしくはノーコメントって意味だ。飛び蛇が視覚聴覚を資質なき人間に飛ばすのは、かなりハードワークだそうだ。
 ドロシーが言うには、ニョロ子はまだ太ったままらしい。それだって見てみたい。

「横根が荒川に捨てた杖(棒)。あれがあれば聞けるし見える。探せるかな?」

 自分の血を垂らし握るだけであっちの世界とつながる忌むべき杖。龍の破片を身に宿し青い目になるよりはマシだ。
 旗はいずれもあがらない。

「ニョロ子が太っていようと気にしないよ。そっちのがかわいいかも」

 しばらくして丸の旗があがった。

「至難だがやってみるか」思玲の声と「ちよっと待っていてね、へへ」ドロシーの声が聴覚で続く。

 たしかに一年近く前の話だ。良くてヘドロに埋まっている。

「無理しなくていいからね。海まで探しにいかないで」

 丸の旗が上がり、部屋の明かりが自然に消える。

「ありがとう。おやすみ」

 俺の式神は出かけただろう。……ひさしぶりに一人でごそごそしようかな。つい先ほどまで一緒にいた人を思い浮かべながら。写真が一枚だけでも欲しい――。
 部屋がさらに暗くなった。真っ暗闇。ひんやり。小柄な女性のシルエットがおぼろに見える。

どくん

 俺の手に火伏せの護符が現れる。……懐かしき焦燥。

「さっそくかよ」
 ドアを蹴破り若い女性が飛び込んできた。
「……強そうのがわんさか。くすっ」
 手にする剣が部屋を青く照らす。




次回「出会いたて女子が俺の部屋で羽目はずしすぎ」
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