Uno はぐれ魔導師

文字数 4,845文字

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 澱みへ。生き延びたいなら身を投じろ。
 生き延びてきたままに。
 深夜一時の雨が髪を湿らそうと。

「なんでエイジさんは奴を知っていたの」
 街なかに入ったところで、ヒューゴが忌むべき声で聞いてくる。

 男達が早歩きの男女二人を遠巻きに眺めている。三十五歳にしては老けた私でも母親と思わないだろう。今年十九歳のヒューゴとは毛も肌の色も違う。チコは肩にいる。

「古い仕事で遭遇したらしい」
 賢くなかった私も仕事のおかげで数国語に堪能になれたが、母国語であるスペイン語で返す。

「はぐれる前の任務?」
 ヒューゴはネイティブの英語だ。

「ああ。教会の犬だったときに、はぐれ狩りで出くわした」
 忌むべき力でのし上がろうとする者を、若芽のうちに摘むありふれた仕事。
「ターゲットは奴にすがろうとして、断られた」

 だが奴は私を気に入った。私は気に入らなかった。交渉は決裂して、おかげでコカインロードをさまよっている。

「アンヘラが乗っ取るもありかな」

 ヒューゴはいかれている。黒ずくめの服装の華奢な青年。濡れるのを厭わないくせに、フードをすっぽりかぶっている。

「どっちをだ」

「こっち」
 ヒューゴが立ちどまる。前方の四つ角で私達を観察する者達を、小振りな杖で指し示す。獣じみた勘が働くようで、彼らに私達への殺意はない。怯えのみ。
「アンヘラが腐った人の世界のボスになる」

 ヒューゴが杖で宙にスペルをなぞる。破砕(ブレイク)のB。
 男達の手やホルダーで銃が暴発する。

「私はヒューゴの子守りで精一杯だ」
 私は歩きつづける。妹を恋人を人でなくしたカルテルは見境なく地の底へ落ちろ。

「僕だって人間の相手は面倒。だって弱すぎる」
 またヒューゴが杖でなぞる。(デス)のD。男達の魂が地面に吸われる。
「かわいい魔導師がいいな。抵抗をあきらめさせてからレイプしたい」
 宙にRをなぞる。

 私同様に、ヒューゴが救われることはない。スコールは過ぎても、雨は血も汗も流せぬ程度に降り続く。四つの屍を濡らしていく。

「ヒューゴのおもちゃになるなら、私がとどめを刺してやる」
「そしたら師弟対決だけど……その前に二人とも死ぬかな」
「ふっ、ヒューゴこそ坊や(チコ)だ」

 ヒューゴが観念的なのは口先だけで、生に執着している。なので私とともにいる。私は最後まであがき続けるから。チコが肩から離れる。



 五階建てアパートメントを裏口から入り、鼠と転がる人を足で追いはらう。ヒューゴの杖の灯し火で、割れた酒瓶と注射針と反吐をまたぐ。階段を下りれば、血痕残る地下室に迎えられた。匂いも怨嗟も籠もったまま。
 皆殺しにされた末端組織の拷問部屋だったかもな。処刑室ではない。それは人里離れた山中だ。残忍に殺そうが悲鳴は誰にも届かない。
 薬を扱う者は生きているうちから地の底に引きずられる。そいつらを盾にしたい私ども。追いつめられた者の浅はかな思惑。ここへ導いたチコは屋上にいる。

 チワワ州の七月初旬だろうと、この部屋は乾燥したまま。埃のたまり場だ。明かり窓には板が打ちつけてある。蛍光灯は割れている。蛇口は錆びつき、返り血を流せない。
 マリファナの煙まで籠もりだした地下牢へ、人が好んで訪れるはずない。私達に執心のハンター以外は。チコは屋上で寝ている。

「ハカが戻ってきた」
 ヒューゴがつぶやく。クッションのないベッドにころがりジョイントをふかしている。
「ようやく金の匂い」

「アンヘラ様、依頼でっせ」
 浮かぶサソリであるハカが姿を現した。いまは幼児ぐらいのおおきさ。
「ターゲットは日本の影添大社。痛い目に遭わせるだけで100万ドル。ビルに落書きでもよし。動画サイトで暴露でもよし。辿られても名を出さぬことだけが条件。ただし前金なし」

 たしかに匂いだけがした。私らにすがるしかない腐った金の匂い。

「すげえ。アンヘラと同じ値段だ」
 ハカの主であるヒューゴが笑い、甘ったるい煙が鼻から垂れる。コカインは私の前で吸わない。

「断ってこい」
 私はハカへ命じる。主よりも私の言葉が絶対だ。

 陰陽士は異端のくせに、東アジアの魔道士を大金で動かす。ジパングと呼ばれた頃に黄金をかき集めたらしいが真偽は不明。誰も好んで近寄らないから知りようがない。

「口約束だけで放置しましょう」
 女性の姿の異形であるドイメがドアを開けて入ってきた。
「アンヘラ様にご判断いただきたいのは、前金ありの仕事。一般人を一人殺めたら20万ドル」

 赤いワンピース。赤みがかったブロンド。サキュバスと吸血鬼の混血であるドイメは、小柄で十代に見える。その病的に白い肌は、人狩りの瞬間、ピンクに染まるのを知っている。
 赤い唇。誘う笑み。

「それはそれは」
 私は口笛を吹きかけてやめる。ただの人が狙われるはずない。30万ドルのリスクが待っている。
「依頼主は?」

「影添の前ボスです。大罪を兼ね揃えた男。しかも臆病」

「堕としたか?」
 ドイメの主でもあるヒューゴが――契約なく使い魔をこき使える薬物中毒(ドウパー)が、ようやく起き上がる。

「もちろん。吸わせてもいただきました。そちらの契約は結ばれました」
 ドイメが笑みをこぼす。「100万ドルがキャッシュでないことを聞きました。それ相応のおぞましき品です」

「それは何?」
「知る必要ない。東洋とは関わらない」

 私はヒューゴへきっぱり言う。これ以上敵は増やさない。チコは屋上ですやすや寝ている。

「白銀でっせ。口にするのも恐ろしい」
 意に介せず、浮かぶハカが告げる。「そんでターゲットの名は松本哲人。昨夏、龍に関わった男。魔女をたぶらかした若者」

 黄色い肌の忌むべきコネクションに関わらぬ者か。……だが魔女と関わりあう。

「依頼の理由は逆恨み。ありがちですね」
 ドイメが笑みをこぼす。

「おいサンド」
 私の呼びだしに、浮かぶガラガラヘビが姿を現す。猛毒をもつ飛び蛇。隠密の暗殺者。
「松本の姿を見せろ。そして仕留めるのは容易か?」
 東洋の名前は忌むべき声でも発音しづらい。舌を噛みそうだ。

「ど、どちらもできるはずない。ゆるしてくれ、頼む」

 私に消される直前の司祭を視覚で届けやがった。品がない。

「例のサイトにも情報なし。管理されている存在だ。つまり手をだすな」
 ヒューゴはスマホを操作していた。銀色の髪。白い肌。青い瞳。そばかす。カナダ生まれの悪魔使い。
「でも逃走資金は底をついた。ん? ハロー」

『あのサイトは罠と教えたはずだ。たどられる』
 スマホのスピーカーからエイジのしわがれ声がした。片言のスペイン語。咳混じり。

「そりゃエイジさんなら気づけるけどさ、僕のスマートフォンは掃除がいき届いている」
 ヒューゴがそわそわしだした。通話を切りたそうだ。

『いや。追手が町に入った』

 沈黙が漂いかける。

「はは。それはそれは」
 私は今度こそ口笛を吹く。

「……早すぎる。僕のせいじゃない」
『連中は飛竜に分乗して空で待機していた。俺は(ロホ)(アスル)と合流した』

 まさに狩りの時間。だが獲物は私達。

「人数は?」
『たっぷり。ドイツとスペインからも呼んだようだな。……際どい。精鋭に囲まれる間際だ』

 メキシコに逃げ込んだつもりが、まんまと追い込まれたかもな。ここなら夜の出来事にする必要ない。この国の闇は常に悪夢だ。おかげで知り合いはできたが、頼る予定はない。
 ならば傀儡(magia de m)の術(arionetas)。当初の狙いのままマフィアを巻き込み、地獄を具現……。ここはすでに悪魔が仕切る地獄だった。

「私はお前らの首と並びたくない」
 私がリーダーだ。私が決断する。
「その依頼を受ける。エイジの生まれ故郷へ向かおう」

 最強と呼ばれた台湾の魔道士どもが日本で壊滅したのは知っている。だが魔導師も、あの国の影を恐れて追ってこないはず。あらたに黄色い肌のハンターが雇われるとしても、とりあえずリセットだ。
 奴からも離れられる。私に執着しようと、異教の国まで追ってこないだろう。

『アンヘラは影添大社を知らない』
「だが陰陽士だった者が相棒にいる」
『私は東でも賞金首だ』
「売りはしない」守ってやるだけ。「だが餌にはするかもな」

 奴が耳もとでささやく。誰も気づかない。私は無視する。

『……アンヘラぐらい頼れるものを諏訪湖に封印したままだ。合流しよう』

 通話が終わる。術の灯りが細くなりだす。

「さすがアンヘラ。まだまだ楽しめる。でも死の予感しかしない」

 ヒューゴは天才だけど壊れているから、師である私を呼び捨てる。私などの飛び込み弟子になった。アンヘラ(天使)にもっともふさわしくない私のもとへ来た。

「死は常に隣にいるが、たまには正義をおこなおう。魔女を目覚めさせた男に制裁を」
夏梓群(シァツゥチィン)だっけ? たしか僕と同じ歳で子猫よりキュート……。怒るだろうな。その子はグリズリーより強い(オーピー)
「そしたら魔女狩りだ」

 私は前職で知っている。お人形よりかわいかった女の子は、イングランドでネオナチフーリガンを十一人惨殺している。クズの処分だとしても、その罪は消えない。
 政府からイレギュラーに謝礼をもらおうと、そいつの心からも消えない。

「おそらく私でも、20万ドルの値打ちある男を凋落できません。しかも魔女が同衾してるかも。倒せますか?」
 人の目に見える異形であるドイメに聞かれる。こいつがいると室温がさがる。

「分かってるだろうな。私を殺したなら、お前は永遠に狙われる」
 また飛び蛇のサンドが、小便漏らした司祭を視覚で飛ばす。魔女のターゲットになると伝えたいのか。

「だったらオーストラリアで強盗するか」
 このまま南下してもボリビア辺りで終わるだけ。祖国のペルーには二度と戻らない。

「そうそう。もと宮司が言ってましたぜ。そんときは笑ってやるだけでしたが」
 サソリの姿の使い魔であるハカが寄ってくる。「魔女を殺したら50万ドル。そいつも逆恨みの対象でっせ」

「すべて請け負ったと伝えろ」
 力を見せつけたあと、ロシアの教会にすがろう。あそこも内紛で人手不足。金を納めたうえにただ働きするなら、拾ってくれるはず。

「アンヘラ頼むからやめてくれ。お前は地の底まで追われ……ああ……」
 サンドは蛇だけあってしつこい。だがこのパーティで一番冷静だ。断末魔の司祭を伝えるほどに。

「魔女は強い加護を得ているはず。しかも不死身だそうです。異形に化して冥界を行き来したらしい」
「松本だって暴力が野球と柔道ぐらいには得意かもな、ひひひ」

 ドイメも怯えている。ハカは愉しんでいる。やけになっているのは私ら人間だけか。

「そんな化け物がいるはずない。だが混血の淫魔よりは強いだろうな。ハカもそう思わないか」
「コメントは控えまっせ。アンヘラ様と違い、ドイメちゃんを怒らせたくない」

 当のドイメは私に馬鹿にされても笑みを返すだけ。その程度の貴様ら異形など、九尾弧と龍を倒した娘に消されるだろうな。
 だが私とヒューゴとエイジは人だ。殺した人数ならば、三人が組んでからだけでも、魔女のトリプルだ。人対人なら、人を殺した数こそが経験となり武器になる。若い娘など股を濡らすだけ。

 使い魔にしても蔑むほどでない。精も血も吸い尽くすドイメ。単身でフィラデルフィアの魔導師団を壊滅させたハカ。百年に一度の飛び蛇であるサンド。東洋の二体のオーガもいる。何よりも。

「私達には“夏を終わらせるもの( El que fin al verano )”がいる」
 枯葉色の幼きドラゴンが。

 みなが黙りこむ。私がその名をあげたならば反論は認められない。これぞ我がチームの不文律だ。
 私は縮れた黒髪をうしろで縛りなおす。褐色の手に剣をだす。地下室を血の赤に照らす。
 卵のときから抱えてきた私には分かる。チコが目を覚ました。あくびしながら伸びをした。人に見えぬ体が巨大化していく。飛竜達を食べさせてあげれば、太平洋を渡らせても愚図つかないだろう。

「私とハカが魔導師どものおとりになる。他のものはさきにチコへ乗れ」

 ミリオンダラーのお尋ね者であるはぐれ女魔導師――龍使いと呼ばれたアンヘラが先頭で地下室をでる。




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