九 冥界だろうとコンプライアンス

文字数 5,751文字

「くー、お稲荷さん頑張ってよ」

 自分の術に吹っ飛ばされた史乃の尻から煙が立っている。凄まじい根性。引きずられる俺は肩が痛いだけ。

「祭凱志を呼ばぬのか」
 楊偉天の魄は追いかけてくる。

「もうここにいるはずない」

 思玲は生き返った経緯をドロシーにさえ語らないらしいけど、おそらく彼女の魄は、この冥界で兄弟子である祭凱志に追い払われた。肉体はハーベストムーンが守り、天に向かった魂は峻計と竹林――黄品雨に導かれて、魂がすり減り少女の姿になったとしても、人の世界に戻ってきた。いずれ魂が枯れるとしても。
 とにかく祭凱志は役目を終えた。その魂は成仏しただろう。

 術の光がかすんでいき、俺達の移動速度が低下する。……覚醒の杖を握ってないことに気づく。いつからだ? なぜ心の声が聞こえ、魄と会話できる?

「老師の息子が作った異界と触れ合える杖。それが手から消えた。なのにあなたを感じられる。冥界だからかな」
 楊偉天に聞くのが一番早い。

「魔触の杖のことか?」
 そんなネーミングだったのか。「松本が死んで生き返ったときに体内に組みこまれたのだろう。地上に戻ること叶えば、また表に現れるかもしれぬ……。返せとは言わぬ。捨ててもいいぞ。ひひひ」

「大事に使わせてもらう」

 すでに一度荒川に捨てられているが、悔しいことに楊偉天の智は安心をもたらす。
 術が消えて史乃が完全に停止する。真の闇に浮遊した落ち着かない状況で、史乃の手を握ったままにする。彼女も手を離さない。

「見つけられない。大蔵司!」史乃がいきなり叫ぶ。「大蔵司! 大蔵司!」

「ひひひ、冥界ならば接点あれば出逢える」
「魄は黙れ。松本が消滅させて」
「俺も呼ぶよ。大蔵司! 京! 大倉今日(おおくらいま)!」

 意識が低い俺は、彼女の本名を冥界で暴露してしまう。……救ってくれた楊偉天を俺の手で消滅できるはずない。なんらかの魂胆をたっぷり隠していそうだとしても。

「しっ、悲鳴が聞こえた」史乃が真剣な眼差しになる。「あっちだ。向かうよ。いてててて」

 また自分の尻に当てて再発射する。……ただの人である俺の耳にも聞こえた。これはドイメの悲鳴だ。

「けけけ、待て待てえ」
 大蔵司の楽しそうな声もした。
「白人ガールめ、身ぐるみ剥いでやる」

 女陰陽士が少女の異形を襲っているのか。だけど真っ暗闇。

「史乃なら灯す術を使えるだろ」
「明かりに頼りたくないが仕方ないね」

 剣を振るった気配がして、球状の青白い光がいくつも飛ぶ。朧の術だけど、闇を照らす月がいくつも浮かんでいるみたい。
 ロゴ入り青Tシャツとショーパンジーンズ。いつものスタイルの大蔵司が闇の中を走っていた。

「ほら脱ぎな。お姉さんに膨らみ始めたおっぱいを見せてよ、ひひひ」
「やめてよ。サンドも加勢して」

 卑しすぎる笑みの大蔵司に追われるのは、赤いワンピースの十代半ば女子。必死な顔。その体はやや透けている。

「近寄ると神楽鈴を向けられる。異形を救うために大蔵司と戦いたくない」
 史乃が俺から手を離し腕を組む。

「ひひひ、どっちが善悪か分からぬ」
 楊偉天の姿まで照らされ浮かんでいた。
「打開したいなら、まず経緯を教えなさい」

「楊偉天って言ったよな。こいつは信じられるのか?」
 史乃が俺の目を見てくる。

「どうだろう」正直に答える。

「まっいいか。あの異形が現れて、大蔵司に言い寄った。スカートを持ちあげ、ちらり下着を見せた。それだけであの宇宙人は堕ちた」
 史乃が淡々と話しだす。
「大蔵司は異形と抱擁を交わした。異形は笑みをこぼし、大蔵司の首に牙を当てた。おそらく血を吸われたけど、いきなり異形が苦しみ嘔吐した。そこからがひどい。
大蔵司は闇の中で押し倒し『かわいそう。お姉ちゃんが回復してあげる』と、服の上から体をまさぐりだした。頬にキスしまくった。『直接じゃないと効果ないね』脱がそうとして、サソリの尻尾に刺されて腹に直径15センチの穴が開いた。でも、おのれの体をさすり『邪魔するな。ファイナル逆さ人封!』と撃退した(その術はなんだ)。
逃げた女の子を追いかけては捕まえる。捕まえてはまた逃がす。……弄んでいる。鬼畜だ」

 十代を相手に、人の世界では書にしたためることすらゆるされぬ行為。まさに人でなきものの所業。なのに大蔵司の血には義憤の力がある。強すぎると折坂さんが評したものを、悪しき異形が口にすれば消滅するに決まっている。それでも生き延びたのだから、冥界であろうとドイメは強い。

「淫魔と吸血鬼のあいのこよ」
 楊偉天が放送禁止用語を口にした。というか吸血鬼?
「かけた術を消せば済むのではないか」

「とっくに消した。なのにこいつは、ひっ」

「またまた捕まえちゃった。ひひひ」
 またも大蔵司がドイメを押し倒す。スカートに手を差しこむ。
 ふいに俺を見る。
「松本。邪魔したらミドリガメにしてやる。空封。サソリも首を狙ったら人間にしてやるからな。そして地封」

 その手に陰辜諸の杖はないけど、究極の脅し文句だ。凶悪な結界に少女(の異形)を監禁したし。

「どうやって異形を人に変えるつもりだ」
「さあ。あの女はおかしいから」

 ちょっとジェンダー的に問題ある発言だったけど、楊偉天にだけは陰辜諸の杖を教えるはずない。魄であろうとだ。

「蛇、覗くな。サソリもだ。ばれているんだよ」
 史乃は中空を睨んでいる。
「繰り返すけど私ではどうにもならない。なので松本に任せる」

「俺にも無理だ」
 亀にも財布にもさせられたくない。

「だったら気が済むまでやらせて満足させるか」
 史乃が俺に目を向ける。
「その時間に魄の倒し方をレクチャーして。さもないと私の胸を触ったことをドロシーにばらす。ルビーの加護をたっぷり授かったのだから、当然キスしているよね。それも誇張してばらす」

 しょせん魔道士なんて人でなしだ。

「好きにしろ。俺は楊老師を(今ここでは)二度と倒さない」
 さもないと絶対に目覚めが悪くなる。

「きゃあああ」

 しめ縄の向こうからドイメの悲鳴が聞こえた。さすがに目を向けられない。やるせなくなってくる。大蔵司へ向けて義憤が湧いてくる。

「怒ると怖そうな松本君に教えてやりまっせ」
 おしゃべりサソリの声がした。
「ドイメちゃんこそ怒ると怖い。そうなると地上へ連れていけなくなる。俺達の責任になり、俺とサンドがアンヘラ様に躾けられる。その前に二人とも始末しろよ」

「自分でやれ。……ドイメだけ」
 怒ると怖いのは大蔵司も同じだ。樹海での戦いでは必死に抑えていたけど。

「全身がスパーク? ガス爆発? そいつも魔女かよ」

 脳内を読まれまくりの俺。ルビーの加護は心を守れないのか。

「儂はまぐわいに興味ない。男女のそれに嫌悪を覚えたものだ」
 楊偉天の魄はしめ縄の向こうを見つめていた。
「もちろん同性愛こそおぞましいが」
 冥界だろうと危険なセリフを吐いたあとに。
「若い娘が蹂躙される様は、人も異形も関係なく怒りさえ覚える」

「人を異形に変え、人の記憶から消し、殺してきた貴様が口にするな」
 目を合わせぬままで言う。

「すべては龍のためだった。……松本の目は青くないな。龍はどうなった? 龍の娘はどうなった?」
「夏梓群がすべて終わらせた」

 ドロシーはもう四川省だろうか。時間の概念なさげな冥界だけど、何度も来ている俺は分かる。本来の世界に戻ると、意外に時間が過ぎている。すでに明け方を迎えただろうか。……ルビーは立川だろうか。連絡先は交換していない。ホテル名も部屋番号も知らない。

「ようやくサソリが立ち去った。蛇はまだいるかもだけど」

 史乃が感情込めずに言うが、刀輪田――連中がエイジと呼ぶオヤジは冥界に来れるかも。ヒューゴとかいう奴もいるみたいだし、はやく地上へ逃げ戻りたい。

「げひひひ」
「ぐひぐひ」
「にょほほ」

 下品な気配が近づいているし。

「破廉恥な行為に冥界に住みつく異形が気づいたようだな。ひと際卑しい輩どもが集いだすぞ」
 楊偉天が真顔になる。

「だったら大蔵司が満足するまで待てない」
 そもそも人なき世界であろうと、法令と倫理だけは守るし守らせる。

「そしたら端から倒すだけ……だけど、光が弱まってきているよね」
 史乃は自分が作りだした灯を見ていた。

「ひひひ、ここは冥界。生みだすものなければ、豊穣の神の力もいずれは尽きる」
「げっ、めっちゃやばくね?」

 史乃がいまさらビビりだした。超常の力に頼ると、それを失くしたときに焦りまくる。俺だって経験済みだ。

「史乃は巨光環でしめ縄の結界を消して。そしたら俺が大蔵司を説得する」
 仕方ない。本気で怒ろう。そして男の魅力を見せつける。

「あいよ」
 史乃は気さくだ。即座に剣を斜に構える。
「巨光環!」

 巨大ベーゴマが飛びだす……なんか小さくなっている。
 光の輪はしめ縄に弾きかえされ霧散する。

「げげ、まいったな。疲れてきたし」
 史乃が額の汗をぬぐう。
「メイクが崩れちゃう」

 すっぴんの彼女を見てみたい。それどころではない。恐るべき速度で状況が悪化しだしている。

「風神の剣と言ったな。ならば対の剣があるはず」
 楊偉天が脈絡なく尋ねる。

「雷神の剣は師匠が持っている。私はまだあの剣を輝かせない。あっ、かすんできた。張りなおされる前に、松本急いで」

 たしかにしめ縄が薄らいでいる――。尻に衝撃。俺は史乃の術で飛ばされた。薄まろうと凶悪な結界へ。
 大蔵司がいたいけな少女を押し倒しているのが見えた。とても口にできない行為に及ぼうとしている。こいつは飛んでくる俺に気づく。

「臨影闘死皆陰烈在暗、臨影闘死皆陰烈在暗」
 二度口ずさんだのが聞こえた。

 俺にはルビーの護り。急きょ補強した大蔵司の結界など。

ごつん……どごーん

「わあ」衝突と同時に弾き飛ばされる。「いててて……」

 しかも痛い。……さすが大蔵司。生身で相手するのは危険だ。

「土彦を探して撤退しよう」
 仲間を見捨てるのは社会規範に反するかもしれない。だとしてもここは冥界だ。
「大蔵司は(たぶん)自力で戻ってくる」

「ざけんなよ。私は残るから松本はジジイと一緒に帰れ。お前のボディガードは解消だ」

「ひひひ、年長者に暴言を吐くのは道徳的でない」
 楊偉天の魄が寄ってくる。
「儂に考えがある。聞きたいか?」

「やめておく」
 この地で騙されたのを思いだし、咄嗟に答える。そもそも勿体ぶるのは反論への予防線だ。ろくな思いつきであるはずない。

「成敗しないから教えろ」
 でも史乃は顎をしゃくる。

「魄である儂が弱った淫魔を乗っ取る。異形の娘の身は儂の姿と化す」

 なるほど。押し倒していたドイメがいきなり百歳過ぎた老人になれば、大蔵司といえども理性が瞬時に戻る。……純然な怒りでドイメと楊偉天を抹殺するかもしれない。それはそれで有りかもしれない。

「それでいこう」俺はうなずく。

「でもどうやって結界に入る? あれは魄でもズタズタにされるよ」
 史乃は今度は結界へ顎をしゃくる。

「ひひひ、解除させればいい。そのために」
 楊偉天が策を述べ始める。



「それでいこう」
 説明を聞き終えた史乃がうなずく。服を脱ぎ、俺へと抱きつく。
「大蔵司、乱交しようぜ」
 冥界だろうとニンニク臭い息。俺の服を脱がそうとする。

「ま、待て。俺は同意していな、きゃあ」
 支点なき体術で宙に組み敷かれる。
「やめろ。ドロシーに言うぞ。ドロシーを呼ぶぞ」

「ドロシーも来る? 同意した?」
 大蔵司の声が聞こえた。
「このメンバーで五人プレイってありえね。解封!」

 なんてことだ。楊偉天の策は想像以上に効果あるではないか。しかも俺も不健全性的行為にカウントした。

「嘘だよ」史乃はすでに服を着なおしていた。「爺さん、はやく乗っ取れ」

「魔物の娘は素早く逃げた。ひひひ、さすが吸血鬼の血を引くもの」
 楊偉天が笑う。「だが目的は達成され」
「ドイメちゃんを逃がしただと!」

 大蔵司の手に神楽鈴が現れる。
「台輔違った土彦いるのだろ。追うぞ! 逃がすな!」

「大蔵司、とりあえず地上へ戻ろう」
「松本は喋るな。亀にするぞ」

 その手に今にも杖が現れそうだ。

「うおりゃ!」
 史乃が大蔵司の背中を一刀両断した!
「失神の術だよ。ふう」

 大蔵司が白目をむいて闇に浮かぶ。史乃が肩で息をする。

「……土彦はまだ大蔵司に従っている。こいつがいないと帰れない」

 青白き光は霞む一方。異形の気配はたっぷりと近づく一方。

「試してみるか」楊偉天の声がした。

「何を?」俺は顔を向けるけど老人はいなかった。

「この体を奪うのを」
 大蔵司が目を開けた。
「想像以上にたやすかった。ひひひ」

 心の声は楊偉天……。く、狂った妖術士が大蔵司京を乗っ取りやがった。

「姿が変わらないじゃないか」
 史乃は平気の顔だ。

「それはこの娘の魄が強大だから。ゆえに強大な術を扱えよう」
 大蔵司の手に杖が現れる。……楊聡民の杖。
「おお、願わずとも現れてくれるとは……。まずは脱出に邪魔な魔物どもを消すのを試してみる」

 大蔵司京が杖を掲げる。そして下ろす。
 それだけで俺達を囲った異形の気配が消える。

「冥府大蚯蚓よ、はやく来い。では台湾に向かうか」
 大蔵司である楊偉天が卑しく笑う。

「どうする?」

 史乃が聞いてくるけど、俺は返事できない。土彦が俺らを頭を乗せるように現れる。そのまま浮上を始める。
 土を感じる。続いて空気を感じた。……とりあえず生き延びた。ならば決断しろ。

「台湾にはいかない」
 力もない思玲を巻き込むことになる。かと言って東京へ帰れない。部下を奪われた獣人の怒りは想像を絶するかも。樹海も近すぎる。
「影添大社の島へ行こう」

 そこでアンヘラ一味を迎え撃ってもいい。たどり着くまでに考えを整理しよう。その時間こそ必要だ。

「そこならば知っている」
 楊偉天である大蔵司がうなずく。
「ここより台湾が近い場所。あの孤島へ向かおう。ひひひ」

「水着ねえし。……五時ちょっと前か」
 スマホを見る史乃の向こうに朝日が見えた。巨大ミミズは三人を乗せて空を飛ぶ。

 知らぬ間に覚醒の杖を握っていた。魔と触れ合う忌むべき杖を更に強く握りしめる。明け方の空だろうと湿度と温度。冥界が快適だったことに気づく。もう二度と行くことないからサヨナラ。俺は南国でドロシーを待つ。

 楊偉天と大蔵司をどうしよう。




次回「御神渡り」
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