十二 出会いたて女子と日中から部屋に閉じこもる

文字数 6,276文字

 また部屋が揺れた。

「金魚のタックル?」
 史乃は神速で立ちあがり窓を覗いていた。

「海水が嫌で跳ねてるだけかも。ふう」
 代わりに俺が座ってしまいたい。
「ここは監視部屋か牢屋みたいなものだと思う。はしご以外に出入り口があるはず」

 そうでないと、ここで籠城になってしまう。お稲荷さんは穢れだし、史乃は疲れだしている。俺は無能。でも冥界で死んだり生きたりしたおかげで、覚醒の杖の力が体内に宿ったようだ。だから楊偉天は杖を捨ててもいいと言ったのか。

 海水でびっしょりの俺と史乃。彼女のジャージパンツには直径15センチほどの穴が開いていて、ちょっと赤くなったお尻が丸見えだ。目のやりどころに困ってしまうのに、何もない狭い部屋に二人きり。俺はパジャマであるTシャツとショーパンのまま。

「お利口な連中がはしごを登ってきても狙い撃ちするだけ」
 史乃が俺へ歩む。ジャージだからノーブラだろうと地肌が透けない。でもお尻は丸見え。
「入口はそこにある。開けられるか試す?」

 唯一窓がない壁を剣で指す。……自分達に当たらないにしても、弾かれた巨光環が部屋を破壊して、二人が落下する危惧がある。

「休みなよ。そして俺に経緯を教えて」
 土彦の上では、楊偉天である大蔵司に聞かれるのを避けて話題にしなかった。まだ俺は敵の正体さえほとんど知らない。ルビーのことも。

「私は雇われだから断片のみ」
 日当十二万円の史乃が右ポケットから水色のポーチをだす。更にそこからスポーツタオルをにゅっと出す。
「汚れているけど拭いて」

 古い血がたっぷりついたまま。匂いもなんだか……。

「俺はいい」
「遠慮するんだ」
 床に腰をおろし、タオルで頭を拭きだす。「影添大社の前宮司がはぐれ魔導師どもを雇った。ターゲットは哲人とドロシーの命と、影添大社への嫌がらせ。それくらいの情報は執務室長のもとに集まる。昨夜連中は二方面で済まそうとして失敗して、冥界まで追いかけて挫折した」

 くすりと笑うけど、常に四方へ注意を払っている。どんな生き方をすれば、こんな習慣がつくのだろう。……思玲と同じで異形を引き寄せるのか。

「そいつらはドロシーや折坂さんを狙えるほど強いの?」
 そうでなければ今後は俺だけ襲われたりして。

「三対一でも大和獣人(折坂さんのこと)に勝てるはずない。でも連中にはチコと呼ばれる化け物がいる。幼体なのにでかかった」
「龍……」
「洋風のね。哲人の恋人は二体も倒したけど、四対一ならさすがに苦戦するだろね」
「どうだろう」

 ドロシーは異形と化して貪と呼ばれる黒龍を屈服させた。フロレ・エスタスという紅い龍は(理由はなんであれ)みずから首をドロシーへ差しだした。……というか、龍より強げだった九尾狐を一方的に消滅させている。
 その力が目覚める過程に接してきた俺だから言える。誰も彼女と戦ってはいけない。

 史乃はタオルを腰に巻く。羞恥はあったんだ。続いてポーチからメイクセットをだす。

「ここでは必要ないよ。どうせ狙われているし」
 あのメイクは異形を避けるが男子もひかせる。

「普通のリップだけさせて。たまには」
 彼女はラフに唇へ塗る……フェミニン系直球のピンク色か。なぜか丸い瞳を引き立てる。濡れた髪。ノーブラ。赤くなったお尻。
「メイクが珍しいんだ。男兄弟だからか」

 見つめてしまった俺は我に返る。麻卦さんが彼女に俺の個人情報を教えたのだろうな。俺を守るためなら仕方ないにしても、漏れたらまた家族が狙われる。
 ふいに史乃が立ちあがる。同時に部屋が揺れる。彼女は窓から外を見る。タオルの下にはお尻。

「膠着状態かな」
 また俺へと顔を戻す。濡れたジャージの下はノーブラ。
「私は前宮司のボディガードをラスベガスでやったから、米国の魔導師のことをちょっとだけ知っている。有名人は百万ドルの賞金首であるアンヘラ。こいつは自分が所属していた教会の司祭を殺した。追手も倒しまくっている」

 教会というのは魔導師達が闇で活動するための組織、もしくは隠れ蓑のことだろう。ならば司祭とは。

「ボスを倒した理由は?」
「教会の秘宝を奪うためらしいけど、デートぐらいでアジアの小娘にぺらぺら教えてくれないよ」
「誰とデートしたの?」
「ベガス管轄のオヤジと。食い逃げ聞き逃げは悪いから、頰にキスだけしておいた。で、アンヘラは逃亡のためにやはりお尋ね者だった連中と合流した。一人はヒューゴ。六十万ドルの十代男子だけあって天才。そして破滅している」

 破綻でなく破滅か……。史乃は口に指を縦に当てていた。隠密の動きでハッチを開けるなり。

「巨光環!」
 光を下へ飛ばし、また閉める。
「魚人を引きつけてから三つとも落としてやった。万全のコンディションで哲人がいなければ、海洋生物なんか陸上で迎え撃つのにね。
ヒューゴは自分の忌むべき力に耐えきれず狂っちゃった。人を虫のように殺す。そいつと戦闘になったら躊躇は不要だよ」

 俺達も人を殺すのに躊躇するなという意味だろうか。……ドロシーを遭わせてはいけない。そのときは俺が覚悟を決める。

「怖い顔。先手必勝したくなるからやめよう」
 史乃がくすり笑う。
「刀輪田英嗣については、大蔵司から社外秘を教えてもらった。あいつの部屋でデートしないけどね。これは聞き逃げ」

 俺は大蔵司を奪った楊偉天を思いだしてしまう。台湾に向かったならば思玲と接触する可能性がある。幼女になった彼女に仕打ちを与えるとは思えないにしても、研究材料と興味を示しそうだ。

「だから怒るな。私らみたいに勘が鋭い者は、それだけで震えるんだよ」
 剣を握る史乃は真顔になっていた。

「これでも抑えている。ドロシーがマジで嫌がるから。……エイジを教えて」
 ラフで無国籍な出で立ちのあのオヤジは、英嗣より奴らの呼称のが似合う。

「何年か前まで陰陽士は数人、その前は十人以上いたらしい。そのリーダーがエイジだった。忌むべき才能に溢れていたが影添大社から逃げた。その際に仲間を一人殺した」

 エイジも人殺しかよ。しかも仲間を。金で殺人を請け負うクズなわけだ。

「奴の力は見せつけられたから知っている。……残りの陰陽士は?」
 いまは大蔵司だけだ。

「師匠から聞いているけど口止めされて……大蔵司にも誰にも言うなよ。十年ほど前にレジェンドクラスが暴れたって」
 史乃の目が暗くなる。「その戦いに師匠も参加して、師匠だけが片目を失いながらも生き延びた。エイジは魔道団とともに影添大社で後詰めしていた。……数年前に、残った力量不足の陰陽士達が実戦経験のため異形退治へ向かった。敵は怨霊のふりをした強大な鬼で、その人達は骨も残さなかった。大蔵司が入社したのはその後。鬼を簡単に倒したのは台湾の劉昇」

 異形との戦いで傷つき倒れ去っていく魔道士達を、俺も見てきた。でも今回の敵は同じ人間だ。

「史乃は何で影添大社にスカウトされなかった?」
「先に師匠が拾ってくれたから」
「師匠って?」
「還暦すぎたおばさん。影添がフリーでやらせるほど、めっちゃ凄腕のハンターだった。何よりも心が強かった。でも引退したから関わらせない。なので哲人が会うことはない。さもないと師匠は百歳まで長生きできない」

 そこで会話が途絶える。史乃は話しているときも常に警戒を解かない。
 もう一人を知る必要がある。

「ルビーを知っていたよね」
「名前と懸賞金の額はね。五十万ドルだから多汗デブがドロシーにかけたのと同じ。ちなみに哲人は刀輪田より十万安い二十万」

 俺達の貨幣価値など興味ないけど、前宮司はルビーが殺したらしい。それを史乃に教えるべきでないと感じる。しかし人殺しだらけ。俺も同じだ。デニーもらしい。……おそらくドロシーも幼いときに。
 目の前にいる人はどうだろう? それを聞くはずがない。

「ルビーはなんで懸賞がついたの?」

「はぐれたからでしょ。追手を撃退するたびに額は跳ね上がっていく」
 史乃がポケットに手を入れる。「あの狂人はアンヘラ一味を倒すことに執着している。いまは誰も追っていない。倒されたうえに屍をおもちゃにされたくないから」

 うごめく死者の群れ。サンドからの視覚がよみがえってしまい、吐き気を覚える。

「どうした? めっちゃ顔色が悪くなった」
「ガラガラヘビにPTSDをすり込まれた。楽しい話題に変えよう」
 現実逃避も兼ねて。

「そんなもの、私にはない……最近ひとつだけ出来た」
 史乃はくすっと笑う。
「これが来てくれたこと。隠すものでもないから見せてあげる」

 史乃が手のひらを広げる。小指サイズのちっぽけな石ころがあった。

「げげ、めちゃ灰色になっている」
 史乃が更に目を丸くする。「ほんとはこんがりきつね色……。これが私の油揚げ。お稲荷さんの護符」

「なんで油揚げ?」
「お稲荷さんだから。哲人が頼るのはこれ。もうルビーに近寄るなよ。近づいてきたら私が追い払ってやる」

 俺は黒髪のルビーを思いだす。彼女は強くはない。鬼二体にも勝てない。……死人を操らないかぎり。
 五十万ドルの十七歳の処女喪失を約束してしまった。この話題に踏み込まれるのはやめておこう。

「俺には火伏せの神がついているよ」
 いまは四川省へ向かっているけど。「でも護符は無理させるべきでない」

 それで俺の護符は消滅した。いまのものは俺の息子、すなわちドロシーの息子のものらしい。
 浄化のためドロシーみたいに胸もとに挟めばと言いかけて、ブラジャーがないことを思いだす。ドロシーはブラの真ん中に差してある(勝手にそこへ現れる)。谷間に挟めるほど、二人ともでかくない。

 部屋がまた揺れた。そろそろ試してもらわないとならない。

「剣を輝かせたよね」
 いやらしい口調でほのめかす……違うだろ。
「俺も月神の剣を輝かせた。風神の剣でドアを裂いてみせる」

「相性いいしね」
 史乃は気さくだ。剣の柄を俺へ向ける。
「雷神の剣も輝かしたりして」

 月神の剣よりも短くて軽い。思玲が手にした破邪の剣――春南剣よりは長くて太い。いまは当然のようにドロシーが所有しているけど、いつか思玲はあの剣とともに再び戦うのだろうか。
 なんて考えながら掲げたけど、風神の剣は輝きやしない。天宮の護符みたいにチカチカすら光らない。

「成功すると思ったのに」史乃は残念そうだ。「では私が試そうか。隠し扉の向こうから邪気は漂っていない」

 史乃が俺から受け取り立ちあがる。右手で高々と掲げれば、それは青白く輝く。両手で握りなおし壁へ上段に構える。 

「とやああ!」

 掛け声が閃光となる。

「あん」
「ぐはっ」

 かわいい悲鳴とともに史乃が弾かれ、俺にぶつかる。勢い止まらず二人して反対側の壁に激突。

「いててて、ダメだこりゃ」
 史乃がむき出しのお尻をさする……。

 さすがは影添大社の所有施設。何のために存在しているか知らないけど、リゾートのためではなさそう。やはりとてつもなきものが隠されているかも……。
 内宮のトラップのが凄まじかったはず。それを乙姫様というか異形ドロシーは、師傅の護布と(俺の)ふたつの護符で、ひとつも発動させずに突破したのか。

 壁にすがり窓を覗くと巨大出目金と目があった。そのままタックルされ部屋が揺れる。跳躍できるのはこいつだけみたいだけど。
 振りかえると史乃はハッチを開けていた。

「巨光環! 巨光環! 巨光環!」
 剣を懸命に振るい、ハッチを閉める。
「魚人どもだ。知恵が足りない連中はこのシチュエーションだと厄介」

 撃退するのに三発を要するようになった巨光環。もはやとてつもなき大技と呼べない。そして落とされても再チャレンジのゲーマー的異形達。閉じこもったままの二人。
 とてつもなき窮地ではないか。

「俺に剣を貸して。隠し扉を破壊する」
 史乃へ手を伸ばす。

 この死地で、とてつもなき力を後ろ盾にした独断即断系のドロシーの真似をしてはいけない。参考にすべきは王思玲。彼女なら魂を込めて戦い抜く。最後まであきらめない。

「哲人にはやらせない。私が開けてみせる」
 史乃だって魂の女だ。

「俺にもチャレンジさせろよ。見てるだけなんてしない」

 ドロシーだったら、やるだけ無駄、と口論が始まっただろう。

「わかった。試してみて」
 史乃は素直だ。「でも二人一緒にね」

 ともに剣をつかめと言うのか。もしマジで奇跡的相性ならば、隠し扉を破壊できるはず。というか、すでに気づいている。俺と史乃は過去最強のパートナーだ。俺にも然るべき武器があれば、きっと二人は無敵になれる。……プライベートでも親密になれるかも。昨夜会ったばかりと思わせない気さくな性格。そりゃ魔道士だからずれてはいるけど、それでも日本の慣習を共有しているし……陰キャでないし……、気軽にやらせてくれそうだし。

「もちろんだよ」
 史乃の手の上から風神の剣を握る。……師匠が持つという雷神の剣。対になるもの。

 お互いに見つめあい、剣を掲げる。それは青白く部屋を照らす。

ぞわっ

 ……なんなんだよ。身震いしてしまった。

「来た。ヤバめだ」史乃の声が緊張しだす。「急ごう。ちっ」
 俺の手を払い、乱雑に剣を振りまわす。
「噛まれかけた。蛇がいる」
 俺を守るように抱える。

 窓の外にでっかいハサミが見えた。そいつも乱雑に振りまわす。部屋が大きく揺れる。

「サンドとハカだ。マジで急げ」
 下に落とされたら終わりだ。

「見えない蛇に牽制されている。いまの護りで噛まれたら死ぬ」
 史乃は剣を扉へ向かわせられない。

「くそう」

 俺は素手で壁を殴る。拳が痛いだけ。トラップが発動さえしない。……天宮の護符を史乃なら輝かせるはず。だけど持っているのは大蔵司……楊偉天。
 奴が思玲を閉ざした結界を、俺はねじ開けただろ。それは。

「さっきの石ころを寄こせ」お稲荷さんの護符を。

「なんで? パンツの左ポケットにあるけど」

 史乃は俺をサンドから守っている。振り向けない。
 俺は彼女のジャージへ手を突っ込む。

「ダメ! 魔道士の罠が――あれ?」

 やっぱり奇跡的相性だった。ドロシーのリュックと同じくトラップは発動せず、俺はお稲荷さんの小石を握る。
 窓が割れた。悲鳴が飛び込んでくる。

「何かが異形達を食べている……」
 史乃の声が震える。

「龍か?」
「あんな圧倒的な気配じゃない。だけどめっちゃ忌むべき気……」

 史乃の集中力が弱まっている。俺は蛇に噛まれた。お稲荷さんが辛うじて毒をはじき返す。
 小石を握った左拳を壁に向ける。

「助けてくれて、ありがとうございました」
 拳を叩きつける。

 壁に亀裂が走る。粉のように崩れていく。その先に通路が見えた。非常灯の明かりも。
 俺の手のなかで、小石が砕けて消えていく。

「お稲荷さんが開けてくれた。逃げるぞ」
 俺は史乃の手を引く。巨大なサソリの尻尾が部屋に差し込まれた。紫色の霧が噴射される。

「哲人すごすぎる」

 二人は通路へ飛び込む。同時に今までいた部屋が落下する――紫毒! 息をとめて背後へ身構えるけど、壁のあった場所に半透明の白い膜が張られていた。ハカの毒は当たって消える。

「サンドだっけ? あの蛇もこっちに来やがった」
 史乃はなおも見えない暗殺者に警戒する。

 俺は膜の向こうを見る。距離を開けてエイジと目があった。奴が乗っているのは、口から黒い涎を垂らす女の頭。顔だけで3メートルはある。顔だけが青白い人の皮膚。べったりした黒髪。細長い首。全身は吹き出物だらけの赤錆みたいな鱗。ひれの生えた四肢なのに浮かんでいる。

「ひ、ひゃあああ」

 そいつが恨めしそうに俺を見るので、悲鳴をあげてしまう。




次回「人面竜」
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