十四 ひえラルキー

文字数 6,255文字

「哲人さんが私を見てくれない。丸茂ばかり見ている」
 ドロシーはそんなことを言うけど、たしかにそれに近かった。

「史乃は死にかけていたんだよ。俺のために」
 俺はしっかりドロシーを見つめる。わおっ、奇跡的美少女。だけどうつむいている。

「私は

復活した。もう走れるくらい元気」
 史乃が小石を自分のポケットに入れた。賢明だ。
「……助けてくれてありがとう」

 ドロシーは黙りこんでしまっている。扱いづらい女。なんて思うな。

「じつは楊偉天が復活した。大蔵司の体を奪われて逃げた」

 俺の言葉にドロシーが顔をあげる。
「丸茂がいたのに?」

 史乃がぴくりとする。

「俺のせいだよ。史乃は冥界でも戦ってくれた。だけど大蔵司が淫魔に堕とされて」
「丸茂がいたのに?」
「楊偉天がこの島まで案内してくれた。それで気を緩めてしまった」
「それは哲人さんのせいでない」
「奴はおそらく台湾へ向かった。俺達は冥界へ送り返さないといけない」
「……思玲が危ない。丸茂の責任だ」
「俺の失態だよ!」

 会話にならない。史乃は冷や汗をかいていそうだし。……二人は仲良しではなかったのか?

「異形除けの薬(メイク)が完成したんだ。史乃は感謝していたよ」
 いまは落ちているけど。

「哲人さんに? 抱きついたりしてないよね」
「ドロシーへ感謝に決まっているだろ」
「だけどしていない」
 ドロシーが史乃をにらむ。「厚塗りされるとぼやいたのを、京から聞いている。断るとおっかないから嫌々塗っているとも聞いた」

「だ、大蔵司は誇張し過ぎ。私はドロシーちゃんにプレゼントされて、めっちゃ感激したよ。それは聞いてないかな」
 史乃が必死に言う。その手から知らぬ間に剣は消えていた。

「だったら、いまここでメイクして。治験として重要だ」
「はい?」
「私の一番大切な人に試してもらう前に、データをそろえる必要がある。そのために丸茂へ渡した。それと哲人さんは私のかけがえのない人。だから麻卦から請け負う前に私に言ってほしかった。丸茂なんかきっぱり断り、私がダーリンを守った」
「そ、それは執務室長が……」
「だから? 小銭のために雇われたの? それとも哲人さんに近寄りたかったの?」

「ここを出ようよ。どうやって来たの? なんでこの島にいると分かったの?」
 史乃から歯ぎしりは聞こえなくても、おのれの保身のため話題を変える。

「ここですることがまだある。風軍だとのろいから沈大姐に殲ちゃんを借りてきた。ハーブと一緒に上空で警戒しているけど、あのサソリは強いので彼女達だけだと倒すのは無理。ここに哲人さんがいるのは折坂ちゃんに聞いた。鍵を受け取る時間がないから裏口を破壊していいと許可も得た」

 ドロシーが言い並べて腕を組む。史乃をじっと見つめる。
 史乃がポケットからポーチをだす。

「ほら、すぐ出せるようにしているんだ」
 愛想笑いを浮かべ、メイクを始める……。

「楊偉天は大蔵司の体を操っているんだよ。急いで追うぞ」
「怒らないで! ……だったらすぐに済ます。哲人さんだけ来て」

 踵を返し、行き止まりの通路へと歩いていく。
 俺は史乃を見る。しゃがみこんだままの彼女は顔を逸らすけど、悔し涙を浮かべていた。

「史乃。ありがとう。本当に心から感謝している。ちょっとだけ待っていて」
 ドロシーにも聞こえる声ではっきり告げる。冷淡な彼女を追いかける。

 *

 サンドが死守した扉は跡形もなく破壊されていた。その先には東京ドームクラスの空間が広がっていた。二人は並んで入っていく。

「ドロシーは史乃にきつく当たりすぎだ」
「二人きりだよ。それと丸茂と呼んで」
「梓群は

と何かあったの?」
「魔道団のシノと同じ名前だから。丸茂のが年下のくせに」
「そんな理由で?」

 しかも彼女はイングリッシュならぬジャパニーズネームだ。優先権を争うなら日本人の史乃にあるはず。年齢を言うなら、史乃はドロシーのひとつ先輩だ。

「……フリーの魔道士が気に入らないだけ」
 ドロシーは奥へと歩いていく。「はぐれの癖に重宝されて。……自由に活動できて」

 お前こそ傍若無人だろ。

「史乃がいなければ俺は死んでいた。梓群も俺の恋人ならば、彼女に感謝してお礼の言葉をかけろ」
 キスしたけど、胸を揉まされたけど。それを言うはずないし、ドロシーの嫉妬深さを知った史乃が(俺もだけど)もはや暴露するはずない。……ルビーの件も告げるべきでないな。

「つい」
 返事だけはよいドロシーが立ち止まる。
「ここでヒューゴと使い魔であるハカと遭遇した。ヒューゴが杖をだして呪いをかけてきたから笑ってやった。それがいけなかった。捕らえるまえに逃げられた」

 だだっ広いスペースはまだ紅色に照らされていた。

「名前を知っているんだ」
「半年前に西から依頼が来たから。最新の相場はアンヘラが二百万ドル。ヒューゴが百二十万、エイジが六十万ドル。ハカが百四十万」

 相場って言い方はなんか嫌だけど、ハカのは初耳だけど、聞いている懸賞金の倍額だ。技能に秀でたものは報酬が増加する典型。

「受けたの?」
「私は断った。魔道団がその半値で請け負ったけど、アクションを起こすことはない。私は一切協力しないと宣言したから」
「梓群が正解だったと思う」
「資料には目を通してある。だから連中のことはよく知っている。……哲人さんがターゲットになったのを狸は隠した。その真意こそ知る必要がある」
 また歩きだす。

 でも麻卦さんは史乃を差し向けてくれた。しかも有償で……。支払いは俺にまわってこないだろうな。

「梓群も標的だよ」しかも最新相場は俺の二倍半。

「だから? 私は狙われない。現に顔をだすなり逃げだした。ここが部屋の真ん中かな?」

 彼女はすぐに立ち止まり、振り返る。切れ長のアーモンドアイ。奇跡的瞳。

「たぶん」
「へへ、試してみるか」

 彼女の右手に緋色のサテンが現れる。それは命あるかのように彼女の肩に乗り、剣がむき出しになる。……月神の剣。ドロシー最強の魔道具。

「この剣は手にすれば軽くなる。私でも振りまわせる」
 言葉通りにぶんぶん振りまわす。

「これ以上破壊はやめよう」俺にも請求がまわる。

「違う。折坂ちゃんに聞いている。ここで強き者が誓えば、それはその者の手に現れる」
「何が?」
「影添大社を守る法具。……南に鎮座なす影添の御霊よ。この島国に異形が集いだしたのはご存じでしょうか」

 ドロシーがたどたどしくも日本語を人の声でだす。破邪の剣を掲げる。

「いまの世の宮司はまだ幼い。彼女を守るものを更に必要とお思いならば、我が手に白銀の五鈷杵を現し賜え」

 剣から真上へ紅い光が一直線に伸びる。高い天井に当たりドーム状に広がる。俺達を紅く包む――その荘厳な光を凌駕する圧倒的光が真横からあふれ出した。

「へへ、やってきた」
 左手からの白銀色に包まれたドロシーが笑う。
「影添なんか守るはずないのに。あれ?」

 その手から白銀は消える。包む紅も消える。

「なんで余計を言うんだよ。もう一度誓えよ」
 白銀で作られた法具なんて最強だろ。貸してもらいたいぐらいだ。絶対に借りる。

「わ、わかった。――御霊達よ。いまのは戯れであり、私の本心は、無音宮司を我が妹のように愛し、折坂と麻卦を盟友と想い……」

 ドロシーは三回チャレンジしたけど、紅色ドームが築かれることも、その手が白銀に輝くこともなかった。

「これ以上しても無駄だ」
「だね。史乃と合流しよう」

 二人は戦果なく来た道を戻る……。呼び止められている?

「哲人さん、どうしたの?」
「俺もチャレンジしてみようかな」

 左手を突き上げてみる。ドロシーみたいな口上は無理だけど。

「俺は影添大社に何度も助けられた。宮司にも、折坂さんにも、麻卦さんにも大蔵司にも。なのに、お礼をまだしていない。そのために力が欲しい」

 だけど何も起きない。

「魔道具がないからだ。哲人さんは輝かせるから可能性がある」
 ドロシーがしまったばかりの月神の剣を現す。……またこれを握る日が来るとは。

「俺の力を見てくれ」
 剣を掲げる。ずしりとした重さのまま。
「わあ!」

 ドロシー以上に青き光が飛びでてしまった。天上を突き破るほどに当たり、えぐるように広がっていく。

「哲人さんこそオーバーロードだ……」
 ドロシーの声が震えている。俺に抱きついてくる。

 だけど、いつまで経っても俺の手が白銀に輝くことはなかった。

「なんでだろう?」
 手と肩が疲れてきた。剣が軽くなる機能はドロシーだけのオプションか。

「私に奪われるのを恐れているのかな、へへ」
 ドロシーが俺から月神の剣を受けとる。「それに君が守るのは私だけ、へへ」

「お互いにね」
 史乃を待たせているのを思いだした。俺は早歩きで戻る。ドロシーはまだ腕にしがみついている。……影添大社を守るなんて無理だから白銀法具はプヤウ。そういうことにしておこう。

 *

 史乃は今までで一番厚化粧になっていた。

「これで異形は寄ってこない。肌もいい感じ」
 愛想笑いを浮かべる。ひび割れが起きそうだ。

「ずっとかわいくなった」
 ドロシーが意地悪な笑みを浮かべる。
「では哲人さんのガーディアンの契約を解消して」

「もちろん」
 史乃は即答する。俺へとくすりと笑い、ひび割れが起きそうだけど……無償ボランティア。
「代わりにドロシーちゃんも手伝ってね」

「言われなくても台湾へ行く。そして楊偉天の霊を倒して、京に反省してもらう」
 ドロシーにかかるとピクニックだ。

「霊じゃない。魄だよ」
「……だったら厄介。怨霊なら邪だったのに、心なき虚ろか」

 ドロシーの判断基準だと、悪霊は問答無用で倒すべき存在で、魄はちゃんづけする対象か。

「楊偉天の魄は知恵も感情もある」
「そんなのに関係なく京を苦しめているのだから悪だ」
「とにかく急ごう。呑気な大蔵司ならまだまだ目を覚まさない」

 史乃の言葉にドロシーが思案顔になる。
「なるほど。意識ない状態なら乗っ取れる。つまり京を起こせばいいだけ。だったらその前に別の器を探す……だれが京の気を失わせた?」

 史乃だ。

「ドイメだ」史乃が即答する。「そして逃げた」

 嘘が咄嗟にでるのもハンターの資質だろうか。ドロシーはうなずく。

「吸血鬼とサキュバスのハーフだ。男を惑わす」
 俺をちらりと見る。「はぐれ魔導師のルビーぐらい厄介」

「ド、ドロシーは彼女を知っているんだ」
 いきなり名前がでて思わず口にだしてしまう。知らぬふりをすべきだった。

「哲人さんこそなんで知っているの?」
 彼女の目がすっと細くなる。「ルビーのデッドオアアライブも依頼されている。ミリオンダラーだ」

「断ったんだよね」
「これは請けた」
「はい?」
「たった今、請け負った。手荒く躾けて逮捕する。で、あの忌むべき女と会ったんだ。私より背があって(スリムでもある)、すごくきれいな十七歳」

 ドロシーは俺をじっと見ている。何があったのか探るように。

「私と大蔵司が乱入した際に飛び蛇が視覚でルビーを見せた。おかげで混乱させられた」
 嘘が上手な史乃が助けてくれた。「これ以上のんびりするなら、私一人で台湾へ向かう」

 ようやくドロシーが俺から目をずらし、代わりに史乃を見つめる。史乃は目を逸らさない。ドロシーが俺の腕から手をどかす。

「わかった。出発しよう」
 とか、ふつうの人なら言う。だけどこの人は。
「へっ、ここで手合わせしよう」
 その手に七葉扇が現れる。

「意味わかんね。そもそも龍も九尾孤も倒した人のお相手できないよ。稽古にもならない。急ぐだけ」
 史乃は風神の剣をださない。それでも目を逸らさない。

「ドロシーが一人でやっていろ。俺は史乃と向かう」
 きつい言葉をかけないと、彼女は聞いてくれない。それくらいは知っている。
「思玲が狙われるかもしれないし」

「そうだった。丸茂のせいで遅くなり過ぎた」
 ドロシーの左手に春南剣が現れる。唇を舐めて、真上に向けて扇と交差させた。ついに一年ぶり聞かされる。
「最速で向かう。噠!」

 萌黄色と紫色の螺旋が放たれた。巨光環二十個分もあろうかという真なるとてつもなき光。過ぎ去れば、数十メートル上から南国の陽が差し込んできた。

「ドロシー様、出発ですか?」

 羽根のはえた一角白馬が優雅に降りてくる。ハーブだ。俺の部屋に何度も来たみたいだけど、盗撮に加担したようだけど、聖なるペガサスも、これまた一年ぶりに見て声を聞いた。

「私と哲人さんは台湾へ向かう。……ニョロ子ちゃんは?」
 俺へ聞いてくる。式神の存在を忘れていたけど、これだって一年も顔を合わしてないから仕方ない。

「会ってないの? 入れ違いで四川省かも」
「だったら丸茂の仕事が増えた」
「はい?」

 口を開けて呆然とするだけの史乃が我にかえる。

「だから丸茂は私の代わりに中国へ行く。リバースパンダを説得する。ニョロ子ちゃんを台湾へ向かわせる。風軍を上海に置いてきたから、帰りは乗ってきてね。往路は殲ちゃんを貸してあげる」
 それから俺の手を握り「哲人さんは私とハーブに二人乗りだ。……丸茂はオセロちゃんを倒すな。躾けるだけ」
 もう一度史乃をにらむ。

「殲は上空です。陸上に行けば姿を現すでしょう」
 ハーブがドロシーに告げ、着地して羽根をたたむ。

「わかった。すぐに終わらせて追いかける」
 史乃は気さくだ。ドロシーの言いなりなわけでないのを、俺はすでに知っている。

「へへ、哲人さんが前だ」

 ドロシーが颯爽とペガサスに飛び乗る。俺は手助けしてもらいながらよじ登る。同時にハーブは浮かび上がる。

「史乃。気をつけてね。本当に本当にありがとう」
 俺は地下に一人残った人へ手を振る。またすぐに会えるよね。

「哲人もサンキュー。めっちゃヒリヒリできた」
 史乃も手を振る。「渡すものがあるから、必ずまた会おうね」

 それはお稲荷さんの小石。二人をつなぐもの。俺は背中にしがみつく人の反応に警戒してしまう。

「エルケ・フィナル・ヴェラノか……」
 だけどドロシーは心ここに非ずだった。

「それは何?」
El que fin al verano(夏を終わらせるもの)だよ。アンヘラが主である、枯葉に似た金色の鱗だから名づけられたドラゴン。哲人さんは見かけた?」
「いや。そいつを倒すのも依頼されたの」
「法外な値段で。世界中で私だけにだから断れなかった。アメリカまで行くつもりはなかったけど……また龍が関わるなんて」

 連中がチコと呼ぶ幼きドラゴンのことか。しかし夏を終わらせるなんて、不吉すぎるネーミングだ。

「夏は今からだよ。楊偉天の件を済ませたら海水浴してから香港へ行こう」
「そうだね、へへ。哲人さんは生臭い」
「海水に浸かったから磯臭い」
「私は汗かいた。どこかでシャワー……急がないとね」

 それきりドロシーは黙りこむ。あいかわらず浮き沈みが激しい。声をかけるべきかもしれないけど、彼女の熱を背中に感じるだけにする。またもデニーはドタキャンされたか。ざま見やがれ。

「ハーブは楊偉天を見つけられるの?」
「真に禍々しきものなら」

 白い雌馬が素気なく答える。俺は忌憚すべき水竜を思いだし身震いしてしまう。二度と会いたくない。

「どうしたの?」接したドロシーが聞いてくる。

「いやな敵を思いだした」
「なかなか忘れられないよね」

 ……君こそなの?
 俺達を乗せた天馬は海上を低く飛んでいく。青い空。白い雲。梓群の鼓動。……史乃の胸。ルビーの唇。

「ごめんね」

 俺は心で謝る。返事があるはずないけど、俺の腰を抱える腕が何故だか強まる。




次章「0.4ーtune」
次回「彼女と馬にまたがり国境を目指す」
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