四 経験なき死線

文字数 4,667文字

「大蔵司は俺をカバーしろ。史乃が戦え!」

 俺は叫ぶ。女子に守ってもらい、戦わせる。ここにいる中で俺は圧倒的に弱い。

――弱いなんてものでない

 また声を飛ばされた。でも経験済みだから慣れれば平気。心理攻撃は俺に効かない。

――ふっ、さすがは20万ドル

 20万? アメリカドルか? いまの為替は……心を読まれているではないか。こいつは異形か?

――失礼だな。松本と同じく人間だ

 これ系は無視するに限る。……首と頭だけ死守しろ。それ以外は耐えろ。とにかく大蔵司から離れるな。さすってもらえ。

――その娘は人の傷を治せる? いまも化け物しか社に組みこまないか

 そうだ。大蔵司は化け物だ。逃げるべきだよ。

「史乃も戦うな。入れてやる」
 化け物大蔵司が神楽鈴を鳴らす。「触れるなよ。空封そして地封」

 ……これこそキツい。おそらく俺達は、丸に十字の凶悪な結界に包まれた。しめ縄が見えないのだから身動きできない。引きちぎられる。

「心の声でないと戦いでは辛い。そっちにチェンジしよう」
「だね。松本には我慢してもらう」

 史乃の提案に大蔵司が同意した。任せるしかない……。さっきの銃声はなんだろう。

「史乃。傀儡って言ったよな。それって警察がかよ」
「言ってるそばから人の声で話しかけるな。集中させろ」

 結界に籠ってなおも緊張している……。どんなシチュエーションのもとにいるのだろう。
 俺も戦いたい。何もできない。

「ちっ」
 大蔵司が上空へ舌打ちした。
「臨影闘死皆陰烈在暗、臨影闘死皆陰烈在暗」

 懐かしくて二度と聞きたくなかったフレーズをつぶやきだした。
 俺も見あげる。マジですか。ただの人の目にも見える強い異界の光。空は鮮やかな赤で照らされていた。
 だけど血の色。その中心で、外国人の女性がまだ浮かんでいた。ひざ丈のジーンズとグレイのTシャツのさもないスタイル。ある意味典型的魔道士コーディネートで、無骨な長剣を掲げていた。
 それを真下に振り下ろす。

「え? 逆さ人封!」
 大蔵司が女性へ神楽鈴を向ける。

 女性が宙で静止して、剣を薙ぐ。
 史乃が俺と大蔵司のまえに来る。手にする剣を縦にかまえる。

「逆さ人封! 逆さ人封!」

 大蔵司が見えないしめ縄を飛ばそうと、女は笑っているだけ。……褐色の肌。縮れた黒髪を後ろに結んだ女性。180センチ以上はあるな。外国人の年齢はわかりづらいけど、おそらく俺の母親ぐらい……アラフィフかな。

――レディに失礼だな。アンヘラはずっと若い

「ひっ」また脳に声が飛びこんできた。

――お仕置きだ。……ダ、スウォリアクスカゾ、デ、スォリ

 や、やば、心へダイレクトにいにしえの呪いの言葉が届いた。

「僕らはみんな生きている!」
 絶唱しろ。「生きているからうれしいんだ!」

――“うれしい”でない。“歌う”だ

 歌詞間違いを指摘されても歌い続けろ。

「手のひらを太陽に透かして見れば! 真っ赤に流れる僕の血潮! へい!」

「松本、こわれるな。飛ばし人封!」

 大蔵司が俺へ神楽鈴を向ける。……身動きできなくなった。だけどおそらくしめ縄に囲まれて守られている。
 褐色肌の大柄女性……アンヘラは、史乃と向き合っている。ともに剣を向け合っている。アンヘラは感心と小馬鹿が入り混ざった目を史乃に向けている。史乃の顔は見えない。俺に背を向けて盾になってくれているから。

「飛ばし人封! 逆さ人封! 飛ばし人封! 臨影闘死皆陰烈在暗」

 大蔵司は声にして術を唱える。俺に何度も神楽鈴を向ける。おそらく俺を守る結界は削られている。

「くっ」
「ちくしょう!」

 大蔵司も史乃もよろける。そのたびに大蔵司が自分や史乃の体をさする。やはり攻撃を受けているのか。いまの俺の視力では、彼女達の血は見えない。
 サイレンは聞こえない。消防士達は突入してこない。ここは夜の出来事に変わったのか? 俺はただの人なのに。

――松本がただの人? ははは

「お前は誰だ?」
 俺は声にして尋ねる。
「大蔵司。俺の脳みそに呪いの言葉をかける男がいる。そいつが刀輪田か?」

「やっぱり?」大蔵司が振り向いた。「刀輪田永嗣(とわだえいじ)。忌むべき力を持つ日本人。影添大社から逃げきった伝説のオヤジ」

「集中しろ!」
 史乃が振り向かぬまま怒鳴る。「近隣の人は避難した。打開のため特盛で反撃する。巨光環!」

 またしてもとてつもなき大技を口にして剣を振るう。青い光。
 アンヘラも刀を薙いだ。赤い光……。
 目前で、ふたつの巨大ベーゴマが衝突した。俺は人封のため守られているけど身動きできな






これは似合いそうかな。へへ
はは、水着まで紅色かよ。しかもビキニ



 意識が飛んだ。夢を見た。
 だとしても目を覚ませ。二人でネットで水着を選ぶのだろ。パソコンはもう無いけど……ドロシーのノートパソコン! あの超ハイスペックを借りよう。
 しかも彼女が運営するクラウドサービスは、パソコンデータのバックアップなんて通常業務もしている。俺はそこのプラチナ会員に無料でなっているから、常時保存されている。それどころか100パー復元できると言っていた。つまり隠しフォルダーも。
 俺のパソコンの中身はドロシーに筒抜けだったと今さら気づいたとしても、データはすべて生きている。テキストは買いなおせばいい。ニョロ子に出版社の倉庫に忍びこんでもらい代金後払いだ。

 希望とともに、俺は立ちあがる。見えないしめ縄は消えたのだろう。……暗闇でもアパート及び近所一帯が更地になったのが分かる。なおも大蔵司と史乃は俺を左右に挟んで警戒していた。
 俺は怪我していない。瀕死だったけど大蔵司にさすられたのかもしれない。だって寝間着にしたTシャツがびりびり。それでも生きている。
 だったら怒りより何よりも、経験なきほど迅速に心で箇条書きに整理しろ。

・俺はアメリカの魔導師のターゲットになった。懸賞金は二十万ドルらしい
・魔導師配下の異形は式神でなく使い魔。サソリと蛇と白人女子がいた
・魔導師の一人はアンヘラ。空に浮かんだ。大蔵司の結界を一刀両断した模様
・丸茂史乃はそいつと対等に戦った。ノーブラ。ニンニク食べた
・もう一人の敵は刀輪田永嗣。心を読み、呪いの言葉を唱える。もと陰陽士?
・影添大社が俺を助けてくれた。でも社内へは出禁
・ドロシーはいない。ニョロ子もまだっぽい
・史乃は傀儡がいると言った。銃声もした。その人達は?
・俺の住まいはなくなった。ドロシーにマンションをギフトしてもらうしか……
・ドロシーが言っていた。大蔵司京は陰辜諸の杖を呼べるかも

 あの杖があれば一撃逆転。最低でも混沌に引きずり込める。亀にしてやれ。

「大蔵司。陰辜諸の杖を呼べ」
「はあ?」
「ドロシーの手に何度も魔道具がよみがえっただろ。あれと同じ理屈だ」
「わかった。なんとかの杖よ、この手に戻ってこい!」

 部分的に素直な大蔵司が肉声で叫ぶけど、そう簡単なものではないよな。

「何も起きないじゃないかよ」
 史乃がくすりと笑う。

 刀輪田から心へのツッコミは入らないということは。
「敵は撤退したのかな。いまは大蔵司の危機でないから杖は現れないのかも」

「この数分で散々死にかけたたよ」
 大蔵司が俺をにらむ。「私と丸茂でなければ、松本も守れなかった」

「ありがとう」俺は素直に頭を下げる。

 大蔵司のディフェンス系の能力は(やはり片寄っているけど)規格外だ。……史乃こそ強い。剣術に鍛錬の積み重ねを感じられた。
 この二人はドロシーや思玲と違い、息も切れてない。大蔵司は限界まで弱みを見せない系だけど、丸茂史乃はでかい外国人女性とガチで切りあっていたような……。

「アンヘラと呼ばれた女性。あいつは大蔵司の結界を斬った?」

「強い奴なら珍しくない。折坂さんも川田も、たぶんドロシーも破壊できる」

 大蔵司が素気なく言うけど、そうするとアンヘラは、満月の獣人か魔女クラスではないか。
「今夜の月は?」

「一般人のくせにさすがだね。今夜は二十五夜」
 史乃が頭上を見あげる。「新月は三日後……」
 そのまま固まる。

「……ドラゴンだ」
 大蔵司も夜空を呆然と見ていた。「私は初見だけど、勝てそうもなさげ」

 俺も見あげる。なにも見えない。人の目に見えぬ巨大な異形。
「逃げよう」

「どこへ?」史乃の問いに。

「日暮里へ。影添大社を巻きこむしかない」
「そしたら折坂さんに怒られる。殺される。……仕方ない」
 大蔵司がしゃがみ、残骸に埋もれた地面に手を置く。「冥府大蚯蚓(めいふおおみみず)に頼る。ほら、来いよ」

 彼女は見えない何かを引きあげようとしている。

「……そのミミズって冥界にいたの?」
「ああ。実際の地面も行き来できる。しかも飛べる」

 冥界と行き来できる大蔵司こそ主にふさわしいでないか。ドロシーのナイス選択に決まっている……。巨大な禍々しき気配を感じた。

「でかっ、キモッ、成敗したい」
「我慢しろ。松本も早く」

 二人がジャンプして見えない何かに乗る。いまの俺は異形と触れあえない――

「え?」
「きゃっ」

 女子二人が地面に消えた……。

「大蔵司、史乃……」

 俺は空を見る。龍などいない。辺りを見る。誰もいない。夜の出来事……。男が一人だけいた。

「あの二人を殺さずにいたのは難儀した。影添を完全に敵に回したら、どこも拾ってくれないからな」
 そいつは俺へと歩いてくる。背は高く痩せていて、ラフな服装。深くかぶった野球帽。その手には短剣。
「正式に従えてない式神に頼るとは愚か。冥界に連れ去られ二度と戻ってこれないが、それは自己責任だ」

 大蔵司なら戻って……心を読まれるな。話題を逸らせ。生き延びるために。

「お前達は終わりだ」
 俺は刀輪田をにらむ。狙われる理由なんて聞かない。似た脅しを藤川にやった覚えがあろうと「俺は英雄の恋人だ。彼女が荒れ狂う」

 2メートルの距離で、刀輪田が躊躇なく俺に短剣の先を向ける。

「女にすがろうと情けないと思わない」
 左手で胸の手前で十字をきる。「松本は弱かったからな」

 そうだよ。勝てるはずない。でも死ぬ気が全くしない。俺がさっきまで住んでいたアパートがなくなったとか、非現実過ぎてだけではない。

「ひとつ教えろ。ドロシーもターゲットか?」
「夏梓群も標的だ。まずはお前が消えろ」

 刀輪田の剣先がもわっと薄緑に光る。
 終わってたまるか!

「もうひとつだけ教えてくれ! 龍がいるのか?」
「……チコなら真上にいる。アンヘラが乗っている。お前は赤と青、サンドにも囲まれている」

 刀輪田が短刀を振るう。光が飛んでくる。避けれるはずない。胸の真ん中に当たる。

「ぐはっ」衝撃が背中へと貫く。「……ひっ」

 表情が見えぬまま、刀輪田がまた短刀を振るう。俺の顔へと淡い緑の光が……避けられない。

「うっ」仰向けに吹っ飛ばされる。瓦礫が背に刺さる。

「なぜ死なぬ?」刀輪田の声がした。「火伏せは戻ってないはずだが」

 たしかに俺の手に何もない。魔道具どころか財布もスマホもない。……死ななくても服も破けてなくても、術を喰らった部位が痛い。
 ニョロ子、ドロシー、大蔵司と史乃。誰でもいいから戻ってきてくれ……。俺の体が宙に浮かんだ。

「な、なんだよ」
「作戦変更だ。前線ではよくあること」

 刀輪田が俺へ背を向けて歩きだす。

「ちょ、ちょっと」

 俺は浮かんだままで刀輪田の後へ否応なく運ばれる。見えない異形の肩に乗せられている。もう人の声も心の声もかけてくれない。

「離せ! 降ろせ!」

 見えない異形へ怒鳴る。連れ去られる。返事はないけど。
 俺の手に何かが押しこまれる。強い感情。見えない何かが俺の手首を牙で裂く。




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