第23話 Elias Lönnrot

文字数 1,420文字

フィンランド語を発展させたもう一人の立役者、エリアス・リョンロートについてWikipediaの記事を見てみよう。

エリアス・リョンロート(Elias Lönnrot [ˈɛlias ˈlœnruːt]、1802年4月9日~1884年3月19日)は、フィンランド大公国において活動した著作家、医師、植物学者、文学者、言語学者、フィンランド語学者であり、フィンランドの民間説話の収集家である。ロンルートとも。
(以上Wikipedia)


エリアス・リョンロート
Wikipediaのパブリックドメイン画像。

ロシアがフィンランドを大公国として遇し、大幅な自治を認めていたのもフィンランド語の発展に良い影響を与えた。

次のWikipediaの記事も、リョンロートのフィンランド語への貢献を手短に述べているのでここに紹介する。

トゥルク・アカデミー(Akademie zu Turku、ヘルシンキ大学の前身)で学び、1872年、『古代フィンランドの神について』と題された論文で哲学の博士号を取得。

リョンロートは1831年に設立されたフィンランド文学協会の援助を受け、フィンランド東部での口承民話の収集を行い、これを1835年に『カレワラ』(古カレワラ)として出版した。その後さらに調査範囲を広げて新たな資料を加え、1849年2月28日に『カレワラ』を発刊した。このカレワラの出版は、ロシアに支配されていたフィンランド人のナショナリズムを刺激し、1917年に独立を達成する原動力の一つとなった。

また、フィンランド語・スウェーデン語辞典の編纂でも知られ、その後のフィンランド語の発展に大きな影響を与えた。ユーロ導入まで用いられていた500フィンランド・マルッカ紙幣に肖像が描かれている。

1853年から1862年にかけて、ヘルシンキ大学教授としてフィンランド語を研究し、教育者としてもフィンランド語の普及に貢献した。

1863年、賛美歌委員会に加わり、フィンランドの賛美歌の詩の改革にも携わった。自ら多くの作詞を行い、さらに作曲も手がけた。
(以上Wikipedia)

カレワラについてもWikipediaで押さえておこう。

カレワラ
『カレワラ』(Kalevala、カレヴァラ)は、カレリアとフィンランドの民族叙事詩。19世紀に医師エリアス・リョンロート(Elias Lönnrot、1802年~1884年)によって民間説話からまとめられた。フィンランド語の文学のうち最も重要なもののうちの一つで、フィンランドを最終的に1917年のロシア帝国からの独立に導くのに多大な刺激を与えたとされている。名称は「カレワという部族の勇士たちの地」の意。


アイノ』(アクセリ・ガッレン=カッレラ、1891年) - ワイナミョイネンは乙女アイノに求婚するが、アイノはそれを厭って見知らぬ海辺で溺れ死ぬ
Wikipediaのパブリックドメイン画像。

リョンロートによる『カレワラ』は、1835年に2巻32章からなる叙事詩として出版され、当時の知識人階級に大きな衝撃を与えた。その後、それを増補し、1849年には全50章からなる最終版として出版した。


リョンロートの『カレワラ』
Wikipediaのパブリックドメイン画像。

フィンランドの作曲家、ジャン・シベリウスは『カレワラ』に影響を受けた音楽を多数作曲しているほか、文学、絵画など、フィンランドのさまざまな文芸に影響を与えた。

(以上Wikipedia)


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