第22話 Mikael Agricola

文字数 1,166文字

近代ロシア語はプーシキンが作ったと言われるように、フィンランド語はアグリコラとリョンロートが作ったと言われる。彼らはどんな活動をしたのか? まずはアグリコラからWikipediaの記述を引用する。

ミカエル・アグリコラ
フィンランドのルター派牧師 (1510? - 1557)
ミカエル・アグリコラ(フィンランド語: Mikael Agricola、フィンランド語発音: [ˈmikɑel ˈɑɡrikolɑ]、1510年頃~1557年4月9日)は、フィンランド(当時はスウェーデン=フィンランド)のルター派牧師で、現存するもっとも古い印刷されたフィンランド語の文献の著者で、「フィンランド語の書き言葉の父」と呼ばれる。彼はフィンランドを含むスウェーデンの宗教改革を強く推進した。


ミカエル・アグリコラ。Wikipediaのパブリックドメイン画像。
よく見て! 版画の中の文字は、英語でもドイツ語でもないフィンランド語です!!

1554年にローマ教皇(カトリック教会)の承認を受けることなく、トゥルク(オーボ)の司教(英語版)となった。その結果、彼はルター派として当時スウェーデン教会の一部であるフィンランド教会の改革を行った。彼は新約聖書、祈祷書、賛美歌、ミサ曲をフィンランド語に訳し、フィンランド語の表記法の基礎を築いた。中でも注目に値するのは、これだけの功績にもかかわらず、それを成し遂げるのに要した時間は3年だけという点だった。
(以上Wikipediaの記述より)

マルチン・ルターが宗教改革でドイツ語の新約聖書をギリシャ語からドイツ語に訳し、ドイツの民衆が分かる言葉でキリスト教を広め、グーテンベルクの活版印刷機で聖書が広まってドイツ語が発展したように、当時スウェーデンの一部だったフィンランドの言葉も、キリスト教によって発展した。

p.97(『「言の葉」のフィンランド』より引用、以下「言の葉」と表記)
フィンランド語を構成する諸方言は大きく西部方言と東部方言に分けられる。アグリコラは多くの方言の要素を書き言葉に取り入れたが、その中で中心的な地位を与えられたのは、フィンランドにおける政治的・文化的な中心地であったトゥルクを中止に話されていた方言だった。その方言は南西方言と呼ばれ、西部方言に分類される。

アグリコラ以降もフィンランド語による出版は主に宗教関係のものに限られていた。

1600年代初め頃まではフィンランド語を使用する知識層も少なからず存在していたと考えられている。

しかし、スウェーデンの絶対王政の確立と、それによる中央集権化により、わずか百年ほどの間にフィンランドの知識層はスウェーデン語化し、フィンランド語は下層民衆の言葉となっていった。

そのスウェーデンはロシアとの戦争に敗れ、1809年フィンランドはロシアに割譲された。
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