第14話 映画

文字数 1,517文字

 ワゴン車のガソリンメーターはひとメモリ分しかなかったが、リオンさんは給油を拒んだ。
 帰るとき一人で入れるつもりなのか、その時、僕は家で煎餅でも食べてろと言うのか。
「お別れを言いに来たの」
「うん」
 正直、今日一日の彼女の様子、悩んだり、黙ったり、にらまれたりで、何となくそんな感じはしていた。
「僕はリオンさんを侮辱したね、ごめん」
「別にそれは許せるんだけど…… 多分明日には許せるんだろうけど、それもあるけど……」
 信号待ちの間、リオンさんの左手は僕の右手を探した。
「デートまでの二週間…… 苦しかった」
「うん」ああ、これはだめかもしれない。素直にそう思った。
 車は繁華街を離れて二車線の道を走った。中央分離帯のススキが激しく揺れていた。湿った銀杏落葉はトラックが通り過ぎたくらいでは舞い上がったりしない。栃ノ木と、ハナミズキとの冬木立。鉄塔と、電線と、飛び立つカラス。
 信号待ちの間、リオンさんの左手は、またも僕の右手を探した。
 僕はその左手の薬指に触れて、三本の指で透明な空気の指輪をはめてみた。
「もう! お別れを言いに来たの!」
「うん」

 セラからビデオ通話が入った時、僕はトイレに入っていたので、一端おしりを拭いてからかけ直した。セラはちょっと合わないうちに髪の毛が金色に代わっていた。
「手前ぇ、やりやがったな」と。いきなり、「なにを?」
 ビデオの向こう側ではリオンさんの悲鳴が聞こえた。一体何をしているんだ、嫌な予感しかしない。
『やめて!』
「おい、何をしてるんだ! リオンさん! リオンさん!」
「そこで叫んだって姉さんに届きゃしねえよ」
『殺さないで!』ころ? え! 大変だ!
「リオンさん! リオンさん! 返事をしてくれ!」「届かねぇって!」
 なぜなら、今、姉さんは……
「ホラー映画に夢中だからな」
 ホラ、え?
 セラは画面をリオンさんの方向に向けた。リオンさんは一人掛けのソファーに枕を抱きかかえて目を見開いていた。
『逃げて!』
 髪を振り乱していやいやと枕に顔を埋める。
 ああ、なんだ映画鑑賞か…… 僕は安堵から大げさな疲労感を覚えて、溜息を吐いた。
『やだー!』
「リオンさんはホラーがダメだって話じゃなかったの?」
「次の日に体調を崩すくらい大っきらい。このB級ゾンビ映画もまだ導入部なんだぞ?」画面外から呆れた様子のセラの声が入る。
「最近急に、『私は強くならなくちゃいけない』とか言い出すようになったんだ。お前のせいだよな! 人の姉さんを手籠めにしやがって」いや、手籠めって。
「絶対、義兄(にい)さんなんて呼ばねぇからな!」色々とせっかちな姉妹だな!
『畑の様子なんて見に行っちゃダメ!』
 もう、何が何だか……。
 妹からスマホを受け取ったらしいリオンさんの顔が、画面いっぱいに広がった。涙でぐっちゃぐちゃだった。
「ハルトぉ」
「うん、リオンさんね。また思考回路バグってるから、一端映画を止めようか?」
「うん、リオン映画止める。もうやだ、ゾンビなんて死んじゃえ」幼児退行してる。
「不安になった時はインプットより、アウトプットだよ」
「あ、パリピギャルと恋愛アウトプットした人だ! いやらしい!」根に持たれている。パリピて。
 スマホはそこでセラに取り上げられ、リビングルームの天井を映した。
「ハルト君ありがとー、さすが出来る男は違うな、はーい、人の通話でいちゃいちゃしないでねー」
 通話は短い電子音をピコと鳴らして終わった。
 くそ、セラのやつ。あいつ人が嫌がることも喜ぶことも的確なんだよな。こんなことされたら勉強に集中できないじゃないか。
 受験勉強なんて拷問以外のなにものでもないのに!

【レディー・ギャラガー ~センスのない戦い~ 】
【終わり】
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