第6話 教え

文字数 1,145文字

 セラはコスメだの、雑貨だの、冷やかしてから帰りたいので、ここで別れようと言い出した。ありがとう、スッキリしたよとも言ったが、どの行動に向けられた言葉なのか不明瞭だった。最後に二人でデンモクをのぞき込んで、リオンが好きなのはこの曲と、この曲と…… と8曲ほど教えてくれた。僕では到底太刀打ちできないような、難しい曲のオンパレードで歌える自信がなかったが、スマホのプレイリストを速攻で組み上げた。
 僕はそれまでコーラに手を付けていなかったので、セラは「もーらい」と言って、すごい勢いで飲み干してから、口を手で押さえて小さなゲップをした。それから連絡先を交換し合った。
「連絡待ってるからな。相談しろよ、報告しろよ」と。
 ビル街の硬いアスファルトの上で満面の笑みを浮かべた彼女と手を振って別れた。

 夜中、僕にとってどうしてリオンさんが特別なのか考えてみた。クラスの同級生にも会話やメールのやり取りをする女性はいた。容姿が特別だという認識もなかった。
 ベッドから降りて廊下を突き当りまで進んでトイレを済ませた。手を洗い、コップを使って水を少し口に含む。廊下の明かりのみに照らされた影の濃いキッチンで、陶器の凹凸に指を沿わせながら嚥下した。
 あの時に僕の背中を押した衝動を今も心が憶えている。
 立ち止まっているだけで苦しかったんだ。

 週半ば、リオンさんは急に軽ワゴン車に乗って学校の近くに現れた。コンビニで待ちあわせて助手席に座らせてもらった。車の中はレンタカーのように飾り気がなく、余計な機能が付与されておらず、快適さを向上させるための工夫も一切なかった。リオンさんの自動車に対する興味のなさが知れた。
 リオンさんは僕の顔を見るなりニマニマと顔を緩めた。僕もつられて笑顔になった。
「どこか行きたい所、ありますか?」
「その質問、僕が聞かれるの?」
 リオンさんはハンドルに顔を突っ伏したまま、目だけで僕の方を伺ってくる、その表情、反則じゃないのか。
「午後の仕事が急になくなって、半休になってしまったの」おどろいた?
 は? かわいいんだが? スケジュールが空いたから会いに来てくれたの? それはもう愛なんじゃないのかな、愛だと思うんだけどな、しかし、どうも突発的に行動するところが目の前の人にはあって、その都度驚かされているような、試されているような気持ちになり、勝手に僕の気持ちが暴走してしまうというのが正解なんだろう。
 レディー曰く『温度差を意識せよ』だ。
 いや、『意識的に言葉にせよ』も適応しなくては。
「うれしいです」
「え?」リオンさんは車を発進させようとしていて伝わらなかった。
「来てくれてスッゲーうれしい」
「はい」とだけ返事があり、彼女は運転に集中していた。
 思ったより100倍恥ずかしかった。
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