第13話 ショーマ君

文字数 1,218文字

 いつの間にか、ショーマ君という8才か9才くらいの男の子がそばに来ていて、あれこれとアドバイスをしてくれた。ショーマ君は僕たちより上級のコースを平気で登れる子で、ほら、こうだよああだよ、とテクニックを体で実践してくれた。足をクロスしたり、手を入れ替えたり。ただ、右のホルダー、左のホルダーと言われても、体の大きさが違いがあり、あまり参考にならなかった、僕らはその内に孫を見守るおじいちゃんとおばあちゃんみたいになって、ショーマ君のクライミングを二人で応援していた。ふと、
『あなたは租界の希望、民族の誉れ』というレディー・ギャラガーのセリフが脳裏をよぎった。

 『クリスタルアイズ』の最新話では、主人公のレオがレディーの教えを完璧に実践して、コニカニカ王女を愛の虜にして暗い笑みを浮かべるカットがあった。見捨てられたコロニー・AX845の復讐が今、始まる。だが、レディーの本当の希望は復讐にはなさそうで、レオが闘争を離れて安らぎを得ることであることも示唆されていた。レオが握る女神のコインには二つの意味があったのだ。

 僕はショーマ君の挑戦にエールを送りながら、意識は常に隣にいるリオンさんに向かっていた。クッション性の高く旅行鞄くらいの大きさのブロックに二人で腰を掛けていて、動かせば手の握れる距離に彼女はいた。
「あなたは租界の希望……」彼女はそう言った。確かにそう言ったんだ。
 僕は息をのんだ。

 冷めたコーヒーが目の前にあった。パンケーキの上のクリームが溶けてボリュームを失っていた。
 僕らはあれからあまり会話をしなかった。その沈黙は気まずいものではなく、重要なものだった。お互い考え事をしていて、気持ちを整理する必要があった。相手の事、自分の事。
 スキンヘッドのちょび髭店長がサンドウィッチ用の食パンを切っていて、恰幅が良く筋肉質の奥さんがスーツの二人組の男の接客をしていた。カウンターにはやけに大きなサイフォンがあり、メニューは細長い黒板に色とりどりのチョークで書かれていた。オルゴール調でイントロのみのジブーリのBGMに、簡素だが優しい色合いのペンダントライト。アイアンフレームのテーブルセット、人通りの少ない道に面した窓には小さな鉢のパキラ。だが、リオンさんがあまり喜んでいないのは明らかだった。
 勘違いがあったというわけではない、ここまで同じ思考回路をしていると思っていなかった。
 彼女は僕のエスコートがしたかったのではないか。なぜか。それが紳士としての振る舞いだからだ。
「あの、リオンさん……」次の言葉がつっかえた。
 本当は僕はリオンさんの綺麗な様子、可愛い内面が大好きだったから。
 僕は、もう一度、『意識的に言葉にせよ』と、心の中で唱えた。本物の言葉なんてどこにもないんだ。
「リオンさんの運転は安心します。そばにいて、すごく頼りになりる」
「え?」
「今日はとても楽しかった」
「ちょっと待って!」
 リオンさんは両手で顔を覆った。
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