第十一話

文字数 5,879文字

 
 真奈が戦いの場を離れたのは、カイムが猿人の父親に拳を咥えられた頃であった。
 そのとき、遠く闇の中から、真奈を見つめる視線を感じたのだ。どこからなのかはわからなかったが、確かに

見ている。
 じっと、息を潜めて――。
 真奈だけを――。
 それだけはわかった。

 結果的には、猿人たちが他にもいたわけだが、それらの視線ではなかった。

が違っていた。
 遠くから、真奈だけを見ている――。

 罠かも知れない。
 誘いかも知れない。
 だが、このままでは埒が明かない。
 だから――。
 真奈はその気配を追って、疾り出したのだ。

 霊園を駆け抜け、通りに出たところで孝史がいた。マクドナルドにいたときに義人たちを見かけてから追いかけて来たのだが、やっと霊園の入り口まで追いついたところであった。

「あ……!?

 孝史は真奈を見つけたが、真奈のほうは全く気が付かなかった。紅い瞳の少女は、そのままスピードを落とさず、疾り去ってしまった。
 慌てて、孝史も追走に移った。

「はっ……はっ……。くそ……っ」

 孝史は息を荒げながら、ついぼやいた。
 速い――。
 同い歳の高校生――しかも女子なのに、真奈の脚は滅法、速かった。
 追いつけない――。
 孝史は真奈の白く揺れる長い髪を、見失わないように追いかけるだけで精一杯であった。

 真奈は青山通りを人混みの間を滑るように、迎賓館――旧赤坂離宮――前を通り、赤坂方面へと抜けていく。少し前方を駆けるその後ろ姿を見ながら、

「一人でどこ行くんだ? 誰か、他にも

はずなんだけど……?」

と、孝史は呟いた。
 孝史が店の二階から通りを行く真奈を見かけたとき、傍には義人たちが一緒にいたが、そのときの孝史には、それが誰かまではわからなかったのだ。慌てていたし、真奈にだけ、気を取られていた――と、いうこともあった。
 そして前を行く真奈は、今は一人きりだ。

(ストーカーみたいだな……)

 孝史はぼんやりとそんなことを頭に浮かべながら、それでも、真奈のことをもっと知りたい、と思わずにはいられなかった。


 六本木の酒場を出て、大野は

もなく歩いていた。何となく、外苑東通りを青山方面へと、

と向かっていた。
 迎賓館前に来たとき、人混みの中で、見覚えのある真っ白な髪を見つけた。

「御子神!?

 少し酔いの回った頭に、昨日の出来事が鮮やかに甦る。
 自分でもわからない。
 気が付けば、何故か真奈を追って駆け出していた。

「んあ……!? 島本!?

 スマートフォンを取り出して、電話をしようとした時に、大野のずっと前を、同じように真奈を追いかけて疾る孝史の姿を認めた。

「あいつ、何やってんだ?」

 他人のことは言えなかったが、孝史を見つけて大野は戸惑った。
 しかし、今は真奈への復讐心が勝った。
 知り合いにスマートフォンで電話をかけた。数回の発信音の後、野太い声が零れてきた。

「誰だ?」
「あ、長塚さんスか? 俺です。大野です。実は、人を何人か貸して欲しいんですが……」
「ああ? なんでだ?」
「実は、昨日お話した女が目の前にいるんですが、拉致(らち)るのに何人か借りれませんか?」

と、再度、大野は長塚と呼んだ男に頼み込んだ。どうも相手は暴力団関係者、それも大物らしい。

「あん? 拉致るくれぇ、てめぇの仲間で足りんだろうが」
「それが、昨日も言った通り、普通の女じゃないんで。お願いしますよ。拉致った後は()っても、輪姦(まわ)してもらってもいいっスから。見た目はこれ以上ない――ってくらい極上スよ」
「わかったわかった。速水(はやみ)たち三人を向かわせる。場所ぁ、どこだ?」

 とても高校生の悪ガキの言う内容とは思えなかったが、大野の声に震えや迷いなどはなかった。

なのだろう。

「ありがとうございます。場所は……」

 長塚に礼を言って、大野はこれから向かうであろう方角の地名を述べた。先回りしてもらうつもりであった。

「ああ、わかった。――おい、速水。さっさと行ってやれ。じゃあな、大野」
「はい、ありがとうございます。恩に着ます」

 そう丁重に言って、大野は通話を切った。その間も真奈からは眼を離していない。
 その辺りに抜かりはなかった。手馴れたものであった。これまでに

ことだ。
 これで昨日の借りが返せる――。

 にぃぃ……、と大野の口元に、残虐さを秘めた微笑が広がっていった。
 真奈や孝史の知らないところで、様々な策謀が動き出していた。

 豊川稲荷を過ぎ、東急ホテルの前まで来たとき、真奈の前に、一台の黒いベンツが進路を阻むように、急ブレーキの甲高い音を上げて横付けされた。
 周りの通行人たちも振り返った。
 しかし、当然フロントも含め、窓はスモークがかかっていて、中の様子は窺い知ることは出来ない。それを認めたからか、通行人たちは、巻き込まれるのはごめんだ――とばかりに、遠巻きに見ているだけだ。

(やだ……、何……!?
(あれ、

の車じゃない!? ヤーさんが相手じゃねぇ……)
(ヤクザ絡みか……。可哀想に……)
(〝風俗店(みせ)〟からでも逃げたのかなぁ……? いい女じゃねぇか。勿体ねぇなぁ……)

 絡まれることのない安全な距離から、それぞれの思惑を秘めた視線で、真奈たちを見ている。あるいは、足早に離れていく。
 明らかに堅気じゃない車だ。助けようとする者は、誰一人としていなかった。

「……?……」

 訝しむ真奈の前でドアが開き、三人の黒服を着た〝如何にも〟といった風情の男たちが降り立った。
 運転席、助手席から降りた男たちはともかく、後部シートからゆっくりと降りたサングラスを掛けている男だけは、自信と風格が滲み出ていた。

「一緒に来てもらうぜ」

と言うなり、掴もうとする男の腕から、スルリ、と身を躱し、真奈は男たちに問いかけた。

「……何か……用……?」
「黙ってついてくりゃいいんだよっ!!
「ほう。こりゃあ、確かに飛びっきりの上玉だ。〝紅い()〟ってのも悪くねぇ……」

 躱された男は

を失って苛立っていたが、リーダー格のサングラスの男――この男が、大野と長塚との話に出てきた速水だろう――は冷静に言った。
 だが、人混みの中、どうして真奈を特定することが出来たのか?

「アンタに恨みがある……って男が、いンだよ。〝恥〟掻かされた――ってな。顔、貸してもらおうか?」
「それは……誰……?……」
「ンなこたぁ、知らなくていいンだよ。……おい」

 その声に三下の二人が真奈の両側へ回った。


「はっ……はっ……、何だ!? 絡まれてんのか!?

 孝史が息を切らしながら、少し離されていた真奈を再び視界に収めたのは、真奈と黒服たちが揉めている真っ最中の場面であった。

(た、助けなきゃ……!! でも……)

 孝史は迷った。
 真奈に絡んでいるのが、ただのナンパ野郎なら、孝史にも何とか出来るだろう。
 これまで街で喧嘩したことぐらいはあるし、相手に勝ったことのほうが多いくらいだ。追いかけられても、逃げ足にはちょっと自信がある。
 だが、あれはどう見ても、

男たちであった。
 いくら惹かれている娘でも、暴力団関係の奴らから助け出すのには躊躇してしまうのも当然だ。所詮、孝史は一介の高校生に過ぎないのだ。

「ようっ!! 島本っ!!

 突然の声に、孝史の身体が、ビクリ、と震えた。意識が黒服の男たちのほうへ向いていたこともある。
 そんな孝史の肩を掴んで声をかけてきたのは大野であった。
 ずっと真奈と孝史の後を()け、速水たちに真奈の特徴や居場所などをスマートフォンで教えていたのだ。

「大野!?
「これ以上、係わらんほうがいいぜ?」
「あいつら、

!?
「まぁな。御子神(あいつ)に気があるみてぇだが、ここまでだ。やめとけ」

と、大野は孝史に告げた。

「それに、御子神はもう終わりだ。たっぷりと後悔させてやンぜ」
「……!? そりゃ、どういう……」

 どういう意味だ――? 
 大野の言葉が引っ掛かった孝史が、そう問い質そうとしたとき、ざわめきが起こった。

『何だァ……!?

 孝史と大野の声が重なった――。


 黒服の男たちが動いたとき、真奈も無意識に動いていた。
 左から来る男のほうに二歩進むと、その鳩尾に掌底を食らわし、ベンツの前輪を踏み台にしてジャンプするや、右から来る男の顎を蹴り上げた。

「ぐぇっ……!?
「がっ……!?

 苦鳴を上げ、ぶっ倒れる男二人を尻目に、真奈は無感情な表情で

に立っていた。

「へぇ……、やるねぇ」

 路上を転がる部下たちには一瞥もくれず、速水は感嘆の声を上げた。
 一介の女子高生の真奈がこれほどやるとは思ってもいなかったのだ。

「……だけどな、〝鉛の玉〟にゃあ勝てまいよ? さっ、車に乗りな」

 懐中から拳銃を取り出し、静かに真奈に向けた。
 持っている銃はセミ・オートマチックのベレッタM九二Fであった。装弾数は十五発。遊底(スライド)を引いて薬室(チャンバー)内に一発目を装填しておけば、合計十六発の弾丸を装填出来る。
 普通のチンピラが持っている銃じゃない。この速水が、長塚から信頼されている証でもあった。

「きゃ……」
「おい……、銃を持ってるぞ」

 周りにいた通行人……いや、見物人たちに、どよめきが沸き起こった。流れ弾に当たっては堪らない、と大半の者が逃げ出した。
 そんな人々を、速水は一顧だにしなかった。片手で構えた銃口はピクリとも動かず、真奈を睨み続けている。安全装置(セイフティー)は既に解除されていた。日頃から、銃の扱いには慣れているようだ。

 だが、真奈は

のほうを向いていた。
 何かを感じたのか――?
 大気の動きに、夜風の音に耳を澄ませているようにも見えた。

「どこ見てんだ!? さっさと……」

 ベンツの後部を回って真奈の近くへと寄りながら、そこまで言った速水の視界から、真奈の姿が突然消えた。
 真奈が瞬時に身体を沈めたのだ。
 真奈の傍まで近寄ってきていた速水は、標的を求めて銃口を下へ向けようとした。
 が、真奈は下から平手で銃身を撥ね上げた。銃口は夜空を向いた。
 瞬間、身体を滑り込ませた真奈の肘撃ちが速水の胸部を襲った。痛みに身を屈めた速水の顎に、真奈の膝が真正面から綺麗に入った。

「がふっ……」

 先ほどの部下たちと同じように、無様に速水は路上に転がった。
 たかが高校生――。
 速水もそう考えていた。拳銃を突き付けられて、脅えない女子高生はいないだろう――と。
 真奈の反応は、彼の想像の外であった。
 そして、真奈はまた、疾り出したのだった――。

「……っ、くそっ……!!

 速水は拳銃を構えなおし真奈を狙おうとしたが、その姿はすでに人混みに溶け込んでいた。
 今、闇雲に撃てば通行人に当たるだけだ。さすがにそんな愚を犯せば、警察に介入されるだけである。
 頭に血が昇っていても、速水はそこまで馬鹿ではなかった。

「ちっ……。おいっ!! さっさと起きろ!! 追いかけんだ!!

 銃を懐中に仕舞い、未だ、呻き転がる部下たちをどやしつけた。部下たちも何とか身を起こし、車に乗り込んだ。
 ベンツはタイヤを軋ませ、疾り出した。

「舐めた真似しやがって、あのガキィ……」

 後部座席で速水は、スーツからスマートフォンを取り出し長塚に掛けた。

「おう、俺だ」
「……親父、すいません。逃がしました」
「ああっ? お前がいて何やってんだっ⁉ ガキの一人くれぇ、さっさと拉致れやっ!!
「……はい。今度こそ……」
「次、ドジりやがったら、お前でも〝(タマ)ぁ〟ねえぞ?」
「はい、必ず……」

 電話を切った速水は、低く低く決意を口にした。その声には、憎悪の響きが含まれていた。

「あんガキ……次、見つけたら殺ってやるぜ……」


 ことの経緯を遠くで見ていた孝史と大野も面喰っていた。
 あり得ないことであった。
 高一の女の子相手に、ヤクザが三人もいて歯が立たない。
 ヤクザたちは拳銃まで持っていたのに――だ。

御子神(あいつ)ぁ……一体……!?
「あっ……!」

 茫然と呟く大野の横で、我に帰った孝史が真奈を追いかけて疾り出した。

「あ……。おいっ、待てよっ!!

 それを見た大野も、慌てて孝史に併走する。そんな気はなかったが、

釣られて疾り出してしまった。
 その一方で、孝史が何故、これほどに御子神にこだわるのか、その理由が知りたくなった。
 極道者が絡んできたというのに、ただの色恋沙汰ではここまで関与はしないだろう。
 常識で考えれば、恋の相手なら、もっと〝普通〟の娘を選ぶ。
 何がこいつを突き動かしているのか――?
 大野が聞いてきた。

「はっ……はっ……。なぁ……、あいつのどこが、そんなに気に入ったんだ!?
「そんなの……。はっ……。わかんねぇよ……はっ……はっ……」
「ヤクザが絡んでんのに……、はっ……、理由(わけ)なし……ってかぁ……!? 『恋』……なんて言うなよ?」
「…………」
「はっ……、本気(マジ)かよ……?……」

 信じられんぜ――といった表情で、大野は孝史の顔を見た。
 世の中にはまだ、こんな馬鹿がいる。
 大野には、それが信じられなかった。


 小さいときから、大野はいつも一人であった。
 父親は仕事と愛人にかまけ、家庭を顧みない男だった。母親は母親で、男をつくって家を出ていった。
 大野が六つのときだ。
 それ以来、一人の時間がほとんどであった。
 父親の愛人が家事と世話をしたが、大野には冷たかった。父親の金が目当てだというのは、小さかった大野にもわかった。
 父親との会話はなかった。ただ、小遣いだけはふんだんにくれた。
 愛情を知らずに育った大野は、すぐに暴力を振るうようになっていった。喧嘩になると、力加減をしないため、相手に大怪我をさせることも度々であった。
 中学二年の頃には悪ガキどもを束ねるようになっていた。上級生すらも顎で使った。
 警察の世話になることもあった。だが、いつも父親ではなく、愛人が迎えに来た。
 父親に当て付けるように、暴力団の事務所に出入りするようにもなっていった。
 だが、それでも父親は何も言わなかった……。
 生まれなければ……よかったのか?
 自分は愛してもらえなかったから……。だから、孝史の想いがどれほどなのか……?
 本物なのか?
 それが知りたくなった。

「だけどな、あいつは……速水さんを怒らせたぜ? はっ……はっ……、あの人がキレたら、どうなるか……俺にもわからんぜ……はっ……」
「……!!

 その言葉を聞いた孝史がペースを上げた。

「はっ、はっ……。くそっ……」

 離された大野が孝史に追いすがる。
 こうなりゃ、自棄(やけ)だ。徹底的に付き合うぜ――。
 大野は心の中で、一人




 
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