第一話
文字数 2,215文字
初夏の眩しいばかりの日差しが、アスファルトの地面に容赦なく降り注ぐ。
「はっ……はっ……はっ……!」
優しく吹く朝の清々しい風も、時折り聞こえる小鳥たちの歌声も、陽に映える若葉の薄緑色も、額に汗して疾っている今は無に等しい。
その月曜の朝、東京郊外に位置する私立校・坂ノ宮西高校一年、
理由は何のことはない。
ただ、朝寝坊をして遅刻しそうなだけである。
二ヶ月ほどが経って高校生活にも慣れ、日曜だからと先日買ったばかりのゲームをしていたからだった。ネットを介して、プレイヤー四人までで協力してモンスターを倒すゲームで、〝中ボス〟を倒しに行く前にキャラクターの装備を強くしておこうと夢中になってしまい、夜更かしをしたのが結果、まずかった。
〝
落ちる
〟と言い出せずに、ズルズルと何度もモンスターを倒しに行ったのも悪かった。因みにその〝中ボス〟は、他の人が上手すぎて、あっさりと倒してしまい、楽しさも何もあったものではなかった。
「くっそぉ……、せっかく皆勤だったのに……」
つい、孝史はぼやいた。
その呟きは、孝史がこれまで小学校、中学と無遅刻無欠席を続けてきていたからだ。ちっぽけなことではあったが孝史にとっては、ちょっとした自慢であった。
爽やかな陽が注ぐ高台にある高校へは、この坂道を上って行くしかないが、いざ遅刻するかも知れないとなると、恨めしく思えてくるから不思議なものだ。
ふと見れば、息を切らしながら走る孝史のその前を、同じ坂ノ宮西高の制服を着た女の子が一人、歩いていた。
「〝
孝史が訝しむのも無理はなかった。疾っている孝士でさえ間に合うかどうかだというのに、その少女の歩くスピードでは確実に遅刻してしまうからだ。
それと、気になることがもう一つ――。
「染めてるのか……!? それとも脱色かな、髪が……」
そう――。
風に揺れる、腰まであろうかというその少女の長い髪の毛は、真っ白だったのだ。
もちろん今時、金髪や茶髪、果ては赤や緑の髪だって珍しくはない。孝史だって少しだけ茶髪にしている。坂ノ宮西高校は校則に厳しくもないから、孝史の他にもクラスにはたくさん、茶髪の生徒がいる。
……というよりは、ほとんどの生徒が茶髪であるのが現状だ。
だから孝史も、脱色でもして銀髪にしているのか、と思ったが、どうやら違うようだ。
そのような人工的なものではないらしい。
例えるなら、誰にも踏み荒らされていない、穢れ無き新雪の白い色――。
改めてよくよく見れば、服装自体はごく普通。校則通りの格好だ。
六月になり、衣更えも済んだ筈なのに長袖だという点を除けば、ピアスなどの
両手を揃えて鞄を持って歩くその後ろ姿は逆に清楚で、可憐な一昔前の〝お嬢様〟を連想させる程であった。
孝史は横を通り過ぎるときにその少女の顔を盗み見たが、その途端に彼はその顔に見蕩れてしまった。
「へぇ……」
溜め息混じりの言葉が、口を吐いて出た。その少女の顔はこの世の者とは思えない程に美しかったのだ。
TV番組でも、こんなに可愛い娘は見たことがない、と孝史は思った。
バランスの良い細い眉、すっきり通った鼻梁、小さめの赤い唇、雪のように白い肌、そして――。
(えっ……!?)
少女の顔の一点に、孝史の視線は吸い付けられた。
その瞳へと――。
少女の大きな瞳は、紅い色をしていた。
鮮血の紅い色――。
見つめていると、いや、見ているだけで魂まで吸い込まれてしまうような感覚を孝史は覚えた。
しかも、視線を外そうと思っても、凝視し続けてしまう。
そんな不思議な魅力に満ちていた。
「……あ……」
孝史の視線に気付いたのか、少女が小さく声を発した。少しのんびりした口調だったのが意外ではあったが、想像していた通り、その声は涼やかな鈴の音を思わせた。
「えっ!?」
美少女に声をかけられた孝史は、ドクン、と胸が高鳴った。別に、何かを期待していたわけではなかったが、それでも可愛い娘に話しかけられれば健全な高一の男子なら、自然と心が弾む。
「……前……」
「前……!?」
少しばかり感情の抑揚に乏しいその声に前を振り返った孝史は、目前まで迫っていた学校の塀に、思いっきり顔をぶつけた。
「ぐぇっ……!? ……っつぅ……」
呻き声を上げ、顔を押さえてうずくまる孝史に、少女が声をかけた。
「……大丈夫……?」
心配してくれているのだろうが、呟くような小さな声だから、やはり親身に欠けた印象を他人に与える。それでも、
「……ああ、……な、何とか……ね」
と、痛みを堪えて苦笑しながら答える孝史に、少女は、
「……そう……」
ポツリ、とそう言った。そして、それっきりで前を向き直すや、さっさと歩き出してしまった。
余りにも呆気なく、愛想のないその台詞に孝史は、
「へっ……!?」
と、間の抜けた声を漏らした。
「……いいの? 遅刻……するんじゃない……?」
「えっ……!? そ、そうだっ、遅刻っ……!」
当初の目的を思い出した孝史は、後ろを振り返りもせずに一目散に学校へと疾り出した。その後ろ姿を、少女は慌てた様子もなく、ただ静かに眺めていた。
やがて少女がゆっくりと歩を進め出したそのとき、授業開始五分前を告げる予鈴が辺りに鳴り響いた。