第五話
文字数 3,551文字
範子や義人と別れた後、真奈は夜道を一人、家へと向かっていた。その表情からは、何も窺い知ることは出来なかった。
だが、真奈なりに、範子たちを心配していたのは確かだったようだ。
その真奈の歩みが、ぴたり、と止まった。俯き加減だった顔を上げ、街灯の届かない、前方の暗闇を見据えている。
夜の闇に溶け込んで、何かが潜んでいるのを感じ取ったのか。
立ち止まり、出方を窺う真奈に焦れたのか、相手が先に動いた。ゆっくりと暗闇から現れた
それ
はしかし、普通の人間の姿をしていた。「何だ、ただのガキか。俺としたことが……」
顔を手で隠すように当て、嘆く男は年の頃、二十五、六。
横をさっぱりと刈った髪をムースかワックスで固め、百八十センチメートルを少し超えるくらいの逞しい体躯を白い無地のTシャツと革製の黒いパンツに包み、同じく黒いブーツを履いていた。両手には指輪、耳にはピアスが三つ四つ。見た目で言えば、ライブハウスに出入りしているミュージシャン風だ。ギターでも背負えば、
様
になる。しかし、その彼を相手に、真奈が足を止めた理由は――?
「……ったく。変な気配に来てみりゃ、何にもありゃしねぇし……」
「……」
ぼやく青年を、真奈はただ、黙って見つめている。
「おい、嬢ちゃん。さっさと帰んな。この辺にゃ、厄介なのがいるぜ」
「……厄介なもの……? ……あなた?」
「俺のことじゃねぇっ!!」
青年を指差して質問する真奈に否定する。
「もっと……〝人間〟なんかじゃない〝
もの
〟だ」「……やっぱり、あなたのことね……」
「てめぇ……何を知ってる……!?」
真奈の物言いに、青年の眼付きが険しくなる。睨む青年にも真奈は全く動じることなく、その瞳を見つめ返し続ける。
その冷静な視線に青年は先に耐えかねたのか、
「……ったく。わーった、わーった。俺だって〝
と、言った。自らのことを〝人間〟ではない――と認めているのだ。
しかし、真奈はそのこと自体は問い質さずに、別のことを聞いた。
「そのあなたが、
何をしている
の……?」「はん?」
〝何者か?〟と聞かれるであろうと思っていた青年は、予想外の質問に気の抜けた声を発した。真奈の反応に少なからず戸惑いつつも、問いに答える。
「化けもンを〝
狩る
〟のさ。この俺が」「へぇ……。面白いことを言う人だねぇ。真奈」
「……お父さん……。いつの間に来たの……?」
真奈の肩に手を置き、相変わらずの〝にこ眼〟で青年を見ているのは義人である。
いつ追いついたのか、真奈にもわからなかった。
いや、真奈も青年も、近づく義人の気配すら感じなかったのだ。
「……んだよ、アンタは?」
「ん~? 人に名前を聞くときは、自分から名乗る……ってのが、〝
礼儀
〟だよ」「ああ?」
人差し指を振って、説教じみた台詞を宣う義人をふざけた奴――と思いながらも、正論に青年は自分の名を口にする。
「……俺はカイムってんだ。アンタは?」
「ほう……、地獄の『
そのもの
――って訳ではないようだけど……。あ、僕は義人って言うんだ。ここにいる真奈の父をやってます
。以後、よろしく」「……!! アンタ、何もンだ……!?」
捲くし立てるような義人の自己紹介に、ちょっと引き気味になりながら、『カイム』と名乗った青年は義人を観察する。
『鶫総督』とは古代ローマで信じられていた、旧約聖書に登場するヘブライ人の王であり、魔術・錬金術の祖『ソロモン王』によって封じられた七十二柱の一人、『地獄の軍団』を率いる悪魔の名前であった。
普通の人なら知ることのない、そんなマニアックな名前まで知っていた義人を、この青年は疑っているのだ。
しかし、目の前にいる義人の姿からは、ただのマニアという雰囲気しか伝わってこない。
だが実際、義人はいきなり現れたのだ。
〝化け物を狩る〟――と豪語したカイムに、微塵も気配を悟られずに――。
それだけにカイムは、義人の実力を計り切れないでいた。
「だからぁ、真奈の父だってば」
「……あ、あのなァ……」
微笑を浮かべるばかりの義人に、カイムもどう言っていいのか、わからなくなる。
白い髪と紅い瞳を持った無表情な美少女と、二十歳過ぎにしか見えないのにその小女の〝父〟と名乗る、やけに
軽い
男。軽い疲労感に、カイムはぼやくように呟いた。
「……ったく、変な奴だな。どっからどこまでが本気なんだか、わかりゃしねぇ……。だいたい、アンタ、ホントにその子の父親かぁ!?」
「失礼なこと、言うなぁ……。そう言う君は幾つなのかな?」
「……。幾つに見える?」
「そうだなぁ……、
見た目
は二十五、六……ってトコだけど……さて? 実際はどうだか……」こめかみに指を当て、わざとらしく考えるポーズを取って義人が言う。
「ちっ……。食えねぇ野郎だな……」
「お互い様だと思うけどねぇ」
カイムの皮肉にも、笑顔で返す義人。
カイムにとってはどうも、義人は苦手なタイプのようだ。苦虫を噛み潰したような顔で、咥えた煙草に火を点け、肺一杯に吸い込んだ紫煙をゆっくりと吐き出して〝
間
〟を作る。「……ったく。どっちにしろ、アンタらと俺たぁ関係なさそうだな」
少し苛つきながら、カイムが言った。こんな〝変な奴ら〟が自分の追っている相手の仲間とはとても思えず、また、思いたくもなかった。
「いやいや……そうとばかりは言えないよ?」
「あん?」
義人の言葉に、カイムが眉をひそめる。
「君が追っていたのは、〝人狼〟……狼男みたいな奴かな? 狼男とは言い難かったけど。そう、猿……っていう方が合ってるかな?」
「何で知ってる……!? ……会ったのか!?」
「会ったよ」
「何時だっ!? どこで会ったっ!?」
「ちょっと前。でも……、
あれ
は〝下っ端〟だよ?」「……!? 何故、わかる……?」
「う~ん……。〝
勘
〟かな」「勘だぁ……!? ……ざけんなっ!!」
小首を傾げて言う義人の答えに、カイムが怒鳴った。その勢いに、義人は両手を上げて諌めながら、更にカイムの癇に障るようなことを抜け抜けと言い放つ。
「おや、君は
「アイツぁ、アンタなんかに
「ひどい言い草だなぁ。ま、君と〝奴〟との係わり合いなんて知らないし、知る必要もないけどね」
「……言ってくれるじゃねぇか……」
カイムと義人の間に、険悪なムードが流れる。
だが、苛立っているのはカイムだけだ。義人は相変わらず、のほほんとした態度を取っている。それが気に食わなかったのか、カイムが更に怒声を上げる。
「てめぇなんかに、わかってたまっかよっ!!」
「わかりたくもないね。自分に酔ってる奴の気持ちなんて」
「……んだとォ……!?」
「自分に流れる〝血〟の由来に、『悲劇の
「……てっ……」
冷たく突き放す義人の言葉に、カイムが『てめえっ』と出かけた言葉を言い淀む。義人の言は、カイムの心中を見事に言い当てていたのだ。
「……てめぇ……一体、何もンだ……!?」
「さて、ね?」
凄むカイムに、義人はウインクして見せた。
「……はぁ……。もう、いいや。……アンタと話してると、こっちがおかしくなりそうだ」
カイムはお手上げだ、とばかりに両手を上げて、そう言った。それを見た義人の顔に微笑が広がる。
「まあまあ、そう言わずに。あ、僕たちは五丁目の洋館に引っ越してきたんだ。何かあったら、来るといい。力になるよ」
「ああ……。当てになるかは、わかんねぇけどな」
後ろを向き、片手を上げて皮肉の篭もった挨拶を返しながら、カイムは立ち去っていった。
それを並んで見送っていた真奈が、義人に語りかけた。
「……お父さん。あの人……」
「ん? ああ、そうだね。
僕たちに近い
〝存在
〟だ」「……」
「人にはそれぞれ、背負ってる〝
もの
〟がある――ってことさ」「……背負ってる〝もの〟……?」
「そう……。宗教なんかじゃ、〝
「……〝業〟……」
「僕たちだって背負ってるんだよ? 多分。それがどんな〝
もの
〟かは、わかんないけどね」「……私にも……ある……」
義人の言葉を、自分に言い聞かせるように真奈は呟いた。そんな真奈を横目に見ながら、義人は優しい微笑を浮かべた。
「そう。それが何なのか、いつか、わかればいいね」
「……うん……」
「さて……。帰ろうか」
「……うん……」
小さく頷く真奈と並んで歩き出す義人の姿は、傍から見れば、まさしく〝父〟そのものであった。二人は夜も更けた道を仲良く並んで、我が家への帰路に着いた。
そんな二人を、蒼い月が静かに照らし続けていた――。