第八話
文字数 3,776文字
学校が終わると、孝史は武生ら数人の男子と原宿のゲーム・センターへと繰り出した。
智恵子たちが遊びに行くのをやめたこともあったし、友達に誘われたからでもあった。しばらくはゲームに熱中していたが、すぐに飽きた。
ゲームに夢中な武生たちを、後ろから見ている時間のほうが長くなった。
やがて、武生たちと別れて一人、表参道へと歩いた。途中、手近のマクドナルドでいつものセットメニューを食べて腹を満たした。
どうせ、家に帰っても共働きの両親は遅くまで帰っては来ないし、大したものも作れないから自炊する気にもなれなかった。
ストローを何気なく咥えながら、二階の席から通りを見下ろす。ブクブク――と、溜め息混じりの息をストローから吐き出した。
何故か、昨日から気が滅入る。物事に集中することが出来ない。すぐに別のことが頭に浮かんでしまう。
その理由は何となくだが、わかっていた。
真奈のことが気になっていたからだ。
不思議な雰囲気を持つ転校生に一目で惹かれた。
あの美貌に――。
あの紅い瞳に――。
それがおそらく〝恋〟であろうこともわかってはいた。だが、それを認めたくない自分がいるのもわかっている。
それゆえの戸惑いでもあった。
今までにも、女の子に告白されたこともあるし、付き合ったこともあった。だが、いつも長続きはしなかった。
告白されたときは嬉しかったし、その時は自分でも
しかし、いざ付き合い出すと、ときめいていた自分が急速に冷めていくのがわかった。
だから、次第にそんな感情は自分の中に押し込めるようになっていった。
自分には人と付き合う資格がない。
ずっと、そう思っていたのに――。
そんなことをぼんやりと考えていた孝史が、ふと、眼下を行き交う人々に目を向けると、そこに見知った白く揺れる長い髪を見つけた孝史は少しだけ慌て気味に席を立った――。
その日、大野は荒れていた。
昨日、転校してきた真奈を
このままでは、それを見ていた仲間連中に〝
未成年のくせに不良仲間たちと入った酒場で、これまた未成年の身で常用している煙草を燻らせながら大野は『
何故か、それが頭から離れなかった。そんな大野に気付いた連れの女が声をかけた。
「ねぇ、哲弥 ァ。どうしたのさぁ? さっきからイラ付いてんじゃん。らしくない」
「……るせぇ! 黙ってろっ!!」
機嫌の悪さを剥き出しにして、大野は怒鳴った。
「おお、こわ……」
脅える仕草をしながら、それでも女の顔には嘲笑が張り付いていた。
すでに、話はこんなところにも伝わっていたのだ。それが、更に大野を苛立たせた。
グラスに残っていたバーボンを一息に飲み干し、立ち上がってドアへと向かう。
「哲弥ァ、どこ行くのさぁ?」
「っせぇ!! 誰もついてくんなっ!!」
怒声を残してドアを押し開け、大野は独り、ネオンと喧騒が渦巻く夜の街へと消えていった。
義人たち三人が、食事を終えてから、青山通りをどれくらい歩いただろう。
六月らしい若草の薫る、しかし湿り気を含んだ風に混じって漂ってきた
もちろん、隣の範子には全くわからないくらいの微かな濃度だ。通りを歩く通行人たちは、誰一人として気付いた者はいない。
生温い風は赤坂方面に向かっている義人たちの右手側――青山霊園の方角から流れてきていた。
その風に混じるのは、ほんの僅かな血の臭い――。
義人たちは梅窓院横を、青山霊園へと歩き出した。
範子は黙ってついてくる。まだ、何が起きようとしているのか、よくわかっていないようだがそれも止むを得まい。
血臭を嗅いだというのに、義人と真奈に緊張の色は微塵もなく、普段の彼らと何ら、変わるところはなかったからだ。
しばらく歩を進めると、やはり、風に混じる血の臭いが濃くなっていった。それがわかるのも、やはり義人と真奈、二人だけであった。
更に三人は歩み続けた。
初夏の夜ともなると道々、カップルと擦れ違うことも多い。範子はそんなカップルたちを見るにつけ、自分と義人の姿を想い重ねていた。
義人の腕に自分の腕を絡ませ、寄り添う二人……。
そんな夢に酔い痴れる範子の鼻腔に、決して嗅ぎたくない類の臭いが忍び込んできた。
嗅ぎ慣れているわけではないが、
範子は呻くような声で呟いた。
「これって……!?」
「わかるかい? どうやら遅かったようだ……」
義人が肩に手を置いて、ほんの僅かばかり静かな声で範子に語りかけた。それから、
「この辺りからは気を付けたほうがいい。僕の後からおいで」
と、注意を促した。
コクン、と範子は頷き、義人の背中に隠れるように、三人は墓地の中へ踏み込んでいった。
さらに四、五分も歩いただろうか。
さっきから、ずっと漠然とした違和感を範子は覚えていた。
あれほどいたカップルたちが少し前から、パッタリ、出会わなくなっていたのに気が付いたのだ。
何故か、肌寒い感じさえもする。墓地という場所だからではあるまい。
しかし、範子はそのことを口に出せないままに、義人たちの後ろで歩を進めた。
範子は全く気が付かなかったが、そのとき、義人はポケットから例の〝札〟を四枚取り出し、風に乗せるようにそっと飛ばした。
札は風に泳ぎながら、やがて地に落ちた。植え込まれた樹の元に、あるいは草叢に舞い落ちた札は小さな
さらに五分くらい歩いたころ、辺り一面に漂う血臭の中心に、義人たちは佇んでいた。
付近の青々とした芝に撒き散らされた、夜空の蒼い月を映す水面のような緋色――。
その中央には、胴の部分で引き裂かれた若い女性の身体。
一目見たときから、範子は込み上げてくる嘔吐感を必死になって堪えていたが、たまらず草叢に吐いた。
義人は屈み込んで女性の死体を調べた。
女性は咽喉笛を噛み切られ、即死であった。顔は恐怖に引き攣ってはいたが、痛みを感じる暇がなかったであろうことが
そして辺りにはまだ、
「……お父さん。
「わかったかい? 僕は
現場から左手のほうを見つめる真奈を、ゆっくりと立ち上がった義人は父親の眼差しで見つめた。
それから後ろを振り返り、
「大丈夫かい? 範子ちゃん」
と、声をかけた。範子はまだ、ゲェゲェとやっていたが何とか、
「ゴホッ…………は、はい……」
と、答えた。少し無理をしているその返事に義人は、ニコリ、と微笑を返し、
「じゃあ、そこの墓石の傍から動かないでね」
と、近くの墓石を指し示した。
それから、奥へと行こうとしていた真奈を手で制して、言った。
「
義人を横目で見た真奈は、踏み出しかけた足をその言葉通りに一歩、
その途端に、大きな〝塊〟が真奈の右手間近――今の今まで真奈が立っていたところ――を吹っ飛んできた。風圧に、傍に立っていた真奈の白い髪が靡く。
一瞬にして通り過ぎた
ドンッ――。
真奈たちの後方の墓石にかなりのスピードで激突したそれはしかし、御影石で出来ている墓を粉微塵にした上で、ゆっくりと立ち上がったのだ。
「やぁ、カイム君。元気?」
片手を軽く上げて、そう挨拶した義人を睨みながら、カイムは頭に載っていた石ころを払い落とした。
「……なんだって、アンタがここにいンだよ!?」
「さてね? 偶然じゃないかな」
カイムに傷一つないことを知ってかどうか。義人は柔らかな微笑で答えた。
「で……? 相手は探してた奴かな?」
「ああ、やっと見つけたぜ。アンタらは手ぇ、出すなよ? あいつは俺の獲物だ」
墓地の奥を鋭い眼差しで睨みつけ、カイムは言い切った。
睨む先には、
それは前夜に義人と範子が遭遇した
グルルルルルル……。
低い唸りがこちらまで聞こえてくる。その声を聞いただけで、範子の顔色がさらに青褪めた。
義人は銀縁眼鏡を指で押し上げつつ、苦笑した。
「それはいいんだけど……。逃がさないでくれよ?」
義人が念を押したその言葉を、自分の力量を侮ったもの――とカイムは受け取ったのか、むっ、とした顔で、
「言われるまでもねェ」
と、力強く宣言した。
「じゃあ、僕たちは見学だ。真奈、範子ちゃんを見てやってくれるかい?」
「……」
黙ったまま、コクン、と頷いて真奈は、義人の後ろに座り込んでいる範子の傍へ近付いた。
範子の顔は蒼白であった。
だが、それも無理はない。
普通の生活をしていた女子高生が突然、殺されて血塗れになった女性の死体を見せつけられたのだ。
先ほど食べた物を全て吐き出し、胃液すら戻す範子の背中を、真奈は優しく摩ってやった。
ただし、その視線はカイムと黒い影を捉えたままだ。
「あ、ありがとう……」
「……落ち着いた?」
「ええ……、何とか……ね」
そう答えて範子も、今まさに戦いを続行しようとする二人を見つめた。
智恵子たちが遊びに行くのをやめたこともあったし、友達に誘われたからでもあった。しばらくはゲームに熱中していたが、すぐに飽きた。
ゲームに夢中な武生たちを、後ろから見ている時間のほうが長くなった。
やがて、武生たちと別れて一人、表参道へと歩いた。途中、手近のマクドナルドでいつものセットメニューを食べて腹を満たした。
どうせ、家に帰っても共働きの両親は遅くまで帰っては来ないし、大したものも作れないから自炊する気にもなれなかった。
ストローを何気なく咥えながら、二階の席から通りを見下ろす。ブクブク――と、溜め息混じりの息をストローから吐き出した。
何故か、昨日から気が滅入る。物事に集中することが出来ない。すぐに別のことが頭に浮かんでしまう。
その理由は何となくだが、わかっていた。
真奈のことが気になっていたからだ。
不思議な雰囲気を持つ転校生に一目で惹かれた。
あの美貌に――。
あの紅い瞳に――。
それがおそらく〝恋〟であろうこともわかってはいた。だが、それを認めたくない自分がいるのもわかっている。
それゆえの戸惑いでもあった。
今までにも、女の子に告白されたこともあるし、付き合ったこともあった。だが、いつも長続きはしなかった。
告白されたときは嬉しかったし、その時は自分でも
それ
を望んだはずだった。しかし、いざ付き合い出すと、ときめいていた自分が急速に冷めていくのがわかった。
だから、次第にそんな感情は自分の中に押し込めるようになっていった。
自分には人と付き合う資格がない。
ずっと、そう思っていたのに――。
そんなことをぼんやりと考えていた孝史が、ふと、眼下を行き交う人々に目を向けると、そこに見知った白く揺れる長い髪を見つけた孝史は少しだけ慌て気味に席を立った――。
その日、大野は荒れていた。
昨日、転校してきた真奈を
からかう
つもりで難癖をつけたが、逆に脅えてしまった。このままでは、それを見ていた仲間連中に〝
示し
〟がつかない。放っておけば、たちまち噂に〝尾鰭〟が付いて、立場を失うことにもなりかねなかった。未成年のくせに不良仲間たちと入った酒場で、これまた未成年の身で常用している煙草を燻らせながら大野は『
真奈をどうするか
』と、考えていた。何故か、それが頭から離れなかった。そんな大野に気付いた連れの女が声をかけた。
「ねぇ、
「……るせぇ! 黙ってろっ!!」
機嫌の悪さを剥き出しにして、大野は怒鳴った。
「おお、こわ……」
脅える仕草をしながら、それでも女の顔には嘲笑が張り付いていた。
すでに、話はこんなところにも伝わっていたのだ。それが、更に大野を苛立たせた。
グラスに残っていたバーボンを一息に飲み干し、立ち上がってドアへと向かう。
「哲弥ァ、どこ行くのさぁ?」
「っせぇ!! 誰もついてくんなっ!!」
怒声を残してドアを押し開け、大野は独り、ネオンと喧騒が渦巻く夜の街へと消えていった。
義人たち三人が、食事を終えてから、青山通りをどれくらい歩いただろう。
六月らしい若草の薫る、しかし湿り気を含んだ風に混じって漂ってきた
臭い
に、義人と真奈の足が止まった。もちろん、隣の範子には全くわからないくらいの微かな濃度だ。通りを歩く通行人たちは、誰一人として気付いた者はいない。
生温い風は赤坂方面に向かっている義人たちの右手側――青山霊園の方角から流れてきていた。
その風に混じるのは、ほんの僅かな血の臭い――。
義人たちは梅窓院横を、青山霊園へと歩き出した。
範子は黙ってついてくる。まだ、何が起きようとしているのか、よくわかっていないようだがそれも止むを得まい。
血臭を嗅いだというのに、義人と真奈に緊張の色は微塵もなく、普段の彼らと何ら、変わるところはなかったからだ。
しばらく歩を進めると、やはり、風に混じる血の臭いが濃くなっていった。それがわかるのも、やはり義人と真奈、二人だけであった。
更に三人は歩み続けた。
初夏の夜ともなると道々、カップルと擦れ違うことも多い。範子はそんなカップルたちを見るにつけ、自分と義人の姿を想い重ねていた。
義人の腕に自分の腕を絡ませ、寄り添う二人……。
そんな夢に酔い痴れる範子の鼻腔に、決して嗅ぎたくない類の臭いが忍び込んできた。
嗅ぎ慣れているわけではないが、
よく知っている
臭い。範子は呻くような声で呟いた。
「これって……!?」
「わかるかい? どうやら遅かったようだ……」
義人が肩に手を置いて、ほんの僅かばかり静かな声で範子に語りかけた。それから、
「この辺りからは気を付けたほうがいい。僕の後からおいで」
と、注意を促した。
コクン、と範子は頷き、義人の背中に隠れるように、三人は墓地の中へ踏み込んでいった。
さらに四、五分も歩いただろうか。
さっきから、ずっと漠然とした違和感を範子は覚えていた。
あれほどいたカップルたちが少し前から、パッタリ、出会わなくなっていたのに気が付いたのだ。
何故か、肌寒い感じさえもする。墓地という場所だからではあるまい。
しかし、範子はそのことを口に出せないままに、義人たちの後ろで歩を進めた。
範子は全く気が付かなかったが、そのとき、義人はポケットから例の〝札〟を四枚取り出し、風に乗せるようにそっと飛ばした。
札は風に泳ぎながら、やがて地に落ちた。植え込まれた樹の元に、あるいは草叢に舞い落ちた札は小さな
何か
に変わって、闇の奥へと消え去った。さらに五分くらい歩いたころ、辺り一面に漂う血臭の中心に、義人たちは佇んでいた。
付近の青々とした芝に撒き散らされた、夜空の蒼い月を映す水面のような緋色――。
その中央には、胴の部分で引き裂かれた若い女性の身体。
一目見たときから、範子は込み上げてくる嘔吐感を必死になって堪えていたが、たまらず草叢に吐いた。
義人は屈み込んで女性の死体を調べた。
女性は咽喉笛を噛み切られ、即死であった。顔は恐怖に引き攣ってはいたが、痛みを感じる暇がなかったであろうことが
せめても
であった。そして辺りにはまだ、
喰いかけ
の内臓が散らばっている。「……お父さん。
まだ
、いる
わ……」「わかったかい? 僕は
どっち
も知ってるけど、真奈は一人だけ
だね」現場から左手のほうを見つめる真奈を、ゆっくりと立ち上がった義人は父親の眼差しで見つめた。
それから後ろを振り返り、
「大丈夫かい? 範子ちゃん」
と、声をかけた。範子はまだ、ゲェゲェとやっていたが何とか、
「ゴホッ…………は、はい……」
と、答えた。少し無理をしているその返事に義人は、ニコリ、と微笑を返し、
「じゃあ、そこの墓石の傍から動かないでね」
と、近くの墓石を指し示した。
それから、奥へと行こうとしていた真奈を手で制して、言った。
「
一歩
、左側に寄って」義人を横目で見た真奈は、踏み出しかけた足をその言葉通りに一歩、
ずらした
。その途端に、大きな〝塊〟が真奈の右手間近――今の今まで真奈が立っていたところ――を吹っ飛んできた。風圧に、傍に立っていた真奈の白い髪が靡く。
一瞬にして通り過ぎた
それ
は、確かに人の形をしていた。ドンッ――。
真奈たちの後方の墓石にかなりのスピードで激突したそれはしかし、御影石で出来ている墓を粉微塵にした上で、ゆっくりと立ち上がったのだ。
「やぁ、カイム君。元気?」
片手を軽く上げて、そう挨拶した義人を睨みながら、カイムは頭に載っていた石ころを払い落とした。
「……なんだって、アンタがここにいンだよ!?」
「さてね? 偶然じゃないかな」
カイムに傷一つないことを知ってかどうか。義人は柔らかな微笑で答えた。
「で……? 相手は探してた奴かな?」
「ああ、やっと見つけたぜ。アンタらは手ぇ、出すなよ? あいつは俺の獲物だ」
墓地の奥を鋭い眼差しで睨みつけ、カイムは言い切った。
睨む先には、
ゆらり
と立つ黒い影が一体――。それは前夜に義人と範子が遭遇した
あの
〝影
〟であった。グルルルルルル……。
低い唸りがこちらまで聞こえてくる。その声を聞いただけで、範子の顔色がさらに青褪めた。
義人は銀縁眼鏡を指で押し上げつつ、苦笑した。
「それはいいんだけど……。逃がさないでくれよ?」
義人が念を押したその言葉を、自分の力量を侮ったもの――とカイムは受け取ったのか、むっ、とした顔で、
「言われるまでもねェ」
と、力強く宣言した。
「じゃあ、僕たちは見学だ。真奈、範子ちゃんを見てやってくれるかい?」
「……」
黙ったまま、コクン、と頷いて真奈は、義人の後ろに座り込んでいる範子の傍へ近付いた。
範子の顔は蒼白であった。
だが、それも無理はない。
普通の生活をしていた女子高生が突然、殺されて血塗れになった女性の死体を見せつけられたのだ。
先ほど食べた物を全て吐き出し、胃液すら戻す範子の背中を、真奈は優しく摩ってやった。
ただし、その視線はカイムと黒い影を捉えたままだ。
「あ、ありがとう……」
「……落ち着いた?」
「ええ……、何とか……ね」
そう答えて範子も、今まさに戦いを続行しようとする二人を見つめた。