第十二話
文字数 5,590文字
「ん~と……。こっちかな?」
「ああ!? ほんとにこっちなんだろうな?」
赤坂方面を指差す、頼りなげな義人の言葉に、カイムが歯を剥いて突っ掛かった。
確かに真奈はそちらへと向かったのだから、方角は合っていたのだが、そんなことは露ほどにも知らないカイムは、疑惑の眼差しを義人に向けた。
「俺ぁ、頼まれたから、アンタの娘捜しを手伝ってやってんだろが! 間違ってたら、ただじゃおかねぇぞっ!?」
「ん? あってる、あってる。こっちだってば」
手を
ひらひら
させて、緊張感の欠片もない顔で義人が言うものだから、カイムは更に頭に血を昇らせる。「ほんとかぁ……!?」
「ああ~ら? 疑うんだったら、先に行って捜しておいてよ? 僕たちは後から行くからさ」
「んがっ!?」
「うん、そうしよ。真奈の匂い、わかるだろ? カイム君、鼻いいもんねぇ。はい、決~まり」
「なっ……あっ……!? そりゃ、匂いくらいわかるけどよ……」
『立て板に水』のように捲くし立てる義人に気圧されたのか、カイムはつい、頷いてしまった。範子もただ圧倒され、見守るだけだ。
カイムの
それ
は条件反射みたいなものだったのだろうが、それを義人が見逃すはずもなく、「だったら、〝おっけー〟だね。すぐに追いつくよ」
カイムは一つ、大きく吐息をついて、頭をぼりぼり掻いた。
「わーったよ。捜しといてやるよ。そん代わり、こりゃ〝
貸し
〟だかんな?」「はいはい。じゃ、頼んだよ」
義人はまたも手を、はたはた、として了解した旨を伝えた。
カイムは、チッ、と舌打ちして駆け出した。Tシャツの背中には赤い染みが残っているが、傷からの出血はすでに止まっていた。
その背を見送ってから義人は、二人のやり取りを呆気に取られて見ていた範子に声をかけた。
「さて、行こうか」
「えっ!? あっ……はいっ。でも、あの人……いいんですか!? 怪我だってしてるのに……」
と、範子は義人に聞いた。
義人に丸め込まれた形になった、カイムのことを気遣っているのだ。範子の問いに、却って義人のほうが、意外だ、という表情を浮かべた。
「カイム君かい? いいんだよ、あれくらいの傷ならすぐに治るでしょ。彼はもっと人との付き合い方を知ったほうがいいしね」
「付き合い方……ですか?」
「そう。たかだか
七十年
ぽっち、生きてきたくらいで人生の機微なんてわかるもんじゃないんだし……ね」「七十年!?」
それには答えずに、にっこり、と笑った義人が、ふと思い出したように範子に問いかけた。
「ああ、それよりも……さ。範子ちゃん、僕に何か聞きたかったんじゃないのかい?」
「えっ!? あ、あたしですかっ!?」
「うん。『聞きたいことがある』って、顔に描いてある」
「あっ……。そっ、そうですけど……」
だが、範子はそのまま、俯いてしまった。
義人が話を切り出したタイミングがあまりにも突飛過ぎて、戸惑ってしまったのだ。だが、『聞きたいこと』があるのも、また事実だった。
緊張に、鼓動が速くなる。
やがて、範子は決心したように頬が紅潮した顔を上げ、義人に問うた。
「あっ、あのっ……!? 義人さんって、一体何者なんですかっ!? 『式鬼』だなんてものを呼び出したり、バケモノ相手にも全然平気だし……。真奈ちゃんくらいの娘がいるのに、二十歳前後に見えるし……」
切羽詰まったような、もう後がないような声で範子が立て続けに聞いた。
「それに……。バケモノをやっつけた義人さん……凄く怖かった……。いつもの義人さんじゃなかった……。もっと別の……!!」
そこまで言って、範子は項垂れて黙ってしまった。咽喉の奥まで出かかった言葉を飲み込んだ。声にならなかった。言えなかったのだ。
人間ではないみたいだった――と。
まるで……悪魔のようだった――と。
「〝悪魔〟みたいだった?」
ドクンッ――!!
範子の鼓動が一つ、大きく鳴った。
身体がビクリ、と震えた。
義人の声に、ハッ、として範子は顔を上げる。自分の考えていたことを言われたからだ。
「怖かった?」
とても優しい微笑を浮かべたまま、義人が聞いた。
範子はまるで、自分の心を見透かされているかのようだった。
全てを覗かれているような……。
そんな感覚すら、範子は覚えた。
「あ……!!」
範子は二の句が告げなかった。逆に、なぜそんなことを聞くのか――と、詰問されているようにさえ思えた。
「知りたい?」
義人は優しく聞いた。
知りたい――!!
範子は咄嗟にそう思った。心の奥底から。
そう思ったが何故か、それを聞いてしまえば、義人が自分の前からいなくなってしまうのではないか――とも、思った。迷いが範子を俯かせた。
「知りたい?」
義人が再び、静かに聞いた。
その声に、範子は躊躇した。聞いてはいけないことを聞こうとしているのではないか――。
そんな脅えにも似た考えが頭を巡って、範子は結論が出せないでいた。
「……あ、あのっ……!!」
シャンッ――!!
意を決した範子が声をかけるのと同時に、金属の打ち合う音が響いた。
義人はすでに気付いていたのだろうか。
「……!?」
範子が顔を上げたときには、義人は音がした方向の暗闇を見つめていた。
シャンッ――!!
再び、金属音が鳴り響いた。範子でも聞いたことくらいはある響き。
それは僧や修験者が持つ、錫杖(しゃくじょう)に付いている〝
それも複数。
シャンッ――!!
シャンッ――!!
しばらく後、夜の闇から姿を見せたのは四人の、笠を被り、黒い法衣に白い袈裟を着た僧たちであった。
先頭の僧は小柄であったが、他の三人はガッシリとした体躯を誇っていた。僧衣を押し上げる、隆々と盛り上がる筋肉がそれを裏付けている。
義人が範子を手で後ろへ庇うようにしながら、僧たちに言った。
「見たところ〝退魔師〟らしいけど、僕たちに何か用かな? 聞くところによると、〝退魔師〟とは名ばかり。あろうことか、〝闇のもの〟に雇われ、力を貸す者たちもいる……って話だ」
「〝退魔師〟って……!?」
と、範子が聞いた。義人は範子に背を向け、僧たちに向かい合ったまま、優しく言った。
「〝退魔師〟ってのは、そのままの意味だよ。〝魔〟を
シャンッ――!!
先頭の僧が、錫杖を一際強く突いた。
笠に隠れて表情は窺えないが、街灯に照らされて垣間見える深い皺の刻み込まれた口元には、薄い微笑が張り付いていた。
「どうやら〝
闇の力
〟に魅入られたらしいね。……僕たちを〝敵
〟と見なしたのかな?」「……察しの通り。我らが
排除
するのみ……」歳相応な低い、嗄れた声が夜風に乗って流れた。傍にいた範子がゾッとするような声であった。その言葉の意味も、範子を寒からしめた一因であった。
僧は〝排除〟すると言った。邪魔をすれば〝
取り除く
〟……と。二人を抹殺すると言っているのだ。しかし、義人は平然と、
「刺客を差し向けたのは、僕たちだけかい?」
と、聞いた。その口元には柔らかな微笑すら浮かんでいた。
街中にもかかわらず、こうして義人たちの前に迷わずにまっすぐ現れたということは、当然、真奈やカイムの元へも刺客が向かった――と考えるのが妥当だろう。
しかし、義人に差し向けたのが、たったの四人だけとは――。
黒幕が猿人たちとの戦いの顛末を見届けていたのなら、義人に持てる戦力の大半を傾注することだろう。
それが四人だけということは、猿人たちの父親と互角以上に渡り合っていたカイムを一番の敵と見なしたのだ。
だが、それは、その後に義人によって、猿人たちが全滅させられた事実を、黒幕が知らなかった――ということを示していた。
だが、義人の問いに僧は答えず、代わりに唇の端を、にぃ、と吊り上げた。
それを合図代わりに、背後の三人の僧たちが錫杖を手に、義人たち目掛けて疾った。
「!?」
が、突然、三人の僧たちの動きが、ぴたりと止まった。それが僧たちの意思でないことは、困惑の色を浮かべる表情から見て取れた。
「何をしておるっ!? さっさと、始末せんかっ!!」
小柄な僧が屈強な三人を怒鳴りつけたが、三人の僧たちは身動きが取れない。その額には、汗すら滲んでいる。
「それは無理ってもんでしょ。 彼らは指一本だって、動かせやしないよ」
「何じゃと……!?」
きぃ……。
きぃ、ききっ……。
薄闇に目を凝らせば、三人の僧たちの影の上に、掌大の小さな式鬼たちがいた。更に目を凝らせば各々、槍や三叉の矛などを手にし、僧たちの影にその得物を突き刺している。
「何とっ……!? 〝影縫い〟かっ!!」
式鬼たちを見た小柄な僧が、驚嘆の声を上げた。
「
『臨・兵・闘・者・
呪
』を掛けるのが、最も容易な印呪である――を切ろうとした僧の声が止まった。否――。
出来なかった
のだ。何とか視線だけを落として見れば、自らの足元に伸びた影にも式鬼たちがいた。その一体が老僧を見上げて、
にぃ
……と、微笑を浮かべた。背筋に悪寒が走るほどの、邪気に満ちた微笑であった。この僧もすでに、身体の自由を奪われていたのだ。
僧たちは、自分たちと何気なく会話をしていた筈の義人が、当の昔に手を打っていたことに驚いていた。
一体、いつの間に――!?
「こちらは急いでいるので、これで失礼するよ。しばらくしたら開放してあげるから」
身動きの取れぬ僧たちにそう言って、義人は隣にいる範子の腰に手を廻し、
「急ぐから、ちょっと我慢してくれるかな?」
と、言ったかと思うと、地を蹴った。
「えっ……!?」
戸惑いを露わにする間もなく、義人に抱きかかえられた範子の身体が宙を舞った。
何と、軽く地を蹴っただけと見えたのに、範子を抱えたまま、義人は近くの道路標識の上にまで跳んだのである。
「えっ!? えっ!? ええぇっ!?」
驚きを隠せない範子とは対照的に、澄ました顔の義人はそのまま、次々に標識の上を渡り跳んでいった。その様は小川の水面から覗く石の上を渡っていく風でもあった。
「……
取り囲むように現れた黒衣の僧たちに向かって、カイムは煙草を一本、口に咥えながらそう問いかけた。決して、答えを期待していたわけではなかったが、明らかに敵意を剥き出しにした見知らぬ僧たちが十数人も現れれば、
つい
聞いてみたくもなる。「……」
やはり、僧たちは黙して語らず、包囲の輪をじわりと詰めてきた。カイムはそれを見て、
「だんまりか。それじゃあ、〝敵〟……と見ていいんだな?」
と、何も答えない僧たちをじろりと一瞥して、静かに聞いた。
そして、ゆっくりと紫煙を吐き出し、煙草を空に弾き飛ばした。
あるいは、
それ
は戦闘の合図であったか――。わっ、と迫りくる僧たちの群れに、カイムは自ら飛び込んでいった。振り下ろされる錫杖を手でいなして、その僧の顔面に拳を打ちつける。その背後から襲いくる僧の杖を身体を捻って躱すや、勢いがついて止まることの出来なかった相手の下顎に、蹴りを見舞った。のけぞる僧の杖を奪い取り、左右から近づく僧たちを、軽く振ったただの一振りで吹っ飛ばす。
猿人を相手に互して戦えるカイムにとって、僧たちの動きなどは、スローモーションも同然であった。
「取り囲んで押しつぶせっ!!」
僧の一人がそう叫んだ。その指示に従って、五人の僧がカイムを包囲するようにして錫を縦横から一気に振り下ろした。
が、カイムはすでに空にいた。
見上げた僧の頭を踏み台にして、更に遠くにいた、先ほど指示を出した僧の鳩尾に杖を打ち込んだ。
「ぐえっ……」
屈み込む僧を無視し、包囲を突破したカイムは他の僧たちのほうへと向き直った。たとえ楽勝の相手といえども、背後に回られるようなことは避けるべきである。
カイムは戦いの術を心得ていた。
「どうする? まだ、やるかい?」
カイムは奪った錫杖で肩を叩きながら、僧たちに聞いた。
だが、僧たちは仲間が
のたうって
いようとも、怯むことはなかった。気遣う素振りもない。ただ、黙って突進してくるばかりであった。それを見て、「ちっ……」
と、カイムは舌打ちをした。出来ることなら、無意味な戦い――この場合はカイムにとってだが――は避けたかったのだ。
「しゃーねぇなぁ……」
ぼやくように呟いて、カイムは杖を持ち直した。
忠告はした。それでも向かってくるのなら、もう容赦はしない。
「ふんっ!!」
僧が振り下ろす錫を軽々と撥ね上げるや、渾身の一撃を胴に加える。さらに一撃、二撃と打ち込むたびに環が、
シャンッ――!!
シャンッ――!!
と、激しく音を立てる。
「ぐっ……!」
脇腹を打った錫杖がカイムに、僧の肋骨をへし折った感触を伝えてくる。僧はそのまま、うずくまるように崩れ落ちた。肋骨をやったときの痛みは相当なものである。僧は身体を丸め、ただひたすら痛みを堪えていた。力量の差は歴然としていた。
だが、僧たちも数々の修羅場を掻い潜ってきた者たちであった。体術では敵わないと見た彼らは、懐中から呪符を取り出し、口々に〝呪詛〟を唱えだしたのだ。
「ちっ……」
それを見たカイムは顔を歪め、取り囲もうとする僧たちの動きを錫杖を投げつけて制して、疾りだした。
簡潔に言えば、逃げ出したのである。
半分とはいえ、妖魔たる猿人の血が混じっているカイムにとって、やはり
こういう
のは苦手であるらしい。脚力の違いで、あっさりと僧たちの追撃を振り切り、カイムは当初の目的である、真奈の捜索を再開すべく、夜の街へと溶け込んでいった。