禁書「はじまりの灯火」【5】

文字数 3,142文字

 王城のパーティー会場で、深い青色のロングコートを着た私は立っていた。他の兄弟4人もすでに集まり、あとは暴虐王の到着を待つばかりである。

 商業ギルドの協力もあり、どうにか時間内に芸人を逃がす手はずを整えることができた。

 パーティー会場は、街の広場ほどの大きさで、無駄に豪華で食べられもしない量の食事が人よりも目立っている始末だ。

 部屋にいるのは、兄弟5人と使用人が数人、料理長や配膳係と、合わせても十数人しかいないだろう。

 ここに上級貴族を招き、商会とのつながりを生み出せれば、どれほどの経済効果を生めたのだろう。

 そんな事を思い、次に私は兄弟の中で、比較的話の通じる上から2番目の兄弟との会話で得た情報をまとめる。

 連れて来られる芸人は、過酷な荒野を旅をしてきたとは思えないほど綺麗な出で立ちらしい。美しい装飾のマントを羽織り、これまでに見たことのない珍しい芸をし、話せる奇妙な浮かぶ魚を連れているのだそうだ。

 その話を聞き、なおのこと芸人に興味が沸き、王の好き勝手にさせるわけにはならないと決心を強めた。

 王が独占するよりも、商業ギルドで大衆向けに芸を披露してもらった方が、経済活動が促進されるので民のためである。

 私は浮かぶ魚についても興味を持った。その真偽はさておき、そんなものを連れて芸の役に立つのだろうか。一般的な芸人であれば鳥や猛獣など、何かしら芸を叩き込めそうなものや、大衆に好かれやすいものを選ぶのではないかと疑問に思った。

 そうではなく、大衆には魚が人気であり、私が仕事ばかりに勤しんでいるうちに、流行が変化している線も捨てきれない。商業ギルドで情報の共有を忘れずにしよう。

 そんなことを考えているうちに、粗暴に会場の扉が開かれた。その行動は国王の姿として正しいのかと、私を苛立たせる。

 扉の奥からやってきた暴虐王は、彼が最も信頼している側近の4人を引き連れ、部屋を揺るがしかねないほど力強く一歩一歩、威厳を示しながら入ってきた。

 私は心中でこそ、平常でいられるように振舞っていたつもりだった。

 しかし、足を見ると生まれたての小鹿のようにガタガタと震え、頬からは数本の汗が滴っていた。自分の心の弱さにどれだけ悪態をついても、足の震えも汗も収まりはしない。

 2番目の兄弟以外は、こちらを見て呆れたように「おいおい」「いくつだよ」と肩を揺らしながら嘲っている。

 それだけ馬鹿にされていても、怒りが勝り私の恐怖心が消え去ることはなく、苛立ちと恐れに板ばさみになった精神は混沌としていた。

「そんなに力むことはないだろう。それよりも、どんな芸人が来るのか楽しみじゃないか?」

 そんな私の肩を叩きながら励ましてくれたのは、やはり2番目の兄弟であった。わずかに気を取り直した私は、取り繕うように軽く礼を述べた。

 気持ちを誤魔化すために近くの水を飲み、見せ掛けだけでも気丈に振舞って見せた。いつか必ずこの恐れをなくしてみせると強く願いながら。

 そんなやり取りを知ってか知らずか、暴虐王は一際立派な椅子に腰掛けた。そこは、パーティ会場に併設されたステージを誰よりも見渡せる特等席だ。

 暴虐王の両隣には側近が立ち、料理長が料理とお酒を配膳する。暴虐王がグラスに注がれたお酒を一気に飲み干すと、芸を見る準備が整ったと合図を出す。

 暴虐王の合図を見た使用人は、ステージの幕を開けた。

 その幕から出てきたのは、美しい少女だった。質の高い黒い布に芸術的な金の装飾を施してあり、内側が見事なまでに鮮麗な赤色をさせたマントを羽織っている。

 とても旅芸人をしているとは思えない。その気品と自信にあふれる姿に、思わず目がくらんでしまうほどだ。こんな気持ちは初めて感じる。

 そして、彼女の側には、本当に空中に浮かんでいる魚もいた。だが、凛とした溢れんばかりの魅力に、そんな魚のことなど、どうでも良くなってしまった。

 信じがたいことだが、こんなにも麗しい美少女が身一つで旅をしているのか。

 誰もが恐れる暴虐王を目の前にしても動揺している様子すらない。むしろ、楽しんでいる余裕すら見て取れる。

 暴虐王に無理やり召集された、参加するのも不本意な席であったが、今では期待が抑えられず、どんな芸を見せてくれるのかという気持ちで溢れていた。

 私は、美少女から目を離せずにいた。

 しかし彼女は会場を見渡し、隣の魚とアイコンタクトを取ると、呆れたという表情をしてみせたきり、一向に芸を始める様子はない。

 それどころか、彼女たちはステージから優雅に飛び降り、国のものなら誰もが恐れおののく暴虐王の所まで、何の迷いもなく真っ直ぐに歩み寄る。

 そして、言ってはいけない言葉を言い放ったのだ。

「大きなパーティーがあるからと言われて来たのに話が違うね。これなら路上でイリュージョンをしていた方がマシだったね、帰らせてもらうよ」

 誰もが会場の空気が凍りついたのがわかった。

「この俺に見せるよりも、誰かも分からぬ輩に見せるほうが有意義だというのか!!」

 暴虐王が魔物の咆哮と錯覚するほどの声量で声を出し、手元のグラスを美少女の顔面へと容赦なく投げつけた。

 そのグラスは矢の如き速さで飛んでいったが、彼女の前でゆっくりと減衰し、空中に広がったお酒もグラスの中に集まり、空中で静止した。

 暴虐王はさらに苛立ち、顔をしかめた。

 普段ならありえないことであるが、私を含めた全員が暴虐王の怒りよりも、彼女に釘付けになっていた。

 彼女を見ている時、視界の端に写った魚は顔を引きつらせて怯えていたが、どこか彼女の行いを自分の手柄のように誇っているようにも見えた。

 そんな姿を見て、思いがけず私は魚にすら負けたと悔しくなった。

 私があの立場にいたとしても、魚のようにあんな顔はできない。ただ、彼女の後ろで震えているだけの姿がイメージできてしまったからだ。

 そして静止したグラスは、精密な魔術操作で制御されているようで、ブレることなく暴虐王の方へ戻っていく。

 暴虐王の眼前で静止したグラスは、勢いよく動き出し、唾を吐きつけるように中身をぶちまけた。その後、グラスは元あったテーブルに音も立てずに丁寧に置かれた。

 お酒を浴びせられた暴虐王は激怒した。手元のテーブルをグラスごと、拳で叩き割り立ち上がり吼える。

「こいつらはこの場で処刑する!!」
 
「えっ?!ぼくもですか?!」

 兄弟や側近は、命の危険を感じて脅えて顔を青ざめさせていた。私といえば、怖さのあまりに屈みこんでしまう始末である。

「すい、王様が怒ってますよ!?どうするのですか?!」

 魚の素っ頓狂な声が聞こえた。

 暴虐王の前でふざけていられる魚に対する劣等感から、私の心に熱が灯る。

 怯えてばかりはいられないと、彼女の無事を屈みこみながらも確認する。彼女は暴虐王を哀れな目で見つめるだけで、表情も姿勢も崩すことなく凛としていた。

 その姿を見て、私の心の中には確かに何かが生まれた。

 彼女が、眼前で暴虐王の咆哮を受けても一切動じないのに、私ときたらいつまで怖がってしまっているんだ。

 それに、あの魚に対する何ともいえない怒りで、恐怖していることが馬鹿馬鹿しく感じられてきた。

 私は、この心の底から湧き出てくる不可思議な感情で自分を鼓舞し、震える膝でなんとか立ち上がる。

 そうしている間に、暴虐王が彼女に向かって、その巨体に相応しくないほどのスピードで飛び掛った。

 彼女の眼差しは静かであったが、その内には揺るぎない決意が宿っている。

 さらに怒りのボルテージを上げる暴虐王を前にしても、その凛とした態度は未だ微動だにしない。

 突如、空間から奇妙な形状の杖を取り出し、彼女はそれを軽やかに振りかざした。
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