禁書「はじまりの灯火」【6】
文字数 3,035文字
その瞬間、太い水柱が如何なる鎧よりも厚い暴虐王の筋肉を貫くかのように立ち上り、圧倒的な勢いで彼に襲い掛かる。水柱が暴虐王にぶつかり、彼は一時は持ち堪えるものの、まもなくしてその圧力に屈し、壁が崩壊するような衝撃と共に打ち倒された。
やったか? と私は内心で大いに期待した。
だが、そんなことで倒れる暴虐王ではなかったようだ。めり込んだ壁から、無傷だと主張する跳躍をして出てきた。
その猛獣らしき姿に恐怖を煽られた私は、はなはだおかしくも、助けを請うような目で彼女を見ていた。
彼女は戦意を無くしていない暴虐王を見て、恐怖するわけではなく、ただうんざりした顔をして杖を小さく振ってみせた。
すると暴虐王は事切れたかのように、床に崩れ落ち、ピクリとも動かなくなった。
暴虐王の側近や、2番目の兄弟を除いた他の3人の兄弟たちは、暴虐王に近づき状態を確認している。
誰一人として暴虐王に触れる者はいなかったが、大声でヒーラーを呼び寄せたりと顔を真っ青にさせて慌ただしくしていた。
彼女がした行動は、普段ならば、万死に値する行動である。しかし、誰も彼女たちを捕らえようとするものはいなかった。
暴虐王が全く敵わなかった相手を取り押さえることなどできるはずもない。
けれども暴虐王に何もしなかったと、後ほど知られたらどうなるかわからない。
自分は暴虐王の味方をしていたという建前のために、私と2番目の兄弟を除く、誰もが躍起になっていた。
私は暴虐王の意識がなくなったため恐怖という呪縛から完全に開放され、いつも通りに振舞えるようになった。
そうして、彼女の側まで駆け寄り、私の口から発せられた言葉は、私も予想しなかったものだった。
「殺したのか?!」
彼女には、私が殺していることを望んでいるかのようにも取れたのだろう。情けないが、実際にそうして欲しかったのだから、そういう発言になってしまっていた。
この状況にうんざりしていただけだった彼女は、はっと驚き、こちらを見て言った。
「眠らせただけで、殺してなんかいないよ」
私は酷く残念に思った。
しかし暴虐王に無理やり連れてこられた被害者でもある彼女に私はどこまで図々しいんだと、また自分に嫌気が差した。
自己嫌悪により、多少冷静になった頭で考える。この状況はあまり良い状態ではない。私は、このどさくさに紛れて彼女たちを城内から逃がすための提案をした。
「信じ難いでしょうが、私は君たちを逃す手はずを整えています。君のような実力の持ち主には、無用な申し出でしょう。」
「ですが、これまでの無礼のお詫びとして、私に安全な場所まで、案内させてはもらえないだろうか」
彼女は一瞬だけ考えたようだが、これまで見せてはこなかった、にこやかな表情で言った。
「ありがたい申し出だけど、お断りするよ。むしろ、あんたにまで被害が及ぶ方が心配だからね」
私は、軽く握った右手を心臓の前に構えて、軽くお辞儀をした。
「痛み入ります。ただ、その手はずも、すでに整えてありますのでここは私をおまかせください。」
少々強引ではあるが、彼女との関わりを深めておいて損はないだろうと商業的な考えで詰め寄ってしまった。
「だから、あたしたちは大丈夫だよ。ありがとう、それじゃあね。」
彼女は、押し売りを嫌がる人のような対応を見せた。
あまりにもしつこいのは逆効果だと、これ以上の言及は控えることにする。
そして彼女と間近で会話をして、私はその美しい顔に見惚れてしまった。この国中を探しても、もしかすると世界中を探しても、彼女に勝るものはいないであろう。
あれだけの美貌を持ち、あの暴虐王にも打ち勝つだけの実力を兼ね備えた人物が居ても良いのだろうか。
人は誰しも欠点を持っている……はずである。
私は暴虐王に怯えることを、誰しもが持つ欠点の1つだと甘受していた。
完璧な人などいないのだと、自らの限界を決めてしまっていたのだ。
それが、完璧なまでの彼女と出会うことで、失意の私が初めて商業ギルドを訪れた時のように、震えながらも店を構えた時のように、新たな世界を開くことができた。
そんなことを思っている間も、彼女と魚の会話が続いている。
「とーるくん、いつまでも武者震いしてないで、さっさといくからね」
「だ、大丈夫です!ぼ、ぼくはあんな大男に怯えたりしません!!」
魚が虚勢を張っている。だが、暴虐王を前にして、私にはこの魚と同じだけの軽口を叩く胆力はなかった事を思い出す。
「誰も怯えたなんていってないんだけどね……」
「怯えてなんかいませんでした!」
自分の主に対しても見え透いた嘘をつける魚がおかしくて、私はついに笑ってしまう。
彼女は、私をちらりと見て「こういう魚なんだよ」と言ってくれた。その後、すぐに魚の方に向き直り、会話を再開してしまったので、口惜しく感じた。
「それは良かったね……でも、怯えることは悪いことじゃないよ。その怯えに屈して、恐怖に立ち向かえなくなるのが問題なだけだね」
「わかりました!ぼくは屈しません!!」
彼女が魚とやり取りをしていると、暴虐王の周りに集まっていた側近たちが一層ざわめきだした。
彼女は暴虐王の方を見て「いくらなんでも早すぎるねぇ。起き上がらないうちに、さっさとおさらばだよ」と言い、魚の尾ひれを掴み、私に構うことなく、出口へと走っていった。
「逃げるな!!!」
彼女が出口の前に付くか否かのタイミングで、暴虐王から、堅牢なこの城すら破壊しかねない、ドラゴンのような咆哮が発せられた。
その振動で、頑丈な石の壁にひびが入り、破片が料理や床に降りかかる。
暴虐王の近くにいた耐性のない側近や兄弟たちは、咆哮によってバタバタと倒れてしまっていた。
彼女に感銘を受けた私もこれには耐えられないと、両耳を塞ぎ、その場で再度縮こまる。
私は無意識のうちに助けを求め、彼女の方を見る。
出口に立っていた彼女が振り返り、ふっ、と微笑んだかに見えた。
その微笑は、圧倒的な存在が無垢な者を見守るようなものだった。
まるで女神が下界を憐れむかのように、優しくもあり、慈愛に満ちている。
彼女の背後から夕日が差し込み、聖なる光が放たれているように見えた。
私の根幹からは何ともしがたい感情が、気力がみなぎってくる。私の口からは乾いた笑いが漏れ、足の震えが止まった。
「いつまでも、怯えるばかりではいけないな」
私は自分に言い聞かせるように呟き、彼女の後を何も考えずに追っていた。
ここで暴虐王の反感を買うことは誰が見ても悪手だ。理屈ではない。暴虐王の恐怖にも屈しない。
彼女をここで追いかければ、私は確実に変われる!
「お前はどこに行こうとしている!!!」
しかし、私の歩みを止めようと、暴虐王は哮り立つ。
それは、まぎれもなく私に向けられていた。反射的に追っていた身体が硬直し、私は動きを止めた。
数分前の私なら怯えきって、しゃがみ込み、行動不能に陥ってしまっていただろう。
だが、その耳障りなノイズに、心情の変化から抗うことができていた。
今なら暴虐王に対しても堂々と私の意見を述べることができる。
これまで一度も暴虐王に対して出せたことのない声量で、決然と言い放った。
「あの者らを捕らえに向かいます!」
会場に一瞬の静寂がもたらされた。
「……絶対に逃すな!!!」
私はその遠吠えを聞き終える前に彼女の後を追い、全力で城内を駆け、商業ギルドへ向かった。
やったか? と私は内心で大いに期待した。
だが、そんなことで倒れる暴虐王ではなかったようだ。めり込んだ壁から、無傷だと主張する跳躍をして出てきた。
その猛獣らしき姿に恐怖を煽られた私は、はなはだおかしくも、助けを請うような目で彼女を見ていた。
彼女は戦意を無くしていない暴虐王を見て、恐怖するわけではなく、ただうんざりした顔をして杖を小さく振ってみせた。
すると暴虐王は事切れたかのように、床に崩れ落ち、ピクリとも動かなくなった。
暴虐王の側近や、2番目の兄弟を除いた他の3人の兄弟たちは、暴虐王に近づき状態を確認している。
誰一人として暴虐王に触れる者はいなかったが、大声でヒーラーを呼び寄せたりと顔を真っ青にさせて慌ただしくしていた。
彼女がした行動は、普段ならば、万死に値する行動である。しかし、誰も彼女たちを捕らえようとするものはいなかった。
暴虐王が全く敵わなかった相手を取り押さえることなどできるはずもない。
けれども暴虐王に何もしなかったと、後ほど知られたらどうなるかわからない。
自分は暴虐王の味方をしていたという建前のために、私と2番目の兄弟を除く、誰もが躍起になっていた。
私は暴虐王の意識がなくなったため恐怖という呪縛から完全に開放され、いつも通りに振舞えるようになった。
そうして、彼女の側まで駆け寄り、私の口から発せられた言葉は、私も予想しなかったものだった。
「殺したのか?!」
彼女には、私が殺していることを望んでいるかのようにも取れたのだろう。情けないが、実際にそうして欲しかったのだから、そういう発言になってしまっていた。
この状況にうんざりしていただけだった彼女は、はっと驚き、こちらを見て言った。
「眠らせただけで、殺してなんかいないよ」
私は酷く残念に思った。
しかし暴虐王に無理やり連れてこられた被害者でもある彼女に私はどこまで図々しいんだと、また自分に嫌気が差した。
自己嫌悪により、多少冷静になった頭で考える。この状況はあまり良い状態ではない。私は、このどさくさに紛れて彼女たちを城内から逃がすための提案をした。
「信じ難いでしょうが、私は君たちを逃す手はずを整えています。君のような実力の持ち主には、無用な申し出でしょう。」
「ですが、これまでの無礼のお詫びとして、私に安全な場所まで、案内させてはもらえないだろうか」
彼女は一瞬だけ考えたようだが、これまで見せてはこなかった、にこやかな表情で言った。
「ありがたい申し出だけど、お断りするよ。むしろ、あんたにまで被害が及ぶ方が心配だからね」
私は、軽く握った右手を心臓の前に構えて、軽くお辞儀をした。
「痛み入ります。ただ、その手はずも、すでに整えてありますのでここは私をおまかせください。」
少々強引ではあるが、彼女との関わりを深めておいて損はないだろうと商業的な考えで詰め寄ってしまった。
「だから、あたしたちは大丈夫だよ。ありがとう、それじゃあね。」
彼女は、押し売りを嫌がる人のような対応を見せた。
あまりにもしつこいのは逆効果だと、これ以上の言及は控えることにする。
そして彼女と間近で会話をして、私はその美しい顔に見惚れてしまった。この国中を探しても、もしかすると世界中を探しても、彼女に勝るものはいないであろう。
あれだけの美貌を持ち、あの暴虐王にも打ち勝つだけの実力を兼ね備えた人物が居ても良いのだろうか。
人は誰しも欠点を持っている……はずである。
私は暴虐王に怯えることを、誰しもが持つ欠点の1つだと甘受していた。
完璧な人などいないのだと、自らの限界を決めてしまっていたのだ。
それが、完璧なまでの彼女と出会うことで、失意の私が初めて商業ギルドを訪れた時のように、震えながらも店を構えた時のように、新たな世界を開くことができた。
そんなことを思っている間も、彼女と魚の会話が続いている。
「とーるくん、いつまでも武者震いしてないで、さっさといくからね」
「だ、大丈夫です!ぼ、ぼくはあんな大男に怯えたりしません!!」
魚が虚勢を張っている。だが、暴虐王を前にして、私にはこの魚と同じだけの軽口を叩く胆力はなかった事を思い出す。
「誰も怯えたなんていってないんだけどね……」
「怯えてなんかいませんでした!」
自分の主に対しても見え透いた嘘をつける魚がおかしくて、私はついに笑ってしまう。
彼女は、私をちらりと見て「こういう魚なんだよ」と言ってくれた。その後、すぐに魚の方に向き直り、会話を再開してしまったので、口惜しく感じた。
「それは良かったね……でも、怯えることは悪いことじゃないよ。その怯えに屈して、恐怖に立ち向かえなくなるのが問題なだけだね」
「わかりました!ぼくは屈しません!!」
彼女が魚とやり取りをしていると、暴虐王の周りに集まっていた側近たちが一層ざわめきだした。
彼女は暴虐王の方を見て「いくらなんでも早すぎるねぇ。起き上がらないうちに、さっさとおさらばだよ」と言い、魚の尾ひれを掴み、私に構うことなく、出口へと走っていった。
「逃げるな!!!」
彼女が出口の前に付くか否かのタイミングで、暴虐王から、堅牢なこの城すら破壊しかねない、ドラゴンのような咆哮が発せられた。
その振動で、頑丈な石の壁にひびが入り、破片が料理や床に降りかかる。
暴虐王の近くにいた耐性のない側近や兄弟たちは、咆哮によってバタバタと倒れてしまっていた。
彼女に感銘を受けた私もこれには耐えられないと、両耳を塞ぎ、その場で再度縮こまる。
私は無意識のうちに助けを求め、彼女の方を見る。
出口に立っていた彼女が振り返り、ふっ、と微笑んだかに見えた。
その微笑は、圧倒的な存在が無垢な者を見守るようなものだった。
まるで女神が下界を憐れむかのように、優しくもあり、慈愛に満ちている。
彼女の背後から夕日が差し込み、聖なる光が放たれているように見えた。
私の根幹からは何ともしがたい感情が、気力がみなぎってくる。私の口からは乾いた笑いが漏れ、足の震えが止まった。
「いつまでも、怯えるばかりではいけないな」
私は自分に言い聞かせるように呟き、彼女の後を何も考えずに追っていた。
ここで暴虐王の反感を買うことは誰が見ても悪手だ。理屈ではない。暴虐王の恐怖にも屈しない。
彼女をここで追いかければ、私は確実に変われる!
「お前はどこに行こうとしている!!!」
しかし、私の歩みを止めようと、暴虐王は哮り立つ。
それは、まぎれもなく私に向けられていた。反射的に追っていた身体が硬直し、私は動きを止めた。
数分前の私なら怯えきって、しゃがみ込み、行動不能に陥ってしまっていただろう。
だが、その耳障りなノイズに、心情の変化から抗うことができていた。
今なら暴虐王に対しても堂々と私の意見を述べることができる。
これまで一度も暴虐王に対して出せたことのない声量で、決然と言い放った。
「あの者らを捕らえに向かいます!」
会場に一瞬の静寂がもたらされた。
「……絶対に逃すな!!!」
私はその遠吠えを聞き終える前に彼女の後を追い、全力で城内を駆け、商業ギルドへ向かった。