第2話

文字数 1,773文字

 ミルクレープには幸せが詰まっている。均等な層を見る度に葵の言葉を思い出した。そうなのかもしれない。几帳面に重ねられた層に対する手間が愛情なのだとしたら、あれが幸せの味なのかもしれない。
 メイクをしてもらっている時に、いつも僕は自分がミルクレープみたいだと思った。試行錯誤して確立した手順と方法で、出来るだけ摩擦の無いように、丁寧に、そっと顔が彩られていく。  でも、葵が僕にかける手間は、愛情というには大げさかもしれない。
 日曜日。葵の家で、時々こうやって僕の顔は彩られる。短い髪をロングヘアーのウィッグで覆って、少し骨ばった身体を隠すような服を身にまとう。この時だけ、僕は違う人間になったような気持ちになる。
 別にこの格好で特別なことをするわけではない。外に出るわけでもない。この格好でメイクやネイルを楽しんで、葵とダラダラと好きなことをして、二人でしょうもない話をする。少しだけ非日常を楽しんで、日常に向けて充電をする。
 葵が真剣な顔つきで手元の作業に集中しているのを、何気なく目で追う。葵は少し変わっている。周りの人間を不用意に踏み込ませないような雰囲気がある。本人はそれに悩んでいるらしいけど。僕は幼い頃から葵を知っているからか、特になんとも思わない。あえて言うなら、少し不器用だ。手先ではなくて、人に対して。いくら葵が悩んでいても、三つ子の魂百まで。という言葉があるように、この先もずっと変わらないのかもしれない。
 それでも僕は葵といる時、いつもよりうまく呼吸ができているような気がしている。
 鏡の向こうにいる、いつもと違う自分と目が合う。仕上がる顔はいつも少し違って、メイクってすげぇ。と他人事のように思う。それでも、いつも違うメイクの中に、どこか姉の面影があるような気がして、やっぱり姉弟なんだと思う。
「千秋はやっぱりピンクが似合う。なんで」
 葵が嫌そうな顔をしてくる。随分前から僕にはピンクが似合うって葵が言っていたくせに、葵は時々その事実に不満そうだ。
「なんでって言われても。そういう顔だから?」
「はぁ、ちょっとむかつく」
 文句を言いながらも、葵は僕の顔を、丁寧に仕上げていく。唇には決まってピンク系のリップ。この小さな面積を葵はどこよりも丁寧に仕上げる。初めて塗ってもらったのもピンクのリップだった。それから何度もこんなことを繰り返している。
 もっと幼い頃、いつか姉のようになれると思っていた。今もどこかで思っている。そうやって、ずるずるとこじらせた思いを引きずり続けている。
 僕はいつでも姉の真似をしていた。両親はそれをとくに気にしていなかったし、姉も時々呆れているようだったけれど、突き放すようなことはせずに、僕がついてくるのを待っていてくれた。一緒に出かけると、姉妹だと勘違いされることもあった。
 高校生になっても、懲りもせず、ずっとその背中を追っている。姉がトップの成績で入った高校の上位のクラスに、すべり込むようにして合格して、たいしてやりたいことも無いのに、息をするように毎日授業の予習と復習を繰り返している。
 でも、時々ふと思う。このままずっと、こんなふうに姉の通ってきた道をなぞって生きていくのだろうか。なんて。自分で望んで、ここまでやってきているのに。
「はい、できた。はい、かわいー」
 ぼんやりと葵の動きを眺めていると、いつの間にか今日のメイクとヘアセットが完成したらしい。葵の適当な褒め方に、不満そうに口を尖らせてみるけれど、ねらってやってる?と鋭い目つきでにらまれてしまった。
「今日は部屋着がいいんだけど」
 冷房は効いているけれど、この暑さだ。あまり着飾るのは気分じゃない。
「おっけ。準備してる」
 葵も分かっているようで、ゆったりとしたセットアップが準備されていた。ちょっとジェラートピケ風なデザインが、甘めで可愛い。
「抜かりねぇな」
「いつでも全力なので」
 一人で満足そうにしている葵を横目に、早々に着替えに取り掛かる。脱いだ服が少し汗臭い感じがする。洗濯機を借りてもいいかもしれない。
「本当はパンツも可愛くしてほしいんだけど」
 髪を整えている僕に葵が言う。
「要相談だな」
 そっかぁ。と冗談なのか本気で考えているのか分からない返事に内心引きながら、洗濯機を借りに行く。その追究心を他でも活かしてほしい。

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