第11話

文字数 2,215文字

 中学の卒業式で歌った曲が音楽室から校舎伝いに響いてくる。この学校でも卒業生はあの歌を歌うのだろうか。私はこの曲が少し苦手だった。何をもって人は幸せというのだろうかとか、真面目に考えてしまう。自分のことを特別不幸だと思ったことはない。じゃあ、幸せなのかというとそれも少し違うような気がする。少しだけ、幸せというには足りないものがあるような気がしている。
 千秋とはあの日曜日の後、全く連絡をとっていない。私は千秋の言った言葉を繰り返し頭の中で再生しては、一人で打ちのめされていた。愛華は意外にも私の様子がいつもと違うことに気がついて、そっと距離を置いてくれたり、甘いものを差し入れしてくれたりして、愛華なりに心配してくれているようだった。
 このまま、中学の同級生たちと同じように、あっけなく私達の関係も終わってしまうのだろうか。そんなことを幾度となく考えては、自分が惨めになった。
 千秋の言うことはもっともだ。
 花井君ときちんと話しをしなければならないと思ったのは、二学期に入って二回目の委員会活動が行われている時だった。この日も委員会の後、花井君と出かける約束をしていた。それなのに、花井君を傷つけてしまうはずだと、話さなければならないことを先延ばしにしてしまい、結局帰り道に別れる寸前で、私は花井君を引き止めた。
「花井君のこと好きなのか、実際よく分かってないんだ」
 ごめん。小さな声で言ったって、私のやってしまっていることが消えて無くなるわけではないのに、呟くような声で花井君に伝える、
「うん。知ってた」
 花井君は、あの時のようにまっすぐ私を見据えながら、こう返してきた。
「まだお互い知らないところあるし、逆に付き合ってるのが奇跡なぐらいだから」
 そう言って花井君が申し訳なさそうな顔をしてくるものだから、私の良心がチクリと痛む。
「二人でどっか行くのに、やっぱり理由がいるかなって。千秋もけじめをつけろって急かしてくるし」
 千秋?と花井君の口から出た、幼馴染の名前をオウム返しする。あれ?言ってなかったっけ?という花井君の言葉に訳の分からないまま、私はその話の続きを促した。

「花井君の相談に乗ってたらしいね」
 日曜日。千秋が家にやって来ると、玄関を閉めてすぐに問い詰めた。これで誤魔化そうものなら、どついて家から放り出すつもりだ。
「それで、花井君だましてたとか、自分が進めておいてよく言えるよね。髪の毛毟り取ってやろうか」
 毟んないけどな。そう言って、更に詰め寄った。
「いや、どっちだよ。え、急に口悪いじゃん」
「可愛さが減るから踏みとどまってるだけだし。あと、千秋には言われたくない」
 この前の父親の件と言い、最近の私は思いきりが良すぎる気がする。この後の反動が大きいから、勢いでものを言うのは辞めたいのに。止めてくれる人が居なかったのだから仕方がない。
「てか、言ってなかったっけ?」
 千秋が慌てつつも、一番腑に落ちない返答をする。確信犯でないだけ、いいのかもしれないけれど、そうだっけ?と首を傾げている千秋を見ると、言われていたのに聞いてなかった可能性もあると、自分に自信がなくなる。
 千秋は、勢いが引いていく私の様子を見届けると、視線を斜め上に向けて、動きを止める。私はこれが千秋の謝罪をする前の仕草だと知っているから、手の平で待てのポーズをとる。こんなことをしたって、あの日の私たちのやり取りは消えて無くならない。むしろ一生引きずっていく可能性すら、私にはある。それよりも、母の命日に起こった出来事を千秋に話して、私のやってしまったことを吐き出して、懺悔させてもらえれば、あの日のことは忘れてしまおうと心に決めていた。

「いや、よく言った」
 全然よくない。懺悔するつもりで話したのに、返ってきた言葉に落胆する。その日は涙がなかなか止まらなかったし、次の日の朝は顔を少しでも冷やして瞼の腫れを取り除こうと足掻いたせいで、遅刻しそうになったし、しばらく心身ともに不安定な日々を過ごしたのだ。
「今更だけど、控えめに言ってクソだよ。クソじじいは、正解。葵はちゃんとやってるじゃん。もっと言ってやってもお釣りが出るくらい」
 千秋が私の父のことをはっきりと口にすることは、今までなくて、そんな風に思っていたのかと意外に思う。どこか、その言いっぷりが愛華に似ていて、思わず口にすると、千秋は、げ。と嫌そうな顔をしている。失礼な奴だ。愛華に言ってしまおうか。
 私はまたしばらく、父と会わないと思う。下手したら、母の命日にしかもう帰ってこないかもしれないし、それすらも保証がない。
 今この時も、頭を冷やしている期間の続きになるのだろうか。次に父に会うときには、いったい何を言えばいいのだろうか。愛華に負けないぐらいに喋り倒して、圧倒するのもいいのかもしれない。
「花井にも怒られた。別れたらどうしてくれるんだって」
 そう言えば、と千秋が思い出したように言う。花井、背ぇ高いし、ガタイもいいから、僕、ボコボコにされたらどうしよって思った。そう言って笑うけれど、花井君がそんなことをするわけがない。それとも、これがお互いに知らないことの一つなのだろうか。
「あと、甘いもの食べてるときの葵が楽しそうで可愛いんだって。ついでに惚気られたわ」
 お前ら、やっぱりうまくいくわ。僕の思った通り。そう言って、いたずらが成功したときのように千秋がにやりと笑った。
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