第5話

文字数 3,535文字

「葵ちゃんの家さ、今日泊り行けたりする?」
 放課後、明日が休日なこともあって、いつもより軽い足取りで教室を出ようとする私を、愛華が引き止めた。
「家出?」
 どうしたの?とか、すごい急だね。とか、いろいろ言おうとしたことはあったけれど、よりによって一番不躾な言葉が口から飛び出す。
「そー。ママと喧嘩しちゃってさぁ。少しお互いに頭冷やした方がいいと思うんだよね」
 愛華は私の言葉に気を悪くすることも無く、正直に理由を話してくれた。
「いやぁ、私いまハブられてるじゃん?他にも当たったけど、だめでさぁ」
 愛華が自分の今の立場を、はっきりと言葉にすることに驚いてしまう。なんだか、しょぼくれている愛華が心なしか可哀そうに見えてきてしまう。
「いいよ」
 人は驚きと憐れむ心に弱いらしい。また、考え無しにお願いを引き受けてしまう。
「はぁー葵ちゃん、神じゃん。あ、お家の人とか大丈夫?」
「居ないから、気にしなくていいよ」
「ありがとー。ごめんねぇ」
 千秋には忘れないうちに、日曜日のキャンセルを連絡しておかないといけない。今日は誰かの家に逃げ込むつもりだった愛華は、お泊りセットを既に準備してきているらしい。家出付きの親子喧嘩は、割と頻繁に起こっているようだ。
 いつもの帰り道、愛華を連れだって歩く。今日はどちらにせよ、明日のおやつを買うつもりだったから、途中でコンビニに寄って、愛華とお菓子コーナーを物色する。一人だと必要なものをさっさと買って出てしまうけれど、他の人と一緒だとついつい面白がって、余計なものもカゴに入れてしまう。結局、迷惑料だとか言って愛華が奢ってくれた。
「おじゃましまーす」
 家に到着すると、愛華が元気に挨拶をして、我が家に足を踏み入れた。リビングに荷物
を置くと、洗面所やトイレなど必要な場所を一通り案内して回る。
「寝るのは、私の部屋でもいい?」
「おっけー。どこでも寝れるよぉ」
 部屋のあちらこちらを眺めながら愛華が答える。カラオケでも寝れるし。と自慢げに言うけれど、それはどうかと思う。
「葵ちゃんのパパとママは何してる人?出張?」
 キッチンカウンターの片隅に置かれた家族写真を見ながら、愛華が尋ねてきた。うまい言い方はないかと、少し考えて黙ってしまうけれど、そもそも今の私の状況を聞こえがいいように伝えることなんて、できるのだろうか。
「お母さんは小二の時に死んだ。お父さんは恋人のとこに行ってて、あまり帰ってこない」
 隠しても仕方がないと思って、正直に愛華に伝える。ちらりと愛華の方を見ると、珍しく口ごもらせて、ごめん。デリカシーないヤツで。と小さな声で謝罪してくる。
「あー、気にしないで」
 友達に家の事情をはっきりと話したのは初めてだから、私も相手の反応に、どう対応すればいいのか分からない。
「愛華のママも彼氏いるんだよね。頻繁に変わるんだけど。今回、それでケンカしちゃった」
 私に言わせるだけではいけないと思ったのか、突然、愛華も家の事情を話し出す。
「今のママの彼氏、絶対悪い奴だもん。あれはヒモだよ。ヒモ。それに、ママが最近愛華のこと構ってくれないから、むかついてクソばばぁって言っちゃった」
 やべー。と大してやばいと思ってなさそうな声で愛華が言う。初めて親にそんなことを言う女の子に出会った私には、少し衝撃的な言葉だった。
「あー、でも、悪い男に引っかかるのは血筋かもしれないんだよねぇ」
「神崎さんの彼氏とか?」
 愛華の勢いのありすぎる話しぶりに、私もつられて、思わず口を挟んでしまう。
「わ!葵ちゃんも聞いちゃってる感じ?あいつ二股だったんだよ。信じられんよねぇ」
 そう言って、あーあ。と大きな息を吐く愛華は、トイレで話していたクラスメイトよりも、ずっと裏表がなさそうで、なんだか気が抜けてしまう。
「てか、葵ちゃんすごいね。家のこととか全部やってるってことでしょ?」
 私の家の事情を知った人は、必ずと言っていいほど、そう言って褒めてくれる。それなのに、私はこの言葉があまり好きではなくて、言われるほどすごくもないけどな、なんて思ってしまう。必要だからやっているだけで、本当は母が居て、父が居て、何も生活のことなんか考えずに暮らすことが良いに決まっている。
「でも、むかつかない?」
 部屋を眺めることに飽きたのか、愛華がコンビニのお菓子をテーブルに広げながら言う。
「あ。ぶちギレ済み?」
 そう言って、にやりと笑う愛華の言いたことがよく分からなくて、曖昧に首をかしげる。愛華は私の反応を見て、少し驚いた顔をすると、閃いたように、あっ。と声を上げる。
「分かった。葵ちゃん、今、めっちゃ頭冷やしてる最中だよ。だって、女のとこに行ったままっていうのがむかつくし、ブチギレてもおかしくなくない?葵ちゃん、今度パパに会ったらすごいかも。大暴れだよ」
 あ、それじゃ頭冷やしている意味ないか。と自分でツッコミながら愛華が照れたように笑う。どこに照れる要素があったのか分からないけれど。
 私は父に、怒っているのだろうか。愛華に言われたことを、自分なりに少し考えてみる。今のこの状況がむかつくことだと言われるのも、初めてだった。
「こっちがどれだけ怒ってるかとか、意外と口に出さないと分かってくれないもんなんだよね。葵ちゃんも一回ガツンと言った方がいいよ」
「クソじじいって?」
 先ほどの言葉のインパクトが大きすぎて、ついつい真似して口に出してしまう。愛華は私の顔を少し見つめた後、我慢できないとでも言うように、突然噴き出した。葵ちゃんがクソっていうのすっごい似合わん。と言って更に遠慮なく笑い出す。私も愛華の遠慮ない笑い方に少し呆気にとられるけれど、あまりにも遠慮がなさ過ぎて、つられて笑ってしまう。二人でひとしきり笑った後、愛華はコンビニのおやつを開けながら、私が父親に何をいうべきか、一緒になって考えてくれた。


「めっちゃ、メイク道具そろってんじゃん。すご。葵ちゃんメイク好きなん?」
 風呂に入る前に、愛華を自分の部屋に案内すると、机の上に揃えられているメイク道具を見て、驚いた声を出す。
「うん。割と」
「学校にもしてきたらいいのに。愛華もバレないぎりぎり攻めて、やってるよ。てか、葵ちゃんがやってるとこ見たい」
 千秋にメイクしていることは、さすがに言わないほうがいいと思って、言葉少なに返事をしていたけれど、愛華の食いつきが思いの外すごい。
「人にする方が好きだから、愛華にしていい?」
 また、突っ込んで聞かれたら困るな。と思いながら、愛華に提案する。
「え。面白そう。お願いします」
 私の提案にためらいなく乗ってくる愛華に戸惑いながら、じゃあ、失礼します。と道具の置いてあるテーブルの前に愛華を招いて、その顔と向き合う。
 母と千秋以外の人にメイクをするのは初めてで、少し緊張するけれど、愛華の色白な肌と、少しつり上がった、どちらかというとクールな二重の目尻を見ながら、可愛い系にしても嫌がらないだろうか。とか考えて、楽しんでいる自分が居ることに気がつく。千秋はおとなしくされるがままという感じだけれど、愛華は自分でメイクをしているからか、道具や塗り方についていろいろと聞いてきて、いつもメイクをしている時とは違う空間にいるような感覚になる。仕上げのリップを塗る時もしゃべろうとするから、ちょっとストップと言って愛華を黙らせないといけなかった。いつもどれだけおしゃべりなのかと、笑ってしまう。
 メイクが完成して、鏡を見せると、メイクの出来栄えに愛華はずっと、やばい。しか言っていない。しまいには、愛華、アイドルじゃん。とか言って一人でウケている。気に入ってくれたと思っていいのだろうか。
「葵ちゃんのメイクの腕、ハンパないね。今度気合い入れなきゃいけない時、葵ちゃんにお願いするわ」
 その言葉に嬉しくなって、また考えなしに、いいよ。と返すと、愛華は絶対だからね。と念を押してきた。しまいには、このメイク落としたくないんだけどー。と言ってくるから、クレンジングセットを渡して風呂場に送り出した。
 愛華の後に、風呂を済ませた後、夕飯の時も、布団に入った時も、愛華がしゃべり倒すものだから、私もそれに応えることになって、舌が痛くなるくらいしゃべり続けていた。しゃべり疲れて、寝落ちしてしまうことなんて初めてで、朝目覚めた時、自分がどのタイミングで寝たのか分からず、呆然としてしまった。
 少し遅い朝食を二人で食べると、愛華は荷物をまとめて帰っていった。帰り際に、また今度メイクして遊ぼうよ。今度はうちに泊まりに来て。と言っていたから、よっぽどメイクが楽しかったようだ。次があってもいいのかもしれない。

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