第3話

文字数 3,772文字

 なぜ、一人でトイレにいかないのだろうか。
 なぜ、遅れた提出物を一人で出しにいかないのだろうか。
 中学の時から不思議に思っていたことは、高校に入ってからも分からないままだ。こんなことを考えているのが、顔にも出ているのかもしれない。もともと目つきも悪いし。クラスの女子とは付かず離れずの微妙な関係を築いているように思う。
 最近は、周りが特によそよそしくて、少し居心地が悪い。私と行動を共にしている愛華のせいだとは思うけれど。愛華と仲違いをしているグループの女子なんかは、私に嫌なことはしてこない。それでも、全く声をかけてこなくなった。今の状況を詳しく聞いていない男子だって、なんとなく、この女子グループの分布が分かるのではないかと思う。それぐらい露骨に避けられている気がする。愛華は皆のなんとも言えない視線に気づいているだろうけど、気にも留めないで、私に好きなアイドルの話をしてくる。私もいろんなジャンルの曲を聞くから、無理に合わせる感じでもない。話に相槌を打つことくらいはできる。まだ、愛華のことはよく分らないけれど、こうやって話すようになる前から、度々愛華の噂を聞くことがあった。私と行動するようになった原因もなんとなく知っている。それこそ先週、クラスメイトから愛華の愚痴を聞いたところだった。
「愛華、まじで性格悪いんだけど」
 私がトイレを済ませて、鏡の前で前髪を整えていると、気がつけばクラスの女子の三分の一がトイレに集合していて、私も自然とその輪の中に入る形になってしまった。
「実花と優が愛華のせいでケンカになったって」
「わざとケンカさせたってこと?」
「それは、やばいわ。人として無い」
「この前は三組の、神崎さんの彼氏とヤッたって聞いたよ」
「うわ。きもっ」
 愛華への愚痴が止まらない。皆、日頃から思うところがあったのかもしれない。私はあまり関わっていないし、違う中学だったから、愛華のことをよく知らない。
 私たちの関係は脆くて、いつだって終わりはあっけない。私だって、同じ中学だった子たちと、クラスが離れてしまうと、もう疎遠になっている。クラス数が多い学校なんてこんなもんだ。
「葵も気をつけた方がいいよ」
 何気なく話を聞いていた私に、ちょっと気の強いクラスメイトが親切心なのか、気にかけて忠告してくれる。いったい何に気をつけるべきなのかは分からないけれど、曖昧に返事をしておく。
 そんなふうに他人事だと思っていた自分が、関係者になるとは思ってもみなかった。
「一緒に居た子たちとケンカしちゃってさぁ。葵ちゃん一緒に居てもいい?」
 トイレで話を聞いた次の日、愛華が思いの外、はっきりと状況を説明して、頼ってきたのには正直驚いてしまった。あまり愛華と話したことがない私は、彼女がもっと適当で高圧的な女の子だと思っていたから。こんなふうに、しおらしい態度でお願いをしてくるとは思わなかった。
「別に、いいけど…」
 私がクラスの中心にいるような人物だったら、面倒な申し出だと思ったかもしれない。私のクラスメイトとの付き合いは、浅く広い。頼りなく漂っているような存在だ。変にこじれたりはしないはず。そう思って、あまり考えずに返事をした。
「葵ちゃんとは、あまり話したことなかったし、色々話してみたいと思ってたんだよね」
愛華は人懐っこい笑顔でそんなことを言って、私の前の席に座ると、昨日のテレビのことなんかを話し始めた。そんな愛華の様子を見て、失敗したかなぁと思ったけれど、そんなことは後の祭りだ。


「うわぁ、それ面倒くさいパターンだろ」
 私の話を聞くなり、千秋がなんとも言えない顔をした。今日は地雷系メイクだ。どんな表情でも下り眉で可愛く見える。さすがピンクの似合う男。どこに出しても恥ずかしくない仕上がりだ。
「気づいたらそうなってたし」
 ぼそぼそと不貞腐れて言ってみるけど、自分だって分かっている。そもそも愛華に声をかけられたのが運の尽きだ。私には拒否をして角を立てる勇気がない。
「普段から誰かとつるんでたら、こんなことなかっただろ」
 千秋が雑誌を見ながら何気なく言ってくるけど、誰かと一緒に行動できるタイプなら、とっくにそうしている。何だか千秋の方が私よりもずっとうまく、女の子の世界を渡っていけるような気がする。うらやましい。
「それより花井とは、どうなってんだよ。この前の委員会の後デートしたんだろ」
 そっちの話の方が聞きたいんだけど。と私の目下一番の不安要素をぞんざいに扱ってくる。
「デートじゃない」
「じゃあ、何」
 確かにあれは何だったのだろう。千秋の不満そうな顔を見ながら、自分でもよく分からないなと思った。


「今度、一緒にどっか行かない?」
 クラスメイトの花井君にそう声をかけられたのは、夏休み前の委員会で、花の植え替えをしている時だった。
「え?」
 先ほどの話の続きであるかのように自然な流れで誘ってくる花井君に、私は上手く反応ができなかった。
「今村と遊びに行くの楽しそうだと思ったんだけど」
「え?」
「え?しか言わないじゃん。うける。夏休みの手入れの当番あるからさ、その時にでも」
 だめ?と聞くのはずるいと思う。自分の人間性が試されているような気になる。私が、ノーとは言えない人間だと知っているのだろうか。
「いいよ。特にその後、用事もないし」
「まじ?」
 よかったー。謎に緊張したわ。なんて爽やかに笑っている花井君は、少し変わっている。
 びっくりするぐらい身長があって、体格もいいのに、運動部に入るわけでもなく、手芸部に入っている。男だから変というわけではないけれど、大きな体を縮こまらせて、糸と針を操っている姿は少し面白く見える。今も花壇の傍で、片手で握りつぶせそうな大きさの花の苗を持って、体を小さくさせている。ジブリに出てくる、大きく優しい生き物みたいだ。 
そう思ったのがつい最近のことだった。
 炎天下の中、学校中の植物の面倒を見て回る。この学校の創立者が植物の研究者だったとか、理事長が代々植物好きだとか、なんかよく分からない理由で、この学校はテーマパークさながらに植物が植えられている。それを管理する委員会が存在して、私はクラスの代表としてその委員会に所属してしまっている。作業は嫌いではないけれど、夏の暑さも冬の寒さも大嫌いだ。外で活動するのに向いていない人間なのだ。今にも溶けてしまいそうなシロクマの姿が頭を過る。水を撒いて回りながら、委員会になんて迂闊に所属するものではないなと思った。この暑さの中、学校で授業を受けるだけで許してほしい。放課後はさっさと帰りたいに決まっている。
 頭の中で文句を垂れながら、隣の花壇で、体操服の袖を肩が出るまで捲り上げて、逞しい腕を晒している花井君を盗み見する。今日憂鬱なのは、この暑さの中の作業だけではない。
「今村さん、そっち終わった?」
 反対側を向いていた顔がくるりと向きを変えてきて、目が合ってしまう。花井君を盗み見していた気まずさも手伝って、声が出ず、頷くことしかできない。
「よし、この辺でいいよな。いいことにしよう」
 一人で納得した声を出す花井君に倣って、道具をしまいに行く。
「今日さ、暑いから冷たいものでも、食べいかない?」
「行く」
 それは、大賛成だ。花井君の提案に、思わずいつもより明るい声で返事をした。
 結局その後、駅近くの喫茶店でパフェを食べた。期間限定のアイスが増量されたパフェで涼みながら、クラスのこと、委員会のこと、手芸部のことなど、他愛のない会話をして、花井君との初めてのお出かけは幕を閉じた。千秋以外の男子とゆっくり話をすることなんて今までなかったから、終始、変な感じだなと思いながらも、それなりに話せていたと思う。憂鬱に思っていたのも、結局うまく間を持たせられるだろうか、とか気を遣うことに気後れしていたのだと後になって思う。花井君を前にするとパフェがやたらと小さく見えたのも面白かった。
 思い出せる範囲で花井君とのお出かけの内容を話すと、千秋は先ほどの雑な聞き方とは打って変わって、楽しそうに聞いている。心なしか目も輝いているように見えたけれど、それは今日のカラコンと、光の加減のせいだった。なんだか、女子と恋バナをしているみたいで、むず痒い気持ちになる。
「千秋は最近どうなってんの」
 自分の話から離れようと、千秋に話題を振る。
「入学してから、二人に告られた」
「付き合ってないの?」
「うん。あんまり知らない子だったから」
 あまり知らない子たちは、どうやって千秋のことを好きになったのだろうか。人見知りも激しく、誰が好きだとかいうことも考えたことがない私には、少し難しい話だ。
 千秋は、口は少し悪いけど、顔はいい。中学の時から結構モテていた。さりげない気遣いが出来るところもいいのだとか、クラスの子が教えてくれたことがある。
「花井とは、いつ付き合う?」
「付き合うも何も、告白されてないよ」
 そっか、まだそうだよなぁ。と千秋は独り言のように呟いて、再び雑誌を読み始めた。
花井君がどういうつもりで私と出かけたのかは分からないけれど、結構気を使ってくれたはずだ。残念ながら、もう誘われることは無いかもしれない。あの、期間限定のパフェが食べられたのは嬉しかったけどな、と思った。

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