第39話 復讐と悲しみ

文字数 3,857文字

 目が冷めると、寂しい荒野があった。
 黒い雲が激しく動く灰色の空と、黒い大地。
 地面は固く、じめじめとしている。
「地獄か」
 見覚えがあるような気がして、夢で見た地獄にまた戻ってきてしまったのかと、アルラゴルは体を起こした。
 びゅううううううう・・・
 妙に強い風が吹き、空気が冷たい。
「そうだという者もいるし、そうでないと思う者もいる」
 気づくと、そばに若い女が来ていた。
 青白い肌に、鉛色の輝きを放つ白い金の髪。
 透明な銀の目。
 まだ、女というには若すぎる少女で、背も体も子供に近い。
 おまけに、美しい。
 アルラゴルが思わず見とれるほどだった。
「どっちだ?」
「何事も決め付けて見ると、そう思えてしまうものだ」
「あなたはどう思っている?」
「私はここが地獄だというなら、地獄だと思う」
「ふん、面白い」
 アルラゴルは忌々しく周囲を見回した。
「ここで、お前の審判がある」
「だろうな」
 死んだ者は、地獄へ行くか天国へ行くのかの審判を受けるものだ。
「私はまだ受けてなかったのか」
 自虐的に笑が漏れる。アルラゴルにしてみれば、生きているのか死んでいるのか。
「ドゥルジ蝿が来ないな」
「蝿が来るばかりが、死ではない」
「来ないときもあるのか」
「そうだ。お前が行く場所は、あちらだ」
 少女は遠い眼差しを荒野に向け、右前方を指し示した。
 アルラゴルはとうとう、そのときが来たのかと覚悟した。
 地獄への審判が始まる。
 ここは、地獄への一丁目ということか。
 人は死んだ後、三日間、前世で行った善行と悪行の行いを審査され、地獄へ行くか、天国へ行くかを決定される。
 とすると、さしずめこの少女は、その審判をする三人の神スラオシャやミスラ、ラシュヌの誰かと言ったところか。
 死んだのだから、じたばたすまい。
 死者の誰もが受ける審判を受けよう。
 アルラゴルは立ち上がり、土埃がついた手足をはたいた。
 死者の誰もが通る道なのだから、何も怖くない。
 手足を見ると、まだ首から下は食人悪鬼の体のままだ。
 首にも包帯を巻いている。
 そこで、生前と同じような格好をするのだなという妙なことで関心した。
 女は口元に手をやり、くすりと笑う。
 アルラゴルはまじまじとその女を見る。
 なんだか畏怖の感覚が襲ってくるというより、懐かしさがある少女だ。
 それに、以前、どこかで会った気もする。
「あなたは?」
「私はウク。神の使いです」
「三人の審判の神様は・・・・?」
「ここにはいません。死者の橋を神々はまだこの先です。もし、橋を渡れるなら、そのときに会うでしょう」
 あっという間に、その少女はすぐに姿を消した。
 ウク?神の名ではないが、どういった神なのだろう?
 殺伐とした世界に一人になると、自分が死んだのだと感じた。
 アルラゴルは何となく歩き出し、言われた方向へと進みだした。
 ざっざっと土を歩く足音が響き、現世の地面を歩く感覚が足に伝わる。
 なんとも現実味のある死者の国だ。
 不安に思って周囲を見渡したときだった。
「アルラゴルよ」
 人を食ったような驕りのある声。
 その声を聞けば、アルラゴルの全身は総毛立つ。
「お前は復讐出来なかったな。お前の仇討ちなどそんな程度か」
 金銀の装飾が入った白い衣服に黒いマントを掛けた服装で、くすんだ金色の髪と水色の目。
 端整な顔を卑屈に歪めて、アルラゴルをあざ笑う。
「ハゲファ」
 その男の顔を見ただけで、アルラゴルの怒りは最大に極大する。
 生涯を掛けて追い詰めたいと願った相手。
 あいつに生きる望みを全て奪われた。
 あいつの全財産、全幸福、すべて剥奪せねば気が済まない。
 アルラゴルは腰元の剣を引き抜いた。
 分身の剣がまだあった。
「家族を殺し、友を殺し、自分を殺した悪人。ここで会ったのは好都合。今ここで、お前をこの世から抹殺してくれる」
「やれるものなら、やってみな」
 ハゲファが手を広げる。
「お前たち、こいつを真の死に追いやれ」
 暗黒悪鬼の手下どもが呼び込まれ、走り寄って来る。
 ハゲファの左右や背後から、食人悪鬼の群れが雪崩れ込む。
 ハゲファまで近くて遠くなる。
「ハゲファ。この後に及んで、悪行に悪行を重ねるとは、魂の芯まで腐りきった奴よ」
 分身の剣で、切って切って、着実にハゲファに近づいていく。
 はっと気づいたときは、悪鬼の青い血にまみれて、全身ずぶぬれだった。
 足元には、ハゲファが寝転がっている。
 分身の剣に貫かれて、無様に死に顔をさらしている。
 とうとう、死んだのか、ハゲファ。
「とうとう・・・地獄でようやく果てたか」
 お似合いだ。
 悪党の死に場所だ。
 これでようやくすっきりと・・・死ねる。
 ずん、という重音が、周囲一帯に響いた。
 ハゲファの体がぐわっと起き上がる。
 アルラゴルはぱっと飛びのくと、ハゲファの体が縦横に裂けて、中から真っ黒い何かが外へ出てくる。
 アルラゴルの肩や背骨にぞわぞわする重みが広がる。
 黒髪、黒い瞳の少年がふたたび現れた。
「奇遇だな。地獄でまた会うとは、わしたちは」
「お前っ」
「ふふふ、久しぶりだな、将軍」
 青い鮮血を滴らせながら、少年は細い笑い声を上げた。
「アーラマーユ」
「わしの住まう場所へようこそ。お前が来るのを待っていたぞ」
 くすくすと笑う少年を見るや、アルラゴルの顔つきが変わる。
 憎しみは頂点に、恨みは再現なく燃え上がる。
「ここで会ったが地獄の横丁とはよく言ったもんだ。ちょうど良い場所へと連れて来てくれた。お前を始末するのに、どうするか困っていたのだ。ここで、決着をつけさせてくれ、私とお前との因縁の」
「ふふふふ、お前がわしに復讐など。わしは神だぞ」
 黒髪の少年は小さな笑みを口元に残し、すっと目を鋭利に尖らせた。
「人間とは最後まであがくものよ。そんな見かけになってまで、わしに生前の恨みを晴らそうとな、努力、研鑽、自己発展の清い学習の成果かね。なんとも、執念深いことよ」
 ふふふっとぞっとする暗い笑みを浮かべるアーラマーユに、アルラゴルはぎらりと厳しい目を向ける。
「お前を殺すために待っていたのだ。お前を徹底的に叩きのめす」
「人間には、神は倒せないのは、すでに分かっておろう」
「たとえ、不可能でも、この思い晴らさで死ねるものか」
「無理だ。せんないこと」
「神が決めた決まり事でも、人間が外してやる」
「いいだろう。そこまで背徳者なら、お前は地獄行きだ。ようやくお前が手に入る。はーっはっは。地獄へ行こう、アルラゴル」
「神は神でも、お前は邪神。お前など、神ではない」
 少年の腕が巨大になり、筋肉が盛り上がった魔人の黒い手が鉄槌を下す。
 アルラゴルは分身の剣は抜き身で真っ黒な光を放ち、彼の手の中で命を吸いとろうと燃え上がる。
 剣では、固い邪神の皮膚は切り裂けず、鋼鉄に当たったかのように手の中に剣が跳ね返る。
 衝撃で、アルラゴルの手や腕がねじれるか、吹き飛んでいこうとする。
 食人悪鬼の体の皮膚や棘は、かなり飛び散ったかもしれない。
 このまま続けていれば、体は粉々になるだろう。アーラマーユ本体に辿り着く前に、消滅する。
 それでもアルラゴルは剣を振り上げる手を止めずにはおれなかった。
 怒りは我を忘れさせる。次の瞬間から、恨みを晴らしたいというただの欲望の鬼に変わり果てた。
 気がつくと、アーラマーユが足元に倒れていた。
 無残に切り刻まれて、血まみれになって。
 目を閉じた顔は、あどけない少年のものだ。
 何度、切り刻み、何度刺し殺したか、憶えてない。
 気が付くと、アーラマーユは無残に殺されていた。
 アルラゴルの復讐は果たされた。
「父上、母上・・・・みんな、仇は取った」
 アルラゴルはがくりと膝をついて、自問自答した。
 仇は、取ったんだな・・・・?
「ああ、現実にアーラマーユは倒れている」
 立ち上がり、遠くの黒い死体の山を見る。
「ハゲファも倒れている」
 この世にはもう、ハゲファもアーラマーユもいない。
 ジャンブルニアの民も、ゲッツェマネスの民も、これで救われる。
 無残に死んだ人達も、これで浮ばれる。
「悪党を成敗したぞ」
 あとはイカイアだが、あんなやつは一瞬で倒せる。
「これで、復讐は果たせた」
 アルラゴルは笑った。
 荒野で、地獄の悪鬼の死体の山の中で。
 その笑い声は周囲四方に響いた。
 と、
 突然、アルラゴルは胸を押さえて、黒い地面に倒れ込んだ。
 胸の中を激しい痛みが襲っていた。
 不可能を現実にした奇跡が起こった興奮が突き上げたのは一瞬で、その後広がった虚空がどんどんと大きくなり、喉や胸を圧迫した。
 恨みが消えたはずなのに、どんどんともっと大きくなる。
 苦しい。呼吸も出来ない。
 もっと復讐がしたい。もっと痛めつけたい。もっと殺したい。
 復讐は終わったはずなのに、なぜこの気持ちが消えない?
 苦しい、怖い、したくない。
 復讐を願うたびにそう思うのに。
 感じる心を、アルラゴルは止めた。
 だが、胸の中に生まれた虚無が広がる。
 何もない空間ができるのを止められない。
 夜空を満たす闇のような真っ暗闇がどんどんと染みを広げる。
 自分や、大切な記憶がすべて消されていくようだ。
 今まで守ってきたわずかな幸福な思い出も剥奪されるようだ。
 むなしくて、むなしくて、どうしようもない。
 黒煙が際限なく生まれ出て、胸が押しつぶされそうだ。
 苦しくて、全身が壊疽に冒されたようだ。
 痛みは体を動かなくさせ、思考も停止させていく。
 これで死ねる。
 これで死ねるなら、地獄で・・・アーラマーユ・・・・
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