第20話 地獄の鬼と心理術

文字数 3,021文字

 父なら、凶暴で、乱暴狼藉を働く無頼漢でも、一回で、見事に交渉を制したものだった。
 一方、シャルエスは、この島の村長でさえ、言うことを聞いてもらえず、良いように扱われるばかり。
 ああ、どうしたら・・・・・?
 先ほどから、ノーンハスヤの話を聞いているが、何も思い浮かばない。
 どうしよう、どうしようと慌てふためくシャルエスの脳裏に、異民族の部長をみごとにやりこめた父の雄姿が思い浮かんだ。
 どんな傍若無人の輩でも、こちらが有利になる提案を一つでもすれば、相手に言うことを聞かせられる。
 そう父は言っていたのではなかったか・・・・?
「ふっふっふ、やはり、たかが魔界の医者だな」
 シャルエスはふたたび近くの棚に肘をつき、居直った。
 半分、やけくそでもあった。
「なんだと?」
 人の良い魔物も、これには侮りがあると、感づいたらしい。
 それでも、無邪気な目は温かみを含んで、シャルエスを見つめていた。
「どういうことだ?」
「こんな研究をして、こんな装置を置いて、これで、魔界の医者の頂点を極めたつもりかい?人間世界のほうが凄いよ」
「ぼくがこの島で三千年住み着いて、何も知らないと思っているのかい?ぼくだって、世界の医学がどんなレベルにあるのかぐらいは知っているんだぜ。それこそ、君より。ぼくは魔物で、多少なら世界を行き来もしている」
「だろう」
 シャルエスは余裕でまだ続ける。
「でも、私も王宮で、最高の学者について学んだ人間だ。君と同じくらい、医学のことは知っているよ。その私が言うんだ。まだまだだなって、君は」
「専門家ではないのだろう。ぼくのやっていることなんて、君は分からない」
「専門家ではない代わりに、ぼくは医学がどんな段階にあるのかを知っている。医学を発展させ、今より高い段階へ医学を高めてやることができる。どうだ、君は私に協力しないか?こんな研究よりも凄い世界を、君に見せてやるよ」
「凄い世界・・・・?」
「今は刃物で切る医学、薬の医学、呪文の医学とあるが、今後、大いに発展する余地があるのが、刃物と薬だ。ここにいたら、君は魔物を切り刻み、新種を生み出すが良いが、それ以外に何がある?」
「何があるったって、悪魔のための最高の環境が生み出される。最先端であり絶対唯一である仕事があるよ」
「本当にそれが最高なのか?魔物には魔力があると言っても、人間が切磋琢磨し、競合し、生み出す知恵の結晶には、太刀打ちできまい。君らが侮る人間たちは、日々誕生し、凌ぎを削り、知恵を集積させていて、毎日、新しいことを生み出している。人間が生み出す神秘は、悪魔の腐敗臭には負けはしないよ」
「そんな、地獄を生み出すことは、悪神の悲願なんだよ?それを、最高でないっていうの?」
「確かに、魔物には住み良い環境は出来るかもしれないが、でも、住環境が医学の最高峰に当たる研究の成果だなんて、有り得ないよ」
「だったら、だったら・・・・」
 見ても分かるほど、ノーンハスヤは動揺していた。
 今まで考えもしなかったことを言われた上に、正論にも思ったようだ。
 また、人間がする医学の進歩にも、内心興味があったと思われる。
「だったら・・・・君は何をぼくにくれるというんだ?」
 と、ノーンハスヤはシャルエスを伺うように見る。
 いよいよ、話に乗ってきたと、シャルエスは確信した。
「私に付いて来なよ。私が人間世界の医学を君に与えてあげるよ。その辺に散らばっている知識を寄せ集めただけなんてものじゃない。王宮殿で、医学部署を開いて、医学の研究に大人数を投入してやる。君は主席医者だ。人間の部下といっぱい研究したら良い。研究は自由だ。魔界生物の腐敗を広める一点張りではない。それこそ、私は専門家ではないから、研究題目は君に任せよう。移植の研究でも良いし、新種の薬品の研究でも良いし、何でもどうぞ。好きにしたらいい。医学が発展することに貢献してくれ」
 ごくり・・・・とノーンハスヤが息を飲む。
 どうやら、研究肌の男の知的好奇心を十分刺激することに成功したようだ。
 シャルエスは見事にノーンハスヤの心中を掴んでいた。
 しかし、まだ安心はできない。
「この島を出たら、だよ、だから、その代わり、アルラゴルを助けて欲しい。彼を蘇らせてくれたら、私はこの島を出て行ける。悪神ドゥルジとだって闘って、勝ってね。彼は強いから大丈夫だ」
 証拠も元手もない、むちゃな提案だったが、シャルエスは嘘をついているのではない。
 本当にノーンハスヤを王宮で召抱えて、研究させるつもりでいた。
 人間でないことはこの際問題にはしない。
 見かけはわりと普通だし、変わり者であることを除けば、仕事は熱心そうな者だった。魔物特有の禍々しい気配もない。
 研究一筋で、芯がある。
 そういう人間を、シャルエスは嫌いではない。
 アルラゴルがドゥルジに勝てるかどうかは、怪しい。
 しかし、勝てなければ、シャルエスの未来は終わるのだ。
 勝てれば、ノーンハスヤも自由を得る。
 どのようにしても勝てばいい、そうなるしかないと踏んで、勝負を進めるし か、シャルエスには手段はない。
「いいだろう。もし、本当に、ぼくが欲しいものをくれると言うなら、協力してやっていい」
「何が、欲しい?なんでも言いなよ」
「医学の発展。今、見えているものの先に何があるのか、それを見せてくれること」
 シャルエスは内心にんまりとした。
 ノーンハスヤは完全に話に乗った。
「いいだろう。今まで見たことのないものを、君に見せてあげるよ」
 ノーンハスヤは喜びに顔をほころばせたが、直後顔を曇らせた。
「しかし、ドゥルジ様が・・・・」
「ああ、そうだね」
 シャルエスは承諾した話を逃すものかと、平然としたままでノーンハスヤににこりとする。
 もっとも、問題の人物。
 人間世界で最も嫌われ者であり、悪神のなかでも最大級に恐れられるドゥルジ。
 アルラゴルを倒した強大な悪神。
 そんな相手をどうやって相手するかなんて、今のシャルエスには思いもつかない。
「ドゥルジのことは、今は考えないようにしよう」
「まあ、そうだね、考えても、勝てる相手ではないし」
「アルラゴルを生き返らせてくれ」
「いいだろう」
 ノーンハスヤはのこぎりを台に置いて、長い針を取り出した。
 そして、アルラゴルの首元を掴むと、その針で首を縫い合わせだした。
「生命の糸を抜いたから、首は切れた。だから、ぼくが高分子で作った擬似の生命の糸だけれど、これで、ふたたび縫い合わせてやる。つながって生きていた首だから、これで元に戻るだろう」
「ありがとう」
 シャルエスは懸命に作業をするノーンハスヤに、心を込めてそう言った。
「もし、君がぼくに嘘をついたんなら、この糸を引き抜くからね」
「嘘なんて、つかないよ」
「ドゥルジ様にはとりあえず、ぼくのほうから、何とか言い訳しとくよ」
「うん。分かった。で、この島から出るには、どうしたらいい?」
「分からない。島はドゥルジ様が管理している。なかなか、抜け出せないぞ。ぼくも君を表立っては助けてやれない」
「いいんだ、ここまで協力してくれた、それだけで、十分だ」
 シャルエスはノーンハスヤを見つめた。
「お互い、生き抜くんだ。私たちが無事にこの島の外へ出れたとき、そのときが、お互いの道が開けるときだ」
 ノーンハスヤは頷いた。
 無我夢中だったが、ようやくシャルエスは交渉を成立させたようだった。
 胸の中でこっそりと、自分を誉めた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み