第7話 悪神ジャヒー
文字数 2,948文字
青い海の白い波打ち際に、シャルエスは座っていた。
思い出すのは、同じ光景ばかりだ。
不埒な賊党イカイアの成敗に向かった父シャルス。
あの日の戦闘。
ゲッツェ・マネスの重臣たちは、精細を欠き、右往左往していた。
それもそのはず、隣の国王ザハが暗殺され、重鎮たちが消され、無政府状態に陥った国には、必ず暴動が起きるというのがほとんどの見解だった。
国内で広がった暴動は、出口を求めて我が国に向かってくることは確実だった。
緊急招集命令が発せられ、国内の兵士は総動員されて、国境警備と国内警備に配置された。
その後、隣国ジャンブルニアに不穏な動きありと、すぐさまジャンブルニア宮殿包囲への出兵が決まった。
隣国出兵の報を聞いたジャンブルニアが、国土保全のために兵を差し向けてきたが、一刻後。
しかし、異常時、ジャンブルニアはそれほど抵抗することなく、ゲッツェ・マネスの思惑通りに事物は運ぶだろうというのが、父国王と将軍たちの見解だった。
予想通り、国境が破られるまで、シャルエスは父と共にいた。
シャルエスは、父が国境の森へ兵を進めるまで同じ道を進んでいた。
父が極秘に命じたアルラゴル将軍保護の任務を実行するために、その森で別れて、違うルートで城に近づく予定だった。
黒い甲冑の着た軍兵たちのなかで、薄墨色の甲冑と白いマントを着て、悠々と馬を引く父の姿。
シャルエスはいつものように尊敬と愛情を篭めたまなざしで見送った。
と、シャルエスの目に信じられないものが映った。
近隣にいた兵士が、父に襲い掛かったのだ。
黒い甲冑を着た自国の兵士が、国王に刃を向ける。そんなことがあってならないことは、誰でも知っている。けれど、現実に起こった。
それも、こんな非常事態に。
混乱する頭で、これは、何かの陰謀だと、勘が告げていた。
しかし、一瞬、何が起きたのか、シャルエスには分からなかった。
慌てふためく将軍たちは、国王負傷の件は沈黙するようにとその場にいた全員を残し、前方の兵はそのままジャンブルニア王宮殿包囲へと向かわせた。
駆け戻ったシャルエスは、森の中で倒れた父に必死で声をかけた。
「父上、父上、しっかり」
国王シャルエスは止血されていたが、首を切られて、大量出血していた。
「シャ・・・シャルエス・・・」
口から血を吐きながら、シャルスは息子に手を伸ばした。
「このことは、他国に知られてはならない。今はまだ私がいるかのように、振舞うのだ、何もかも」
「何も心配しないでください。分かっております」
「私が死ねば、お前が後を継ぐのだ。しっかりとな」
「そんなことを、父上にはまだ生きていてもらわねば。今は、お命をつなぎとめることだけを考えてください」
シャルエスは泣きながら、必死で父の体にとりついた。
国王シャルスは自然な微笑みを息子に向け、温かな眼差しでシャルエスを包んだ。
「お前が成長するまで、もっと・・・」
「父上!」
「む・・・無念だ」
「父上!」
がくりと力つきた父を見て、シャルエスは唖然とした。
目の前が真っ暗になった。
「父上―!」
シャルエスがその手をもう一度取って、体を揺さぶり、今一度目を覚まさせようとした。
そのときだった。
背後で、悲鳴が聞こえた。
多くの兵士の叫び声は、すぐに途絶えた。
「親子のお別れは済んだかしら?」
瞬時に、周囲の将軍や家臣たちの体が爆風によって吹き飛んだ。
凄まじい風を受けて、シャルエスは目を見開いて、振り返った。
そこに、一目見るからに、尋常ならざる艶かしい女が立っていた。
白い髪は逆毛立ちながら輝き、上品に見える顔は真っ赤な目と真っ赤な口をして、頬に花びらのような青い色がついている。
上半身は銀色の装飾で胸を覆う以外は、ほぼ裸で、青磁のように白く艶やかな肌を惜しみなく出し、腰には黒いスカートが黒雲のようにうごめき、鱗で覆われたほっそりとした足が見え隠れしている。
周囲には数匹の食人悪鬼がおとなしく控えているのを見ると、彼女が悪鬼より上位の者だと分かる。
それは・・・そんな存在は、そのとき、いったい何者なのか、分かりはしなかった。
「わ、わあああああああ」
初めて間近でみる食人悪鬼に恐怖し、その何者か分からぬ女性を恐怖するしか、シャルエスには出来なかった。
「泣かないの」
女はいつのまにか目の前に移動して、シャルエスの顎を手で掴んだ。
伸びた真っ黒な爪がシャルエスの頬に食い込み、柔らかな肉が裂けようとする痛みがぴりっと走った。
「もう大きな子供なんだから。この程度で驚かないの」
はっと気づくと、周囲には誰もいなかった。
大臣、将軍・・・。
いくら呼ぼうとしても、もう誰もいなかった。
「お、お前は何だ?」
ここで命を落とすのだと感じて、シャルエスは女を見上げた。
「私?私はジャヒーって言うの。悪者の女になって、だいぶ悪い女になったわ。でも、気に入った子には悪いことはしないの。お前も大人しくしていれば、大切に扱ってあげる。さあ」
ジャヒーに手を取られて、連れて行かれようとして、シャルエスは彼女の手を振り払った。
「なぜ、私を連れて行く?お前らの目的は何だ?」
邪悪な存在が発する気配に、シャルエスはもう失神しそうだったが、必死で言った。
ジャヒーは面倒臭そうに、細めた目で振り向く。
「お前らは父上を殺した仲間なのだろう。食人悪鬼を手下に従えて、魔術でも使うのか?どんな魂胆がある?お前らの一味は何なんだ?」
「そんなの、誰か話してくれるわよ、いつか」
「その悪党の名を言え」
「おいおい知ればいいのよ、時間はたっぷりとあるのだから、あなたには」
シャルエスは足元に落ちていた剣を拾い、女に向けた。
「抵抗するなら、大切に扱ってやらないわよ」
「大人しく言うことなんて、聞かないぞ」
女はくすくすと笑った。
「いやいやしても、駄目よ。あんたが欲するものは何もないのよ。あんたはただ、ここで連れ去られて、身を落として、誰も送りたがらない最低な生活を送らされるのよ。二度と、故郷に戻らないようにね」
「なにっ」
その瞬間、シャルエスは背後に現れた女に後ろ髪を引っつかまれて、地面に倒された。
「うわっ」
痛みが走ったその瞬間、女はシャルエスに馬乗りになり、真っ赤な目と口でかぶりつこうとする。
「可愛らしい顔している。そこだけはお気に入りよ」
「うわあっ」
そのまま、髪を掴まれて、シャルエスは引きづられた。
「面倒な仕事だけど、頼まれちゃったからには、仕方ない。連れて行くわよ。適当にしたら、このジャヒー様の名に傷がつくってものよ。手厚くって言われているけど、命があるだけ有り難いと思っていて。こいつらの食欲は凄いんだから」
髪が頭皮で引っ張られる痛さに涙目になり、その手を振りほどこうともがいたが、細いのに強靭な女の指は掴んだ手を離しはしない。
「さあ、行くわよ」
シャルエスを思いのままに引き連れて、機嫌が良くなった女は鼻歌を歌いながら、森の道をシャルエスを引きずって進んでいった。
「くっそー、離せ、お前らの言うようになどしてやるものか。離せ」
「ワーラ、ワーラ」
「父上をこんなところに置いて、行かないぞ」
最後の気力を振り絞って叫んだ言葉は、むなしく森の中に響いた。
父上―!
思い出すのは、同じ光景ばかりだ。
不埒な賊党イカイアの成敗に向かった父シャルス。
あの日の戦闘。
ゲッツェ・マネスの重臣たちは、精細を欠き、右往左往していた。
それもそのはず、隣の国王ザハが暗殺され、重鎮たちが消され、無政府状態に陥った国には、必ず暴動が起きるというのがほとんどの見解だった。
国内で広がった暴動は、出口を求めて我が国に向かってくることは確実だった。
緊急招集命令が発せられ、国内の兵士は総動員されて、国境警備と国内警備に配置された。
その後、隣国ジャンブルニアに不穏な動きありと、すぐさまジャンブルニア宮殿包囲への出兵が決まった。
隣国出兵の報を聞いたジャンブルニアが、国土保全のために兵を差し向けてきたが、一刻後。
しかし、異常時、ジャンブルニアはそれほど抵抗することなく、ゲッツェ・マネスの思惑通りに事物は運ぶだろうというのが、父国王と将軍たちの見解だった。
予想通り、国境が破られるまで、シャルエスは父と共にいた。
シャルエスは、父が国境の森へ兵を進めるまで同じ道を進んでいた。
父が極秘に命じたアルラゴル将軍保護の任務を実行するために、その森で別れて、違うルートで城に近づく予定だった。
黒い甲冑の着た軍兵たちのなかで、薄墨色の甲冑と白いマントを着て、悠々と馬を引く父の姿。
シャルエスはいつものように尊敬と愛情を篭めたまなざしで見送った。
と、シャルエスの目に信じられないものが映った。
近隣にいた兵士が、父に襲い掛かったのだ。
黒い甲冑を着た自国の兵士が、国王に刃を向ける。そんなことがあってならないことは、誰でも知っている。けれど、現実に起こった。
それも、こんな非常事態に。
混乱する頭で、これは、何かの陰謀だと、勘が告げていた。
しかし、一瞬、何が起きたのか、シャルエスには分からなかった。
慌てふためく将軍たちは、国王負傷の件は沈黙するようにとその場にいた全員を残し、前方の兵はそのままジャンブルニア王宮殿包囲へと向かわせた。
駆け戻ったシャルエスは、森の中で倒れた父に必死で声をかけた。
「父上、父上、しっかり」
国王シャルエスは止血されていたが、首を切られて、大量出血していた。
「シャ・・・シャルエス・・・」
口から血を吐きながら、シャルスは息子に手を伸ばした。
「このことは、他国に知られてはならない。今はまだ私がいるかのように、振舞うのだ、何もかも」
「何も心配しないでください。分かっております」
「私が死ねば、お前が後を継ぐのだ。しっかりとな」
「そんなことを、父上にはまだ生きていてもらわねば。今は、お命をつなぎとめることだけを考えてください」
シャルエスは泣きながら、必死で父の体にとりついた。
国王シャルスは自然な微笑みを息子に向け、温かな眼差しでシャルエスを包んだ。
「お前が成長するまで、もっと・・・」
「父上!」
「む・・・無念だ」
「父上!」
がくりと力つきた父を見て、シャルエスは唖然とした。
目の前が真っ暗になった。
「父上―!」
シャルエスがその手をもう一度取って、体を揺さぶり、今一度目を覚まさせようとした。
そのときだった。
背後で、悲鳴が聞こえた。
多くの兵士の叫び声は、すぐに途絶えた。
「親子のお別れは済んだかしら?」
瞬時に、周囲の将軍や家臣たちの体が爆風によって吹き飛んだ。
凄まじい風を受けて、シャルエスは目を見開いて、振り返った。
そこに、一目見るからに、尋常ならざる艶かしい女が立っていた。
白い髪は逆毛立ちながら輝き、上品に見える顔は真っ赤な目と真っ赤な口をして、頬に花びらのような青い色がついている。
上半身は銀色の装飾で胸を覆う以外は、ほぼ裸で、青磁のように白く艶やかな肌を惜しみなく出し、腰には黒いスカートが黒雲のようにうごめき、鱗で覆われたほっそりとした足が見え隠れしている。
周囲には数匹の食人悪鬼がおとなしく控えているのを見ると、彼女が悪鬼より上位の者だと分かる。
それは・・・そんな存在は、そのとき、いったい何者なのか、分かりはしなかった。
「わ、わあああああああ」
初めて間近でみる食人悪鬼に恐怖し、その何者か分からぬ女性を恐怖するしか、シャルエスには出来なかった。
「泣かないの」
女はいつのまにか目の前に移動して、シャルエスの顎を手で掴んだ。
伸びた真っ黒な爪がシャルエスの頬に食い込み、柔らかな肉が裂けようとする痛みがぴりっと走った。
「もう大きな子供なんだから。この程度で驚かないの」
はっと気づくと、周囲には誰もいなかった。
大臣、将軍・・・。
いくら呼ぼうとしても、もう誰もいなかった。
「お、お前は何だ?」
ここで命を落とすのだと感じて、シャルエスは女を見上げた。
「私?私はジャヒーって言うの。悪者の女になって、だいぶ悪い女になったわ。でも、気に入った子には悪いことはしないの。お前も大人しくしていれば、大切に扱ってあげる。さあ」
ジャヒーに手を取られて、連れて行かれようとして、シャルエスは彼女の手を振り払った。
「なぜ、私を連れて行く?お前らの目的は何だ?」
邪悪な存在が発する気配に、シャルエスはもう失神しそうだったが、必死で言った。
ジャヒーは面倒臭そうに、細めた目で振り向く。
「お前らは父上を殺した仲間なのだろう。食人悪鬼を手下に従えて、魔術でも使うのか?どんな魂胆がある?お前らの一味は何なんだ?」
「そんなの、誰か話してくれるわよ、いつか」
「その悪党の名を言え」
「おいおい知ればいいのよ、時間はたっぷりとあるのだから、あなたには」
シャルエスは足元に落ちていた剣を拾い、女に向けた。
「抵抗するなら、大切に扱ってやらないわよ」
「大人しく言うことなんて、聞かないぞ」
女はくすくすと笑った。
「いやいやしても、駄目よ。あんたが欲するものは何もないのよ。あんたはただ、ここで連れ去られて、身を落として、誰も送りたがらない最低な生活を送らされるのよ。二度と、故郷に戻らないようにね」
「なにっ」
その瞬間、シャルエスは背後に現れた女に後ろ髪を引っつかまれて、地面に倒された。
「うわっ」
痛みが走ったその瞬間、女はシャルエスに馬乗りになり、真っ赤な目と口でかぶりつこうとする。
「可愛らしい顔している。そこだけはお気に入りよ」
「うわあっ」
そのまま、髪を掴まれて、シャルエスは引きづられた。
「面倒な仕事だけど、頼まれちゃったからには、仕方ない。連れて行くわよ。適当にしたら、このジャヒー様の名に傷がつくってものよ。手厚くって言われているけど、命があるだけ有り難いと思っていて。こいつらの食欲は凄いんだから」
髪が頭皮で引っ張られる痛さに涙目になり、その手を振りほどこうともがいたが、細いのに強靭な女の指は掴んだ手を離しはしない。
「さあ、行くわよ」
シャルエスを思いのままに引き連れて、機嫌が良くなった女は鼻歌を歌いながら、森の道をシャルエスを引きずって進んでいった。
「くっそー、離せ、お前らの言うようになどしてやるものか。離せ」
「ワーラ、ワーラ」
「父上をこんなところに置いて、行かないぞ」
最後の気力を振り絞って叫んだ言葉は、むなしく森の中に響いた。
父上―!