リトリーブ

文字数 4,531文字

 クリスマスのイルミネーションも届かない、高架線路脇の工事現場が、今回の勤め先であるらしい。電車が通り過ぎるたび風を巻き上げて、ただでさえ寒いのにいたたまれない。なんでこんな時期にこんなところに配属されてんだ、あいつは、と悪態をつきそうになるが、オレは煽られたマフラーを直して、暗い道を再び歩き始めた。

 橋本と再会したのは、梅雨の真夜中、バイト先のコンビニだった。警備会社に勤めている橋本は、近くの工事現場に派遣されてきたのだった。高校生の時よりもタッパが良くなっていて、初めは気付かなかった。
 新卒で入った会社を辞めて、暫く対人恐怖のようになっていたオレが、やっと再び働けるようになった職場が夜間シフトのコンビニだった。だから、高校時代の知り合いに声を掛けられて、羞恥と屈辱感とで息が詰まりそうになる。どうせすぐに来なくなるだろうから、それまでの我慢だと思っていたのに、現場が変わってもちょくちょくタバコを買いにくるようになってしまった。全国に幾つコンビニが有るのか、知ってるのかな、コイツ。

「よお」
「あれ、三谷」

 もともとひょろ長かったが、今は肩幅も有る制服姿がこちらを振り返る。工事用ライトに白い息が流れて見えた。

「携帯にメッセージ入れといたんだけど」

 ああ、と視線を泳がせる。どうもクラブの女の子からお誘いがひっきりなしに掛かってくるらしく、仕事中は私用電話を切ってしまっている。付き合ってあげればいいのにな、とモテないオレなどはやっかみたくなるが、まあ橋本だからな、とも思ってしまう。こいつは昔から良くも悪くも淡白なのである。ブルゾンの内ポケットに入れておいた缶コーヒーを渡す。

「クリスマス・イブだから、店長がおでんを大量に仕込んでる」
「……クリスマスっておでん食べるイベントだっけか?」
「卵と大根取っといてやるから、寄って帰れ」

 受け取った缶コーヒーをウェストバッグに詰め込みながら橋本は首を傾げる。前の会社を個人理由で辞めた上、感情の落ち込みがひどかったオレを短時間から雇って仕事を教えてくれた店長には感謝しているし、役に立ちたいと思う。だから、店長から「世話になってるんだから、たまには橋本くんにご馳走しなさいよ」と言われたら、気が進まなくてもとりあえずそれっぽい態度を見せなければならない。そう、その気が無くても。何が悲しくてクリスマス・イブに、高校時代同級生だったっていうだけで、親しくもない男と飯を食わねばならんのだ。再会してから、もう何度一緒に食ってるか知れないが、それは勤務時間が似たり寄ったりなだけで、タイミングが合うからで、親しい間柄では断じてない。

「三谷が俺の家まで届けてくれるってことはないの」
「お前んち遠いだろうが」
「じゃあ三谷の家で飲もう」

 酒買っていくよ。まったくあくびれず言うので呆れてしまう。切長の目が逆光の中からこっちを見ている。背格好は随分健康的になったのに、頭ん中は変わんねえな、とオレは思う。オレが橋本と知り合った時、橋本にはもう母親がいなかったし、父親も家に寄り付かなくなっていた。病気をおして見にきてくれる祖母と、父親から渡される気まぐれな生活費をやりくりしながら、橋本はずっと一人で暮らしてきた。学校で、ダサい身なりや食パン一枚の弁当を揶揄われても、ぼんやりしている。成績もパッとせず、運動も得意ではなくむしろ愚図、クラスメイトから馬鹿にされ、教師からはそれでも問題を起こすのでもないので放置され、そういう奴だった。オレも例外ではない。巻き込まれたくなかったので、傍観していたクチだ。オレは溜息を吐いた。負い目があるからだ。今でも親しい間柄などでは決してない。

「分かった。早く仕事に戻れ」

 既に橋本の上司たちとも知り合いになってしまったので、仕事を中断させ続けると後が怖い。こいつは喫煙者だが、しょっちゅうコンビニにタバコを買いにくるほどでもない。上司たちの分まで買いにくるのだ。使いっぱしりにされているのかと一度直談判しにいったら、気のよい上司たちは肩を竦めて苦笑していた。要するにどうしてもコンビニに来たいらしい。オレは渋々合鍵を渡した。寒い中外で待たせる訳にはいかない。オレの上がり時間は明日の早朝なのだ。橋本は冷えて赤くなった頬を緩めて笑った。

※※※

 さて、クリスマス・イブにコンビニは暇かと言えば、そうでもない。最後の駆け込みでケーキやプレゼントを買いにくるお客さんもいるし、パーティだかやけ酒だかで酒やつまみを買い足しにくるお客さんもいるし、師走の残業後でへろへろになって夕食を買いにくるお客さんもいるし、年末年始イベント関連で各種振り込みにくるお客さんもいるし、一人で雑誌を立ち読みにくるお客さんもいる。

「コンビニのケーキも、年々凝ってきてますよねえ」

 ご近所の栄枝さんが、積まれた箱を見上げながら言う。栄枝さんは多分オレの祖母より少し若いくらいの歳だが、一人暮らしだ。こんな夜遅く外出していて大丈夫なのかなと思うけれども、歳を取ると眠れなくなるものなのよ〜とこの間言っていた。

「そうですね、甘いものお好きなんですか」
「昔はよくお菓子も作ったけれど、最近は億劫になっちゃって」

 店長が話し相手になっているみたいなので、オレは新しいチキンをオーブンに並べることにする。ケーキにはよい思い出がない。完璧主義の母は、オレの誕生日にもクリスマスにもケーキを焼いたし、家に人を招いたが、仕事と家事とそんなイベントが重なって忙しくなってくると、手伝いもままならないオレに当たるのだ。そんなにストレスなら手を抜いて、コンビニのケーキだけでも、家族と和やかに過ごす方がずっといいのに、と思う。店長が栄枝さんを送っていく、というのでオレはレジに戻った。

「ピリ辛チキン二つ下さい」

 浦川くんがレジ前に立つ。どうやら立ち読みは終わったらしい。ピリ辛チキンを買う金が有るなら本を買え、と思うが、勿論口には出さない。

「店内BGM、音量大き過ぎません?しかもクリスマス・ソングばっかりなんてさあ」

 小銭を出しながらブツブツと言う。大学生らしい浦川くんは、店にも商品にもいろいろ難癖をつけるくせに、週に一度は通ってくる。お客さんには違いないので、今週のオマケ、キャンディ・ケインを包んだチキンと一緒に渡すと、苦笑いして受け取った。

「しかもこれ? マジで草」

 じゃあ返せよ。と言いたいところだが、浦川くんはかつての自分を彷彿とさせるので、好きなようにさせてやる。そのうち痛い目を見ればよいのだ、オレのように。このタイプは失敗しなければ学ばない。クリスマス・イブだから敬虔な気持ちになっているのではなく、多くの場合人は一人では生きていけない。いろいろなものに支えられているのだと気づくのは、大概自活を始めてからだ。オレは根拠の無いプライドが邪魔をしてそれでもなかなか認めることができなかった。一人で生きていける奴というのは、本当に強いか、全て諦めているかのどっちかである。

「……やっぱりチキン四つ」

 キャンディ・ケインを掌で転がしていた浦川くんは、眉を顰めてボソリとつけ加えた。さっさと帰れ、と営業スマイルを張り付かせていたオレは、意外なことに目を瞬かせてしまう。思わず尋ねてしまった。

「おみやげ?」
「親父晩酌してんだろうから、つまみにさ、クリスマス・イブだし」

 オレは心中舌を打った。どうやら彼はオレより人ができている。じゃあ、オマケももう一つ、と違う色のキャンディ・ケインを渡すと子供みたいな目をしてポケットにしまった。やれやれ、だから嫌いなんだクリスマス。

 浦川くんが帰って店内に一人になる。BGMがビートルズの『ハッピークリスマス』に切り変わる。確かに音量がちょっと大きいかもな、と思うが、浦川くんがいた時は気にならなかった。店長はきっとまだ栄枝さんと立ち話でもしているのだろう。去年のクリスマスは部屋から出ることもできず、家賃も滞納し、何を食べても美味しくなくて、家族からの連絡に怯えていた。再就職しなければ、前の会社に見合う、それ以上のポジションでなければ、息子の学歴とキャリアに没頭してきた母の失望が怖かったし、周囲からの軽蔑に押しつぶされそうに感じていた。実際のところ、誰もオレに関心などないのだ。何故ならオレが誰も信頼していなかったし、プライベートでも仕事でも、誰かと親しくしたり協力したりしてこなかった。今でもオレ自身はあまり変わらないのだが、姉にも店長にもこの店のお客さんたちにも随分助けられたと感謝している。ビートルズが歌う、一人でいても、他の誰か一人を想っていれば、世界はよりよくなるのだ……そうなのかな。そうだといい。

※※※

「三谷」

 ドアが開くベルが鳴り、見知った長身が冷気と一緒に入ってきた。

「なんだ、まだ1時だぞ」
「工事の進捗も良いし、クリスマス・イブだからって、監督が」

 ホントにおでん沢山だな……と鍋を覗き込みながら橋本は言う。

「飯食ったのか」
「まだ」
「空腹で飲むなよ、何か先に食え」

 そうか?と棚向こうに歩いていく橋本の背を見て溜め息を吐く。オレがコイツに付き合って飯を食っているのは、コイツが一人では碌に食わないせいもある。プロテイン飲料やサプリメント、果物は齧るが、……あと酒は好きだが、食事をする気が無い。幸いにも同僚や上司からランチや飲み会によく誘われるらしいのはいいのだが、一人だと適当どころか危ない。変わっていないのだ、高校の頃から。

「卵サンドあった」

 にんまりしてレジに持ってきたのは、惣菜パンの卵サンドイッチだ。コイツ……根に持ってやがるな。高校生の時、食パンと干からびたリンゴくらいしか持ってこなかった橋本に、オレは自分の弁当から卵焼きやらソーセージやらを押し付けたことがある。幼稚な自己満足である。どちらも友達がおらずクラスで浮いていたので、同類に対する憐憫のようなものだった。橋本にしてみたら侮辱でしかなかったろう。だから、負い目があるのだ。

「先に戻って寝てろよ、明日も仕事だろ」
「昼間は入れてない。たっぷり飲めるぞ」

 行儀悪く卵サンドを頬張りながら話す。オレの家で明日一日寝て過ごすつもりか、と天を仰ぎたくなる。律儀に金を払わんでもいい、自宅に帰れ。あっという間に食べ終わった橋本は、酒類の棚を物色している。

「クリスマスに誰かと飲むのは初めてだ」
「彼女いただろ?」
「いたことないぞ?」

 ……本気か?本気だとしたら、アプローチしている女性たちに同情する。来るものは拒まずだからきっとその場その場で一緒に遊んだり付き合ったりはしているんだろうが、本人には彼女であるという認識は無いらしい。大丈夫なのかね……いや、何せ警備会社勤務だし、父親があちらの界隈なので、相手もそんな無謀なことしないか。いいんだか悪いんだか。

「来年は良い相手探せよ」
「三谷でいいよ。何言ってんだ?」

 橋本とオレは終始こんな感じである。噛み合わない。もはや一周回っておかしいくらいだ。だから橋本と飲み食いして喋るのは楽しい。何も起こらなかった今年のクリスマスだから、多分オレはもうずっと忘れない。
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