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文字数 1,997文字

 お囃子と人々のざわめきから、蒼多(そうた)はひたすら遠ざかる。屋台の並びと反対方向へ早足に向かっているその俯き加減の背を、道行く人々が訝しげに見るが、夏祭りの浮かれた気分にすぐ忘れてすれ違っていく。河川敷まで出て、蒼多は息を吐き、土手に座り込んだ。鈴虫たちがそこかしこで、内緒話のように羽を震わせている。楽しげな親子連れなどを見ると、自己嫌悪に陥ってしょうがない。自分だけが、この世界から隔絶されているような気がしてしまう。

「おう、深谷(みたに)じゃないか」
 蒸し暑さに濁ったような星も無い空を見上げてぼんやりしていると、この数ヶ月で耳に慣れてしまった声に突然名前を呼ばれた。副担任で生物学担当の小鳥遊(たかなし)先生だ。普段から白衣にボサ髪、あっちこっちに話の逸れる授業で、漫画の登場人物みたいだが、今は錆だらけのママチャリに跨ってこちらに手を振っている。教師と生徒の関係でなければ無視を決め込むところだが、そうもいかない。
「小鳥遊先生は何してるんですか」
「家の近くのスーパーに売ってなくてなあ、ちょっと遠出してきた」
 自転車の前カゴには紙粘土と針金が放り込まれている。夏休みの工作……?蒼多は小首を傾げたが、先生はにやりと笑った。
「深谷のことだから、宿題はもう終わっているんだろう? 手伝ってくれないか」

 蒼多の通う中学校の校庭隅には、“タマ“さんと呼ばれる野良猫が住み着いている。先日野球部が練習中に、タマさんが怪我しているのを見つけて保護しようとしたが、誇り高いタマさんは人の世話になどなりたくないと逃げ出した。裏口から校舎内に逃げ込んで、理科準備室ですったもんだした挙句、DNA二重螺旋モデルもタンパク質三次元モデルも落として見事にバラバラにしてしまったのらしい。蒼多は夏休みのがらんとした校舎で、紙粘土をひたすら捏ねている。

「問四、DNAを構成する四つの塩基(ベース)は何でしょう」
「アデニン、チミン、グアニン、シトシン」
 曲げた針金に蒼多が作った紙粘土のボールを一つ一つ差し込みつつ、小鳥遊先生は話し続ける。何で引き受けてしまったのか、蒼多は溜息を吐きたくなるが、家に一人でいるのも嫌だった。紙粘土が乾いてから塩基別に色を塗るので、明らかに今日中には終わらない。

「よし、休憩しようか」
 小鳥遊先生はどこから取り出したのか、お玉を水と砂糖で満たし、ガスバーナーで炙り出す。理科準備室の棚から重曹をひと摘みくすね、薬サジで飴色をかき混ぜると、ふわふわさくさくのカルメ焼きの出来上がりだ。
「最近は屋台でも見かけないけどな。深谷、昨日はお祭りに行かなかったのか?」
 なんだ、そういうことか。蒼多は口に詰め込んでいたカルメ焼きを、お茶で飲み込んだ。懐かしい甘みと、先生が淹れてくれた濃いお茶が、口の中で苦かった。

「先生、父に会ったことありますか」
「ああ、三者面談の時に廊下で挨拶してくれたぞ」
「僕、血が繋がってないそうなんです」
 午後の遅い光が準備室に差し込んで、舞い上がる埃まで見えそうだ。校庭では運動部が賑やかに練習しているが、ここはとても静かだった。小鳥遊先生が椅子の背に伸びていた身体を起こして、こちらを見る。
「始めは違和感だったんです。授業を聞いて、父と自分の足の形は違うなあって」
「確かに遺伝によるところも大きいが、そうでないことも多いぞ」
「知ってます。他にも色々あったんです。血液型のこととか、海外からの電話とか。それで祖母に尋ねたら、やっぱり」
 小さかった頃、父とお揃いの浴衣を着て、夏祭りに連れて行ってもらった。はしゃぎ過ぎて迷子になり、『自分と同じ浴衣の子どもを』探していた父と自治体の人たちに見つけられた時には大泣きした。父に抱えられて家に帰った。親子の、よくあるセンチメンタルな過去なんだと思っていた。成長するほど父からかけ離れていく。それどころか、本当は、そんな過去を共有する資格すらないのかもしれない。

「僕は、“不自然“なんでしょうか」
 机の上に散らばったカルメ焼きの屑に、蟻がこっそりと近付いてくる。知ったところで、父の態度が変わるわけではないだろう。父は義理堅く情に厚いのだ、息子と違って。だけど自分は、産みの親に必要とされなかった悔しさと、生まれる予定じゃなかった自分への変な罪悪感と、“本当の“親子になれなかった父への気持ちに板挟みになっている。生きている限り、この細胞が再生を繰り返す限り、終わらない。
「オレはそうは思わんが、反証可能だろうな」
 先生は針金をくるくると編みながら言った。あの形はタンパク質三次元モデルだろう。気の遠くなるような、複雑に絡み合ったものが、過去から未来へ己れをつくり上げている。
「自然に対して人間のできることなんて、子どもの悪あがき程度だからな」
まあ、足跡を見るのは得意だから、深谷がどこにいこうが、また呼びにいくさ。

 夕凪に煽られて、ヒグラシが一斉に鳴き出した。
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