感傷的

文字数 1,990文字

 週末夕方定刻お届け、母が送ってきた荷物の中に、今年も旧姓塚田さんからの年賀状が入っていた。いつも通り手描きのイラストに、娘が小学五年生になったと、丁寧な字で添えてある。両手の中に押し込みぐしゃりと丸めて、くずカゴに放り込んだ。

 塚田さんと初めて話したのは、放課後の美術室だった。小学五年生、委員会帰りに美術室に寄った私は、夕暮れのなかで一人絵を描いている塚田さんを見かけた。

 通っていた小学校では2年毎にクラス替えがあり、だから塚田さんと同じクラスになったのは初めてだった。ふわふわとしたショートの髪に、サイズが合っていないようなメガネをかけている塚田さんが、クラスの一部の女子から目を付けられていることは、直ぐに分かった。もっとも、塚田さんに対してだけじゃなく、そのグループはどのクラスメイトにも悪びれない態度だったし、私のことも鬱陶しいヤツと思われていたに違いない。

 塚田さんは、忘れ物をする。体操着や絵の具や遠足費用や、いろいろだ。その度に、そのグループから揶揄われる。髪が天パで古着を着てくるので、埃っぽいと遠ざけられる。一度、帰りの会が終わった後にその女子たちが臭い、と騒いで、塚田さんのスカートのポケットから、給食の残りのパンを引っ張り出したことがある。サイテー、汚っ、と囃し立てる中で、塚田さんはただ俯いていた。帰り道にいる、野良猫にあげたかったの、と私には教えてくれたが、本当は家で食べようと思っていたのかは知らない。塚田さんにはお父さんがいなかったし、お母さんもほとんど家に帰ってこないらしかった。

 その女子たちが、私がカンニングをしていると、言いふらした。せいぜい中の上程度の成績、私の取り柄はこれしかなかった。明るい性格でもないし、体育が苦手で、緊張しいだった。授業や学級会で前に出ると、隠れて笑われて、ヒソヒソと悪口を言われた。私はまだ子供で、自分勝手に繊細で、そんな目に合う度、悔しくて泣きたくなった。塚田さんはいつも、励ましてくれた。

 だから私は、あることを思いついた。私は自分がちょっとは頭の回る人間だという自覚があったし、漫画の登場人物みたいに、華麗に『ふくしゅう』してやろうかと思ったのだ。もちろん塚田さんを相棒に選んだ。あのグループに難クセをつけられている塚田さんなら、絶対に私を助けてくれると考えた。こっそりと頼んでみたら、塚田さんは一瞬ためらったが、頷いてくれた。

 計画はこうだ。彼女たちはアイドルグループが好きで、リーダー格の女子は、プレミアのロゴが入ったゲーム機を持っていた。勿論、雑誌もゲームもグッズも、学校に持ってきてはいけないのだが、友達同士で隠しているのである。来週、運動会の予行練習がある。生徒がみんな校庭に出払ってしまったタイミングで、保健委員の塚田さんが救急用品を取りに戻る。その時に、彼女たちの雑誌とゲーム機を取り出して、教卓の中に入れておく。掃除の時間、男子たちがふざけて教卓の中のものを漁ることは折り込みずみだ。先生を引き留めておくのは、私の役目である。

 思った以上の効果だった。教卓からは、雑誌とゲーム機だけでなく、交換ノートやファンレターまで出てきた。男子は面白がって見せびらかし、私の質問に答えていた先生は、表情を険しくした。その上、雑誌にもゲーム機にも油性ペンで殴り書きがしてあった。持ち主は真っ赤になり、次いで仲良しグループの女子たちがやったと喚き、名指しされた女子たちは泣き出した。自業自得だろ、と私は見ていたが、その時塚田さんが取り巻いていた皆の輪から歩み出した。

「私がやりました。ごめんなさい」

 私は背筋が冷たくなった。塚田さんが、共犯者の名前を言うかと思ったからだ。けれどそれは、塚田さん一人の仕業ということで処理されてしまった。塚田さんは注意を受けたが、母親が呼び出しに応じて学校に来ることはなかった。女子グループも注意を受け、その後塚田さんに関わろうとはしなくなった。塚田さんは、中学に上がる前に、祖父母の家に引っ越していった。

 毎年実家に送られてくる年賀状に、私は返信を書いたことがない。私はあの女子グループと同じだった。内心塚田さんに対して優越感を持っていて、彼女が本当はどれだけ強かったのかも、理解していなかった。もうずっと大人だった塚田さんに、同情されていたのは私だ。塚田さんは、家のことや学校のことや、一人でやっていかなければならなかった。きっと油性ペンで描いたように心の中はぐちゃぐちゃだったろうに、静かに笑っていた。あの時の私たちは小さな世界しか見えていなくて、その中で泣いたり怒ったりしていただけなのに、一人前だと思っていた。くずカゴから葉書を拾って、シワを伸ばした。私は塚田さんの描く絵が好きだった。ぬるい缶ビールを開けて、テレビをつける。しずくに濡れて、パステルが滲んだ。
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