最上階にて2 (第31話)

文字数 3,128文字

 夕食の時間は静かに淡々と過ぎていった。タカサキとコウキが言葉を交わしたのは最初の挨拶だけで、それからはオオタがポツポツと他愛も無い話をふたりに向け、タカサキとコウキがそれに薄く相槌を返すだけ。そんな時間が続いていた。

「・・・タケウチ君はヒュメル社に入って何年目だっけ?」

 フォークやナイフが食器の上で鳴らす、カチカチカチカチという無機質な響きに急き立てられたようにオオタがコウキにいつもの作り笑いを向け、その眼差しは、何かを期待するように、また助けを求めるようにぎらぎらと輝いていた。

「8年目ですね。」

「へぇ、そうか。じゃあ、あれだ・・・後輩もたくさん出来て、責任感も・・・より大きく、ねぇ?」

「そうですね。後輩とは殆ど直接会ったことが無いんですけど・・・」

「あぁ!まぁ、でもあれだよね。あの、復帰に向けて今は充実してるってところかな?」

「えぇ、まぁ・・・」

「ふぅん・・・そうかそうか・・・じゃあ、タケウチ君はどんなきっかけでヒュメル社に入ろうと思ったのかな?」

「きっかけ?」

「そう。ヒュメル社で頑張っていこうっていう、きっかけがあったわけじゃない?」

「えぇ・・・ヒュメル社といえば、最先端技術を扱う世界的に有名な企業で・・・その最先端技術に携わる仕事が出来ると思って・・・入社しました。」

「タケウチ君。それじゃあまるで面接じゃない。もっとこう・・・リラックスというか、ですよねぇ?タカサキ社長。」

「あぁ、そうだな。」

「ほら、せっかくの機会なんだから、何かない?社長に聞きたいこととか。」

「聞きたいことですか?」

「うん。」

「えぇ、じゃあ・・・」

「お、じゃあ、何?」

「・・・タカサキ社長は、どういうきっかけでパーパスを開発されたのでしょうか?」

 コウキの言葉を聞き、悪い予感を察したオオタ医師の目の輝きは一瞬にして失われ、そんなオオタの様子を察したコウキは視界の隅にあったオオタの青白い表情を確認すると、逃げるように下を向いた。

「・・・いきなりお固い質問をするもんだなぁ。タカサキ社長も困ってるじゃない。」

「どういう思いか・・・」

タカサキはオオタの言葉を意に介さず、口を動かしながら視線を宙に向けた。

「・・・それが私の役目だったというべきなのかな。」

少しの沈黙の後、しかめ面で口の中のものを飲み込んだタカサキが呟くようにそう言った。

「役目ですか?」

「そうだ。人間というのは自分達の住む世界をより良くする為にあらゆる分野で最先端の技術を追い求め、歴史を積み重ねてきたんだよ。それぞれの時代でその役目を担った人間たちが最先端技術の進歩を絶やすことなく現在まで受け継いできた。そして、現在という時代においては私がその役目を担って、最先端技術の結晶であるパーパスを開発し、世に送り出したんだ。非常に光栄なことだと思っているんだがね。」

「ということは・・・タカサキ社長は、これからも役目を担った人間として最先端技術を使って、より良い世界を造っていくということですか?」

「・・・まぁ、そうだな。」

「それはどんな世界になるんでしょうか?」

「どんな世界?あぁ、まぁ・・・私の頭の中には常に次の時代に向けてのビジョンがあるんだがね。残念ながら容易に口外は出来ないんだ。社長というのはそういう立場なんだよ・・・なぁ、オオタ君。」

「は!はい!・・・そうです。」

 オオタは汗ばんだ額をハンカチで拭きながら何度も頷いた。

「じゃあ・・・例えば、タケウチ君はそれがどんな世界だと思うかね?」

「最先端技術の進歩によるより良い世界ですか・・・パーパスの進歩とか。」

「パーパスの進歩?どんなふうにだね?」

「パーパスと人間の距離がもっと近くなるというか・・・パーパスという存在が人間に近づいて・・・」

「へぇーそんな考え方もあるのかぁ・・・そうなのかぁ・・・だけど、タケウチ君はあれかなぁ・・・」

「オオタ君ちょっと静かにしたまえ。タケウチ君、君ねぇ・・・まだそんなことを言うのか。パーパスはあくまでも装置であって。だからこそ現在という時代に存在する意義があるんだよ。君の言うパーパスの進歩というのは、人間とパーパスの主従関係を崩壊させるということなんだよ。解るかね?」

「主従関係・・・ですか?」

「難しかったか?じゃあ、こうは思わんか?もし、パーパスにもっと高度な知能を与えたとしてだ。自由な意思や感情を持ったパーパスが人間と向かい合うことになれば、人間同士が対立するのと同じことがパーパスとの間でも起りかねんのじゃないか?」

「そうなんですか・・・」

「そうだろう?少しでも想像力を働かせてみれば解ると思うんだがね。」

「・・・でも、隣りにいて一緒に楽しんだり、寄り添ったりする目的のパーパスがあっても・・・」

「目的?」

「パーパスが〈目的〉という意味で・・・パーパスが人間の〈目的〉の為に存在する装置なら・・・」

「人間が人間らしく生きられる社会を底辺で支える存在、それがパーパスという装置なんだよ。もしかしたらあれか?君がパーパスという装置に、そういう〈目的〉を求めているんじゃないだろうな。もしそうだとしたら、ヒュメル社の優秀社員がそんな空しいことを言わんでくれ。どうなんだ?」

「いえ・・・あの・・・解りません。」

「解りません?」

「・・・そこまで考えたことなくて。」

「・・・そうか。まぁいい。ついでに教えてやろう。パーパスというのは確かに〈目的〉という意味だ。しかし、それは私の〈目的〉だ。最先端技術を駆使して世界を変えるという私の〈目的〉の為に生み出されたんだよ・・・パーパスという装置は。」

「そんなぁ・・・」

 タカサキはグラスのワインを一気に飲み干して立ち上がり「さあ、食べなさい。全然進んでないじゃないか。」と言い残すと、玄関の廊下へと続く扉の向こうに消えていった。

「・・・パーパスの話とか、最初から決めてた?」

 タカサキの様子を節目で追って、扉の閉まる音を背中で聞いたオオタは、コウキに顔を寄せて小さく言った。

「いえ。だけど、社長と話せる話題っていうか、社長に聞いてみたい話っていったら、それぐらいのことしか思いつかなくて・・・だめでした?」

「そうか・・・だよね。まぁいいんだ。」

 余計な気を使わせないようにと、夕食会の意図をコウキに教えないつもりでいたオオタは、背もたれに身体を預け、天井を見ながら、この後の行く末に頭を巡らして、少しの沈黙の後、「ちょっと待ってて。見てくる。」とコウキに告げると、立ち上がりタカサキの後を追った。だだ広い食卓にひとり取り残されてしまったコウキは、目の前に並ぶ、有り余るほどに豪華な料理に目を落とし、たった今、交わされたタカサキとの会話を思い返しながら、胸の奥で疼きだした違和感の原因を考えていた。

◇ ◇ ◇

 掌に溜めた水を顔にぶつけて擦り、濡れたままで浴室の洗面台の縁に手をついて立ち呆けていたタカサキは、鏡越しにオオタが入ってくるのを確認すると計ったように大きく息を吐き出した。

「・・・これからどうすればいいんだね。」

「まぁ・・・あの、話をしてタケウチ君に対する蟠りがちょっとでも無くなってくれればそれでいいんですけど。」

「そう言われてもな・・・先が見えんが・・・」

「・・・しかしですね、前にも言いましたが、これ以上あれに頼る訳にもいかないので・・・タケウチ君に対して少しでも良い印象を持っていただければ・・・」

「印象?それは彼次第じゃないのかね?」

「え?」

「・・・まぁいい。先に戻りたまえ。」

「はい。」

 何もかもを押し殺したような表情で洗面所から出て行ったオオタを鏡越しに一瞥したタカサキは、戸棚からタオルを取り出して顔を拭き、洗濯かごへと投げ入れた。
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