マチダダイスケ1(第18話)

文字数 3,207文字

 少し黄ばんだ白い合皮の治療椅子に、ほぼ寝ているといっていいような姿勢で座っていた。手足の拘束や、細い電線の束に繋がれた治療用のヘッドプロテクターからは既に解放されていて、拳の中に溜まった汗をぐちゃぐちゃと弄ぶ。特に心地よい訳でもない、ぼんやりとした余韻に浸りながら「どうでしたかぁ?」壁際の事務机に向かい書きものをしながら背を向けて座っているオオタ医師の調子の抜けた高い声を聞いた。

「まぁ、感想なんて無くてもね・・・そんな目的じゃないからね。しかし、今日はいつもより荒れてたよ。タケウチ君は凄いなぁ。何回もこれやってるのに、これだからなぁ。」

 一体何が凄いのか、僕はその何を特に考える訳でなく。オオタ医師は目の前に並ぶ小さなモニター画面の電源を端から順に消していき、全てを切り終えると椅子ごとクルリとこっちを向いて「まだまだ先は長いね。」と言いながら、作ったような笑顔を向けた。それに対して僕から返す言葉は何も無く、それを悟ったオオタ医師は床に視線を落として「はい。」と小さく呟いて、この場を無理矢理区切って立ち上がると、ゆらゆらとこっちに近づいてくる。それで押された空気がふわっと顔にかかった気がして、なにか威圧を感じてしまう。

「では、次回の日程はメールで連絡します。あと毎週月曜の行動記録の送信は忘れずにね。出来るだけ詳しく一週間分。お願いしますね。ではお大事に。」

◇ ◇ ◇

 タカサキ最先端医療技術センターの大きなガラスの自動扉を抜け、どうしようか迷いながらもタクシー乗り場へと向かった。最後にタクシーに乗ったのは確か、あの式典の時。だけど、これもリハビリの一環だと思って。

 僕はヒュメル社が用意した社会復帰プログラムに従って、このセンターに通い〈脳内イメージ補正〉という治療を受けていた。一般社会から逸脱した生活を送り続けていた人間が失いがちな一般常識や社会通念などを補うために効果的なイメージを脳内に直接注入するという治療法で、僕の場合はこれを受けることよって無意識のうちに〈真っ当な人間関係〉を求め、早期の職場復帰を助けるものだという。

 最初のうちは、あのイメージの中に自分が存在していることにさえ恐怖を感じ、あの背の低い机に頭だけを隠して子供みたいに泣きじゃくったこともあった。今ではずいぶん慣れたけど、それが本当に快方に向かっているということなのか、そんな実感は殆どない。特にあのイメージから目覚めた時の気分といったら。もし今後、僕が〈真っ当な人間関係〉を求めるまでになったとしたら、それはこの治療によって与えられた効果からではなく、この治療から早く抜け出したいという後ろ向きな気持ちからなんだろうと思っている。

◇ ◇ ◇

 グループ長の移動を何度か経験し、僕は3年でセクション長に昇格した。3年でセクション長というのはスピード出世だったらしいけど、それを目標にして、持ち前の〈耐久性〉で精進と奮励を積み重ね、脇目も振らずに仕事に没頭し続けていた僕にとっては当然の結果だと思っていた。

 セクション長以上の管理職は集中管理室での業務になる。集中管理室は、管理職のデスクが、学校の教室のように、ひとつの方を向いて縦横、等間隔に整然と並んでいる。そこで働く管理職はシステム端末の液晶モニターとにらめっこしながら、現場で働く部下に独り言のようにぶつぶつと指示を送り続ける。そこにいる人間も含めた部屋全体が管理システムになっているような場所だった。

 研修の工場見学でここを訪れたとき、管理職が発する呼気が部屋の底に溜まっているような淀んだ雰囲気に薄気味悪ささえ感じたことはしっかりと憶えていた。だけど、僕はいつしか同僚やパーパスと直接交わることを必要としない、集中管理室をひとまずの目的地に定めていた。セクション長になった僕は、大体想像通りにうまくいっていた。始業から終業まで液晶モニターとにらめっこ。必要であれば端末の向こうのグループ長に指示を出す。ただそれだけ。就業中は他の管理職と直に言葉を交わすことが一度も無い日だって珍しくなかった。

 そして、僕はこう思った。「こんな仕事、わざわざここにこなくても端末さえあれば自分の部屋でだって出来るのに。」そんなバカな。そう思いながらも切実にそれを求めている自分がいることを否定はしなかった。しだいに朝の通勤や他の管理職の存在が疎ましく思えてきた。そして、僕はまた新たな目的地を目指して精進と奮励を積み重ねることを決心した。

 ヒュメル社には提案制度というものがある。作業の効率化や生産性の向上、経費の削減などのアイデアを独自で研究し、工場長直轄の改善委員会に提案できるという制度だ。それで僕は〈管理職の在宅勤務化〉の実現に向けて本格的に研究を始めた。在宅勤務にすることによる経費の削減、現場作業の影響の有無。そして自分をテストケースとした場合の実行手順、それにかかる費用などを綿密に調べ100ページ以上の膨大な提案書を作り上げた。

 ずっと同じ作業を繰り返しなんだから、その作業に対する生産性の向上や効率化のアイデアなんて、とっくに出尽くされていて、第7工場での提案制度はとっくに形骸化されていた。だけど、セクション長は半期に最低1件は必ず提出しなくてはいけない決まりになっていて、殆どのセクション長は頭を悩ませたあげく材料置き場の配置転換など当たり障りの無い改善案を2、3枚の提案書にして提出する程度というのが現状だった。

 そんな中で僕が提出した〈管理職の在宅勤務化〉の分厚い提案書は改善委員会を驚かせ興味を持って取り上げられた。目新しい提案を欲しがっていた改善委員会はこの提案書に飛びついて、話はトントン拍子で進んで提案書通りに僕がテストケースとして管理職の在宅勤務制度が実験的に始まった。

 始業の30分前に起床。そのままベッドのすぐそばにある仕事用のテーブルにつくと第7工場の業務管理システムに接続されている端末の液晶モニターを使い、昨日の生産データや上司からの連絡事項を元に〈今日の生産計画〉や〈セクション内連絡事項〉を書き込む。

 上だけ作業服を羽織り、始業とともに自分の姿を液晶モニターに映し簡単な朝の打ち合わせを済ませ、直ちに液晶モニターから自分の姿を消すと、とりあえずベッドに背中から飛び込んで手足を思い切り伸ばして。提案書には書かなかった在宅勤務化による最大のメリットを満喫した。あとは液晶モニターの刻々と変わっていく生産数や目標達成度の数字や運搬カートの状況をマップで確認しながら現場にいるグループ長に指示を送る。

 〈液晶モニターとにらめっこ〉仕事内容は集中管理室でやっていたころと全く変わらない。でもここには人間同士の無駄な接触は無いし、パーパスは液晶モニターの数字を増やす為の〈装置〉として割り切ることができた。

 その後、出勤か在宅勤務かは管理職自身の選択として、この制度は〈最先端好き〉のヒュメル社の全工場で正式に採用されるようになった。僕はセクション長としての仕事ぶりも高く評価されて2年後には5つのセクションをまとめる管区長になった。優秀な社員でも入社してから10年はかかるといわれている管区長に5年で昇格した僕は在宅勤務制度の提案者だったこともあり、社内ではちょっとした有名人になっていたらしい。

 普通、在宅勤務制度を選択している管理職でも、ある程度は工場へ出勤していたらしいけど、僕は全く工場へ出勤することは無かった。3ヶ月に1度、出席が義務つけられている製造総括会議にも何らかの理由をつけて欠席かネットワークでの参加を許可してもらっていた。高く評価されている自分への奢りを、上司である第1製造部長は何も聞かずに認めていた。そして、僕は、自分の知らないうちに〈幻の管区長〉〈ヒュメル社製・管理職AI〉と呼ばれるようになっていた。
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