タケウチコウキ 2 (第7話)
文字数 3,094文字
さっきの売り子はパーパスだったと思う。だから僕は何となく顔をそむけてしまった。
これまでの僕の生活の中であったパーパスとの接近遭遇といえばごく僅か、それは近所のコンビニで働くパーパスとかぐらいで、品出しをしているパーパスの後ろを通ったり、レジ打ちをしているパーパスを目の前にすると、どういう訳か、少し身構えちゃったり。小中高と続けて、年に一度あった社会科実習のパーパス体験会でも、体育館に連れてこられたパーパスの周りを囲み、好奇心旺盛に握手を求めたり、いちたすいちは?と質問してみたりする生徒の輪に入ることが出来ず、外からその様子を眺めているだけだった。
パーパスって一体なんなんだろう。って、この期に及んで真剣に考えてみる。まずは世間の声。〈パーパスとは、この国の経済を下支えし、人々に幸せを与える・・・装置である〉いつも最初のここで躓いてすぐに諦める。それはパーパスに対する圧倒的な経験値不足のせいなのか。それとも、僕が抱いているパーパスに対して少し身構えてしまうあの感じのせいなのか。
ともあれ、そんな僕がヒュメル社に就職するなんて。問題はそこなのかもしれない。おじさんが言うようにヒュメル社は一流企業なのかもしれない。だけど、それについて特別な思いも無ければ、ヒュメル社で働くことへの希望も野望も展望も、何も無い。高校での生活に終わりが見え始め、次の居場所を見つけなくてはいけなくなった時に高校が提示したひとつの選択肢としてヒュメル社への推薦入社があった。それだけのことで。
他人が苦手な子供だった。他人にガッカリされるのが嫌だから、期待されるのも嫌だとか、怒られるのはもちろん嫌だし、褒められると気まずくて顔が引きつるし、慰められたり心配されたりするのは申し訳なくて。とか考え始めると、他人の中にいる自分というのは、ただただ迷惑な存在でしかないんじゃないかって結論に落ち着く。そんな子供の学生生活とはまるで、常に〈かくれんぼの子〉を強いられているようなもので、そう思いつつも〈子供は勉強が仕事〉とかいう慣例に、事を荒立ててまで背くほどのバイタリティも無く。そんな子供に残された道。それは心を無にして、ただ黙々と登下校を繰り返す。それだけだった。
とはいえ、僕の周りの今どきの子供達は〈有給休暇〉と称し、適当な理由もなく、適当なタイミングを見計らって学校を休むし、それは緩やかな社会問題としてテレビやネットで取り上げられていたものの、親や、学校までもが子供の〈学ばない自由〉を尊重し、この暗黙は緩やかに了解されていた。小学4年生だったある日のこと。こんな僕にもちょっとした自我が芽生えたのか、ほんの出来心で〈有給休暇〉を取ってみた。だけどそれは散々な思い出で、親からは「学校で何かあったんじゃないか。」と涙目で何度も問いただされるし、次の日の朝には「タケウチが休むの珍しいな。」と周りを取り囲まれるし。つまり僕という人間は〈いないほうが存在感が増す〉という恐ろしい現実を突きつけられただけだった。
それから僕は反省し、再び心を無に入れ替えて、ただ黙々と登下校を繰り返す。そんな日々の積み重ねによって、その存在すら忘れられていた皆勤賞を中高6年連続で受賞する快挙とか、まぁまぁな学業成績とか、〈真面目で勤勉〉という評価とかを得ることになり、どういう訳かヒュメル社への推薦入社。そして現在に至っている。
普通の人間だったら学生生活を終えると社会人生活を始めなくてはいけない。僕にとってヒュメル社とは、これから先にあっただろう憂鬱な4年間をショートカットさせてくれる、ちょっと立派な〈抜け道〉としか思ってなくて。登下校を繰り返す。から、出退勤を繰り返す。に変わることで発生する、あからさまな利益が僕を変えてくれるんじゃないかと少しは期待しているものの、世間一般で言う、ヒュメル社は一流企業という評価や、設立当初から現在でも根強くくすぶっているパーパスという存在に対する賛否までを背負うようなことは、ちょっと勘弁してほしい。
パーパスって一体なんなんだろう。僕はヒュメル社に入って、パーパスを製造する作業員としてのパーパスを管理する仕事をするそうだ。おじさんが言うように、それって大変なことなんだろうか。おじさんはいつの間にか腕を組んで俯いて、自分勝手に静かな寝息を立てていた。パーパスって一体なんなんだろう。少し身構えてしまうあの感じって。それでも僕は窓の外の景色を、どちらともなくただぼうっと眺めるだけだった。もうすぐ始まるっていうのに。
そんな思いを知るはずもなく、最新型は目的地に向かって音もなく走り続けていた。
◇ ◇ ◇
パンパンに膨らんだスポーツバッグを肩にかけて勢い良くホームに降りたおじさんに、僕は続いた。
「あれ?全然解らないな。どっち行けばいいの?これ。」
酔いのせいか、大きな荷物のせいか。おじさんは覚束ない足取りでよちよちとバランスと保ちながら自分の行き先を探し、僕は解りもしないおじさんの行き先を、解るはずもないのに何となく一緒に考えていた。
「おつかれさま。」
肩越しに聞こえてきた声に、ようやく自分がここにいる理由を思い出し振り返る。
「あぁ、おはようございます。」
ヒュメル社人事部の新入社員教育担当のコンドウさんと会うのは入社面接以来で、その時も、こうしてホームで待っていてくれた。背が高く清潔感に溢れスーツがよく似合う、僕が思い描くような立派な社会人だ。
「おはよう、また会いましたね。」
コンドウさんは笑顔で僕を迎えてくれた。
「お?ヒュメル社の人?お迎え?」
「はい。」
「そうか!まぁ、がんばってよ!」
おじさんは倒れそうな身体を支えるように僕の肩に手を置いた。
「どちらに行かれるんですか?」
「あのねぇ・・・2番出口だったと思うけど・・・乗り換えなんだよね。地図がさぁ・・・」
「あぁ、2番出口はずっと向こうの方なんですよ。」
「あぁそう・・・じゃあ、まぁとりあえずそっちに行ってみるよ。ありがとね!」
おじさんはコンドウさんが示した方向に歩き出し、じゃあね!がんばれよ!振り返って僕に向かってそう言うとすぐに向きを直してふらふらと遠ざかっていった。
「・・・隣の席だったんです。結婚式に出席するらしくて。」
「あぁあぁ。ちゃんと着くのかな・・・それはそうと、あともうひとり乗ってるんだけどな。」
コンドウさんが辺りを見回していると僕と同じような、新品のスーツとぴかぴかの黒い革靴の男の子がこっちに走ってくる。
「はぁ・・・やっと・・・見つかったよ。」
男の子は乱れた息をなだめるように鼻で長い呼吸を繰り返しながら、とぎれとぎれに言葉を繋いだ。
「おはよう。お久しぶりだね。」
「お久しぶりじゃないですよ。日にち間違えたと思ったじゃないですか。ちゃんと探してくれました?」
「イタガキ君なら見つけてくれると思ってね。」
「それは職務怠慢ですよ。」
「まぁまぁ・・・同期のタケウチ君だよ。」
コンドウさんはふたりの会話から取り残されそうになっていた僕の背中を軽く押した。
「イタガキです。よろしく。タケウチ君、ネクタイの結び目が何かおかしくない?」
「・・・本当?」
「そういうイタガキ君もおかしいんじゃない?」
「そうですか?コンドウさんとそんなに変わりませんよ。俺らは慣れてないからしょうがないけど、コンドウさんがそれじゃ困るなぁ。」
コンドウさんとイタガキ君は互いにネクタイを見合って笑った。そして、気がつけば僕もつられて笑っていた。
これまでの僕の生活の中であったパーパスとの接近遭遇といえばごく僅か、それは近所のコンビニで働くパーパスとかぐらいで、品出しをしているパーパスの後ろを通ったり、レジ打ちをしているパーパスを目の前にすると、どういう訳か、少し身構えちゃったり。小中高と続けて、年に一度あった社会科実習のパーパス体験会でも、体育館に連れてこられたパーパスの周りを囲み、好奇心旺盛に握手を求めたり、いちたすいちは?と質問してみたりする生徒の輪に入ることが出来ず、外からその様子を眺めているだけだった。
パーパスって一体なんなんだろう。って、この期に及んで真剣に考えてみる。まずは世間の声。〈パーパスとは、この国の経済を下支えし、人々に幸せを与える・・・装置である〉いつも最初のここで躓いてすぐに諦める。それはパーパスに対する圧倒的な経験値不足のせいなのか。それとも、僕が抱いているパーパスに対して少し身構えてしまうあの感じのせいなのか。
ともあれ、そんな僕がヒュメル社に就職するなんて。問題はそこなのかもしれない。おじさんが言うようにヒュメル社は一流企業なのかもしれない。だけど、それについて特別な思いも無ければ、ヒュメル社で働くことへの希望も野望も展望も、何も無い。高校での生活に終わりが見え始め、次の居場所を見つけなくてはいけなくなった時に高校が提示したひとつの選択肢としてヒュメル社への推薦入社があった。それだけのことで。
他人が苦手な子供だった。他人にガッカリされるのが嫌だから、期待されるのも嫌だとか、怒られるのはもちろん嫌だし、褒められると気まずくて顔が引きつるし、慰められたり心配されたりするのは申し訳なくて。とか考え始めると、他人の中にいる自分というのは、ただただ迷惑な存在でしかないんじゃないかって結論に落ち着く。そんな子供の学生生活とはまるで、常に〈かくれんぼの子〉を強いられているようなもので、そう思いつつも〈子供は勉強が仕事〉とかいう慣例に、事を荒立ててまで背くほどのバイタリティも無く。そんな子供に残された道。それは心を無にして、ただ黙々と登下校を繰り返す。それだけだった。
とはいえ、僕の周りの今どきの子供達は〈有給休暇〉と称し、適当な理由もなく、適当なタイミングを見計らって学校を休むし、それは緩やかな社会問題としてテレビやネットで取り上げられていたものの、親や、学校までもが子供の〈学ばない自由〉を尊重し、この暗黙は緩やかに了解されていた。小学4年生だったある日のこと。こんな僕にもちょっとした自我が芽生えたのか、ほんの出来心で〈有給休暇〉を取ってみた。だけどそれは散々な思い出で、親からは「学校で何かあったんじゃないか。」と涙目で何度も問いただされるし、次の日の朝には「タケウチが休むの珍しいな。」と周りを取り囲まれるし。つまり僕という人間は〈いないほうが存在感が増す〉という恐ろしい現実を突きつけられただけだった。
それから僕は反省し、再び心を無に入れ替えて、ただ黙々と登下校を繰り返す。そんな日々の積み重ねによって、その存在すら忘れられていた皆勤賞を中高6年連続で受賞する快挙とか、まぁまぁな学業成績とか、〈真面目で勤勉〉という評価とかを得ることになり、どういう訳かヒュメル社への推薦入社。そして現在に至っている。
普通の人間だったら学生生活を終えると社会人生活を始めなくてはいけない。僕にとってヒュメル社とは、これから先にあっただろう憂鬱な4年間をショートカットさせてくれる、ちょっと立派な〈抜け道〉としか思ってなくて。登下校を繰り返す。から、出退勤を繰り返す。に変わることで発生する、あからさまな利益が僕を変えてくれるんじゃないかと少しは期待しているものの、世間一般で言う、ヒュメル社は一流企業という評価や、設立当初から現在でも根強くくすぶっているパーパスという存在に対する賛否までを背負うようなことは、ちょっと勘弁してほしい。
パーパスって一体なんなんだろう。僕はヒュメル社に入って、パーパスを製造する作業員としてのパーパスを管理する仕事をするそうだ。おじさんが言うように、それって大変なことなんだろうか。おじさんはいつの間にか腕を組んで俯いて、自分勝手に静かな寝息を立てていた。パーパスって一体なんなんだろう。少し身構えてしまうあの感じって。それでも僕は窓の外の景色を、どちらともなくただぼうっと眺めるだけだった。もうすぐ始まるっていうのに。
そんな思いを知るはずもなく、最新型は目的地に向かって音もなく走り続けていた。
◇ ◇ ◇
パンパンに膨らんだスポーツバッグを肩にかけて勢い良くホームに降りたおじさんに、僕は続いた。
「あれ?全然解らないな。どっち行けばいいの?これ。」
酔いのせいか、大きな荷物のせいか。おじさんは覚束ない足取りでよちよちとバランスと保ちながら自分の行き先を探し、僕は解りもしないおじさんの行き先を、解るはずもないのに何となく一緒に考えていた。
「おつかれさま。」
肩越しに聞こえてきた声に、ようやく自分がここにいる理由を思い出し振り返る。
「あぁ、おはようございます。」
ヒュメル社人事部の新入社員教育担当のコンドウさんと会うのは入社面接以来で、その時も、こうしてホームで待っていてくれた。背が高く清潔感に溢れスーツがよく似合う、僕が思い描くような立派な社会人だ。
「おはよう、また会いましたね。」
コンドウさんは笑顔で僕を迎えてくれた。
「お?ヒュメル社の人?お迎え?」
「はい。」
「そうか!まぁ、がんばってよ!」
おじさんは倒れそうな身体を支えるように僕の肩に手を置いた。
「どちらに行かれるんですか?」
「あのねぇ・・・2番出口だったと思うけど・・・乗り換えなんだよね。地図がさぁ・・・」
「あぁ、2番出口はずっと向こうの方なんですよ。」
「あぁそう・・・じゃあ、まぁとりあえずそっちに行ってみるよ。ありがとね!」
おじさんはコンドウさんが示した方向に歩き出し、じゃあね!がんばれよ!振り返って僕に向かってそう言うとすぐに向きを直してふらふらと遠ざかっていった。
「・・・隣の席だったんです。結婚式に出席するらしくて。」
「あぁあぁ。ちゃんと着くのかな・・・それはそうと、あともうひとり乗ってるんだけどな。」
コンドウさんが辺りを見回していると僕と同じような、新品のスーツとぴかぴかの黒い革靴の男の子がこっちに走ってくる。
「はぁ・・・やっと・・・見つかったよ。」
男の子は乱れた息をなだめるように鼻で長い呼吸を繰り返しながら、とぎれとぎれに言葉を繋いだ。
「おはよう。お久しぶりだね。」
「お久しぶりじゃないですよ。日にち間違えたと思ったじゃないですか。ちゃんと探してくれました?」
「イタガキ君なら見つけてくれると思ってね。」
「それは職務怠慢ですよ。」
「まぁまぁ・・・同期のタケウチ君だよ。」
コンドウさんはふたりの会話から取り残されそうになっていた僕の背中を軽く押した。
「イタガキです。よろしく。タケウチ君、ネクタイの結び目が何かおかしくない?」
「・・・本当?」
「そういうイタガキ君もおかしいんじゃない?」
「そうですか?コンドウさんとそんなに変わりませんよ。俺らは慣れてないからしょうがないけど、コンドウさんがそれじゃ困るなぁ。」
コンドウさんとイタガキ君は互いにネクタイを見合って笑った。そして、気がつけば僕もつられて笑っていた。