イタガキジュンジ 4 (第14話)

文字数 3,451文字

 いつもどおりの朝。作業服でリュックを背負い、自転車にまたがって第7工場へ走り出す。会社までの僅かな距離でさえ汗を滴らせ走っていた少し前にくらべると、顔を撫でる空気が少し冷たく感じ、だけどそれがとても心地よく。そう感じるのは季節の移り変わりのせいだけなんだろうか。

 緩い坂を下り信号のある丁字路を右に曲がる。通勤時間帯とはいえ、第7工場で働く作業員の大多数はパーパスのため、大きな混雑のない緩やかな人の波をすり抜けて、通用口の前で自転車を降り、IDカードで〈中〉へと入る。再び自転車にまたがって走り出し、従業員待機棟の側にある駐輪スペースに自転車を置く。すれ違う人には適当に挨拶を返しながら待機棟の玄関にある認証端末で出勤時間の登録し、自宅から作業服で着てくる僕は更衣室へは向かわず、大体の作業員が始業までの時間を過ごす休憩スペースにも寄らず、待機棟を出て南口から工場内へ入る。

 始業前の工場内はひんやりとした雰囲気で、どこかにいる人の話し声がひそひそと遠くから聞こえてくるくらいに静かだ。まずは中央通路をまっすぐ歩いて、あとはいつもの道順でいつもの場所に到着した。〈誰もいない〉静止画のような第10セクション。背負っていたリュックを事務机の下に置いて席に着く。ここでようやく朝からの一連の動作が完了したと一息つく。

「みんな、おはよう。」

 一番向こうまで届くように声をかけると、パイプ椅子にぽつんと座って並ぶ10体のパーパスが「おはようございます。」それぞれが疎らに挨拶を返した。時には隣のグループからも返事が聞こえてきてちょっと笑う。10体のパーパスは、背格好は同じでも髪型や顔の作りに微妙な〈バリエーション〉がある。それは、例えばこうして並ばせた時に、取り扱う側の違和感をなくす為らしい。最近ようやくそれを実感できるようになったのはいろいろと余裕ができてきたということか。

 工程管理用の液晶モニターの電源を入れ、映し出された〈今日の生産計画〉や〈セクション内連絡事項〉を確認しながら始業を待っていると「おはようございます。」呟くような挨拶とともに他のグループ長が次々と後ろを通り過ぎ、そっくりそのまま僕も挨拶を返す。ここまでも毎日の繰り返し。そして、ようやく変化をもたらすのは始業時間ギリギリになって最後にやってくるイタガキだった。

「おいタケウチ。お前、昨日の夜、電話したの気づかなかったの?」

「あぁ・・・もう寝ちゃってた。何の話?」

「昨日、家のパソコンのネットが繋がらなくなっちゃって。設定とか弄っても治らなかったからお前解んないかなぁって思ってよぉ。」

「今どーなってんの?」

「いや、まだ治ってないよ。」

「・・・もう始まるから、後で聞くよ。」

「おう。頼むわ。」そう言って、イタガキが奥の方に行くと同時に始業のサイレンが鳴った。

 各グループ長の液晶モニターにタネダさんが映し出され朝の打ち合わせが始まる。セクション長以上の作業員は、工場内にある〈集中管理室〉での業務のため現場には来ることは殆どない。始業前に確認しておいた項目をタネダさんが軽く説明して打ち合わせが終わると、グループ長がそれぞれ担当する圧縮成形機の電源を入れ安全装置の動作確認をしてパーパスに作業開始の指示を出す。パーパスは座っていたパイプ椅子を畳んで、それぞれが受けもつ成形機の間に椅子をしまって作業を開始する。そして、周りからは油圧ポンプが低く唸る音や成形機の工程完了を知らせる電子音。遠くからは自動運転の運搬カートが鳴らすメロディも聞こえだし、いつものように工場がゆっくりと稼働を始める。

 〈目の前の液晶モニターとにらめっこ〉それがグループ長の主な仕事だった。〈自動運転の運搬カートが運んできた材料の入った箱を下ろし、その材料を圧縮成型機で加工して、出来た部品を再び箱に詰め、自動運転の運搬カートに積み込んで搬出する〉箱の積み下ろし、加工の作業はもちろんパーパスが行い、グループ長はこの一連の繰り返し作業が円滑に進むように、刻々と変わる生産数や目標達成率の数字をチェックしながら運搬カートの往来の指示を液晶モニターで行う。

 運搬カートを無駄に呼びすぎると渋滞を起こして警告音が鳴りだすし。生産数が落ちている圧縮成型機があればパーパスの作業を止めて、機械の異常の有無を確認しなきゃいけないし。機械の修理を担当するのはメンテナンス部なんだけど、異常が出たら何も考えずにすぐに呼ぶと「こんな簡単なことで呼ばれたら困ります。」ってタネダさんにクレームが入るし。実際、イタガキがそれで怒られてたから。なにかと気を使うことは多い。

 だけど僕はそんな今がとても心地よかった。ヒュメル社から買い取られた時間。それと引き換えにヒュメル社から与えられた立場や規則や目標の中で、どうすれば良いのかを自分で考えて仕事をするだけ。不透明な先行きにもやもやしながら、何の為かも解らない知識や学問を押し付けられることもなく、だけど、それによって培われた〈耐久性〉はしっかりと役に立ったみたいで、まるで〈何も無い〉と思っていたこれまでの延長線上にあった〈第7工場 第1製造部 第2管区 第10セクション Aグループ〉という〈僕だけの場所〉に、コロコロコロコロ・・・ストン。って、きれいに収まったんだと思った。

 パーパスが操作する圧縮成形機はパーパスの胸の高さで貫通した開口部があり、ラムネのような白くて小さい塊を開口部の下面中央にあるくぼみにセットして、開口部の下の両端に離れて付いている2つの大きな起動ボタンを両手で押すと油圧シリンダーによって下面がゆっくりとせりあがって上面との隙間をなくす。そこに熱が加えられしばらくその状態を保ち、元の状態に戻ると白い塊は小さなチェスの駒のような形をした部品に加工されている。圧縮成形機の一連の動作を繋げていくようにパーパスは開口部に手を入れてラムネをセットし、起動ボタンを押し、チェスの駒を開口部から取り出す作業を延々と続ける。

 グループ長というのはグループ内の仕事の流れが円滑であればあるほど仕事がなくなってしまう。僕は他のグループ長に比べてそういう状況になることが多くあるみたいで、液晶モニターとにらめっこする振りにも飽きてきたころから、僕は一番手前で作業するパーパスをじっと眺めることがあった。眉間にしわを寄せ数字を追いかける周りの人間たちと違って、いつものあの表情で黙々と作業を続けるパーパスを見ているとなんだか気持ちが少し軽くなるような気がしていた。

「ねぇ、ミツオ君・・・ちょっとちょっと。」

 ミツオ君というのは僕が一番近くにいるパーパスに勝手につけた名前。彼の作業服の胸にある〈JP-I-35A-000320〉という番号からとったもので、その番号の詳しい意味は解らないけど最後の320だけをとってミツオと名付けた。何度か呼ぶとようやく、はい。呟くように返事をして僕のほうに向かって気をつけの姿勢を作る。

「今日の外は暗い?明るい?」

「・・・暗いです。」

「今日は曇りで陽が出てないからね・・・ちょっと寒いよね?」

「・・・。」

「寒いってのは・・・冷たいね。」

「冷たい・・・はい。」

 パーパスと人間との間では表現に違いがあるみたいで〈寒い〉という言葉はパーパスにとっては不要なんだと製作者が削除したんだろう。ミツオ君とはBグループのグループ長よりはるかに多く言葉を交わしている。当たり前というか、いつまで経っても僕らの間に通じ合うものはなかった。だけど、そういう感覚はパーパス相手に限ったものではない。そうも思っていた。僕にとって〈パーパスは装置なのか〉という、立ち止まっての確認は〈人間は生物なのか〉とか〈地球は惑星なのか〉という、立ち止まっての確認くらい無意味なもので、じゃあ、僕の周りや世間の奥底に潜む〈そうかそうじゃないか〉問題に関して、僕には〈関係ない〉そういうことにした。

「僕の名前は憶えたかな?」

「・・・。」

「タケウチだよ。タ・ケ・ウ・チ。」

「・・・・・・」

「あ、それと、君の名前はミツオだよ。君はミ・ツ・オ。解った?」

「・・・はい。」

「君の名前は?」

「・・・はい。」

「・・・いいよ。作業続けて。」

 ミツオ君は、はい。小さく返事をして、機械のほうに向き直し、傍らの箱からラムネを取り出し開口部セットした。もうそろそろ憶えてよ。あの表情のまま黙々と作業を続けるミツオ君を見て、小さなため息をついた。
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