イタガキジュンジ 2 (第12話)

文字数 2,885文字

 従業員待機棟2階の更衣室の指定されたロッカーに荷物をつめこみ作業服に着替え、先に南口まで戻って待っていたタネダさんと再び合流した。

「じゃあ、とりあえずついてきてね。」

 タネダさんがそう言って南口の自動扉のタッチセンサーに触れると、頑丈そうな灰色の大きな扉がゆっくりと左右に開いていく。僕はその様子を見ながら、奥歯を噛んで来るべき事態に備えた。何かを知らせるけたたましいブザー音、僅かな音数で作られたどこかで聞いたことある電子音のメロディ、何かの装置から大量の空気が吐き出される音とか。いろんな音が塊になって両耳から一気になだれ込んで来て、頭の中の真ん中らへんで正面衝突して脳が揺れる。研修で初めてここに来て、不用意にこれを経験したときは一瞬、気が遠くなるような感覚に襲われたけど。今日は備えもあってちょっとうわっとなっただけで、なんとか持ちこたえた。それにしても工場内は騒々しい。これから先、この音の塊から自分に必要な音だけを仕分けできるようになるか不安になるような騒々しさだった。

 タネダさんの後を追って、南口から繋がっている広い中央通路を進む。騒々しさは相変わらずだけど正面衝突の衝撃からは徐々に落ち着きつつあった。中央通路は工場の敷地を2つに分けるように一直線に通っていて、遠い先には北口と呼ばれるもうひとつの大きな出入り口があった。一定の間隔で十字路があり東西にのびる通路へと繋がっていて、通路によって四角く区切られた各エリアには、まだ僕が内容や用途を知ることがない、箱に入った素材や、素材をどうにかする機械や、機械にどうにかされて箱に入れられた部品が、然るべきだろう場所にきれいに並べられ、そのあちこちに〈作業員〉の姿があって、僕はなんとなく目を向けられず、前を行くタネダさんの背中だけを見て歩いていた。「あっ」思い出したように一瞬、天を仰いだタネダさんが、歩いたままこっちを振り返った。

「前に聞いたと思うけど、カートには気を付けてね。」

 重要事項。そんな思いを込めたように眉間にしわを寄せ、ゆっくりとそれだけ言ってタネダさんは向き直した。カートとは、僕らが歩いている通路の両側を、存在をしらしめるように電子音のメロディを奏でながら、歩く僕らを追い越すぐらいの速度で頻繁に行き来している自動運転の運搬カートのことだった。一目見ただけだとちょっと頑丈そうなただの台車なんだけど、どう制御されているのか、材料や部品を入った箱をたくさん積んで自動で勝手に動いている。

 〈気を付けてね〉と言っても〈ぶつかって怪我しないでね〉と僕らを気遣って言ったのではなく。カートは行く手を遮る何かを察知すると警告音が鳴り自動停止するようになっていて、1台のカートが停止してしまうと付近を通るカートが徐行運転になってしまう。それが生産効率などの数字に悪影響を及ぼすから。ということで、要は〈カートの仕事の邪魔をするな〉という意味だった。〈この工場にとってカートは血液みたいなもの〉研修のときにキジマ工場長からもそんなことを聞かされてたのを思い出し、初日にいきなり止めてしまったりしたら。この状況だとそれはありえない話ではない。と思うと、普通の歩き方でさえ曖昧になってきて、ふと隣に目を向けると、僕の目線に気が付いたイタガキはおどけたように鼻の下を伸ばして見せた。

 中央通路を半分近く歩き、工場の真ん中辺りに来たところで、大きな十字路を左に曲がる。研修の時は中央通路をまっすぐ歩き北口から出たので、ここから先はまだ知らないエリア。なんだか変なタイミングで新入生としての自覚を感じ、少し身が引き締まった。両側に見上げるほどに大きい機械が建ち並ぶ通路をしばらく進み、機械と機械の間にあった隠し通路のような小路を右に入りしばらく歩くとトンネルを抜けたように開けたエリアがあった。

「ここが第10セクションです。初めてだよね?」

 はい。頭の中で色んな思いが渦巻いて、小さく返事をするのが精一杯だった。ここが僕のこれまでに対する〈評価〉であり〈結果〉なんだとか。ここがこれからの僕が学校の代わりに何度も何度も行き来する場所なんだとか。ここは退屈な学校生活とは違う何かを与えてくれるんだろうかとか。

 自分の背よりちょっと高いくらいの長四角い鉄の塊、冷蔵庫みたいな〈圧縮成形機〉が横に10台きれいに整列していて。それぞれの機械の前にはパイプ椅子があり。それに背中を向けて座っているのは、たぶんパーパスなんだろう。並んでいるのにそれぞれが、ポツンと座っている。という表現が当てはまる。その並びの右端には大きな液晶モニターが置かれた事務机があった。

 ここは中央通路の騒々しさとは打って変わって、電子音や油圧ポンプの唸る音とか、必要最小限の乾いた音が、並びの奥のほうから聞こえてくるだけで、目の前の光景は静止画のように動きが失く、それはここを動かすことの出来る誰かが今は不在ということなんだろう。

「今、見えてるのがAグループだから・・・担当はタケウチ君だったね。」

「はい。」

「このグループがEまであって、奥に同じのがずらっと並んでるんだ。イタガキ君は・・・」

「俺、Cです。」

「だね。じゃあ・・・」

 タネダさんの後について各グループ長の座る事務机を回り簡単な挨拶を済ませると、僕はタネダさんと、イタガキはBグループのグループ長と、仕事の内容を確認することになり、僕はタネダさんの後についてAグループに向かった。

「じゃあ、とりあえず。」

 タネダさんはそう言って、僕の背中に置いた手を、成形機の列とパーパスの列の間に押し込んだ。まるで予告のない出来事に、唐突に身近で向かい合ったパーパスに、呆然と息が詰まった。みんながほとんど同じの、少しはにかんだような、パーパス特有の〈あの表情〉で視線をこっちに向けている。それで僕は下を向くことしか出来ずに、パーパスが着る薄い灰色の作業服の裾を視界の隅に入れるのが精一杯だった。

「今日からAグループのグループ長を務めることになったタケウチコウキ君です。わかりましたか?」

 タネダさんが言うと「わかりました。」パーパスたちがそれぞれまばらに返事をした。

「タケウチ君。折角だから何か言う?まぁ言ってもあれだけど。」

「あの・・・新しくAグループのグループ長を務めることになりました。タケウチコウキです。えぇ・・よろしくお願いします。」

 何も思いつかず、今聞いた言葉をほぼ繰り返すだけだった。パーパスたちは「お願いします。」さっきと同じようにまばらに返してきて。思いの外いいかげんな受け答えをすることに少し戸惑ったけど。僕のこの思いというのはパーパスにとったら、どうでもいい以前の、人間の感覚じゃ表現出来ないほどの無なんだろうから。僕の戸惑いは無駄に宙を舞っているというか。

「・・・じゃあいいね。とりあえず機械の簡単な操作を教えようか。」

 タネダさんは、何となく締まりのない空気から僕だけを連れ出して、ポツンと座るヒュメルの列を背にして、一番近くにあった成形機の電源ボタンを押した。
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