マチダダイスケ4(第21話)

文字数 4,217文字


 その後、食事は僕らのナイフとフォークの扱いの下手さを除いて滞りなく進んでいった。僕らは難解な立体パズルを解くようにナイフとフォークを使い、目の前の料理をおぼつかない手つきで慎重にバラしながら口に運んでいく。料理はとてもおいしく、その味はパズルを解いたご褒美のように感じた。しだいに雰囲気にも慣れ、おいしい料理のおかげもあってリラックス出来た僕らは、余計な勘ぐりは忘れて話が出来る余裕が生まれていた。話す内容も他愛もない世間話から互いにとってもっと身近なものまで。

「・・・ミズノさんは、パーパスって何だと思います?」

 ふたりの前にはメインディッシュが置かれ、そして僕はずっと聞きたかったこのことを口に出した。

「何だっていうと?」

「一般というか、社会的にというか、パーパスは装置として認識されてると思うけど、開発者としてどういう・・・っていうか・・・」

「なるほどね・・・じゃあ、タケウチ君は?どういうふうに考えているのかな。」

「僕は・・・パーパスっていう存在を装置として割り切ることが出来ないでいました。端的に言うと人間と同じだって思っていました。それが自分にとって自然というか、都合が良かったから。」

「うん。そうだな・・・」

 ミズノさんは僕の言葉に頷いて、フォークで刺したひと口を頬張って、ゆっくりと咀嚼しながら真剣な眼差しを目の前のテーブルに落とした。

「・・・まず僕はパーパスは人間と同じではない。と思っているよ。」

「じゃあ・・・」

「じゃあ・・・装置という表現があてはまるのか、っていうのはあるよね。・・・でも人間とパーパスには決定的な違いがあって、僕はそれを区別の拠り所にしてるんだ。」

「区別の拠り所?」

「そう。人間には無くてパーパスにはあるものがあるんだ。」

「なんですか?」

「それはね。生まれてくる目的だよ。パーパスには生まれてくる目的があるんだ。」

「目的?ですか?」

「・・・そもそもパーパスっていうのは〈目的〉って意味だよね。つまりパーパスっていうのは存在自体が目的ってこと。パーパスっていう名前にはそういう開発者の思いが込められているし、僕らもその思いを受け継いでいる。でも人間には生まれてくる目的なんて最初から無い。例え、ある人が何か凄いことを成し遂げようと、大勢の人に尊敬されようと、それがその人の生まれてきた目的だったということはない。なぜなら人間が生まれてくる目的を決める存在なんていないからね。でもパーパスにはその存在がいる。それが人間なんだよ。人間は目的をあらかじめ用意してパーパスを製造する。それが人間とパーパスの正しい関係なんだよ。」

「パーパスとは目的か。」

「タケウチ君は目的も無く存在し続けているパーパスがいるって知ってるかい?」 

「そんなパーパスもあるんですか?」

「20周年式典で社長のスピーチのときに一緒にいた世界一有名なパーパスって憶えてる?」

「ちょっと・・・なんかあったみたいですね。」

「あのパーパスは初めての完成品なんだ。」

「20年前のですか?」

「そう。」

「僕はパーパスの耐用年数って10年くらいって聞きましたけど。」

「普通に労働に従事してる場合はね。あのパーパスは社長命令で記念品として保管してあるんだよ。保管って言っても研究所の片隅に専用の保管部屋があって、本当に狭い部屋なんだけど、そこでただなにもしないで決まった時間にエネルギーを摂って、決まった時間にスリープ状態のオンとオフを繰り返して・・・まぁ、なんというか、可哀想というか・・・まぁ、そんなことはよくって・・・区別の拠り所なんて、ピンと来ないでしょ?」

「あぁ・・・えぇ・・・」

「自分で言ってても、これが100パーセント自分を納得させているわけじゃないって自覚はしてるし。だから、他人に解ってもらおうなんてのも無理な話だから、普段はあえて口に出さないし。でも、僕にとっては必要なんだよ・・・・与えられた社会に居場所を作るためにはね。本当にただの拠り所だよ。」

 そう言ってミズノさんは眉間にしわを寄せ、面倒そうにナイフとフォークで分けて刺した一口を口に運んだ。ミズノさんの話を聞きながら、僕は〈パーパスには何も無い〉と言っていた、いつかのイタガキの事を考えていた。人間とパーパスの正しい関係。あれは、いつかのイタガキが色々悩んで考えた末の区別の拠り所だったのかもしれない。ということか。

「・・・人間がパーパスに痛みを与える意味ってなんですか?」

「痛みって?」

 僕がイタガキとの思い出を辿っていけば、必ずあの日の出来事で行き止まる。「ばかじゃねえの」それが僕にとっての最後のイタガキのだった。もし、あの日が無かったら。あの出来事が無かったら。パーパスに痛みが与えられたあの一瞬が無かったら。って今でも思うことがある。「・・・僕には唯一、仲が良かった同期入社のやつがいて・・・」それから僕は、イタガキとの、あの日の出来事について話した。

「・・・ということなんですけど。食事中にすいません。」

「いや、いいんだ。そうか・・・パーパスに痛みを与えるのは、取り扱う人間側の都合なんだよね。」

「人間側の都合?」

「あぁ、最初はなかったんだよ。痛いとか苦しいとか。あと、熱いとか冷たいとか。だけど、製品化前のシミュレーションの段階で色々作業させてみたら、身体が破損したり、焼けただれたりしても、あの顔で平然と作業を続けちゃうってことでさ。それはそれで取り扱う人間にとっては恐怖なんじゃないかって話になったみたいで。つまりパーパスが表現する痛みや苦しみっていうのは、異常の発生を取り扱う人間にも解りやすくする為の、安全装置とか警告ランプみたいなものなんだよね。」

「だけど、あそこまでリアルだと装置として取り扱うのを躊躇しちゃうんじゃないかなって思いますけど。」

「そうだね。ちょっと痛くて手を引いたり、熱を感じて一歩下がったりする程度だったらいいのかもしれないけど、そこまで大きな事故になるとね。だけど、まぁ、当時の技術者が実験していく中で〈装置としての性能を高めるには、より人間に近づける〉っていう結論に達したということなんだ・・・まぁ、本当にそうかなって思うけど。」

「・・・っていうと?」

「技術者としては装置だとか製品だとかは別に技術の限界に挑戦したくなるものなんだよ。〈装置としての性能を高める〉っていう建前があって〈より人間に近づける〉っていうのが当時の技術者にとっては本音だったんだと思うよ。ある意味これも人間側の都合だよね。ほんの一握りの、だけどね。実は今でも色んな議論はあるんだ。人工知能や身体の性能を向上させ、もっと高度な作業が可能なパーパスを製造しようとか。それをやってしまったら人間が取り扱う装置としてパーパスの関係が崩壊してしまうとか。技術者とか経営者とか色んな立場の人間のエゴや願望が渦巻いているよ。

「今のパーパスの形は社長が決めているということですか?」

「まぁね。でもそこまで首を突っ込んでこないよ。パーパスの性能がどうのって、社長にとっては些細なことなんだろうから。」

「そんなもんなんですか?」

「タカサキヒロアキっていう名前は〈パーパスを世に出した人物〉としてずっと歴史に残るからね。それに比べたら使い勝手がどうだとか、もっと言えば売れた売れないなんて2の次なんじゃないかな・・・だから現在を担っている技術者である僕が、こうやって幅広く色々意見を聞いて、時代に合わせて変えるべきところは変えていかないとって思うんだけどな。微調整レベルのことはしてるんだよ。だけど、なかなかね・・・」

「・・・複雑な問題なんですね。」

 それが僕が口に出せる唯一残された言葉。そんな気持ちだった。

「あぁ、確かにね。だけど、タケウチ君は自分の考えが、社会が求める共通認識から外れていて、間違いなんじゃないのかって思ってるかもしれないけど・・・だけど、タケウチ君は間違っているわけじゃないし、考えを改める必要はないんだよ。そんなのはさぁ・・・適当でいいんだよ。」

「適当ですか?」

「そう。タケウチ君の職場で求められているのは、人間の代わりに労働を担う存在としてのパーパスであって、それ以上でもそれ以下でもない。だから、パーパスとは一体何なのか。なんてことをどれだけ深く突き詰めたって、それはタケウチ君にとって大切な同期生と仲違いするほど重要なことじゃないはずだと思うけど、どうだろう?」

「確かにちょっと後悔はしてるかもしれません。」

「パーパスっていうのは、人間が人間のために作り出したものであって、それは人間同士が互いを否定したり、諍いを起こしたりするためじゃなくてさ。だから、タケウチ君がパーパスを必要としているところ以外での、他人との相違については適当でいいんじゃないかって。技術者としてこんな事言うのは、心苦しいけど。ヒュメル社の一員として、与えられた社会に居場所を作るためにはね。」

 そう言い終えると、ミズノさんは最後の一口をフォークでひと突きし口の中に放り込み目を閉じて、自分を納得させるようにゆっくりと咀嚼を繰り返しながら何度も小さく頷いて「そういうこと。」と最後にひとつ呟いた。それはここへ入店した時の、そして、曖昧になりつつある見学室での記憶を完全に打ち消すかのような、堂々としたミズノさんの姿だった。適当。それはいつからか、僕の心のどこかにずっと居座り続けていた蟠りが消えるきっかけとなるのに相当しい言葉なんだろうか。そう疑ってしまうほどの軽さで溶け込んできたんだけど。それは僕から湧いて出た言葉ではないという新鮮な感覚のせいなのかもしれない。目を開けたミズノさんが、その視線を僕を超えた向こうへ送り軽く会釈をして、振り返って見たら、奥のほうから老人がワゴンを押してゆっくり近づいてきた。

「いかかでしたか?」

「とてもおいしかった。大変満足です。」

 ミズノさんは広げた両手をテーブルについて得意げ頷くと、親指の付け根を眼鏡のブリッジに押し当てた。

「そちらの方はいかがでしたか?」

「すごくおいしかったです。ありがとうございました。」

「満足してくださったようでなによりです。こちらデザートになります。食後のコーヒーもご用意しております。当店、閉店時刻はございませんので心行くまでご寛ぎください。」

 老人はそう言うと満足そうに優しい笑みを浮かべた。
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