タケウチコウキ 1 (第6話)

文字数 2,478文字

 もの凄い勢いで流れていく間近の景色。少しずつ角度を変えながらゆっくり通り過ぎていく遠くの景色。わずかに傾けた背もたれに身体を預け、擦り合うように重なるふたつの景色を、どちらともなくただぼうっと眺めているだけだった。

「・・・やっぱり最新型は凄いなぁ・・・ほんとに次世代って感じで・・・ねぇ?だってさぁ、全く音もしないし、揺れたりしないんだもの。これは何か、あのさぁ、部屋ごとスーって動いてるみたいじゃない?ねぇ?」

「・・・ですね。」

 空席だらけの6号車。途中の駅から乗ってきた知らないおじさんは、僕の隣にドカッと腰を下ろすと、お腹みたいにパンパンに膨らんだスポーツバッグを足元に置いて、中から缶のビールを取り出した。まだ早朝と言ってもいい時間。僕は思わず顔をそむけ、窓ガラスに微かに映る自分と目を合わせた。おじさんは顔はみるみる赤くなって、見ず知らずの僕に、けっこうな勢いであれこれと話しかけてくる。どうやら甥っ子の結婚式に出席するとかで「燃料チャージってやつ」らしい。どうやら降りる駅は同じ。これは何というか、スタートからいきなり試練に直面してしまったというか。そんなことを思いながら、だけど僕は途中で気がついた。おじさんにとって僕がちゃんと話を聞いているかどうかなんてあまり重要じゃなく、おじさんは自分で自分の話を聞くのに夢中なんだって。それから僕は適当に相槌を返しながら、どちらともなくただぼうっと眺めているだけだった。

「ところでお兄ちゃんは・・・就職なのかな?」

 思わぬ問いかけに、はっと我に返ると、窓ガラスに微かに映る自分の目がぐわっと見開いた。とにかく聞こえないふりをすると決め、窓の外の景色をどちらともなくただぼうっと凝視した。

「・・・だってさぁ、スーツとか靴とか、それ新品でしょ?時期も時期だし。ねぇ?」

 突然、雲行きが怪しくなって、何度やり直しても満足に結べなかったネクタイに首を締められているようで途端に息苦しくなってきた。床に何かの気配を感じ、固まったまま視線だけを落としてみたらそこにあったのは、無駄にぴかぴかと光る真っ黒な新品の革靴だった。

「・・・あぁ、嫌なこと聞いちゃった?ごめんなさい。」

 そう言って、おじさんは、申し訳なさそうに僕の顔を覗き込んできて。それからまるで、コマンドを選択しないから、いつまで経っても先に進まないゲームのキャラのように、ピクリとも動かずこちらの返事を待ち続けている。試練に次ぐ試練。これが社会の厳しさというものなのか。と思いながらも、僕はとうとう観念して先に進むことにした。

「・・・いえ、あの・・・そうですね。はい。」

「だよね!だろうと思った!見るからにそうだもんな!じゃあ、地元の大学を卒業して上京とか?」

 おじさんの声が車内に響く。

「・・・いえ、高校なんですけど。」

「あぁ、そうなんだ・・・」

 哀れみを含んだ囁きが耳をかすめ、僕のとなりでずっと火照っていた熱がさあっと冷めていくのを感じた。

「へぇ、ご苦労さんだねぇ・・・だってさぁ、最近じゃあ、子供が増えるの見越して学校が創立ラッシュとかで、どんな出来が悪いのでも学校同士で取り合っちゃってるっていうじゃない。国も大学進学率世界何位だって税金ジャブジャブ使ってるしさぁ・・・俺の若いころはあれだよ、受験戦争なんてのがあって、一生懸命勉強して志望校に入れて、それでやっと卒業できたかと思えば、社会人になって奨学金の返済で首が回らないやつとかたくさんいたもん。今は、なんて言うのかな・・・楽になったよね。どんなボンクラでも普通に大学行って4年間遊んでたって卒業できるんだから。それでほら、何だっけ、あの・・・ロボットとあいのこみたいなの。あれに「働け働け」って言ってりゃいいんでしょ?この前ニュースでやってたけど〈一億総ご主人様時代〉なんてよく言ったもんでさぁ。そんなご時勢に、ほんとご苦労さんだと思うよ。」

「・・・どうも。」

「ところでお仕事は?何するの?」

「え?・・・まぁ・・・」

「いや、差し支えなければでいいんだけどね。」

「製造の仕事なんですけど・・・工場で・・・」

「へぇ、工場で製造か・・・まだ人間がやってんだ。」

「まぁ、管理とか色々と・・・」

「製造か・・・っていうと自動車?・・・もう古いか・・・じゃないとなると・・・えー・・・製造か・・・」

 おじさんは僕に返事の機会を与えるかのように隙間だらけの言葉を繋いだ。なぜそこまで。酔っ払い注意。この試練からはとりあえずひとつ学んだ。しかも、その答えとは僕が一番言いたくないことかもしれないけど、まぁいいか。どうせ酔っ払いなんだし。と気持ちを切り替える。

「・・・ヒュメル社に就職するんです。」

「え?ヒュメル社?」

「はい。」

「あぁそう!凄いじゃん。さっき話に出たのに。そうなんだぁ、ヒュメル社か・・・あんな一流企業でも高校に求人票出すの?」

「・・・求人票っていうか学校推薦なんですけど。」

「推薦?へぇ、青田刈りってやつ?そんなことやってんだ・・・君、優秀なんだねぇ。」

「・・・いえ、特にそんなんじゃ・・・」

「今時、高卒で就職なんて、訳アリかと思っちゃった・・・悪いね。あぁ、でも、親御さんも喜ばれたでしょう?」

「・・・まぁ・・・」

「そうかぁ、今日は色々とめでたいめでたい。」

 何度目かの変貌の後、まるでこの為に、ずっと話し相手をさせられてたんじゃないかって思うほどの、満面のにこにこ顔になったおじさんが、突然、通りすがった車内販売の店員を呼び止めて、僕はまた顔をそむけ窓の外の景色に目を向けた。「はい、かしこまりました。」「カードを矢印の方向にスキャンしてください。」「ありがとうございました。」そして、店員は去っていった。

「ねぇ、今の売り子って、君の会社のあれだよね?」

「え? あぁ、ちゃんと見てなかったから・・・」

「あぁそう。でも、あんなの造るってことでしょう?大変そうだなぁ・・・はいこれ。就職祝い。」

 そう言って、おじさんは僕に缶のオレンジジュースを差し出した。
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