第47話 追跡

文字数 4,171文字

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A国A州F。郊外の事務所ビルの駐車場に停まった車から降りた一団に、アレースの姿が混じっていた。
吸い込まれる様に建物に入った彼らは、階段を三階まで駆け上った。アレースの周りに壁をつくり、大きな生き物の様にうねりながら進む彼らの行先は、この建物の一室。
この街で活動する時の彼らの拠点である。
いつもの様に、アレースの前に一人が踏み出し、鍵を開けて、ドアを引いた時だった。
金属のドアは、爆音と共に炎を噴いて飛んだ。ドアだけではない。周囲の壁もろとも、弾け飛んだ。
辺りに広がったのは、黒煙とコンクリート片、それに血。
廊下の窓ガラスを割るだけでは、爆風の勢いは収まらず、廊下一杯に煙が広がった。
飛び散った血は、扉を開けた一人だけのものではない。そこにいた全員の血。
倒れていたアレースは、耳を押さえながら、上半身を起こした。
この爆薬の量は、全てを炭にして終わりにするつもりはないという事。次がある。
アレースは、仲間の身に気をとられたが、すぐに立ち上がった。取敢えず、死んではいない。自分がいれば、きっと彼らは命懸けで戦う。その方が死ぬ確率は高いのである。
アレースは、廊下を見渡すと、割れた窓に目をやった。動線を変える必要がある。
窓の外に顔を出したアレースは、下の芝生と植栽、縦樋を見た。最短ルートである。
アレースは、脱いだ上着で残ったガラスを払うと、窓枠によじ登った。縦樋には手が届く。これがアレースの体重を支えられればベスト。無理なら、倒れた竪樋が植栽にひっかかる。それがベター。最悪の場合、そのまま芝生に落下。アレースなら、死にはしない。どのシナリオでも、最短で屋外に出られる。
廊下の一方の階段にスーツの男の影がチラつくと、アレースは樋に手をかけた。爆弾を仕掛けたのは、あの男に間違いない。
ルーレットの始まりである。
計画を実行に移したアレースが樋に体重をかけた瞬間、樋は崩れ始めた。
これで、ベストのゴールはない。縦樋はゆっくりと外に倒れ、予想よりも低かった植栽に当たると、先端を大きく曲げた。
想定外のシナリオ。樋を握り続けたアレースが叩きつけられたのは、芝生ではなく、アスファルトの道路だった。それでも衝撃は幾分弱まっている。擦り傷と打撲痕を増やしたアレースは、素早く起き上がると走り出した。相手の数がこれから増えないとも限らないのである。
まっすぐ道路に向かって走ったアレースは、信号で止まるセダンに近寄ると、窓を軽く叩いた。ハンドルを握っている男にデザート・イーグル.50AEXを見せてから、窓ガラスを撃ち砕く。当然、殺す気はない。ロックを開け、男を引きずり出すと、アレースは車を奪った。
直交する車は来ていない。アレースは、信号を無視してアクセルを踏んだ。片道三車線の交差点は、アレースが抜ける前に新しい車両を迎え入れ、急ブレーキの連鎖を呼んだ。だが、そこまで。アクセルを踏み続けたアレースは、事故を起こす事なく、信号を切り抜けた。
急に訪れた非日常を理解できないドライバー達が交差点につくったスペースは、間もなく、次の来客を迎えた。一台のSUV。明らかに、大きいその車は、やはり減速する事なく交差点に突っ込むと、止まっていた車両に車体をかすめながら、そのまま走り抜けた。
金属音はドライバー達に声を上げさせ、七色のクラクションが鳴り響いた。

道路を走行する車両は、一台だけではない。アレースは、三車線を縫いながら、先を行く車を追い越した。行先は決めていないが、とにかく遠くへ行く。逃げられる限り、逃げるのである。
やがて、アレースは、バック・ミラーに一台のSUVの姿を見つけた。自分のつくったスペースを走る相手は、絶対的に有利。車の性能の差もあるかもしれない。
みるみる大きくなるその影が背後に迫ると、アレースの体は前後に大きく揺れた。
ぶつけてきたのである。スピードが出ているので、ハンドルをとられる。まずは、それが相手の狙いだろう。
異常な二台は、一般車両の流れを大きく割った。前方の車両が消え、僅かな心の余裕を感じると、衝撃で揺られながら、アレースは次の手を決めた。やるなら、早い方がいい。
アレースがハンドルを切りながら、ブレーキを踏むと、車は大きくスピンし、横に逸れた。
回転が終わった時、車の向きが変わっていれば、相手を振り切る。同じ向きなら、後ろをとって、デザート・イーグルを見舞う。ハンドルの手応え次第。今日、二度目のルーレットである。
一方のSUVは、そのまま前進した。急ブレーキを踏んでも、すぐには止まれない。
通り過ぎる車を見送りながら、結果、アレースのセダンは横を向いて止まった。また、想定外である。但し、運転席はSUVの側。これも一つの答えである。
アレースは、割れた窓からデザート・イーグルを出すと、バックし始めたSUVに向かって、発砲した。固いビル街では、銃声がよく響く。
アレースの放った弾丸は、SUVのリア・ガラスを狙い通りとらえた。しかし、割れない。防弾仕様である。
アレースは、諦めずに同じ場所を撃ち続けた。傷をつければ、何かが変わるかもしれない。それだけである。
一方のSUVは、バックのまま加速した。Uは切らない。このまま突っ込む気である。
銃弾より大きい鉄の塊の前に身を晒すのは得策ではない。それは誰にでもわかる理屈。
アレースは、アクセルを激しく踏み、車輪を軋ませて、前に進んだが、SUVのリアから完全に逃げる事は出来なかった。今日、何度目かの衝突を受けると、もう一度、アレースの車は回った。
大きく揺られながら、アレースは、相手の覚悟を改めて感じた。おそらく、直接、戦っても弱くはない。
摩擦がある限り、車が回り続ける事はない。ハンドルを切ったアレースは、バランスがとれると、もう一度、強くアクセルを踏んだ。進行方向は、バックのSUVと逆である。
圧倒的な暴力で道を独占するSUVは、そのまま進行方向を変えるとアレースを追った。
命懸けの鬼ごっこは、まだ終わらない。

アクセルを踏みっぱなしの二台は、間もなく次の交差点に差し掛かった。止まっている車両もいるので、視界は決してよくない。ここに突っ込めば、死ぬ可能性が否定できない。ただ、減速しても同じ事である。
アレースは、空いている車線を選ぶと、そのまま、アクセルを踏んだ。交差点に突っ込む。今日、三度目のルーレットである。止まるべくして止まる平和な一般車両の横を、高速で走り抜ける。アレースの中で、自分が交差点を抜けるビジョンは出来ている。
但し、幸運は何度も続かなかった。それは、確率論のまま。
アレースのセダンは、崩れかけのリアに、直交する車の衝突を受け、大きくバランスを崩した。揺れる車体の中で、アレースは、冷静に考えた。速さと摩擦とバランスの簡単な式。ハンドルをどう動かすべきか。
ただ、ハンドル捌きで切り抜けられる局面には限度がある。アレースのセダンは、フロントに次の衝突を受けると、エア・バッグでアレースの顔面を殴打し、アスファルトの路面を滑った。
善良なA国人達は、事故があれば、車を止める。何人かが飛び出したのを見ると、アレースは、車から這い出し、右手を大きく挙げた。その手には大きな銃。彼の心の支え。デザート・イーグルである。
アレースは、視界に入ったSUVのフロントに向かって、懲りる事なく発砲した。
目的は二つである。SUVの牽制だけではない。轟轟と響く銃声は、救援のために車外に出たドライバー達を、一人残らず、その場に伏せさせた。時間は、止められるものなのである。
アレースは、周囲を見渡すと、一台のワゴンに走った。近くにあった。それ以外に理由はない。
SUVへの発砲を続けるアレースは、ワゴンに乗り込み、すぐに車を出した。
やる事は同じ。とにかく逃げるのである。

ワゴンとSUVのカー・チェイスは、舞台を高速に移しても続き、間もなく、どこからともなくパトカーが駆けつけると、周囲から一般車両の姿も消えた。ハイウェイ・パトロールのネットワークは、この国の根幹である。
あとは走るだけだが、燃料にも限りがある。まもなく、前方にバリケードを見つけたアレースは、ハンドルを大きく切り、プレーリーに車を入れた。整地されていない地面では、決して思う様に進まないが、人が走るよりは早い。
アレースは、大きく揺られながら、車を走らせ続けた。
バック・ミラーの中では、今までと同じ様にSUVが張り付いている。パトカーもついてくるが、二台の速さの比ではない。来た道を戻る気があるかないかで、アクセルの踏み方は違ってくるのである。
ただ、ワゴンが超えられる限界の起伏は、思ったより低かった。
やがて、アレースの車両は、目立ち始めた大きな石に乗り上げると、簡単に転んだ。ハンドルを握るのが彼であっても、それは本当に当たり前の様だった。
SUVは、警戒したのか、手前で止まった。パトカーに至っては、遥か遠くである。
まだ意識の残るアレースは、ワゴンから這い出した。
とうとう勝負の時間である。
アレースは、デザート・イーグルをシングル・ハンドで持つと、SUVに狙いを定めた。銃撃するためにドアを開ければ、無防備な部分が必ず露わになる。そこを狙うしかない。
まもなく、SUVから一人の男が現れた。頭からである。
フロント・サイトの先。狙撃する準備の出来ていた筈のアレースは、目に映った男の顔に小さな衝撃を受けた。
アレースである。
アレースの視線の先には、スーツ姿のアレースがいたのである。誰が見ても彼。
こんなにも執拗に、こんなにも無茶な追跡を続けてきた狂人は、他の誰でもなく、自分だったのである。
SUVから降りたアレースの手にも銃が握られているが、デザート・イーグルではない。小さな銃。これも個体差。アレースの口角は、自然に上がった。
間もなく、背後から数台のパトカーが迫ると、SUVの傍らのアレースはゆっくりと振り返った。彼の余裕の理由は分からない。
今なら選べる。銃撃戦か、逃走か。四度目のルーレット。
アレースは、瞬時に結論を出した。逃げるのである。
頼りは、A国の警官。
アレースは、痛みに耐えて、全力で走った。銃で人を撃とうとする悪党を、正義の警官が撃ち殺してくれる事を願いながら。それしか、彼が生き延びる術はないのである。
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