第25話 帰国

文字数 3,786文字

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A国C州L空港。誘拐事件の捜査協力を早々に切り上げ、F国から帰国したロレンツォとスカーレットは、空港の駐車場で、ロレンツォのSUVに乗り込んだ。空港まで車で来ていたロレンツォが、スカーレットの自宅までの送迎を申し出たのである。
マスコミから逃げるために必要だった。理由はそれだけである。
生き物の一番美しい時間を教える様なロレンツォとスカーレットが並ぶSUVは、パーム・ツリーの並ぶ夜の二車線道路を流される様に走った。道があるから、アクセルを踏む。そのぐらいの夜である。
ロレンツォは、無駄と知りつつ、助手席のスカーレットに、また同じ質問をした。
機中は人が多かった。二人だけの今なら、彼女の頭脳が違う答えを見せるかもしれない。そう思ったのである。
「何があったのか、本当に言わないのか。」
スカーレットは、ロレンツォに話しかけられても、ただ、久しぶりのA国の夜景を見つめ続けた。馬鹿ではないので、一度無視した質問に反応するつもりはないのである。
暫くロレンツォの次の言葉を待ったスカーレットは、中途半端な空気に区切りをつけた。
「ノー・コメント。」
機中と同じ答えに、ロレンツォは小さく笑った。
「考えてみろ。君が流した情報次第で、クローンの兵隊があちこちで暴れる。そうなったら、軍の仕事だ。荒っぽいのが出てきて、首都で銃撃戦だ。」
ロレンツォは、バック・ミラーを見た。尾行されていないか、気になったのである。その瞬間の答えはノーに見えたが、安心は出来ない。
肝心のスカーレットが相変わらず沈黙を守るので、ロレンツォは言葉を加えた。
「君が脅されたのは分かる。君には普通の生活を送る権利がある。でも、ユゴニオの言ってた責任みたいなものもあるだろう。」
スカーレットは、さすがに苛立ち、ハンドルを握るロレンツォを見た。稚拙な説教である。ただ、ロレンツォもそこまでは予想している。
「無力な僕の横顔はどうだ?」
人を叩くと怒る。当たり前の反応を、罠に落ちた様に思われるのは気に入らない。
スカーレットが、鼻で笑ってロレンツォから視線を外すと、ロレンツォは言葉で追いかけた。
「君を守るのが僕の仕事だった。それが出来なかった。観光旅行に行っただけだ。分かるだろうけど、僕のプライドはズタズタにされた。」
スカーレットは、窓の外を見ながら微笑んだ。スカーレットにとって、自分の身だけに起きた事件だったが、ロレンツォの人生にも影響を与えていた事がおかしかったのである。
スカーレットの反応に構う事なく、ロレンツォは喋り続けた。ハンドルを握る彼は、そもそもスカーレットの様子を見てはいない。
「君が何も話したくないなら、無理強いはしない。ただ、僕にもまだ役割が残ってる。友人としての助言だ。君が何かを気に病んでるなら、無駄な事だ。例え、何があったとしても、僕の中の君は変わらない。」
被害者全般に向けた定番の慰めの言葉に、スカーレットは苦笑した。
「フェイクね。」
ロレンツォが、本当にそんな言葉を口にするとは思えない。多分、スカーレット向けの悪い冗談。スカーレットが視線を戻すと、ロレンツォは微笑んでいたので、当たりである。
スカーレットは、自分の趣味を知るロレンツォのために、小さなヒントを口にした。勿論、ベールに包んでいる彼女という人間の一部を教えるためにである。
「私の人生には、私らしいイベントしか起きないわ。私がそう決めてるの。」
ロレンツォは、何かを感じ取る男である。嫌味な言葉に、ただ機嫌を損ねる様な事はない。
「当てようか。君はクローン技術の事を聞かれた。君は口を割らなかったが、それに通じる情報を奪われた。ただ、それを活用できる可能性は、限りなく低い。実質、君は秘密を守ったと思いたい。命がけで粘ったのに、過失を問われる気はない。そうだろう。」
スカーレットは、窓の外の終わらないパーム・ツリーの列に視線を戻した。全てを口にする気はない。だが、それにしても、ロレンツォの感は正しい。超能力者並みである。
スカーレットが無視した事に気付くと、ロレンツォが追い打ちをかけた。
「やったのは、ドビュッシーに研究させてた奴らか、ユゴニオの仲間。デュプレシ辺りじゃないか。」
スカーレットは笑った。おそらく、全員繋がっているので、これも当たっている。
「ノー・コメント。」
スカーレットの変わらない答えに、ロレンツォは何度か小さく頷いた。
この男の偏執的な正義感は、問題しか呼びそうにない。何も言わないのが、ロレンツォにとっても、スカーレットにとってもベスト。それが、F国で解放された時点で決めたスカーレットの答えである。
ロレンツォは、暫く車を進めると、前を向いたまま呟いた。
「何も変わらないと、どうだって言うんだ。」
スカーレットは、面倒なロレンツォをまた少しだけ見た。彼の話は、まだ途中の様である。
「君が黙ってると、僕は事件に巻込まれないかもしれない。でも、何があっても死ぬ日が変わるだけだ。」
スカーレットは苦笑した。ロレンツォは誰が見ても恵まれているが、どこかに影がある。
潔癖症だけでも気になっていたが、脳を傷める睡眠時無呼吸症候群を放っておくのも分からない。被害者や犯罪者と会うのが嫌だと聞いた時も笑ったが、その仕事にこうものめり込むのだから、この男は救われない。自殺する人間は、きっとこんな男である。
ただ、全てが口に出すと安っぽい。否定されるのも面倒なので、スカーレットは、やはり窓の外に目をやった。家に着くまでには、まだまだ時間がかかる。話をこじらせる必要はない。
ロレンツォは、スカーレットの言葉を待つのを諦め、話を続けた。
「大人になって、あっと言う間に、時間が過ぎる気がする。理由は簡単で、慣れだ。変化がないから、脳が違いを区別できない。」
スカーレットは、やはり沈黙を守った。妙な反論を聞く気にはなれない。結果、喋るのはロレンツォ一人である。
「どの人間も特別じゃない。明日、何が起きるか分からない。この五分後だってそうだ。事故を起こして、二人揃って潰れて、生き返らない。あり得る。」
物騒な言葉に、スカーレットはいよいよ窓の外を目で追った。
「変化がないのは罪だ。終わる瞬間、何が起きたか思い出せない様な人生。そういう事だ。僕は、何の変化もない五十年よりは、劇的な五年を生きたい。濃密な、ドラマが詰まった時間。走馬灯で、笑って泣ける様な人生を生きたい。一年は切ないが、五年ぐらいならいい。」
さすがに相槌が必要である。スカーレットは短く言葉を添えた。
「思春期ね。」
スカーレットは、ロレンツォにかける言葉を探し、微笑みながら言葉を続けた。勿論、自分の選択がおかしかっただけで、ロレンツォに向けた笑顔ではない。
「あなたは王様なのよ。一人で生きて、自由な道を自由な知恵の導く方に行けばいいわ。あなたの気高い仕事の報いを求めないで、自分が慈しむ思いの実を実らせるの。」
ロレンツォは、ハンドルを握ったまま、スカーレットを見た。
「何の話だ?」
スカーレットは、目を合せずに、車の外を見た。彼女が口にしたのは、プーシキンの詩の一説である。学生の頃、彼の決闘の逸話に惹かれて興味を持ち、友人とR国語で暗唱しあった。偉大な彼の言葉も、A国で分かる者は少ない。どんな生き方をしようが、人の一生など、その程度である。スカーレットは、頭に浮かんだ次の言葉を消した。人生を語る年ではない。ありふれた、簡単な言葉でいいのである。
「あなたのドラマのために、私を犯罪に巻き込まないで。」
話の流れが理解できないロレンツォが黙ると、車中に再び静寂が訪れた。
ただ、黙ったままというのも気まずい。口を開いたのは、やはりロレンツォだった。
「君が消えた時、ニコーラの事を思い出した。」
ロレンツォの頭の中は、人が消える事で一杯の様である。スカーレットが苦笑すると、一瞥したロレンツォは、併せて笑った。
「いや、本当だ。友達はあまりいないから、本当に怖かった。」
今日、何度目かの“友”という言葉である。その言葉の持つ力を不意に実感したスカーレットは、少しだけ嬉しくなったが、やはりロレンツォを突き放す事を選んだ。それがスカーレットである。
「ニコーラは電磁波で消えたの。私は、誘拐されただけで、帰って来たわ。一緒にしないで。」
ロレンツォは、道路上のライトと暗闇の曖昧な境界を目で追いながら、口を開いた。それは、目に見えるものと見えないものの境界である。
「ニコーラの事を決めつけない方がいい。この世には、人類が解明してない謎が、まだまだあるんだ。誰でも気になる事を放っておいてる。嘘みたいだ。宇宙の果てだって、皆、子供の頃に気にしたけど。あんな事も、分からない。誰も見た事がないんだ。」
ロレンツォは大人だが、頭のどこかに子供の様な精神構造が残っている。スカーレットは、自分にロレンツォがどう見えているかを教えた。
「知らないの?大きい石が一杯並べてあるらしいわよ。」
ロレンツォが一瞬言葉を失うと、二人は小さく笑った。
家までの道は長い。きっと、ロレンツォは、この後もずっと、いつものロレンツォの様に話し続ける。そして、スカーレットはいつもの様に答え続ける。無事に帰れなければ、決してなかった時間である。
小さな幸せを感じたスカーレットは、窓の外に広がる母国の夜を、微笑みながら見渡した。
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