第43話 手紙

文字数 3,955文字

+203years
A国Y州S郡。場所は変わらない。いつものトレーラー・ハウスに、ロレンツォとゴルダはいた。今日は、二人だけである。
フランチェスコがゴー・サインを出したプランの中で、重い罪の一つが彼女の誘拐。ロレンツォは、その全てを自身の罪にするため、常にゴルダと一緒にいた。勿論、ロレンツォ自身の申し出である。最近の彼女に誘拐されている自覚があるかは怪しいが、それは紛れもない事実なのである。
これまでの会話で、彼女が自発的に話す内容は、ほぼ限られている事が分かった。誰の予想も裏切らない正論。それだけである。
この日も、胸に偽る所のない彼女の言葉は潔かった。
「止めてもいいのよ。」
短い言葉にロレンツォは笑った。やはり、どういう立場で言っているのか、分からない。
手元のパソコンの作業は、彼女の言葉に耳を傾けるために止まってしまった。
ロレンツォは、あくまで念のため、尋ねてみた。
「何を?」
何の事かは、分かり切っている。そして、ゴルダの言葉は、六人が引いた善悪の線を、引き直す様なものでは決してない。全部、話を聞いたところで、よくある説教の繰り返しに過ぎないのである。
それでも、ゴルダは、目の前にいる繊細で気の毒な男の心を解放するために、言葉を探した。
「皆がもう戻れないと思ってる。でも、それが理由で続けてるなら違うわ。よく考えるのよ。」
ゴルダの中で、ロレンツォの評価は決まっている。ロマンチックな理想主義者。気に入るか、入らないかなら、最初は後者だったが、今は前者。だからこその問題提起である。
優しく微笑むロレンツォを見ながら、ゴルダは言葉を続けた。
「あなたは、子供を持った事がある?」
二百年を超えたロレンツォには、全ての説教が稚拙に思えるが、彼女の知った事ではない。彼女の表情の全てが、そう物語っている。ロレンツォは、その自信に満ちた表情に惹かれて、ゴルダの言葉に黙って耳を貸した。
ゴルダは、大きく両手を広げた。プレゼンテーションは、彼女の得意分野である。
「私にはいるわ。四人よ。こんなにたくさん、子供を産まなければよかったかと言われれば、ノー。もう十年以上、お遊戯を続けてる。自分の人生にこんな瞬間があるなんて夢にも思わなかった時間が、十年以上よ。もう、それが私としか言えない。最初は、喋る事も歩く事も出来ない小人と出会うの。食べ物も私があげないと死んでしまう。考え方だって、どうにでも出来る。そこで、教えるのよ。どうあるべきか。自分の考える正しい道をよ。そうして、自分も見本になろうと努める。言葉を選ぶ。そういう生活を続けている間に、人間が出来上がっていくのよ。子供も親も。両方ね。」
ロレンツォは静かに頷いた。教科書にも載らない程の常識について、小さな波風を立てるつもりはない。話を進めるのである。
「それが?」
ロレンツォの短い返事に、ゴルダは大きく頷いた。
「大事な事よ。大事な決断をする人が、それを知ってるかどうかはとっても重要な筈よ。」
それを知らないロレンツォは、ゴルダに話を任せた。
「いい?守らなきゃいけない、か弱い存在を知っている人間は、彼らへの確かな愛を感じていれば、謙虚になるの。それは本質的なものなのよ。世の中の九割に賛同されても、一割が否定するなら何もしない方を選ぶ。無力な者への愛が、あらゆるリスクを回避させるのよ。」
ゴルダは、ロレンツォの瞳を読むと、更に必要な言葉を補った。
「自分の人生を思い描くのよ。さすがに、もう大体分かるでしょう。ゴールに辿り着くためのリスクを秤にかければ、見えてくるのよ。どこまで出来るか。その範囲を超えようとしては駄目よ。子供がいなくてもそう。自分だけじゃない。自分を頼りにしてくれる皆の事を考えるの。」
満たされたゴルダの表情に、ロレンツォは苦笑した。
「確かに、テロに手を貸したなんて、思われない方がいい。」
あまりに簡単なロジック。ただ、それが分からない人間はいない。ロレンツォは少しだけ考えると、微笑みながら反論を始めた。
「君が言ってる事は残酷だ。何かを持ってる人間が、持ってない人間に、諦める様に諭してる。それだけだ。なんで、何となく生きなきゃいけないんだ。別に、死ぬためじゃないけど、時間には限りがあるから、全力で生きたい。それが、生きてる実感になって、自分に返ってくる。皆が全力だから、考えもしなかった様な残酷な答えにも納得できるんだろう。」
その間、ゴルダは、ロレンツォの口元を注視していた。口は何も伝えない。つまり、ゴルダは無駄に時間を潰している。正解を教えたつもりの彼女は、半ば、呆れているのかもしれない。
ロレンツォは、その顔にゴルダの傲慢を感じた。部屋には二人だけである。確実に自分に向けられた表情と思うと、猶更だったかもしれない。
「君の言葉は、いかにも、この時代らしい。季節外れの海に浸かってるみたいだ。いつまでも出られない。でも、フランチェスコは?ジョバンニは?ジネヴラにガイアは?皆、どこかで海を飛び出してしまった。僕は最初から海の外だ。ディランもかもしれない。でも、僕達は、一握りの誰かが独占してる陸地の良さを知ってる。全員のタオルまでは準備できなくても、焚火ぐらいは出来るかもしれない。僕達はその準備をしてる最中だ。確かに、一方的に海を否定してしまった事は間違いかもしれない。僕達に非があるとすればそこだ。でも、それなりには考えてる。分かってほしい。僕達は、幾つかある正解の内の一つを選んだつもりだ。」
ロレンツォは、話しながらパソコンに目を戻すと、途中止めだったメールの送信を終えた。プライベートなものではない。
EMP攻撃の予告。次のステージを約束するメールである。
自らの正義を訴えるうちに、結論が出したくなった。最初から送るつもりだったメールであるが、その瞬間に手を動かした理由があるとすれば、それぐらいだろう。
大きな一歩を進めたロレンツォは、僅かに高揚する自分を感じた。ゴルダに戻した視線にも、いつになく力が入る。
「二百年間、人類は似た様な事を繰返し、少しずつ答えを曲げてきた。その象徴が、数十億年後のための斜めの宇宙エレベーター。アレースだ。偽善の掃きだめ、矛盾の塊。アレースの元の生活は、植え付けられた見せかけの平和から逃げられない、死を待つだけの時間だ。」
ゴルダは、ロレンツォを見たまま、顔を横に振ったが、ロレンツォの頭の中は正義で溢れている。勧善懲悪。アレースは悪なのである。
「君は、こんな世界で子供を育てて、不安にならないか。あのアレースを見ろ。狂ってるんだ。」
ロレンツォの説く理想には常に矛盾があり、常識人のゴルダが受入れる事で、会話が成立している。ゴルダの中では、ずっとそうだったが、今現在のロレンツォは違った。いつもより、ほんの僅かに強い波を、ゴルダに送ってくる。
気持ちの嚙み合わない二人は暫く見つめ合ったが、やがて、ロレンツォが目を逸らした。この会話の先に、ゴルダの迎合は待っていない。彼女の瞳が、そう言ったのである。
ロレンツォがパソコンの電源も切ると、ゴルダは話題を変えた。所詮、この世界のありふれた勝者である彼女には、ロレンツォの口にする全てが相応しくないのである。
「何をしてたの?」
関係性を壊す気のないゴルダが新しい話題を口にすると、ロレンツォは、チェアに背を任せて、片手を挙げた。
「オオカミが出る日を指定した。審判の日だ。」
眉を上げたゴルダは、一瞬、動きを止めたが、すぐに大きなため息をついた。ついさっきまでの会話は、全く無駄だった。そういう事である。常に饒舌なゴルダは、視線を散らすと、口を閉じてしまった。

やがて、いつになく長い静寂に気付いたロレンツォは、ゴルダに目をやると、徐々に静かな不安に苛まれ始めた。
ロレンツォの思う正義は、ゴルダの思う正義ではないし、ロレンツォの行動は皆のためだが、ゴルダの思う皆のためではない。絶対である。
しかし、僅かな時間を共有する中で、優秀な彼女が見せ続けた歩み寄りの姿勢は、ロレンツォの思考回路を、少しずつ狂わせていた。彼女は、いつかは理解するだろうと。
よりよい世界を目指すためには、皆が参加し、意見を戦わさなければならない。
まさに、ロレンツォは口にしたばかりである。この二百年間、人間はその勝者になるために、民主主義を歪めていた。絶対的に優位なカードを確保した上で、見せかけの会話を進める。そのゴールは、決して、皆が選んだものではない。自然に考えると、斜めのアレースを建てたいと、世界中が一度に言い始める筈がないのである。アレースをつくるという明確な目標を達成するために、誰かが嫌な役割を果たした。それも全て、アレースの価値の分からない可哀そうな人達のため。そういう理屈である。
一方で、ロレンツォは、二人だけのこの空間で、自分だけが持つパソコンから、ゴルダが決して認めないメール一通を送った。あとに待っているのは、万人が一度は首を傾げるアレースの破壊。全ては、アレースの過ちに気付かない可哀そうな万人のためである。
ゴルダが、そのフラクタルに気付かない筈がない。
こんな小さな事の積み重ね。数十億人が、二百年間、その過ちを繰り返すと、自然に宇宙エレベーターは傾き、誰もその異常さに気付かない。それは誰のせいでもなく、議論の余地はない。ゴルダは、そう思ったかもしれない。
ロレンツォは、無口になってしまったゴルダのために出来る事を探した。
ロレンツォの言葉は、今の彼女には不快なだけだろう。
考えたロレンツォは、間もなくハーブ・ティーを淹れるために、ゆっくりと立ち上がった。物の浪費を避け、心を大切にするエコロジカルな時代である。言葉を失った彼にできる事は、そのぐらいしかないのである。
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