第61話 終結

文字数 7,106文字

+11years
A国の首都W。敢えて、ラフな服装を選んだヴィルヘルムスは、トーマス議員の事務所を訪問した。アポイントメントを無理に入れた午後である。あらゆる我儘に慣れた秘書達も、さすがにいい顔はしていない。
ヴィルヘルムスは、ルーティンをやり遂げようとした三人の秘書を無視して、自分でトーマスの部屋のドアを開けた。普通の挨拶は嫌いである。
「初めてじゃないね。」
トーマスは事務机で電話をしていたが、ヴィルヘルムスと視線が合うと話を切り上げ、立ち上がった。優先順位は明らかなのである。
応接用のソファに先に座ったヴィルヘルムスは、足を組んで、トーマスが座るのを待ち、雑談を始めた。
政治、経済、外交、軍事、教育、福祉、科学、宗教、移民、環境問題にその他諸々。
全てにおいて、当たり障りがない。そして、当事者の名前が出る。彼の言葉が世論になっているという事。それが、ヴィルヘルムスの強さである。
トーマスは、ヴィルヘルムスが聞いていた通りの人物である事を知り、小さく笑った。
口が温まったヴィルヘルムスは、流れる様に本題に移った。
「エイレネを買いたい。」
トーマスは、口元を片手でなでると、ソファに深くもたれた。まずは真意が分からないので、出方を決められないのである。一方のヴィルヘルムスは、会話の間があれば口を開く。
「軍事企業だから、買うのに議会の許可が要る。」
それは知っている。無難な答えを探したトーマスは、まずは身を起こした。
「エイレネの経営が今厳しいのは、…。」
ヴィルヘルムスは、トーマスの話に言葉を被せた。無駄な確認をするのは失礼。失礼には失礼で返すのである。
「知ってる。だから、言ってるんだ。僕は、多分、君が考えてるより、いろんな事を知ってる。エイレネはやばい。分かるね。」
トーマスは、ヴィルヘルムスに手を向けられたが、首を傾げた。ただ、動きはそれだけ。
その反応も、なくはない選択肢である。ヴィルヘルムスは、目を瞑って笑ってから、口を開いた。
「全部、話せばいいのか。言うぞ。エイレネは、N国のクローンの兵隊を盗んだ。それだけじゃない。この国でテロをやらせた。二年前のG駅の爆弾テロ。理由は知らない。その後も、あいつらは、クローンのクローンをつくった。どこからかき集めた技術か知らない。うちの昔のかもしれない。その会社が経営危機だ。責任感のある人間なら、どうするか。そして、僕の周りの皆は、その責任感のある人間が僕だと思ってる。ざわついてるんだ。」
黙って聞いていたトーマスは、何度か頷いた。
「今、君が口にした事に、事実として、コメントするのはやめておく。僕はエイレネには懇意にしてもらってるから言うが、あそこは愛国心溢れる誠実な会社だ。いつも、頭が下がる思いがする。どんな危機的な状況でも、彼らが過ちを犯すとは思えない。君の言う“やばい”かどうかの話なら、クローンは、元々、君の先代がつくったものだろう。ドクター・クレメンス。大きな子供だった。その後、開発を継いだアーキンもまずかった。工場まで出来てから、軍事利用は駄目だと騒いだ。十六年前、何人の仲間がいなくなったかしれない。普通じゃないんだ。君とは言わない。君の会社が軍事企業を持つなんて。エイレネの経営難より、よっぽど心配だ。」
ヴィルヘルムスは、一度、目を逸らすと、ソファのハンド・レストを指で軽く叩いた。
「エイレネを買うのは僕の判断だ。サミュエルでもスカーレットでもない。彼らはもうこの世にいないからね。エイレネだけじゃない。僕は、世界中のクローン技術を、一つにまとめて、管理したいだけなんだ。元凶をつくったヒュドールが、すべての責任を持つ。簡単な理屈だろう。」
トーマスは、微笑みを浮かべた。
「例えばだよ。二つの会社が同じ技術を持っていて競い合えば、単価が安くなる。クローンを買うのは国だから、僕達政治家は得をした気分になる。買ったクローンも戦争に使う必要はない。同盟国に高く売って、それを超える技術を買えばいい。原子力潜水艦の方が強いのは誰にでも分かる。A国は強くなるから、やっぱり、僕達政治家は得をした気分になる。それが、クローン技術を扱うのが一社になったらどうか。」
トーマスが無駄に間をとるのを見ながら、ヴィルヘルムスは手を差し出した。先を言ってもらって構わない。
「その逆になる。」
予想通りの答えに頷いたヴィルヘルムスは首を回した。無駄過ぎて、肩が凝ってきた様な気がする。
それでも、ヴィルヘルムスは渋い顔で言葉を続けた。それが、交渉というものである。
「まず、違法だから、オープンに出来ないだろう。うちの会社は、ずっと疑われてる。イスゥィウツツのチヌアも、酷い目に遭った。彼らは本当に兵隊までつくったから、まだ分かるけど、必要以上に責められた。この先、僕がクローンの事で損をしたら、僕はエイレネを放っておかない。それなりの事をさせてもらう。」
トーマスは、小さく笑った。
「最初に言った。エイレネがクローンの兵隊をつくってるなんて、事実とは認められない。今の話は、全部、仮定の上での話だ。」
ヴィルヘルムスは、余裕の表情のトーマスに少しだけ苛ついた。少しで済んだのは、そういう男だと知っているからである。
「証拠があるんだ。エイレネの工場の動画さ。」
「どこの情報?」
トーマスの質問は早い。目付きも鋭くなった様である。ヴィルヘルムスは、スマートフォンを出しながら答えた。
「持ち込まれたらしい。僕の会社は大きいんだ。知ってたかい?」
勿論、知らない人間はいない。トーマスは、何かを言おうとしたがやめた。少なくとも、ヴィルヘルムスにはそう見えた。
「ヒュドールのA国への愛は変わらない。」
呟く様に話しながら、ヴィルヘルムスは、壁に動画を映した。
グリーンの動画。アナイスとジオラが工場を爆破した時のヘッド・マウント・ディスプレイの記録である。
トーマスは、動画の色を見た時点で、背筋を伸ばした。普通ではない事がすぐに分かる。
動画は、ほんの数十秒の短いものだった。
無音のグリーンの世界に、ライトを持つ一人の男が現れた。誰がどう見てもアレースである。よく見ると、銃も持っている。
まもなく、アレースの右肩が、後ろに揺られ、だらりと下がった。銃撃された事は想像に難くない。ライトを捨て、銃を持ち換えたアレースは、不意に走り出し、大きく画面に近付いてくると、一瞬でその場に崩れ落ちた。
動画は、まったく揺れていなかった。
ヴィルヘルムスは、トーマスの視線を受けると、動画を消した。
「普通じゃないよね。」
思った事を先にヴィルヘルムスが口にすると、トーマスは笑った。
「これを見る人が見ると、エイレネがクローンを持ってた事になるのかな。」
ヴィルヘルムスは、言われてみて、そういう答え方もあるかと思った。それなら、次の手がある。
ソファに深くもたれたヴィルヘルムスは、足を組み替えた。
「陸軍のデクラン・グリフィス中尉。君が大好きなドミニク・リードの義理の息子。」
トーマスは、顎を少しだけ上げたが、取り乱しはしなかった。
「面識はある。彼が何か。」
トーマスの答えに、ヴィルヘルムスは笑った。この後の展開を知っている彼にとって、その反応は滑稽でしかない。
「僕は、彼に目をつけてた。僕に一度会いに来たけど、その前から知ってた。怪しい奴がいるって。仕方ないから、大切なお金を使って、彼の記録をとってたんだ。普通じゃなくて、僕としては面白かったよ。」
それで全てを言ったつもりだが、トーマスの反応はまだ鈍い。ヴィルヘルムスは駄目を押した。
「誰かに聞いたけど、エイレネのシェーファーにも話しに行ったらしい。クローンをつくるのはやめろって。彼は否定しなかったけど、交渉は決裂したらしい。それで、仕方ないから、僕がここに来たんだ。怪しい企業が怪しい企業を買ったって、皆に言われるけど、放っておけない。」
トーマスの耳にも入った、決して、許す事の出来ない事件。ヴィルヘルムスがどういうつもりかは知らないが、分かり易い脅しである。
トーマスは、今までと同じ表情を保とうとするあまり、顔の動きをなくした。それは、ヴィルヘルムスが待っていたもの。
待ち望んだゴールを前に、ヴィルヘルムスは満面に笑みを浮かべた。
「言ったろ。僕は、君が考えてるより、いろんな事を知ってる。その僕が、エイレネを買うと言ってるんだ。マスコミや警察に言う訳でもなく、君に会いに来て、窮地のエイレネに救いの手を差し伸べるって言ってる。僕は、なんていい奴なんだろう。」
トーマスは、姿勢を正した。弱みを握られているのは確か。それを公にしないと言っているのも確かである。
「確認しよう。君の望みは?」
交渉の末の言葉としては、最高の響きである。ヴィルヘルムスは、もう一度、同じ願い事を口にした。
「エイレネの買収を成功させてほしい。」
トーマスは厳しい表情を見せた。
「僕にそんな力はない。ただ、少なくとも僕が邪魔する事はないだろう。」
ヴィルヘルムスは頷いた。この男が邪魔しないという事は、成功するという事。交渉成立である。ただ、これだけでは終われない。
「もう一つ相談がある。偉い政治家への陳情だ。僕はチヌアとは仲がいいから、彼は安心だ。でも、あと一人、抑止論者のハード・コアがいる。」
それは、トーマスにとっても危険な存在である。
「どこの誰。」
問いかけられたヴィルヘルムスは、笑いながら答えた。
「F国の大臣。元BLATのギヨム・ユゴニオだ。」
トーマスは、笑った。記憶にある名前である。最近の出世の早さは目覚ましく、次世代のF国のリーダーになろうかという優秀な男である。デクランからも情報が入ってきてはいたが、クローンとはもう関係ないと聞いていた。トーマスは、言葉を選んだ。
「彼が、僕の言う事を聞くとは思えない。」
予想した範囲の答え。時間の無駄である。ヴィルヘルムスは、トーマスの目を醒ます事にした。
「いや、聞いた話だと、彼が関わってたのは随分前だ。でも、相当、迷惑なレベルだったらしい。心配なのは、この先だ。自分が一番詳しいと思ってるに決まってる。F国中の問題が彼の責任になった時、何をするか分からない。僕も話してみるけど、あれは筋金入りだから、ただの金持ちの言う事は聞かない。だから、君からも頼んでほしい。次世代の地球のリーダー同士で、ビジョンを共有してほしいんだ。クローンは、産みの親のヒュドールが管理するのが正しい。トップはクローン。痛みを知る者なら、無茶はしない。」
トーマスの目は大きく開いた。勿論、驚いたのは、本筋の事ではない。
「噂は本当だったのか。」
普段、噂を認めない理由は、使い方によって、思わぬ効果を発揮するからである。
ヴィルヘルムスは、今日も期待通りに働いた切り札の威力に微笑んだ。
「秘密だよ。」

それから数か月後のある日。
ヒュドール本社二十四階のオフィスは、大勢の人で賑わっていた。
主役は、勿論、ヴィルヘルムスである。
パソコンの前に座る一人の男の肩に手を置いた、余所行きのヴィルヘルムスは、笑顔で観衆に話しかけた。肩を貸している男は、ラーヒズヤ・ガヴァスカルである。
「今、この記念すべき瞬間を、皆と共有できる事をうれしく思う。先代サミュエル・クレメンスが残したクローン人間製造技術、スカーレット・アーキンが開発した加齢促進技術、ここにいるラーヒズヤ・ガヴァスカルの脳拡張技術、これを最初に実践したチヌア・アディーチェ。彼ら天才の奇跡的な出会いが生み出したアレースは、間違ったかたちで社会と接する事になった。テロリズム、戦争、革命。彼らが生まれた理由があるとすればそれだ。彼らに感情がなければ、それでよかったかもしれない。でも違う。彼らには感情がある。人間と同じだと、皆が知っている。全ての人に生まれてくる理由などない。それは愛の結晶で、何かのために人間をつくるなど、そんな事はあってはならない。ただ、そのあってはならない事が起きている。これ以上ない悲劇だ。僕は思った。何か出来ないか。どんな小さな事でもいい。彼らのために、何か出来ないか。悩んだ僕の前に現れたのが、オースティン・トーマス議員だった。ジョン・トーマス議員の息子で、ライアン・トーマス議員の甥、アイザック・トーマス議員の孫で、ジャクソン・ヒューズ議員のひ孫。サラブレッド中のサラブレッドの彼は、僕に語った。世の中の誰もがどこかでつながっている。もしも、何かを変えたかったら、皆で肩を組めばいい。気持ちが伝われば、何だって変えられる。僕は感動した。この年になると、当たり前の事を言ってくれる人にも、なかなか会えない。でも、僕の背中を押してくれたのは、彼だけじゃなかった。素敵な気持ちは、海を越える。F国のギヨム・ユゴニオ大臣。トーマスの紹介で、…。」
ヴィルヘルムスは、この後、四カ国の政治家と二十社以上の企業への感謝を口にした。大勢の関係者への長い長い感謝の言葉は、彼のスピーチの基本である。ルーティンを終えたヴィルヘルムスは、本題に入った。
「今から、僕達は、アレースの脳のハードをリセットする。世界中のだ。書き換える事も考えたが、それは違う。誰かが決めた人生ほど、下らないものはない。人を殺さない様に書き込めばいいとも思うかもしれない。だが、これが実は難しい。人は軽く押しても倒れ方によっては死ぬ。悪口を言っても死ぬ。女に振られても死ぬ。そういう全てのリスクを敬遠する人間が生きていくのは、相当、難しい。僕の様な人間がいる社会では、他人を押しのけてでも生きていくぐらいでないと、何も出来ない。攻撃的な性質を持つのは、人間にとって必然だ。だから、今回の選択をした。ハードをリセットし、年相応の知識と一般常識、そして愛情を与える。人によっては、一流の文化人だと思う程度になる。今、どこかの国で武器を手にしているアレース達は、動きが止まり、十日前後でハードの書き換えが終わる。記憶をなくした彼らは、そこから新しい人生を生きる事になる。周りがテロリストだらけだと、また、テロリストになるかもしれない。だが、そこからは彼ら自身の選択だ。彼らに与える愛の力を、僕は信じる。愛を教えるなどと、どうするのかと思うだろう。それは、親から無償の施しを受ける記憶や抱きしめられる記憶だけではない。人の気持ちに共感するシステムや美的価値観。様々な要素から成り立つ。これは皆で、一度、勉強会を開いてほしい。」
会場に笑いが起きると、ヴィルヘルムスはひとまず満足した。
「あまり長くなっても何だ。そろそろやろう。カウント・ダウンだ。」
笑顔のラーヒズヤは、ヴィルヘルムスからパソコンに目を移すと、マウスを握った。
「五、四、三、二、一。」
全員が、ヴィルヘルムスに合わせて、カウントを口にした。そして、ゼロである。
「ハッピー・バースデー、アレース。」
「ハッピー・バースデー、アレース。」
皆が、暗黒の世界で生きる事を強いられてきたアレースの新しい人生を想い、それを実現したヒュドールの一員である事を誇りに思った。
誰かが興奮を拍手で表すと、会場は大きな拍手の渦に包まれた。一体感。全ての挑戦は、この瞬間のためにある。
暫く、皆の顔を眺めたヴィルヘルムスは、興奮の谷間を見つけて、口を開いた。
「正しくは、アレースが生まれ変わるのは、十日ぐらい先だ。この瞬間はどう言っていいのか。」
場内に失笑があふれる中、ヴィルヘルムスはラーヒズヤに尋ねた。
「更新が遅くなるのは、どういう所だ。C国は、漢字で言葉が重いとか。」
ラーヒズヤは、笑って顔を横に振った。
「その差はあっても知れてます。それより、電波障害のある所。例えば、この計画を知ったアレースが電磁シールドの中に隠れれば、更新はできません。」
ヴィルヘルムスは、何度か頷いた。
「どうなる。」
ラーヒズヤの頭には、答えがある。
「信号は出し続けます。シールドから出れば、データが追ってきます。それを避ければ、少なくともテロに直接関わる事は出来ません。それなら普通の人間でも同じです。誰もアレースに拘りません。」
ヴィルヘルムスは、ラーヒズヤを両手で指すと、皆に話しかけた。
「彼は本当に優秀だ。アレースを閉じ込めるのは気の毒だが、完全な非暴力。それより美しい響きはない。最高の気分だ。」
アナイスもジオラもいない会場は、その裏の暴力を知らない。素直に感動した彼らは、大きな歓声を上げた。正義のA国人は、勝利をこよなく愛するのである。
ヴィルヘルムスは、皆の笑顔を見ながら、胸を張り、言葉を続けた。
「ただ、皆も思っている筈だ。テロリストとしてでも、今までの短い時間、アレースが知った世界は、時間は、全てが全て、酷いものだったのか。消し去ってよかったのか。美味しい物を食べた日も、仲間に助けられた日も、素敵な気持ちになれた日もあったかもしれない。その全てを奪ってしまう事は、きっと大きな罪だ。僕達は、この勝利が生んだ悲劇を、なにかで埋め合わさなければならない。そこで、僕は考えた。これだけの偉業を達成した僕達ヒュドールは、まだまだ大きくなる。ヒュドールは、人類のオピニオン・リーダーとして、歴史を揺るがす様な大事業をやってのける。その時に、その事業に、彼の名を与えたい。警察が勝手につけた名前かもしれないが、僕達は忘れてはならない。アレースという名前を、悲劇ではなく、歴史に変える。それがどんなに先になっても、やってみせる。僕達なら、絶対に実現できる。」
興奮した会場の拍手は、ヴィルヘルムスが何度両手を挙げても鳴りやまなかった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み