第54話 昔話

文字数 3,689文字

+203years
A国Y州S郡。ロレンツォがゴルダと話しながら送ったメールは、その日、その時間、その都市から全ての人影を消し去った。忙しく動いているのは、監視用のドローンとカート。鳴り響いているのは、避難を呼びかけるアナウンス。
人間のいない世界。ラグナロクの前兆。
A国C州L郡の悲劇は、ロレンツォのメールに大きな力を与えたのである。
奇跡を起こした張本人であるロレンツォは、その最中、ステルス・マントで身を隠し、ゴルダを連れて、アレースの足元、ヒュドール・リサーチ&エンジニアリングに来ていた。
ヒュドールが安全のために全ての電気系統をシャット・アウトした結果、距離に限界のある無線で信号を送らなければならなくなったのである。ただ、それも想定の範囲内。全ては計画通りに進んでいる。
説明を加えるなら、二人が今いるのはブラック・ドットのある部屋。
ニコーラが消えたブラック・ドットは、二百年以上経った今もそこに残っている。
ロレンツォは、この機に、自らの宿命の地にゴルダを案内したのである。
幾層もの鉛で覆われた謎の物体。あるいは空間。あるいは何もない場所。
ロレンツォは、昔より重厚になったカバーを指で軽く叩くと微笑んだ。
「警備員がいなければ、久しぶりにじっくり見てみたかった。」
何も知らないゴルダは、眉間に皺を寄せたままである。
「ブラック・ドット。知らないか。」
ゴルダも聞いた事はある。いつだったか忘れたが、物理系の学者のパーティーが、その話題で盛り上がっていた事がある。
「重力のトラブルでしょう。小さいブラック・ホールみたいな。エネルギーを吸収した後、大きくなるって。不安定で、誰も手を出さないって聞いたわ。」
ロレンツォは大きく頷いた。昔、サミュエルから聞いた通りである。二百年間、その認識は変わっていない。
「それだ。元々、僕がこんな妙な事に巻込まれたのは、これのせいなんだ。連邦捜査官だった頃、僕のバディがこれに当たって消えた。吸い込まれて、強い風が返ってきた。髪が乱れたのを覚えてる。」
当事者だけが知る話である。人が死んだ話に、ゴルダが神妙な表情を浮かべると、ロレンツォはまた微笑んだ。ゴルダは常に常識を忘れないので好きである。
「当時は、何の事か分からなかった。実験してた学者は、僕のバディは、別の時空に飛ばされたと言ってた。元は重力の実験装置だ。周りからエネルギーを接触させたら、同じぐらいのエネルギーを返してくる。その後、君が言った様に、少し大きくなるんだ。バランスをとってる。ただ、行先は一つじゃない。幾つかの別の空間だ。計算すると、返ってくるエネルギーが少し少ないんだそうだ。」
微妙に詳しい話に、ゴルダの表情はますます険しくなった。端的な表現が必要である。
「つまり、死んでる。式で考えると、そうなる。でも、死体はないんだ。君なら、どうする。」
ゴルダは、黙って耳を傾けた。
「僕は、そのバディを探す事にした。考えたんだ。もしも、彼が生きてるのに連邦捜査局が探すのをやめたらって。ひょっとしたら、彼はどこかの暗闇で、死ぬまで孤独に耐える事になるかもしれない。それが怖すぎた。飢え死にするかもしれなくたって、それは別だ。とにかく、死んだ証拠が出ない限りは探す。そう思った。」
ゴルダは何度か頷いた。税金を無駄に使った様に聞こえるが、分からないではない。
「その学者には調べてもらった?」
まずは否定されなかった事に、ロレンツォは微笑んだ。
「勿論。サミュエル・クレメンス。ここのトップだった。怪しい男だが、天才だった。昔、クローンの事で大揉めした事があるけど、それも元を辿れば彼だった。彼には、この研究所があったんだ。要はエジソンだ。膨大な金と尋常じゃない数の人間と時間を使って、夢みたいな事をやる。全ての道が彼に通じてた。不況や気候変動まで彼のせいに出来るんだから、あらゆる犯罪も彼のせいに出来た。ただ、僕は許した。バディを助けてほしかったからだ。君の言う通り、彼に頼るのが一番だと思ったから。」
ゴルダは、話のスケールが大きくなってきた事に気付いたが、沈黙を守った。
「でも、彼の結論は最初に出てる。ニコーラは死んだ。そう思いながら、彼は調べてる。ブラック・ドットが何か。そんな遊びの先には、何も待ってない。彼一人には任せておけない。だから、僕自身も動いた。連邦捜査局にいると、妙な事件を探せば、いくらでもあるんだ。全部、引き受けたけど、でも全部が違った。結局、奇人を巡る旅さ。最悪だった。挙句の果てに、コールド・スリープ。二百年も眠らされた。それをやったのが、それもここのトップだ。ヴィルヘルムス・ブリンクマン。サミュエルじゃない。その次だ。」
ゴルダは首を傾げた。
「個人的に恨みがあるのね。」
ロレンツォは、微笑みながらゴルダを見た。
「そこは、そんなに単純じゃない。恨みと言うか、何と言うか。ただ、奴を徹底的に叩きのめして、先に死んでやろうとは思う。それなら、何を言われても聞かないでいい。奴を死ぬまで悔しがらせたい。」
顎を引いたゴルダの顔は、笑っていない。
「相当、ひねくれてるわね。普通、相手が死んで笑うんじゃないの?」
もっともである。ロレンツォは自然に笑った。
「二百年過ぎたのに、あいつは生きてる。記憶が積み重なる事は、必ずしも幸せというわけじゃない。あいつも分かってきてる筈だ。僕は、普通に生きて、普通に死にたい。何なら、それだけでも勝利だ。」
ゴルダは、渋い顔で呟いた。
「そうは見えないわ。」
確かにそうかもしれないが、何が普通かは人による。ロレンツォは言葉を続けた。
「二百年も過ぎた。僕の知ってる人は、皆、死んだ。もう、僕のバディが死んでてもおかしくない。」
寂しい言葉を耳にすると、ゴルダは小さな優しさを見せた。
「あのブラック・ドットの中の重力場が、こことは全く違って、時間の進み方が全く違ったとしたら分からないわ。」
あり得る話に、ロレンツォは笑いながら頷いた。
「それこそ人間の体が耐えられる筈がない。」
考えなかった事はないのである。ロレンツォは、ゆっくりと歩き出すと、操作盤の前で止まった。
「これを動かせる?」
呼ばれるままに近寄ってきたゴルダは、操作盤を見た。
「別に特別な物じゃないわ。電気も止まってるから、手動で開くわ。」
ロレンツォは、ゴルダの瞳を見つめた。
「開けてみるといい。大丈夫。見るだけなら、別にどうって事はないんだ。」
ゴルダは、返事を躊躇ったが、間もなく結論を出した。
オールOK。何かを拒絶すると、やってしまった事は、自分がやっていいと判断した事になる。それは、後の自分の人生にとって、大きな重荷になる。全て、人のせいにするのが正解。彼女は賢明なのである。
ゴルダは、室内を見渡すと、三か所を順番に指さした。
ハンドル、レバー、ボタン。全てが離れた場所にある。
ゴルダの期待通りの働きに、ロレンツォは小さく笑った。カバーを開けるだけの事で、念には念を入れたものである。自分一人では、絶対に分からなかったろう。
ロレンツォは、微笑みを絶やさず、一つずつロックを解除した。
空気の抜ける様な音がし始めたが、実際は逆。真空状態だったカバーの中に空気が入り始めたのである。やがて、容器の一部が少し浮くと、トランクでも開く様に、上に跳ね上がった。
久しぶりのブラック・ドットである。
ロレンツォは、顔色一つ変えずに中を眺めたが、見る限り何もない。暗がりでブラック・ドットが見つからないのは、当前である。
ロレンツォは、背後にゴルダの気配を感じると、ライトを取出した。
「小さいから、注意して。」
ロレンツォがスイッチを入れると、光の先に、小さなブラックの点が現れた。
大きさは、前と同じか、少し大きいか。揺れているかもしれない。
初めて見たゴルダは、特に反応を見せなかった。そのぐらい、ごく普通で、そして、ただの点だった。
ロレンツォは、微笑みながら、ハンカチーフを取出した。
「何をするの?」
嫌な予感がしたゴルダが声を上げると、ロレンツォは躊躇う事なく、チーフをブラック・ドットに向かって投げた。
たたまれたチーフは、まっすぐブラック・ドットに向かうと、吸い込まれる様に消え、直後に小さな風を返した。二百年前と何も変わらない。
ブラック・ドットは、少しだけチラついている。これが、ロレンツォが見せたかったものである。
「いつかは、人間が向こうの空間に行けるかもしれない。」
振り返ったロレンツォの言葉に、ゴルダは真剣な眼差しを返した。
「普通に考えると、全身の組織が破壊されるわ。」
ロレンツォは、声を出して笑った。ゴルダの変わらぬ正論は、やはり面白いのである。
「この大きさだとね。でも、もしも重力の影響で僕のいた時間がそこに残っていたら、行ってみたい気がする。」
当然、もしもの話である。
しかし、ゴルダは、言葉を失うと、何度か顔を横に振った。時代の象徴アレースを破壊しに来たロレンツォである。ゴルダにしてみれば、ロレンツォならやりかねない。どんな時も微笑みを絶やさないロレンツォは、全ての常識を超えそうに思えるのである。
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