幕間 side R ( part 1 )

文字数 2,041文字

『蓮の眼は本当に綺麗だなぁ。アイラと一緒だ』   
『ぼくの眼、おかあさんといっしょ?』
『ふふ、そうね。おかあさんとおそろい』
『わーい! おかあさんとおそろい! あ、ぼくの髪はおとうさんとおそろいだね』
『そうだぞ、漆黒というんだ。かっこいいだろう?』
『うん、かっこいい!』
『蓮の笑った顔、(いさお)さんにそっくり』
『そうか? 顔立ちは君に似ているんだが……』
『ぼく、おとうさんとおかあさんとおそろいでそっくりだね!』
『――! そうだな。蓮はお父さんとお母さんの自慢の子だからな』
『ええ、蓮はお父さんとお母さんのいちばん大切、よ』



 母は、澄み切った海の色をたたえたような青い瞳の持ち主であった。その美しい瞳とおそろいと言われ、とても嬉しかった。母譲りの青い瞳は蓮の誇りであり、宝でもあった。そう、祖母ではなく、

、である。

 自分の本当の姿を知って欲しくてカミングアウトを決意し、カラーコンタクトを外した。あとは真実を告白するだけだった。しかし、蓮の意思に反して感情は咄嗟に母の話題を避けた。

 事実――祖母が北欧にルーツをもつこと、青い眼をしていること――をベースにすらすらと嘘を並べ立てる自分に蓮はぞっとして、けれども心はすぐさま凪いだ。偽り続けた蓮の心は、嘘にすっかり慣れてしまったらしい。

 今から数年前、母が突然姿を消した。父曰く、病気で故郷の病院に入院したとのことだった。心配で泣きそうな蓮の様子に父は「必ず帰ってくるから」と付け加えた。それから数日後、噂好きの保護者たちの話を耳にした同級生らにより、蓮の環境は一変した。

『なぁ、蓮の母さん、ウワキして出ていったんだろ? 俺の母さんが言ってたぞ』
『うわ、じゃあお前の父さんって本当の父さんじゃないってこと?』
『やべー、それって蓮が不潔な子ってことじゃん』
『蓮の不潔菌がうつる! みんな離れろ!』
『あの青い眼を見たら不潔菌がうつるぞー!』
 
 根も葉もない噂だった。
 しかし、噂好きの大人たち同様、子どもたちにとっても事実か否かはどうでもよく、面白いかどうかが優先される。
 昨日まで一緒に遊んでいたクラスメイトらが蓮の言葉には一切耳を貸さず、執拗なまでに蓮を(あざ)けり、揶揄(からか)った。まるで蓮が戸惑い傷つく様子を楽しむかのように。

 教師や父に助けを求めるという選択肢などなかった。大切な母の名誉が傷つけられていることをどう説明できようか――蓮はただひたすら(いわ)れのない誹謗中傷の数々に耐え続け、いじめられていることをひた隠した。そうした憂き目が数週間ほど続いたある日、率先して蓮をなぶっていた面々が蓮を囲んだ。

『蓮、ごめんなー。お前の母さんいなくなったのって、病気だったんだってな』
『また仲良くやろうぜ』
『俺の母ちゃんが言ってたんだよ。お前んとこの父ちゃん、すごい偉い人だからちゃんと仲良くしておけって』
『っていうかさ、僕たちってもともと仲良いよね?』
『な、俺らもこうして素直に反省してるし、これからも今まで通り仲良くやろうぜ!』

 蓮は驚いた。父が偉い人だから仲良くしておけ? なぜここで父が出てくるのか。今まで通り仲良く? 蓮にとっては信じられないような言葉が並びたてられたが、どうにか彼らの意図を理解しようとし、呑み下そうとした瞬間、張り詰めていた何かがぷつんと切れた。目の前が真っ暗になり、気がつけば病院のベッドの上だった。声がする方に目を向けると、蓮の担任が真っ青な顔で父に平謝りをしていた。意識を取り戻した蓮に気づいた担任は解放されるチャンスとばかりに「よかった、お父さんがとても心配していたんだぞ。無理せず休めよ」と言い残し、そそくさと出ていった。

 二人きりの病室で、父は言った。将来志之元を()べる者として子ども同士の人間関係くらいうまく立ち回れずどうする。お前に隙があるから悪いのだ。ストレスごときで倒れるなど情けない。その軟弱な精神はアイラに似てしまったか。嘆かわしい…………

 苛立ちを含んだ父の言葉が耳に入るごとに、蓮の心は擦り潰れていくようだった。母はおろか、優しかった父ももういない。ここで蓮は自らが置かれた境遇について悟った。

 クラスメイトの誰も、自分を見ていなかった。仲良くしてもらえるのも「志之元」の家の子だから。父が後ろにいるから。その父が求めているのは「蓮」ではなく、うまく立ち回れる優秀な志之元の後継者であること。僕自身には、何の価値もない。僕は、いらなかったんだ。

 結論は出た。ごめんなさい、以外の言葉が見つからず、そのままを口にした。父は返事の代わりに大きくため息をついて病室をあとにした。

 病室でひとり、蓮は笑った。泣きながら笑った。せめて、求められている役割だけでも完璧に果たさなければ。後継者たり得る自分になろう。簡単なことだ。まず心を殺せばいい。余計な感情に振り回されるからうまくできなかったんだ。そうだ、この眼もいずれ隠す必要がある。みんなと同じでいれば悪意の標的になることもないだろう――
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